ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ベラルーシの幼稚園 その1 「入園準備」

2009-05-13 | ベラルーシ生活
 はっと気がついたら、うちのY子ももうすぐ小学校1年生修了。
 ぼうっとしているといつまで経っても更新できそうにないので、今頃(遅)になってあわてて、幼稚園時代の画像の整理をしています。
 と言うわけで、今まで多くの人に予告しておきながら、すっかり遅くなってしまいましたが、ベラルーシの幼稚園についてご紹介いたします。

 ベラルーシの首都、ミンスクには約500の幼稚園、保育園があります。 
 最近は幼稚園の中に保育園が併設されている例がほとんどです。
 身体障害児童や健康に問題がある(持病を持っているため、特別な注意が必要である、など)子どもが通う特別な幼稚園もあります。
 知的障害児童の場合、義務教育期間を学校ではなく、特別な幼稚園で過ごすケースもあります。
 夜勤で働く親のために10時間保育、12時間保育、24時間保育を行っている幼稚園もあります。

 幼稚園も保育園もほとんどが国公立です。私立の幼稚園もありますが、数は非常に少なく、少人数制教育を謳っているので、私立幼稚園児数そのものが少ないです。
 保護者の一人から聞いた話では、1グループ5人、英語や算数の授業があり、さらには「お行儀」という科目まであるそうです。そして専属心理カウンセラーが園児一人ひとりの精神状態をチェック・・・。
 もちろん幼稚園に支払う金額はとても多いです。
 このような私立の幼稚園は90年代から現れ始めました。

 ソ連時代は幼稚園の増設が子ども数の増加に追いつかず、入園待ちが当たり前で「順番が来た頃にはもう小学生になっていた。」
というのも当たり前だったそうです。
 ちなみに50年代後半から60年代前半に幼児だったS夫とその兄弟は、誰も幼稚園に通っていません。
 幼稚園に通っていない子どもがたくさんいたそうです。

 しかし、80年代から少子化が進み、現在は順番待ちはなくなり、希望すれば誰でも幼稚園に入ることができるようになりました。
 さらには幼稚園が閉鎖されて、児童館や夜間学校など、別の教育施設として利用されたりしているケースも増えていました。
 ところが5年ほどはベラルーシの出生率は微増しています。また首都への人口流入も止まらないため、若い夫婦の多いベッドタウンなどでは、希望の幼稚園に入園できないケースも出てきています。
 もっとも、そのようなベッドタウンでは計画的に街づくりが行われているので、幼稚園も最初から計画的に建てられます。
 
 さて、そういう我が家もそのようなベッドタウンの一角に住んでいるのですが・・・
 幼稚園探しを始めるまでもなく、自宅の前を横切る道路を渡ったところに3つ、道路を渡らず、歩いて5分ぐらいのところにも一つ幼稚園があります。
 ただし一つは国立の障害児が通う専門の幼稚園であるため、Y子は入園できません。
 とは言うものの、徒歩5分内に3つも幼稚園があって、どれにしようか迷うぐらいです。
 ちなみに我が町内には15の幼稚園があります。(公立の学校は11校あります。)

 当時その家の前の道路には横断歩道があったものの、信号がまだ取り付けられておらず、子どもの手を引いて道を渡るのが少々怖かったので、道路を横断しなくても行ける、3つの中では一番遠い(と言っても徒歩5分。)幼稚園に決めました。
 ちなみにこの幼稚園は約30年前に建てられた幼稚園で、ミンスクでは約300番目の公立幼稚園です。
 各年齢ごとに2グループごとがあり、1グループの定員は25人。各グループに3人の保育士さん、幼稚園の先生がついています。
 また医師から慢性病を持っているわけではないが、体が弱い体質、と診断された子どもだけが集められた年齢の関係ないグループが一つあります。(このグループには7人しかおらず、教室の場所は1階の入り口と保健室のすぐ横にありました。)
 ちなみに保健室には2人の医師が1日交代で勤務しており、1年に1回身体検査をしていました。

 法律上はベラルーシの保育園は子どもが生後2ヶ月から通えることになっていますが、実際にはそんなことを実行する親はいません。
 また保育園や幼稚園によって「自分で靴が履けること」などを独自の入園の条件にしているところもあります。
 そのため何歳から入園する、とはきっちり決まっておらず、また何月から通うのかも親の自由です。
 でも大体は遅くとも3歳までに幼稚園に入園させます。
 ベラルーシは出産後3年の育児休暇を取ることができるので、子どもが3歳になったら職場復帰するため、幼稚園に入ることになります。
 しかし、ベラルーシの経済事情が慢性的によくならないため、3年の育児休暇を取らず、出産後1年や2年で職場復帰し、子どもを保育園に預ける母親が多いです。

 そういう私はしっかり3年分の育児休暇を取ってから職場復帰し、子どもが4歳になっても幼稚園に入園させませんでした。
 どうしてかと言うと、日本語を教えたかったからです。日本語もロシア語もうまくできなうちに幼稚園へ通わせると、ロシア語は上達するけれど、日本語は上達しなくなるからです。
 そのためわざと幼稚園に通わせず、家で私とは日本語の会話をしていました。
 4歳も過ぎると、語彙も増え、日本語の発音もしっかりし、自分の言いたいこと(「お腹がすいた。」「何々がしたい。」など)も日本語で話せるようになったので、日本語の基礎はできたと思いました。
 それから幼稚園に入園させることにしました。

(その間、私は仕事をどうしていたかと言うと、夫と時間をやり繰りしていました。幸い図書館勤務なので、日曜日が一番忙しいため、一日中働き、平日は勤務時間が減るように調節したのです。日曜日はその日が休みの夫が子守りをしていました。
 平日の昼間は私が子守り。昼寝をしたら出勤。そして昼寝から目が覚める前に夫が帰宅するようにしていたのです。どうしても2人とも無理な場合は月に1回ぐらいでしたが、夫の親戚に預けていました。)
 
 こうして他の子どもより入学が遅かったうえ、しかも暖かくなってからのほうがいいだろうと考え、4月1日の入園を希望して、幼稚園の門を叩いたのは、2006年3月10日・・・。

 
(続きは「ベラルーシの幼稚園 その2」をご覧ください。)