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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その63 ?編

2009-06-30 09:17:00 | ノンジャンル
今回は?編である。 題して、

妄説日本古代史シリーズ 陵墓のオーパーツ 又は 4世紀の路傍のピクニック

既に確立していて万人に異論のないような理論、研究については、「トンデモ説」は発表しにくい。 例えばe=mc2(一石おじさんの数式のつもり)にたてつこうとするなら、これは大変な覚悟がいる。 覚悟だけでなくガクシキもタップリと必要だ。 どれも簡単に身につけられるものではない。

しかし歴史、特に古代日本史では、大分事情が違う。 文献資料が少ない上に、その資料が極めていい加減、と言って悪ければ、どのようにでも解釈できる「ノストラダムス」風のものが多い。 だいたい実証不可能な神話伝説の類を、どうやって証明するのだ?(^^; せいぜいが、「A書にあった事柄がB書にもあったから、それは事実だ。」という程度のもの。 B書だって信用出来ないのだから、A書だっていい加減ということだってままあるだろうに。 

最も確実な実証方法は、「A書の記述通りの場所を発掘したら、記述通りのものが出てきた」ということだろうが、こんなことは滅多にない。 ほとんどの場合、位置が書いてなかったり、書いてあっても実際の地理と違っていたり、既にでっかいビルが建っていて発掘不能だったり、やんごとなきあたりから発掘を禁止されたり、地面を掘っていたら「勝手に人の土地を掘るな」とヤクザにおどされたり、果てはほっくりかえしても何も出てこなかったり、やっとこさ何か出てきたと思ったら、それは細長いゴム製品(それも使用済み!)であったり、さんざんである。

こんな具合だから、歴史学者でも研究者でもないタダのオジサンでも、「ここはこう解釈する。 ここの記述の意味はこのようなものである。」と、いくらでも好き勝手を言える。 実に有り難い状態でございますなあ。 私のようなト説好きがこれを利用しない手はない。(笑) 以下もその一例である。

以下はある人物から聞いた話である。 この人物の名前は勿論、職業も年齢も公表できないが、決していい加減な作り話をする人ではない。 社会的地位も高く、人間的にも充分信頼できる人物である。

どのようにしてこの人がこの情報を得たのかも、ここには書けない。 それを書くことによって、この人物を特定する手がかりになっては困るからである。 只、たまたまこの種の情報を知ることの出来る位置にいた、とだけ書いておこう。

なんでそのような人物が、お前のようないい加減な人間に、この種の極秘情報を漏らしたのかって? それはまあ、世の中色々ありますわな。(笑) たまたま会食した際に、ほろ酔いとなったこの人が、「これは外に漏らされては困りますが・・・」と前置きした上で、話してくれたものである。

よって「外に漏らす」為には、不本意ではあるが、ここでは私の創作による「フィクション」という形で発表せざるを得ないのである。 


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その62 クリエーターと経営者編

2009-06-29 09:39:00 | ノンジャンル

クリエーターと経営者。 この両立はゲームに限らず難しいようだ。 要求される資質がこの二つでは全く異なるからだろう。 美少女ゲームの場合は、主として絵描きさんやライターさんがこれを両立させているが、作品の内容と商品としての価値は、必ずしも一致しない。

個々の例を挙げるのは控えるが、どうやら絵描きさんの方が両立に成功しているような気がする。 どちらにせよ、クリエーター専業の時には凄いゲームをばりばり作っていても、自分の会社を立ち上げると勢いが衰える、ということもあるようだ。

凄いのは蛭田昌人さんで、デジャ・デジャ2・エル・同級生シリーズと、傑作臭作、いや秀作を連発、クリエーターと経営者の立場を完璧に両立させ、内容売上げ共に抜群の存在である。 これはもう、紙の領域である。(これこれ、粗雑ATOKめ、何で神さまが紙になるのだ。) それはともかく、DOS時代にはエルフのゲームは一作おきに買え、というのがゲーマーの常識だった。 理由は簡単で、蛭田さん自身がシナリオを書くのが一作おきだったからだ。

