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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その231 裁判員制度編

2010-08-30 10:05:00 | ノンジャンル
ついに裁判員制度が導入された。 

市民の裁判参加という点では評価できるが、果たして実際に機能するものだろうか。 

ある放送の世論調査では、大半の人が参加したくないと回答したそうだ。 理由は様々だが、法律的知識がないということもあるが、それよりも人を裁くということに参加したくない、というのが大半のようだ。

又、内閣府大臣官房政府広報室の世論調査でも、「参加したい」とする者の割合が25.6%、「参加したくない」とする者の割合が70.0%と、圧涛Iに否定的な意見が多い。 理由は「有罪・無罪などの判断が難しい」が46.5%,「人を裁くということをしたくない」が46.4%ということだ。

70%の人間が反対するような制度が、うまく機能するものだろうか。 大いに疑問である。


海外では、イギリスやアメリカ、カナダなどの英米法関係の国が陪審制度、ドイツやイタリアなどの大陸の国が参審制度となっている。 日本のこの制度はヨーロッパ型の参審制度ということになる。

これらの国でも、制度発足直後は色々と問題があったようだが、現在では市民の間に定着しているようだ。 日本の場合も同様に、発足直後はかなりの混乱が見られると思う。 これはある程度の年月が経てば解決するかも知れない。


さて、この栽蝿ァ度に対しての私の意見である。 

何故陪審制度ではなく参審制度を採用したのか。 これがまず第一の疑問である。 

参審制の場合、有罪無罪の評決だけでなく、量刑の判断までしなくてはならない。 有罪無罪の判断は、法律的知識がなくても可能である。 つまり、裁判の過程で「こやつは犯人だ」と確信できれば有罪とすればよい。

しかし量刑の判断にはある程度の法律的知識が必要である。 「この犯罪の場合は*年以下*年以上の懲役」という程度の、刑法の条文の知識なら、それを修得することはそれほど難しくはないし、専門家である裁判官に教えて貰えばそれですむことでもある。

しかし、特定の犯罪について、「この場合は*年の懲役」という判断、それも裁判官の主導誘導でない、独自の判断を下すのは、素人にはかなり困難なのではないか。 

又、判決の前例を調べるなどは、やはり素人には煩雑すぎて手に負えないだろう。 ならば、全て裁判官の教える通りに従おう、ということにならないか。

又、裁判官と裁判員の意見が対立した場合、裁判と法律のプロフェッショナルである裁判官と、ど素人の裁判員が互角にディベートすることは、どう考えても不可能である。

結局のところ、ほとんどの裁判が、裁判官の考える方向へ裁判が進行する、というシーンが目に浮かぶ。 これでは裁判員など不要ではないか。

陪審制なら、陪審員は裁判官からは独立している。 陪審員と裁判官が判決や評決について協議するということはないし、又量刑については関与しないから、量刑に関する法律的知識も不要である。

つまり、陪審員制度の方が参加者の負担が遙かに少ないのである。 裁判に一般市民が参加するという、戦後始めての試みには、まずなにより参加するものの負担が少ない、という点を考慮すべきだったではないかと、私は考える。


さて、将来この裁判員制度が実施され、もし私が裁判員に指名されたら? 
恐らく、いや確実に断ると思う。 理由はやはり「人を裁く自信がない」ということになる。

殺人などの重罪で、裁かれる被告人にとっても、被害者や遺族にとっても非常に重大な意義を持つ裁判で、自分が他人を裁く自信があるか? 確信を持って他人に死刑を言い渡すことが出来るか?

例え、犯人を特定することが、全く疑う余地のない明白な場合であってさえも、「もし、裁判の過程で明らかにされた事実以外の何かが存在していたらどうしよう?」という疑問と不安は、間違いなく残るだろう。

まして、真犯人を特定することが困難な場合や、被告人が真犯人であることに幾ばくかの疑問が残る場合は、どうすれば良いのか。 「疑わしきは罰せず」の大原則に従えば良いのだろうか?


最も恐ろしい想定は、「ほとんど」疑う余地のない事件ではあるが、ほんの僅かの疑問が残る、という場合だろう。 まず間違いなく犯人である被告人を放免すれば、再び罪を犯す可能性がある。

しかし、もし僅かでも疑問の残る被告を重罪にした場合、特に死刑を宣告してそれが実行された場合、もしその被告人が冤罪であったとしたら、裁判員はどのように償ったらよいのだろう。

一見疑う余地のない(と見えた)被告人が、実は冤罪であったというケースは、過去にも何件か実例がある。 このような場合、刑を宣告した裁判官はどのようにして自分の過ちを償ったのだろうか。

私は基本的には死刑制度に賛成だが、只一点、この誤審の可能性という点で今一歩踏み込んだ賛成が出来ないのだ。 例え20年間獄に繋がれても、生きてさえいればある程度の補償は可能だ。 しかし死んでしまえば(本人に対しては)全く何の補償も謝罪もできない。 この一点である。


このように考えてくると、恐ろしくて人を裁くことなど到底出来そうにもない。 しかし、誰かが人を裁き、刑を宣告しなければ、社会は成り立たない。

自分だけがその義務を免れたいと望むのは、単なる義務からの逃避なのだろうか? 私にはわからない・・・



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その230 本日発売編

2010-08-27 09:36:00 | ゲーム一般
ふぇいばりっと Sweet! 本日発売です。 シナリオのテキストで読んだ時の印象よりも、意外にコミカルでしかもシリアスな展開となっております。 感想など書いていただければ嬉しいです。


