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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その568 「銀河乞食軍団」何読編

2012-10-05 13:28:00 | 本と音楽
この所野田昌宏宇宙軍大元帥閣下の名作「銀河乞食軍団」シリーズを何読(何回読んだか覚えていないので)している。 文庫本で全17巻、未完のままとなっている大長編である。

最初に買った早川文庫版はとうに散逸して手元にないので、アマゾンで中古を探したところ「合本版」というのが出ていた。 残念ながら全17巻を通してのものではなく、合本版1は文庫1-6、合本版2は文庫7-11迄で、その後は刊行されていないようだ。

早速合本版1.2と文庫版12-17を購入した。

着いた合本版を見て驚愕・・・ 私は通常の文庫版又はそれより一回り大きい単行本版位のサイズとばかり思っていたのだが・・・ なんとおよそ縦30センチ×横20センチ、つまりA4版という、書籍としては異例の巨大さだ。

懐かしさに駆られて読み始めると、懐かしき大元帥節に酔いしれるのだが、とにかく疲れる。 目も疲れるがそれ以上に腕が疲れる。 なにせA4数百ページの分厚く持ちにくい本なのだ。 とんでもない重さなので、書見台でもないと腕が震えてくる。

銀河乞食軍団を読んでいない方のために、ざっと内容に触れると、時は現在から数百年後の未来、人類は既に恒星に進出していて広く植民が行われている。 そんな宇宙での冒険談である。 いわゆるスペオペという奴。

普通スペオペというと、やたら科学用語が出てきたりするが、こちらはべらんめえの江戸弁とうら若きオトメのキャピキャピ語が飛び交ういなせな世界なのだ。 

若い女の子の表現が、全て同じく「きれいな顔をしていて」などなっているのは、まあご愛敬。 ブンガク的表現がどうのこうのとかいう詮索をしてはいけないのだよ。


銀河乞食軍団という別名を持つとある宇宙運送企業が、権力亡者の軍隊やら警察やらと渡り合うという波瀾万丈の物語。 事件頻発、しかしいつも必ず乞食軍団が突飛な方法で裏をかき勝利するという、ご都合主義の見本みたいなお話しだが、野田節の冴えのおかげで一気に読めるのがgood。

私は、その江戸趣味のために野田さんは東京生まれの東京育ちとばかり思っていたのだが、福岡県の生まれだそうだ。 氏は日本SFの大先達今日泊亜蘭(光の塔・我が月は緑なりきなどなど)に私淑して江戸趣味に耽溺したらしい。 

縁者親戚には政治家(麻生太郎)だの旧帝大教授だのがうようよしているという、世が世ならええしのお坊ちゃま、我ら貧民下層階級は気安く名前も呼べない存在なのだ。 それがミンス杉とかいうもののおかげで、気安く「大元帥閣下」などと呼べる。 ありがたや。

今日泊亜蘭には、無名の若き日に宝塚の大スター明日待子に憧れていたのだが、到底手が届かないということで、「今日止まりにてあらん」というペンネームにしたという逸話がある。

ほんとかどうかはわしゃ知らん。 半村良の由来はイーデス・ハンソンに憧れてというのは小松左京のジョーク(私は本気で信じていた)だそうだが、こちらもそんなものかも知れない。 尚、光の塔は戦後日本で刊行された最初の長編SFだと思う。


台本を犬の鎖で腰にブラ下げ、力任せに袖を破りとったスタジャン姿に野球帽を後ろ前にかぶってスタジオをのし歩く。 その極端に眉の下がった漫画にしやすい容貌と、全くの初見の人からの質問にも懇切丁寧に返答するという律儀さで、若いSFファンには深く慕われていたという。

その野田さんも、大先達今日泊亜蘭氏も、半村良も小松左京も北杜夫も、懐かしい人々はみんなみんな幽明境を異にしてしまった。 ああ・・・


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その517 久しぶりにSF編

2012-06-11 09:14:00 | 本と音楽
最近の本から。

ネアンデルタール ジョン・ダーントン ソニーマガジンズ
エサウ フィリップ・カー 徳間書店
海竜目覚める ジョン・ウィンダム 早川書房

「ネアンデルタール」と「エサウ」はよく似た内容のSFで、いずれも新種の動物(人類?)の発見をめぐるアクション風の冒険談であり、美貌で気丈なヒロインが大活躍するのもそっくりさんである。 あまりにも似ているので2つを1つにまとめてご紹介。

ヒマラヤで新種の生物らしきものが発見される。 探検隊が組織され現地を調査することになる。 苦難の末その生物を発見する。 その生物は(ここで少し違う)ネアンデルタールの方は題名通りネアンデルタール(人類)であり、エサウの方は人類と類人猿の中間的存在ということになっている。

