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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その35 ワンダと巨象編

2009-05-31 09:33:00 | ノンジャンル
ワンダと巨象

むかしむかしあるところにワンダという美少女がいて、いかなるわけか巨象に恋をしてしまった。 白黒の斑模様で目の回りは真っ白な美しい巨象。 彼の名前は、「ジャイアントワンダ」という。

しかしその象はある日突然姿を消してしまった。 ワンダは愛しい象を捜すためにあてもない旅に出た。 数十年の苦難の旅の末にワンダは巨象と再会する。 しかし・・・ 時既に遅し。 象は死んで石化し、でっかい像になっていた。 老婆となったワンダは、ジャイアントワンダの巨像の前で泣き崩れる。 「あなた、ぞうして私を残して死んでしまったの」という悲痛な物語である。 ろまんじゃなあ・・・

と私は思っていた。 むむ、ワシ好みじゃ。 で早速熱帯雨林に発注。

しかし・・・ 到着したパッケージには、「ワンダと巨"像"」とあった。(´・ω・)⊃

ワンダは美少女ではなく、それどころか女性ですらなく、むくつけき男であった。 象などぞう捜してもどこにも出てこない。 そのマッチョボーイはひたすら巨像と戦って斃すことだけが生き甲斐。 ろまんはどこじゃ、美少女はどこじゃ? どこにもおらんぞう。


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その3 レトロ編続き

2009-05-30 09:33:00 | ノンジャンル
ある文化が勃興し成熟し、爛熟してついには崩壊に至る。 そして次の文化も同様の過程を辿る。 その爛熟から崩壊の狭間に、その文化の最も優れた成果が生み出される、という現象は歴史上しばしば見られることである。

戦国時代末期しかり、江戸時代末期もしかり。 コンピューターゲームでも、ひとつの時代とその次の時代の狭間に傑作が多く生まれている。

PCゲームの場合では、1987.8年と1995年がそれにあたる。 87.8年はPC88からPC98への移り変わり、95年はMS≠cOSからWindowsへの大変動だ。

このブラックオニキスを始め、軽井沢誘拐案内、エルドラド伝奇、ジーザズなどの一連のエニックス作品は、その変動期以前の、いわば第1期のゲームというべきものである。 その特徴としては、視覚的聴覚的表現技術は未だ未発達というものがある。 表現技術は稚拙でもゲームの本質は押さえている(勿論それは傑作の場合のみである 念のため)、というものだ。

87.8年頃になると表現技術も大分進歩し、現在と比べてもそれほど見劣りしないものが出現してくる。

この頃は日本のゲームの第一期黄金時代とでも言うべき時代で、エニックスのバーニング・ャCントやアンジェラス、リバーヒルのマンハッタン・レクィエムや琥珀色の遺言、シンキング・ラビットのThe Man I Loveなど、傑作の杜という状態だった。

そしてもう一つの衝撃、それは「スナッチャー」だった。 

当時流行のサイバーパンクを名乗っていたが、ギブソンの小説より映画ブレードランナーの影響を強く感じた。 ストーリーの基本ラインもブレードランナーのパクリとも言えるものだ。

スナッチャーの魅力は、波瀾万丈意外性のあるストーリーのうまさ、細部まで入念に考えられた演出とその効果の良さ(例えばタクシーの運転手が振り返るシーン)、アニメなど使った当時としては最先端の表現技術の冴えなどなどである。

唯一にして最大の欠点は、PC88版では尻切れトンボでストーリーが完結していなかった、という点であろう。 後にPCエンジンやPSで完全版と称するものが作られたが、88版以後に相当するストーリー展開が簡略に過ぎ、おまけに本来のものとはかなり違っていて(ランダム・ハジルの扱いとか)、根っからのスナッチャーファンには大いに不満が残った。

この「本来のもの」とは、MSXのSDスナッチャーのことであり、88版+SDスナッチャーの後半というものが、恐らくは小島秀夫氏が当初考えていたストーリーだったと思われる。

