僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

リハビリをする人 される人

2015年11月06日 | ランニング

9月22日の夜、突如左のふくらはぎが痛み、3日目ぐらいからさらに痛みがひどくなり、26日に整形外科病院へ行ったら「肉離れです」と診断された…という話を、9月29日のブログに書きました。

それ以降、毎週リハビリに通い、6週目にあたる一昨日、ようやく完治し、リハビリ担当の人から「終結宣言」をしてもらった。

今回、僕を担当してくれた若い男性の理学療法士さんは、
「もう大丈夫でしょう。あとはご自分で、これまでリハビリで行ってきたストレッチや患部の筋トレを続けられて、徐々にジョギングなどを始めてください。肉離れは癖になることもありますので、運動後は、ストレッチや筋トレで必ずケアしてくださいね」
ストレッチはまぁわかるが、運動後の筋トレもケアのひとつとは知らなかった。…ということで、病院通いもひとまず終わった。

思えば、発症した頃は、かつて経験したことないほどの痛みだった。最初は患部を冷やすことから始まって、週を追うごとにリハビリ内容も、患部のマッサージや各種ストレッチから、後半になると両足や片足でピョンピョン跳んだり、右足を浮かし左足だけで爪先立ちを繰り返したり、同じく右足を浮かして左足だけで膝の曲げ延ばしをするスクワットなど、かなりきつくてバランスも取りにくい運動も、指示されるとおり何とかできるようになり、この度の「卒業」となった。

で、その翌日に当たる昨日は、スポーツクラブも休みだったので、回復度を確かめたくてウズウズしていたこともあり、自宅から大阪城まで歩いてみようと思い立ち、9時ごろに家を出た。ざっと15キロほどの道のりである。

大和川を渡り、長居通りを歩き、かつての大阪女子マラソンのコースだった今里筋から勝山通り、そして桃谷に出てから、JR環状線に沿って鶴橋、玉造と歩き、その次の森之宮に大阪城公園があるので、そこをゴールと決めて歩いた。しかし…

数日前までの涼しさから一転して、昨日はまるで夏のような強烈な日差しが照りつけ、その暑さにバテてしまった。おまけに足も重い。どうにか鶴橋まで歩いたけれど、あと環状線の駅2つ…まで迫りながらダウン。ちょうど大型スーパーがあったので、冷房の効いたその建物に入って椅子に座り、やれやれ…あぁしんど。妻にメールをしてから、電車に乗って帰宅した。「無理してはダメよ」と妻から返事が来た。

目標の9割以上は歩けたというのに、ゴール目前での中止。これまでの自分なら、ここまで来たのだからもう一息頑張ろう…と思ったはず。それを思いとどまったのは「進歩」かも知れないが、それにしてもだ…「徐々にやっていってください」とリハビリ師に言われていたのに、いきなり長い距離にチャレンジしてしまった。この調子乗りの性格はなかなか直りませんわ。というより、もう直らんか?


さて、話はそのリハビリ師さんのことになるのだが、20代後半か30代前半の男性である。初めてリハビリを受けた時、パソコンで僕のデータを見て「ランニングをしておられるんですね」と言ったので「いや、まぁそれは昔のことで、今は歩くか軽いジョギング程度です」と答えた。
「マラソンのレースには何度か出られたことあるんでしょう?」と彼。
「えぇ、30代から50代の前半まで出ていました」と僕。
と会話を交わすのだが、彼はその間、僕のふくらはぎをなでたり押さえたりしている。マッサージをしてもらいながらの会話である。


「へぇ、そうなんですか。どんなレースに出られました?」
「最後は52、3歳の時、赤穂の100キロマラソンに出ました」
「えっ? 100キロマラソン? すご~い」彼の目が輝いた。
「それと、北海道マラソンとか、ニューヨークマラソンとか…」
ちょっと自慢しちゃいました。彼はそのたびに、「へぇ」と驚いた様子。

彼にはそれなりの理由があったのだ。
「僕もですね…実は12月に初めてフルマラソンに出るんですよ」
ということだった。

なるほど。そういうことで、僕の話に強い関心を示したわけだ。

「えっ? そう。どこの大会ですか?」と僕が聞く。
「12月13日の奈良マラソンです。今からドキドキしているんですよ」

それから、合計6回、リハビリを受けたけれど、僕がリハビリの指導を受けて、必要なことがひと通り済んだあとば、彼は僕の足をいろんな角度で持ち上げたり、押さえたりさすったりしながら、話はマラソンのことに終始した。

「レースには何回くらい出られました?」と彼。
「そうですね、20回数回ですかねぇ」
「えぇ、そんなに。どれくらいの記録をお持ちですか?」
「自分のフルマラソンの最高記録は3時間27分です」と僕が言ったら、
「そんなに速いんですか!」と驚いていたようだ。

今でこそマラソン大会の制限タイムは6時間とか7時間で、4時間台、5時間台で走ったらいいわ…という雰囲気があるが、僕らの時代は「サブスリー」(3時間を切る)のが市民ランナーの夢だった。2時間30分台で走った友人がいるし、ここへコメントをくれるドイロン君も、ほぼ3時間ジャストという記録を何度か出している。

3時間台前半の記録を持っている友人は沢山いる。だから僕の自己記録など、そんな友人たちの記録から見れば平凡なものである。だから、あまりいろんなことを質問されてもなぁ。えらそうなことは言えない。

その若いリハビリ師は「何とか5時間を切りたいです」と言う。
まあ、それなら何とか僕の経験でも、お役に立つかもしれない。
(奈良マラソンの制限時間は6時間です)

そして「どういうペースで走ればいいんですか?」とか、「練習ではどれくらいの距離を走ったらいいのですか?」とか、「空腹に備えてチョコレートとか持って走った方がいいですか?」とか、いろいろ質問をしてくるのである(チョコレートは溶けてしまうで~)。

僕は…
「そうやねぇ、最初は飛ばしたくなるけど、我慢して抑えてね」とか「練習では、やはり30キロは走っておいたほうがいいでしょね」とか、いろいろ答えるのだけど、僕だってド素人である。あまり参考にはなりませんよ…と一言添えておく。

そんなふうに、リハビリ師さんが僕にいろいろ走ることに関して質問して、僕が逐一それに答えていると、そばにいた人たちから見ると、どっちがリハビリをされているのかわからへん…みたいな雰囲気でしたね~(笑)

で、マラソンの「先輩」である僕の話が終わると、今度は「では立ってください。スクワット、やってみてください」と言われるまま、僕は「はい。こんな感じでいいですか」と聞き「あ、そうです、いいですよ~」という返事をもらう。ここで立場が普通に戻るのである。


一昨日、最後のリハビリを終えて、その人とはお別れとなった。

「12月の奈良マラソン、完走されることを祈ってます」と僕。
「ありがとうございます。頑張ります!」とリハビリ師さん。
この言葉で、彼との6週間の「お付き合い」は終わった。
それにしても、彼の奈良マラソンの結果、気になりますね~

頑張ってくださ~い。

でもレースの翌日、足を引きずって病院へ出勤したら、
リハビリを受けに来た患者さんと間違われまっせ~(笑)

 

 

 

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