フィリップ・カーはナチス時代のベルリンを舞台にしたスリラー「ベルリン レクィエム」や、ハイテクパニック「殺人摩天楼」などでこの作以前からかなり知られた存在である。

それに比べてジョン・ダーントンはこれが処女作ということで、他に2作程邦訳されているが、知名度から言えばカーよりは大分落ちる。 しかし読後感の爽やかさはこの「ネアンデルタール」の方が大分上だった。


「海竜目覚める」は星新一の訳で、昔(初版?)の邦訳題名は「海魔目覚める」ではなかったか? 今回のものは昭和52年の出版だが、その遙か前(昭和30年代か40年代)に読んだようなおぼろげな記憶が残っている。 (注 星さんの後書きでは昭和41年に日本での初訳が星さんによってなされている。 私が読んだのはこれであろう。)

昭和30年年代に私がSFに目覚めた頃には、SFの邦訳は至って少なく、それどころか「SF」という名称さえ一般には定着していなかった。 数少ない話題の中で良く出て来たものが、「ウィンダムという英国作家の『トリフィードの日』というSFが凄い」というものがあった。

もう一つ名作という噂が高かったのが、クラークとかいう作家の「地球幼年時代の終わり」である。 無論あの「幼年時代の終わり」のことである。

その「トリフィードの日」も「幼年時代の終わり」も、邦訳されるSFは年に数作程度という時代なので中々読むことができず、かなり後になってようやく読むことが出来た。 読後感はトリフィードの方はかなり良いという所だったが、幼年時代の終わりは鰍ッ値無しの超名作だと思った。

その後ウィンダムの別の作品を読むことが出来た。 それがこの「海竜目覚める」である。 いきなり目玉のシロモノを目の前に差し出すのではなく、じわりじわりと搦め手から見せてゆくといういかにも英国風の作風であり、トリフィードの日よりもこちらの方がウィンダムの本来の作風ではないかと思う。

内容的には、特に科学技術的ファクトに関してはかなり古くなっているが(なにせ半世紀以上前の作品だからしょうがないだろう)、見せ方のうまさ、お話しの持って行き方のうまさは、現代ではかなり貴重なものだと思う。

大西洋上に現れた赤い光球が海に落下し、その後船舶の難破事故が続発、やがて南極北極の氷が解けて水位が上昇し始める。 というような内容で、ウィンダム得意の破滅ものの一つであるが、私にはトリフィードの日よりこちらの方が面白かった。 今回の3作の中では最もお奨めできる。



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その479 プレストン&チャイルド編

2012-03-21 09:09:00 | 本と音楽
レリック マウントドラゴン レリック2

いずれも既読ではあるが、ふと思い立って再読(多分三読か四読)した。 作者はプレストン&チャイルドの共作である。

3作共にホラーとバイオ系を合わせたような娯楽大作だが、やはり最初に日本に紹介されたレリックが印象的だ。

ある学術探検隊がアマゾンの奥地で奇妙な種族と彼らが祭る恐るべき神?を発見する。 しかしその探検隊は・・・という、おなじみの出だしで始まる。 このあたりステロタイプとはいえ、好き者は(笑)充分にぞくぞくさせられるのだ。

一転・数年後。

ニューヨークの自然史博物館は、それ自体がメイズとも言える巨大な施設であり、地下には職員でさえ知らない部屋が無数にある。 その一つに迷い込んだ少年たちの遺体が発見される。 彼らはするどいかぎ爪?で切り裂かれ、しかも視床下部がなくなっていた・・・

とまあそんな筋で始まるこの小説、よくある話しといえばそれまでだが、お話しの持って行き方がうまく、しかも登場人物が個性的で魅力的なので、思わず引き込まれてしまう。 どこかに似たようなのがあったなあ・・・などと言わず、一読して損はないと思う。 (映画化されている)


マウントドラゴンはバイオハザードものの傑作である。 しかしバイオハザード以外にも、砂漠でのインディアンの知惠と追跡劇とかブルーグラスミュージックとか、種々の要素が取り込まれていて飽きさせない。

特にブルーグラスミュージックが大好きな私は、主人公と研究所長の演奏シーンでにやりとした。 

なにせ「君はスリーフィンガーかね、それともクローハンマー?」とか、「オールドスタイルのフラット&スクラッグスがいいな」などというセリフがぽろぽろと出て来るのだ。

又、主人公(と言っても良いだろう)の一人で巨大企業社長が、優れた才能を持ちながらかなり矛盾混乱した精神構造の持ち主であり、風貌や性格はあのビルのそっくりさん。 明らかにこれは意識的にやったものうだろう。

このマウントドラゴン、小説としてのまとまり具合から見ると、レリックより上かもしれない。


レリック2(地底大戦)は題名通りレリックの2だが、
1>2>3 (又は 3<2<1 )