それが88版はあまりに巨大になりすぎて全てを収めることができなかった。 5インチ2D(320kb)×5枚という、当時としては破格の超大作だったにも関わらず、これで元々の構想のようやく半分強を収めたに過ぎなかった(のだろうという推測)。

しかも、MSX版の後半もこれまた相当な規模であり、これだけで通常の一作分位のボリュームがあるため、これを全て盛り込むと、通常の3作分かそれ以上というとんでもないことになる。 で、やむを得ずあのような形になったのだろうと思われる。
出来うれば、88版+SDスナッチャーの後半という「本当の完全版」をプレイしたいという願望は、今現在でも私の中に強く存在している。

1995年という年は、日本のパソコン界にとって大激動の年であった。 この年は、PC88からPC98へと、80年代始めから日本のパソコン界を制していたNECの没落の年である。 Windows95という、ハードを選ばないOSの登場で、PC98の存在意義はほとんどなくなってしまった。 この後NECは急激にシェアを落とし、「唯一の存在」から「普通のメーカー」となってゆく。

また、MS≠cOSによって世界を制覇したマイクロソフトが、更にその独占度を高めて、事実上パソコンOSを独占(Macを除いて)した年でもあった。

栄枯盛衰その定まるところを知らず。 傲れるものは久しからず、ただ春の夜の夢のごとし・・・

このPC98の爛熟から崩壊の狭間にも、歴史に残る傑作ゲームが頻出している。 YUNOや同級生、ドラゴンナイト4、エル、デジャ2、イブなど名作佳作が目白押しである。

メーカーとしてはエルフの黄金時代であり、クリエーターとしては、蛭田昌人氏や菅野ゆきひろ氏が大活躍した。 その後残念ながら蛭田氏はゲーム界を去り、菅野氏も最近は作品を発表してもさして話題には登らなくなってしまった。

この頃になると、入力デバイスとしてはマウスが一般的となり、キーボードからのコマンド入力というスタイルは、激減して行く。 それによって操作感は現在のゲームと殆ど変らないものとなっている。 この時代のゲームを、あえて「レトロ」と言っていいものか、疑問とすら言える。

この時代のゲームの特徴は、ストーリー性と表現技法が程よく調和した所であり、ある意味史上最良のゲームが生まれた時代であったと思う。 この時代は、日本のゲーム界にとって、第二期のそして最後の黄金時代だったのだ。

現在の欧米のアドベンチャーゲームは、ャ潟Sンによるアクションアドベンチャーが主流であり、他にはミストシリーズに代表されるャ潟Sンによる超美麗なCGと、それに反比例してほとんど意味と内容のないストーリーが同居し、これまた内容とは大して関係のないパズルによる進行、という奇怪なスタイルがもう一つの流れとなってしまった。

たまにシベリアのようなまともなアドベンチャーが発表されると、かえって奇異にさえ感じられる有様である。 私のようなストーリー志向の者には、なんとも嬉しくない時代ではある。

日本のゲームの場合は、幸いにして欧米のものほどャ潟Sンとパズル一辺刀Aということはなく、コンシューマーPCを問わず、又ADVでもRPGでも、各社それなりに工夫を凝らしたものになっている。 しかしゲーム業界を取り巻く諸環境は、次第に厳しくなってきているようだ。 これは特に18禁ゲームの場合に強く感じられる。 


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その33 レトロ編

2009-05-29 09:58:00 | ノンジャンル
レトロゲームの魅力、面白さとは? 

これは色々とあるが、一番目は最新のゲームと比べても基本的な要素は全て押さえている、という所か。 ブラックオニキスを例に取っても、基本的な所はFFやドラクエとそんなに大きくは違っていない。

勿論、現在のゲームでは視覚的聴覚的表示技術は当時とは比較にならない位進歩しているので、派手な演出はしている。 しかしそれはあくまでも表現の演出であって、ゲームの本質とは異なる。

では、そのゲームの面白さの本質或いは基本的要素とは何か。 それは「センスオブワンダー」の意識とでもいうようなもので、つまりは、この先何が起きるか、どんなことがあるのかわからない、その待望感或いは不可思議感のようなものであると、私は考えている。

