僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ロンドン五輪へ聖火燃ゆ

2012年05月11日 | スポーツの話題

   
                         NHKの画像より

 

昨日、ギリシャでロンドン五輪の聖火の採火式が行われた。

この採火式を見るたびに必ず思い出すことがある。

中学生の頃(…といえば1960年代初期の頃だけど)、

学校から「映画鑑賞会」で、難波の映画館へ行ったことがあった。
そこで見たのが「ローマオリンピック」というドキュメンタリー映画だった。

それまでプロ野球か大相撲ぐらいしか関心のなかった自分が、
スポーツというものに初めて魅せられたのが、この映画だった。

ちなみにローマ五輪は1960年(昭和35年)に行われたので、
この映画が公開されたのはその1年後くらいだったのだろうか。
たぶん、僕が中学1年生の頃だった…と思う。

その映画の冒頭のシーンが、ギリシャでの聖火の採火式だった。

白い衣装に身を包んだ女性が、鏡を使って集めた光から、
たいまつのようなものに火を採取する。
まぶしいほどの美しい映像だった。

当時は聖火という存在そのものも、あまり知らなかったけれど、
こういう方法で火をつけるなんてことは、もっと知らなかった。

それ以降、4年に一度の採火式をテレビで見るたびに、
中学1年生だった頃の自分の記憶をたぐり寄せて感慨に浸った。

昨日もまた、あぁ、北京五輪からもう4年経ったのか…
と心の中でつぶやく僕なのであった。

さて、その「ローマオリンピック」の映画のことだけど、
この映画の中で一番見ごたえがあったのは、マラソンだった。

レースは今のように日中ではなく、夜に行われていた。
夜のローマの石畳をヒタヒタと、裸足で走るアベベ選手が、
最後に優勝してしまうシーンは、あまりにも印象が強かった。

なにせ50年ほど前のことなので、細かくは覚えていないけれど、
このアベベの他にも、様々なシーンに感動したことは確かだ。

映画のラストシーンのひとつに、次回開催地の紹介があった。

その次回開催地というのが、わがニッポン(東京)であったことも、
世の中のことを何も知らなかった僕には「初耳」であった。

で、4年後の東京オリンピックの時、僕は高校生になっていたが、
そのころはアマチュアスポーツの大好きな少年になっていたわけで…

東京は、ローマの20年前、1940年の五輪開催予定地だったが、
翌年の太平洋戦争につながる不穏な情勢の下で、返上をした。
代わりにフィンランドのヘルシンキで行われることになったが、
これも第二次世界大戦の影響で、中止になってしまった。

続く1944年も、ロンドンで開催される予定がやっぱり中止になり、
次の48年(昭和23年)に、やっと同じロンドンで開催される運びとなった。
しかし、日本は「戦犯国」の扱いで、この大会には参加していなかった。

翌年、1949年(昭和24年)は僕が生まれた年だったけれど、
この年に、日本が次のオリンピックに参加することが決まった。

先日、僕が市役所に就職した当時、連日中之島の図書館に通い、
仕事で明治時代からの新聞をずっと閲覧していたことを書いたけれど、
その時に、僕が生まれた昭和24年1月の新聞の社説だったと思うが…
そこに日本が3年後の五輪に参加することに決まった、と書かれていた。

3年後、つまり1952年の五輪…とは、

かつて戦争で中止になったヘルシンキ大会だった。

…昨日、たまたまロンドン五輪の聖火の採火式をテレビで見て、
そんなことが次々と思い浮かんだので、きょう、ここに書いてみた。

ロンドン五輪は7月27日から始まる。

オリンピックは大好きだ。
過去のオリンピックの新聞記事は、大切に保存している。

僕にとっては、
五輪は世につれ世は五輪につれ、という感じである。

あのオリンピックの頃にはこんなことがあり、
あのオリンピックの頃にはあんなことがあったなぁ、と、
4年に一度だから、自分史と重ねて記憶しやすいのである。

う~ん。
いろんなことが頭の中に渦巻いてきますね~

いつか、オリンピックと自分史について書きたいな~と思っています。

 

  
   1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピックのスクラップより。
   この年、わが家に長男が誕生した。 

 

 

 


 

コメント
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