のhalの方程式通り、1に比べてかなり落ちる。 ニューヨークの地下に広がる巨大空間と、そこに住み着いたホームレス達の描写が興味深い程度で、小説としてみると???なレベルである。 

もうひとつ、なんぼなんでも「地底大戦」というサブタイトルはひどすぎる。 「マグマ大戦」と間違えるではないか。


尚、プレストン&チャイルドの共作は、日本に紹介されているのは上記と「殺人者の陳列棚」の4作らしい。 個別の著作は幾つかあるが、私は未読である。 

殺人者の陳列棚は読んだ記憶はあるが、ほとんど印象に残っていないので、あまり芳しい出来ではなかったと思う。 ペンダーガストが登場するのだから面白かろうと、期待すると損をしそうだ。


(無題)

2011-10-28 13:08:00 | 本と音楽
どくとるマンボウ北杜夫氏が逝去された。

ここ10年程は新作もなくマスコミに登場することもなかったので、いつかはと思っていたが、ついに・・・という感。 第三の新人と言われた作家達が次々に世を去り、その後の世代である北さんもあちらの岸に行ってしまった。

これが川端康成とか武者小路実篤といった作家達なら、歳も遠く離れているし、歴史上の作家という印象でそれほど実感も湧かない。 

しかし遠藤周作とか吉行淳之介とか開高健などの人々となると、年齢的にもそれほどの開きはなく、川端武者小路が親或いは先祖ならアニキという感もあるので、なにがしか身近な作家達であった。

マンボウ博士北さんとなると更に親近感があり、何よりもユーモアのセンスに共感する所が多かっただけに、余計切実でもある。

私がマンボウ博士の書を始めて読んだのは、高校生位の歳のころではなかったか。 夜汽車で山へ行くために上野駅に向かう直前、トイレに入りながら読んだ本が「どくとるマンボウ航海記」だった。 余りにも面白くてついつい長いなが~いトイレになってしまったという記憶がある。 臭い仲とか言うやつか。

あの独特のユーモアとペーソスにぞっこんだった私。 つい最近も旧作を集めて愛嬢の由香さんが後書きを書いた文庫本を買ったばかりだ。 幼少の頃の由香さんへの愛情溢れる?エッセイも今は昔となり、ご本人もエッセイストとして筆の道を歩んでいる。 悲しみと感慨はつきない。


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その379 小説での切なさ編

2011-08-02 09:46:00 | 本と音楽
小松左京氏逝去。

星さんに続いて半村良さん、今日泊亜蘭大先達、福島正実編集長、そして今度は小松さん。 懐かしいSF作家達が次々に向こう岸に渡って行く。 昔懐かしい人々で残っているのは筒井康隆さん位か。

このところ半村良の旧作を幾つか続けて読み直していた。 楽園伝説・人間狩り・裏太平記・平家伝説・不可触領域、それになにより石の血脈などだ。

半村良(はんむら・りょう)のペンネームの由来は、イーデス・ハンソンに憧れてという説を長年信じてきたが、これはどうやら小松左京のジョークだったらしい。

半村作品を読んでのわき起こる感情ははいつも「切なさ」だ。 平凡なサラリーマンがふとしたきっかけで幸運を掴み、のし上がって行く。 しかしそれは一時の夢、最後には・・・というのがパターンだが、そのラストへ向かって行くあたりから切なさが募ってくる。

都市の仮面・闇の中シリーズ・平家伝説・夢の底から来た男・戦士の岬などがその代表的な例だが、ハッピーエンドの筈の戦士の岬でさえ、ラストでのセリフがじんと胸に来る。 これは単なるテクニックなのか、それとも作者自身の胸裏の反映か。 時々そんなことを考えてしまうのだ。

残念ながら80年代半ばの北海道移住以後の半村作品は、それ以前のほとばしるような熱気が薄れ、単にうまいだけという印象が強い。 作家にもやはり旬というものがあるらしい。

半村のうまさは尋常ではなく、一読唖然とするといううまさである。 職人撃フ極みというか、このあたりはクーンツとよく似ている。 

クーンツのある作品では、冒頭の10ページ程読んだだけで、「ああ、これはアレだな」と分かってしまう。 最後迄読んでも実際その通りのアレなのだが、アレだと分かったその時点で放り投げるが普通。 しかしクーンツの凄さは、アレと分かっていてもぐいぐいと引っ張って行って最後迄読み通させるという、剛力というか巧みというか、凄いとしかいいようがない。 半村はクーンツほど剛力という印象はないが、うまさでは匹敵或いは上回るものがある。


死後既に十年になろうとしているが、68歳は死ぬには若すぎる。 ふと気がつくと今の私の年齢の方が上になっていた。 嗚呼・・・