ベラルーシの部屋ブログ

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壺井栄生誕125周年記念展示

2024-07-16 |   壺井栄
 今年、壺井栄は生誕125周年を迎えます。それを記念して8月31日まで日本文化情報センターでささやかながらテーマ展示を行なっています。
 
 生誕125年とはちょっと中途半端な数かもしれませんが、本当は5年前の120周年に壺井栄ロシア語訳作品集の翻訳を完成させる予定だったのが、コロナやら大統領選挙のせいで印刷することがなかなかできなかったという事情があり、今年、記念の展示ができるようになってよかったと思っています。
 また昨年、小豆島の壺井栄文学館に完成したロシア語訳の本を寄贈することができて本当によかったです。
 そのときに文学館の様子や小豆島の写真をたくさん撮影できたので、それも今年展示できました。

 弊館を訪れるベラルーシ人の子ども達にも「二十四の瞳」の紹介をしていますが、小学年の低学年の子どもには、「まつりご」の話をしています。
 これは壺井栄が生まれる少し前の話なので、130年ぐらい前の日本社会が描かれているのかと思うと、驚きますね。
 (小豆島へお遍路に来た父親と子ども二人。道中で父親が死んでしまった後、子どもは乞食になり、1年間物乞いをして生きていたが、何の保護も受けられない。優しい樽屋の一家が引き取ってハッピーエンド。実はこの二人は壺井栄の兄姉に当たる人だった。)
 子供の乞食がそのへんをうろうろして物乞いをしているなんて、今の日本では考えられないですよ。ベラルーシの子ども達には、乞食の子どもは日本にはいません、と話しています。

 「二十四の瞳」は反戦文学として有名ですが、今読み返してみると、貧困問題、男女差別、ヤングケアラー問題、教育機会の不平等、いわゆる親ガチャの当たり外れで人生が変わってしまう、実家が太いとラッキー、でも子どもの希望や考えを古い考えの親が理解してくれないと、やっぱりアンラッキー・・・という今の日本社会でもそこらじゅうに転がっているような社会問題が多く書かれています。
 時代が変わっても問題は消えないのだろうかとさえ思います。
 
 ただ、「二十四の瞳」の世界では戦争時代が重なっているので、どうしようもなく登場人物たちの運命がどんどん狂わされてしまいます。
 戦争が今の日本にないだけ、まだ運が良いのだと思います。日本は平和を大事に守ってほしいです。
 ロシアのウクライナ侵攻という戦争のほとんど当事国になってしまったベラルーシに住んでいる身としては、日本が戦争に巻き込まれると、上記のような社会問題を改善しようとしても、非常に難しくなるので、平和の時代にこそ解決に向けて社会が動いてほしいです。
 130年前には子どもの乞食が物乞いをしていたのが普通だった日本も、今ではそんなことはなくなったのは、先達の努力のおかげだと思いますから。
 壺井栄は反戦だけではなく、社会問題についても文学の力で、広く訴えようとしていた作家だったと感じます。
  

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