ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第156回」

2013-11-27 |   ビタペクト配布活動
 11月27日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第156回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を12個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2104個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1930部となりました。
 今回で通算170回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2104人の子どもにビタペクトを、1930家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)の近くのテレシコビッチ村から、SOS子ども村に保養滞在していました。
この2家族は親戚になります。

(家族A)

家庭タイプ孤児院の家族で、お母さんが10人の子どもを連れてきていました。全員養子です。
この家族には8個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時25歳)11ベクレル 
女子(16歳) 29ベクレル ○
男子(14歳) 31ベクレル ○
女子(14歳) 29ベクレル ○
女子(13歳) 42ベクレル ○
男子(13歳) 47ベクレル ○
女子(13歳) 33ベクレル ○
女子(12歳) 26ベクレル ○
男子(11歳) 30ベクレル ○
男子(10歳) 39ベクレル ○
女子 (9歳) 23ベクレル ○
 
 このうち、14歳の男の子と12歳の女の子は実の兄妹、13歳の男の子と9歳の女の子も実の兄妹、14歳の女の子と11歳の男の子は実の姉弟、16歳の女の子、13歳の女の子、10歳の男の子も実の兄弟同士です。
 
 健康状態についてお母さんにお話を伺いましたが、子どもたちは比較的健康ということでした。13歳の女の子が生まれつき腎臓が悪かったのですが、今はよくなったそうです。
ただお母さん自身が昨年心臓発作を起こして、入院し今もたくさんの薬を飲んでいるそうです。
いっしょに養子を育ててきたご主人は3年前に脳卒中で亡くなりました。それでも養子を受け入れているそうです。

18歳になると子どもたちは自立していくそうですが、すでに就職した子どもや結婚した子どももたくさんいて、孫(血のつながりはないですが)が20人もいるそうです。
(家族B)のお母さんは(家族A)お母さんが育てた養子のお嫁さんです。
 
 ところで13歳の女の子の実のお姉さんもこの一家の養女でした。(かわいそうなことに大学生のときに交通事故で亡くなったそうです。)
 高校生のとき胸のレントゲンで影のようなものが映っており、入院したのですが、全くよくならなかったので、育てのお母さんが退院させたそうです。
 すると同じ村に住んでいる人が、しぼったばかりのヤギの乳を飲めば治る、と言ったので、毎日コップを持ってその人が飼っているヤギの乳を飲みに行っていました。
 2週間後レントゲンを撮ると、影が消えていて担当医が
「いったい何を飲ませたんですか?」
ときかれたそうです。
 この一家では牛乳はほとんど飲まないそうで、ヤギの乳を飲むようにしているそうです。

 ヤギの乳はときどき放射能の測定に持って行っており、「飲んでもよい」と言われているそうです。検査は強制ではなく、自主的に行っていますが、この一家では
「子どもが飲むものだから、うちはちゃんと検査する。」
という考えだそうです。
 この一家は自分の畑でじゃがいもなど野菜を育てており、豚も飼っています。
 ヤギはその辺の草を食べているので、このヤギの乳が汚染されていない、ということは、土地がきれいである可能性が高く、おそらくじゃがいもも汚染されていないと思います。

 それなのにどうして子どもたちが全員被爆しているのだろうと、尋ねると
「それは鶏のえさのせいです。地元の人はみんな知っている。」
という返事でした。
 鶏を飼っている家庭が多いのですが、そのえさが袋入りで販売されており、それが実は汚染されているそうです。
 そのえさを食べた鶏に放射能が蓄積し、それを食べた人間も被爆する、ということでした。
 この家ではそのえさを買うのをもうやめたそうですが、学校の給食などに出てくる鳥肉はあやしい、ということになります。
 
 この一家の子どもはよくイタリアやベルギーに保養に行っているそうです。
 16歳の女の子は2年前まで毎年のようにイタリアへ行っていた、と話していました。
 保養は一般家庭にホームステイし、海水浴に行ったりしたそうです。
 WBCの被爆の測定などはしなかったということでした。なぜか歯の検査は毎回受けたと話していました。 


(家族B)
 お母さんが5人の実子を引率していました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時24歳)39ベクレル
長男 (5歳)42ベクレル ○
次男 (4歳)19ベクレル
長女 (3歳)37ベクレル ○
三男 (1歳)34ベクレル 
次女 (1歳)63ベクレル

 三男と次女は双子です。まだ1歳なので、ビタペクト3をあげることができないのが、残念ですがしかたありません。
 子どもたちはアレルギー体質で、お菓子を食べると耳やあごの周囲が赤くなり、かゆいそうです。
3歳の長女はアレルギー反応で咳がでるのですが、普通の咳ではなく、聞いていると「何か吐き出しそう・・・」「息がつまるのでは・・・?」と心配になってくるような苦しそうな咳なのです。
 病院から薬をもらっていますが、完全にはよくなっていないということでした。

 画像は記念撮影したものです。ただ昼寝中などで写っていない子どもがいます。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、古い着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。みんな日本語にとても関心があるようでした。
(でも漢字は難しそうなので、日本語の勉強はしたくない、とも言っていた・・・。)(^^;)
 
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。