ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

2024年7月16日。ウクライナ侵攻から876日目

2024-07-16 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2024年7月16日午前8時40分頃、自爆型ドローン1機がウクライナ側から侵入したことを受け、ベラルーシ軍のジェット戦闘機1機とヘリコプター1機が緊急発進しました。ドローンはベラルーシの領空内を300キロ余り飛行した後、モギリョフ州内に到達しました。攻撃はなかったのでよかったですが、ドローンがベラルーシの領空に侵入するのは今月11日以降で4回目だそうです。
 あれ、7月13日にベラルーシ大統領は、ウクライナとの国境における緊張が解消されたとして、ベラルーシ軍を国境から常駐する場所へ撤退させるよう命じたばかりなのに?
 ウクライナとの国境の緊張は続いているじゃないですか。どうなっているのでしょう・・・。


 ロシアの独立系メディア「ザ・ベル」が16日に報じた内容ですが、世界70か国の移民当局のデータを集計した結果、おととしのウクライナ侵攻開始後、65万人以上のロシア人が出国したまま帰国していないことが明らかになりました。
 出国先として最も多かったのはアルメニアで11万人、ほかにもカザフスタンが8万人、ジョージアが7万4000人と旧ソ連の構成国が続いています。言葉の壁が低いしビザも不要だからでしょう。
 また、イスラエルが8万人、アメリカが4万8000人とともに上位に入っています。ユダヤ系や優秀な頭脳を持った人材はこのような国へ移住しますね。
 ロシアではIT業界などで人材不足問題が起こっているそうです。
「ザ・ベル」は、旧ソ連崩壊後の混乱期に160万人が国外脱出した時以来の規模だとしています。ベラルーシも同様です。

壺井栄生誕125周年記念展示

2024-07-16 |   壺井栄
 今年、壺井栄は生誕125周年を迎えます。それを記念して8月31日まで日本文化情報センターでささやかながらテーマ展示を行なっています。
 
 生誕125年とはちょっと中途半端な数かもしれませんが、本当は5年前の120周年に壺井栄ロシア語訳作品集の翻訳を完成させる予定だったのが、コロナやら大統領選挙のせいで印刷することがなかなかできなかったという事情があり、今年、記念の展示ができるようになってよかったと思っています。
 また昨年、小豆島の壺井栄文学館に完成したロシア語訳の本を寄贈することができて本当によかったです。
 そのときに文学館の様子や小豆島の写真をたくさん撮影できたので、それも今年展示できました。

 弊館を訪れるベラルーシ人の子ども達にも「二十四の瞳」の紹介をしていますが、小学年の低学年の子どもには、「まつりご」の話をしています。
 これは壺井栄が生まれる少し前の話なので、130年ぐらい前の日本社会が描かれているのかと思うと、驚きますね。
 (小豆島へお遍路に来た父親と子ども二人。道中で父親が死んでしまった後、子どもは乞食になり、1年間物乞いをして生きていたが、何の保護も受けられない。優しい樽屋の一家が引き取ってハッピーエンド。実はこの二人は壺井栄の兄姉に当たる人だった。)
 子供の乞食がそのへんをうろうろして物乞いをしているなんて、今の日本では考えられないですよ。ベラルーシの子ども達には、乞食の子どもは日本にはいません、と話しています。

 「二十四の瞳」は反戦文学として有名ですが、今読み返してみると、貧困問題、男女差別、ヤングケアラー問題、教育機会の不平等、いわゆる親ガチャの当たり外れで人生が変わってしまう、実家が太いとラッキー、でも子どもの希望や考えを古い考えの親が理解してくれないと、やっぱりアンラッキー・・・という今の日本社会でもそこらじゅうに転がっているような社会問題が多く書かれています。
 時代が変わっても問題は消えないのだろうかとさえ思います。
 
 ただ、「二十四の瞳」の世界では戦争時代が重なっているので、どうしようもなく登場人物たちの運命がどんどん狂わされてしまいます。
 戦争が今の日本にないだけ、まだ運が良いのだと思います。日本は平和を大事に守ってほしいです。
 ロシアのウクライナ侵攻という戦争のほとんど当事国になってしまったベラルーシに住んでいる身としては、日本が戦争に巻き込まれると、上記のような社会問題を改善しようとしても、非常に難しくなるので、平和の時代にこそ解決に向けて社会が動いてほしいです。
 130年前には子どもの乞食が物乞いをしていたのが普通だった日本も、今ではそんなことはなくなったのは、先達の努力のおかげだと思いますから。
 壺井栄は反戦だけではなく、社会問題についても文学の力で、広く訴えようとしていた作家だったと感じます。