世の中には真に凄い人がいるものだなあ・・・というのがHalの嘘偽りない実感である。 (ソレニクラベテコノワシハ・・・シクシク)


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その61 人生を語る楽器編

2009-06-28 11:04:00 | ノンジャンル

ひさしぶりのジョギング中、教育の森公園でけったいなおっさんを発見した。 なにやら得体の知れない楽器でストリートパフォーマンスをやっている。

聞いてみると「バラフォン」という西アフリカの民族楽器だそうだ。 見た目は木琴の下にひょうたんをつけたように見える。 それをギターのように肩からつるし、右手のスティックで叩いて音を出している。 

その音は玄妙というか、摩訶不思議というか、あえて言えば、メシアンのトゥーランガリラ交響曲で使われている電子楽器オンドマルトゥノにやや近いような音色だ。(音の音色そのものではなく、音を聞いての感触が)

しかもおっさんは「これは曲ではなく物語なんですよ」という。 その調べは人の一生を物語っているのだそうだ。

葬儀の時西アフリカの人々はこの楽器を先頭に立て、山の頂上にある葬儀場まで練り歩く。 そして奏者は死者の物語をバラフォンで語る。 死んだ人が狩人であれば、獲物を発見(ドロドロ)、静かに忍び寄る。(小さくトントン) そして襲いかかる(ドドドドドーン)、といった具合。

そして頂上につくと死体を荼毘に付し、バラフォンも火に投げ入れる。 

音色と同様に、バックストーリーも玄妙で摩訶不思議で、ちょっといい感じ。



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その60 ゲームの美しさ編

2009-06-27 09:52:00 | ノンジャンル
今回は「アドベンチャーゲームの美しさ」という点を書いてみたい。 「美しさ」といっても色々ある。 視覚的なつまりCGの美しさ、ストーリーや文章の美しさ、醸し出される雰囲気の美しさ、或いは又音響面での美しさ(主題歌やBGMなどの)、その他に種々あるだろう。

音楽の美しさという点では、ゲームの場合中々難しいところがある。 これはCGも同じだが、単に一つの絵又は音楽として美しいだけでは、ゲームの素材の一つとしては困る。 内容に沿った、ピントのあった絵や音楽でなければならない。

ゲームの音楽としてまず思い出すのは「北へ」のBGMがある。 「かにがいっぱい~」のあれではなく、ダイアモンドダストの方である。 タイトル画面で流れるノスタルジー溢れるピアノソロ。 甘酸っぱい青春の思い出にぴったりの、甘く切ない音楽だ。 ゲームのストーリーはたわいないものだが、この音楽とゲーム全体の内容とは良く合っていると思う。

風雨来記のBGMもシンプルだが感傷性と叙情性に溢れていて、ゲームの内容によくマッチした優れたBGMだと思う。

ストーリーでは、虚淵さんの「沙耶の唄」のラストシーンがある。 繭の開花?のシーン、これは凄い。 妖しくおぞましく、しかし美しい。 CGの印象はそれほどでもないが、文章とストーリーの持って行き方がうまくはまっていて、印象的だった。

不思議なのは、これらの印象的シーンや音楽があるからといって、そのゲームが最高の出来であるとは限らないことだ。 同じ作者でももっと良い出来のものがある、というのは良くあること。 何故なのだろう?



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その59 蠅声の王 シナリオⅡ発売編

2009-06-26 09:53:00 | ノンジャンル
「蠅声の王 シナリオⅡ」本日発売であります。

ご支援ご声援をいただいた皆様方、本当に有難うございました。

今回はサイコロしないと書いたのに、一度だけだがやはりサイコロしてしまったのは残念だが、それ以外はまずまず制作は順調。 売上げは? さて? こちらは順調かどうかなんとも。(笑) 

まずは取り急ぎ発売のご挨拶でした。