全く関係ないが、ドリパ大阪へ出展のため大阪へ行った時、新幹線に乗った。
その時の車掌さんが女性で、それもうら若い(20代半ば位?)美人だった。

ベージュの制服制帽に身を固め、車両出入りの際にはほのかな微笑を浮かべつつきっちりと一礼する。 凛々しくも清楚であった。 

注 私は制服フェチの気があるらしい。 婦警さんやら婦人自衛官のパッツンパッツンな胸が(以下略)


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その228 Only One編

2010-08-24 11:47:00 | おもしろ不思議
PCのソフトウェアには色々と便利なものがあり、私なども常々お世話になっている。 

もしExcel(表計算ソフト)がなければ・・・
家計簿も書けないし、スケジュール表も使えない。 なにより収支計算や試算表などの会社の大事な業務が全くできない。 

なに? 紙と鉛筆と電卓でやれって? そんなめんどくさいことができれば、PCなど買わんわい。

もしPhotoshop(画像ツール)がなければ・・・
原画のチェックもできないし、塗りの状態をレイヤーごとに見ることもできない。 なにより美少女のムフフな画像を閲覧する・・・ ことなどはしていないよ。

もしATOK(IME)がなければ・・・
これは重大だ。 私は字が至って下手で、これはもう下手というより、誰が見ても字とは認識されない。 自分で書いた文字だって、1時間後に見ると何が書いてあるのか全く判別できない。 それどころか人類が書いた字とさえ思えない、塩をかけられて瀕死のなめくじの断末魔の動きのようなものが、そこにあるとしか見えないのだ。

従ってワープロやIMEは私に取っては神から授かった神器だ。 これさえあれば難しい字もなんのその。(手では絶対に書けない) コンピューターをやっていて良かったと思うことに第一である。

で、これらのソフトウェアは当然毎日使う。 繰り返し使う。 これまで何回これらのソフトを使用したのか、無論計算などできないし、する必要もない。 何回使おうがソフトの価格は同じだし、減ることもない。


ところが・・・ 「1回しか使えない」ソフトが現実に存在するのだ。 そのソフトを1回使ってしまうと・・・ もう二度と使えない。 どうしても使いたければ、あらたにライセンス料を支払えということになる。

正に「Only One」である。 勿論1度しか使えないなどということは、購入前には全く知らず、購入した後でマニュアルを見て始めて知った。 或いはどこかに虫眼鏡で見なければ見えないような字で、注意書きが書いてあったのかも知れない。 いずれにせよそのアプリは一度も使わず、ぶん投げたままになっている。 引越ソフトの一つである。



業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その227  音楽の思い出編

2010-08-22 09:48:00 | 本と音楽
私は青年時代の約10年間、音楽(フルート)をかなり本格的に勉強した。 当時の師は東京放送管弦楽団(NHKの専属オーケストラ)の主席奏者であった東(とうの・と読む)先生である。

この先生、実に素晴らしい師であり、今も懐かしくその小粋な風貌と話し方を思い出す。 夏の盛りのくそ熱い時期にでも、黒い背広に蝶ネクタイ、それにちょび髭という伊達姿。 「先生、暑くないのですか?」 「むむ、まあちょっと暑いかな」 ちょっとどころではない。 気温は32℃なのである。

戦争中は軍楽隊に志願して南方戦線に出陣、乗っていた輸送船が潜水艦に撃沈されて波間を漂い、ようよう岸に泳ぎ着いて九死に一生を得たという豪傑でもある。 

師のいた所はインドネシアだったそうだが、「いやあ、それほど暑くはありませんでしたよ。 日本で言えば晩春位の気候かなあ」とすましておられた。 インドネシアの気候が日本の晩春という話しはあまり聞いたことがない。 当時から暑さには強かったのだろう。

どういうものか、私は東先生に気に入られ、ご自宅の酒宴にも何度か招かれた。
当時の私は非常に純真朴訥な青年であったのである。 今の私からは想像もつかないだろうが・・・

ある時その酒宴に若い女性が招かれていた。 当時東先生が指導していた「船橋ヘルスセンター少女音楽隊」のトランペット吹きのお嬢さんである。 この船橋ヘルスセンターは、今は「ららぽーと」なる一大ショッピングモールになっているが、その頃は温泉が出たとかで、温泉とその他のアトラクションを含めた保養センターみたいなものだったようだ。 彼女はそこの少女音楽隊に所属していたのだ。

「キミはあまり女性とつき合っていないようだから、わしがいい子を紹介してやる」というわけである。 この「あまり女性とつき合っていない」青年が、普通なら枯淡の境地に達する筈の老年期に、エロゲーなど作るようになるとは、お釈迦様でもご存知あるめえ。(笑)

で、宴はてて後、「この辺はたまに痴漢など出る。さあ、君、駅まで送りなさい」 駅迄このお嬢さんと一緒にゆく。 彼女を見送ってのこのこと帰ってきた私に、「なんだ、帰ってきたのか・・・」

つまり、先生は彼女を送った後或いはその最中に、彼女とどこかへ(それがどこであり、どのような施設なのかは、純真朴訥なわしゃ知らん)しけこんで、既成事実を作るのを期待しておられたようなのだ。

先生の期待を裏切る結果になってしまったのだが、当時の私はその位純情な朴念仁であったのである。 今と全然違うな、などとつっこまないでね。

そのお嬢さんとはその後どうなったのかって? 忘れてしもた。 人柄は素直そうだったがあまり美人ではなかったような記憶がある。 のこのこ帰って来たのは、そのせいもあったのかも知れない。 あれが***ちゃんみたいな美少女ちゃんだったら・・・ その後どうなっていたのか? 今となっては知るよしもない。
(***ちゃんについては詮索無用 (笑))