私も広い意味でのIT業界のはじっこに、辛うじてぶら下がっている者だが、この業界はごく短期間で成長した企業が大半であり、その成功者の常として「非常に幸運だった」ということが多いと感じている。
この最大の例はビル・ゲイツである。 30年程前にIBMがパソコン用OSを探していた時のことである。 当時IBMは汎用機にはめっぽう強かったが、パソコンは全くの新規参入。
よって新たに発売するIBM≠`TマシンのOSを求めていた。 まず最初に目を付けたのが、当時全盛だったCP/Mのデジタル・リサーチ社だった。 しかし、IBMの幹部が訪れた時、デジタル・リサーチ社長のゲイリー・キルドールは軽飛行機を操縦して空の上にいた。 しかも替わりに応対に出た社長夫人は、傲慢な態度でIBM幹部を怒らせてしまった。
怒り狂った誇り高きビッグ・ブルーは、直ちに替わりの会社を探した。 そして白羽の矢が立ったのは、新興のマイクロソフト社だった。 ゲイツは直ちに会いたいというIBMのために、上客であったアタリ社との会合をキャンセルして、IBMとの会談に臨んだ。
しかも、普段ラフな格好のゲイツは、その会合の際ネクタイを忘れたので、ネクタイを調達するために、ノーネクタイよりあえて30分の遅刻を選んだという。 このあたりの、ビル・ゲイツの「チャンスを見極める目」というは大したものである。
利にさといビル・ゲイツは、この千載一遇の機会を逃さなかった。 しかしその頃のMSは、IBMの要望に答えられるような自前のOSは持っていなかった。
CP/Mをパクったパソコン用OSを持つ、シアトル・コンピューターシステム社が社員の給料の支払いに困っているという話しを聞き込むと、彼は直ちに交渉に入った。 シアトルコンピューター社の社長は温情派だったそうで、内心安いとは思ったのだろうが、社員の給与支払いのため交渉に応じたそうである。
結局僅か8000ドル(この金額は不詳)でシアトルDOSを買い取ったビル・ゲイツは、それを僅かに手直ししてMS≠cOSとしてIBMに提供した。 これがMSの成功への架け橋だった。 その後MSはMS≠cOSの普及と共に成長し、CP/Mをけ落とし、そしてWindows95の発売により、完全にパーソナル・コンピューターOSの覇権を手にする。
このシアトル・コンピューター社の社長に後年インタビューした人によると、社長は「あの時シアトルDOSを売ったことを後悔はしていない」と語ったそうだ。 しかしその本当の胸中は不明である。
ここで「if もし」である。
もし、IBM幹部来訪の際、ゲイリー・キルドールが会社にいたら?
もし、その時替わりに応対に出た社長夫人が、まっとうな対応をしてい
たら?
もし、ビル・ゲイツが先約のアタリ社との会合を優先していたら?
もし、ビル・ゲイツがシアトル・コンピューターからシアトルDOSの
買付けに失敗していたら?
これらの内一つでも「もし」が実現していたら、その後のコンピューター業界の有様は現在のそれとは随分と異なったものになっていただろう。
ビル・ゲイツとマイクロ・ソフト社の替わりに、ゲイリー・キルドールとデジタル・リサーチ社がパソコンOSの独占販売者になっていたかも知れないし、IBMPC≠`Tマシンは存在せず、アップル・コンピューターがパソコンを独占していたかも知れない。 なにせ「if」の世界のこと故、なにがどうなったのかは、誰にもわからないのだ。
ただ一つはっきり言えるのは、その世界での長者番付や成功者の名前の中には、「William Henry Gates III」は存在しない、ということである。
So It Goes そんなもんさ・・・
この最大の例はビル・ゲイツである。 30年程前にIBMがパソコン用OSを探していた時のことである。 当時IBMは汎用機にはめっぽう強かったが、パソコンは全くの新規参入。
よって新たに発売するIBM≠`TマシンのOSを求めていた。 まず最初に目を付けたのが、当時全盛だったCP/Mのデジタル・リサーチ社だった。 しかし、IBMの幹部が訪れた時、デジタル・リサーチ社長のゲイリー・キルドールは軽飛行機を操縦して空の上にいた。 しかも替わりに応対に出た社長夫人は、傲慢な態度でIBM幹部を怒らせてしまった。
怒り狂った誇り高きビッグ・ブルーは、直ちに替わりの会社を探した。 そして白羽の矢が立ったのは、新興のマイクロソフト社だった。 ゲイツは直ちに会いたいというIBMのために、上客であったアタリ社との会合をキャンセルして、IBMとの会談に臨んだ。
しかも、普段ラフな格好のゲイツは、その会合の際ネクタイを忘れたので、ネクタイを調達するために、ノーネクタイよりあえて30分の遅刻を選んだという。 このあたりの、ビル・ゲイツの「チャンスを見極める目」というは大したものである。
利にさといビル・ゲイツは、この千載一遇の機会を逃さなかった。 しかしその頃のMSは、IBMの要望に答えられるような自前のOSは持っていなかった。
CP/Mをパクったパソコン用OSを持つ、シアトル・コンピューターシステム社が社員の給料の支払いに困っているという話しを聞き込むと、彼は直ちに交渉に入った。 シアトルコンピューター社の社長は温情派だったそうで、内心安いとは思ったのだろうが、社員の給与支払いのため交渉に応じたそうである。
結局僅か8000ドル(この金額は不詳)でシアトルDOSを買い取ったビル・ゲイツは、それを僅かに手直ししてMS≠cOSとしてIBMに提供した。 これがMSの成功への架け橋だった。 その後MSはMS≠cOSの普及と共に成長し、CP/Mをけ落とし、そしてWindows95の発売により、完全にパーソナル・コンピューターOSの覇権を手にする。
このシアトル・コンピューター社の社長に後年インタビューした人によると、社長は「あの時シアトルDOSを売ったことを後悔はしていない」と語ったそうだ。 しかしその本当の胸中は不明である。
ここで「if もし」である。
もし、IBM幹部来訪の際、ゲイリー・キルドールが会社にいたら?
もし、その時替わりに応対に出た社長夫人が、まっとうな対応をしてい
たら?
もし、ビル・ゲイツが先約のアタリ社との会合を優先していたら?
もし、ビル・ゲイツがシアトル・コンピューターからシアトルDOSの
買付けに失敗していたら?
これらの内一つでも「もし」が実現していたら、その後のコンピューター業界の有様は現在のそれとは随分と異なったものになっていただろう。
ビル・ゲイツとマイクロ・ソフト社の替わりに、ゲイリー・キルドールとデジタル・リサーチ社がパソコンOSの独占販売者になっていたかも知れないし、IBMPC≠`Tマシンは存在せず、アップル・コンピューターがパソコンを独占していたかも知れない。 なにせ「if」の世界のこと故、なにがどうなったのかは、誰にもわからないのだ。
ただ一つはっきり言えるのは、その世界での長者番付や成功者の名前の中には、「William Henry Gates III」は存在しない、ということである。
So It Goes そんなもんさ・・・
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