テーブルトークという、視覚的聴覚的表現技術が全く活用できないものであっても、ゲームマスターの腕ひとつで十分な興奮と面白さが伝わるということが、正にゲームの本質なのではないだろうか。

ブラックオニキスでは、1980年代始めのチープな表示技術にも関わらず、迷路の構成とかモンスターの出し方とかに工夫を凝らし、その本質を掴んでいたのだ。


もう一つは「貧者の幸福」という奴か。 早く言えば「それしかなかった、それ以上のものを知らなかった」ということである。

88年頃に発表された「琥珀色の遺言」というアドベンチャーゲームがあった。 大正時代のアールヌーボー形式の館で起きる殺人事件のゲームなのだが、これをプレイした時は、そのグラフィック、特に背景グラフィックの驚異的美しさには度肝を抜かれた。 繊細にして華麗、絢爛豪華、これは正に件pだ!とさえ感じたものだ。

しかし最近になってプレイして見ると、当時あれほど素晴らしいと感じた背景CGは、まるでチープの見本としか見えなかった。 これはディスクでも壊れているかと、X68K版を引っ張り出して見ても、やはり同様の貧弱さ。

So It Goes・・・ そんなもんさ・・・(笑)



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その32 弔報編

2009-05-28 09:36:00 | ノンジャンル

作家の中島梓さん逝去。 グインサーガの後書きでもしばしば病気のことが書かれていたので、或いは・・・と思っていたがついに逝去された。

グインサーガはSFマガジンに連載された時から、ずっと読み続けていたので、もうグイン御大にもヴァレリウス君にもリギアさんにも会えないんだなと思うと、やはり寂しいものが胸にこみ上げてくる。

グインサーガに限らず、中島さんの小説を読んで感じるのは、この人は稀代のストーリーテラーだな、ということだ。 ストーリーテリングのうまい作家というと、クーンツや半村良がまず上げられるが、それとは若干うまさの内容が異なるが、凄いという点では一緒だ。

ダベリのうまさとでもいうのだろうか。 たいして中身のない部分でも面白く読み進ませるテクニックは、やはり秀逸である。

もっとも人間的にはやや問題がある人のようだ。 大分前のことだが、ある若い作家の小説の後書きを書いていた。 その後書きが凄い。 どう凄いかというと、通常後書きは、その本の内容或いは作者のことをメインで書くのが普通。 後書きを書いた人自身のことは、書くにしても最後の方にちょこっと、いうのが常識。

しかし・・・ 中島さんの後書きは、そんな常識を天までとどけとばかり蹴飛ばしている。 その本の作者に触れた部分は最初の数行だけで、後の3/4位は自分自身のこと、自分の本のことに終始していた。 これはやはり凄いとしかいいようがない。
自己中心主義の権化みたいな人だなあ。

もう随分前のことになるが、当時のSFマガジンの編集長との一件も、結構凄い。 もっともこれは良くあることと言えないこともないが。

最後になったが、グインサーガがゲーム化されていたことをご存知だろうか? プラットフォームはPC88である。 SFマガジンで連載が開始してから1.2年後のことだったと思う。 内容は原作の1巻と2巻がかなり忠実にゲーム化されていたと記憶している。 メーカーはなんとあの「天午後」のメーカー、ジャストさんである。 天午後とグイン・・・ なんともなんともな組合せではある。

半さんの「石の血脈」や「都市の仮面」をゲーム化したら、さぞ面白いだろうなあ。 それもエロゲメーカーで。


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その31 マスターアップ直前編

2009-05-27 09:27:00 | ノンジャンル

激白! 目下マスターアップ直前激闘中!

馬はニャンとなくは、犬はモウとなくは、猫はワンとなくは、牛はヒヒンとなくは、クリプトン星人はひーじゃーとなくは・・・

法人都民税申告書着(オカネガ・・・)
法人税申告書着(オカネガ・・・)
後期高齢者認知症認定賞着、とっくに付いて(誤字にあらず)いますがな。(アタマガ・・・)