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今回のヤンカ・クパーラの故郷訪問にはもう一つ目的がありました。
生誕130年を記念して、(図書館勤務という身分上、業務命令により)(^^;)クパーラの詩を日本語に翻訳したのですが、それをせっかくなので、生家記念館のほうに寄贈しようという目的です。
生家記念館へ持っていくと、とても喜んでくださって、記念コンサートのステージ上で朗読してほしいと頼まれました。
画像は私がたったの2作品ですが、ヤンカ・クパーラの詩を朗読している様子です。
巻物のようなものを持っていますが、少しでも日本らしくするため、筆で清書してみたものです。
翻訳した2作品というのは「А хто там ідзе? 」と「Спадчына」いう詩です。
どちらもヤンカ・クパーラの代表作です。前者は「あそこを行くのは誰だ」後者は「祖国」と訳してみました。
「А хто там ідзе?」はとても有名な詩なのですが、数年前ヤンカ・クパーラ記念館が、この詩を50ヶ国語に翻訳した本を発行しているそうです。一つの本に一つの詩とその翻訳しか載っていない、という本ですが、その中に
「日本語訳もあった。」
と生家記念館の方が言っていました。
ちなみにヤンカ・クパーラの詩はマクシム・バフダノヴィチのように短歌形式では訳していません。(それができたら私は自分で自分のことを天才だと思いますよ・・・。)
普通の現代詩(自由詩)の形式にしています。ただベラルーシ人をはじめ、多くの言語では詩というのは音韻をふんでないと詩ではない! というのが常識になっています。
がんばって、日本語訳も音韻をふんでいるように訳したけれど、どうでしょうかねえ。ベラルーシ人からすると日本語のクパーラの詩は美しく聞こえないと思います。(そもそも翻訳がオリジナルを超えるのが難しいですね。)
でも訳していて感じたのですが、ヤンカ・クパーラは外見は優しそうだけど、詩の中身はかなり情熱的なんです。(感情的ではない)
外見と違って心の中に燃えるようなものを持っていた人だったのかな、と思いました。
そしてヤンカ・クパーラを訳すのは実はとても難しかったです。
言葉がベラルーシ語の中でも古いんですよ。今回の翻訳作業でも普通の辞書で調べても載っていない言葉が一つあって、ベラルーシ人に聞いても、人によって説明がばらばら・・・
日本語で言うところの古語辞典も必要で、ようやく古いベラルーシ語の言葉だと分かりました。
だから翻訳もできたのですが、こんな詩を書いていたヤンカ・クパーラの頭の中はどうなっていたんでしょうか。ベラルーシ古語が脳の中で跳びはねていたにちがいない・・・。
そうとうベラルーシ語を勉強していたんだなあ、と思います。
とにかくヤンカ・クパーラとヤクブ・コーラスの登場で、ベラルーシ近代文学というジャンルやベラルーシ文章語がきちんと誕生したわけで、その後のベラルーシ語、ベラルーシ文学の発展に大きく寄与したのもうなずけます。