ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ヤンカ・クパーラの故郷 3

2012-07-09 | ベラルーシ文化
 これはビャズィンカ村にあるヤンカ・クパーラの胸像です。
 子どもたちも大喜びで、記念撮影するほど人気者のヤンカ・クパーラ。
 学校で勉強しますからね・・・。うちの子の通っていた幼稚園には壁にヤンカ・クパーラの肖像画が貼ってあったぐらいです。(参照記事)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/05b63aa93dfc710147271b33525d9af7


 それにヤンカ・クパーラは、どの写真を見ても肖像画を見ても、外見がとにかく優しそうですよね。
 生家記念館の人の話によれば
「ヤンカ・クパーラは口数が少ないほうで、物静かな性格だったそうです。」
ということでした。
 とても紳士的なイメージ。もともとは(こう言っては誤解を招きそうですが)特別、知的階級の出でもなく、ベラルーシによくあるこんな小さな村に突然、このような天才が生まれた、というのが興味をひかれるところです。
 生家記念館でクパーラの直筆ノートの写真も見ましたが、すごくきれいな字で几帳面そうでした。

 話が飛びますが、平凡社から「ロシア・ソ連を知る事典」というものが刊行されており、その中でもヤンカ・クパーラが紹介されています。
 これが私が初めてヤンカ・クパーラについて日本語で読んだ紹介文だったのですが、それによると「自殺した」とはっきり書いているのです。
 私が持っているのが1989年発行の初版第3刷なので、もしかすると、ここの記述は変更されているかもしれません。
 しかし、私の頭の中には「クパーラは自殺した」というイメージができてしまい、その後ベラルーシへ留学しました。
 留学中にベラルーシ人(大学の先生も含む)に
「ヤンカ・クパーラって自殺したんですよね。(残念)」
と言うと、
「えっ!?」「そうなの?」「自殺???」「聞いたことないけど。」「日本ではヤンカ・クパーラは自殺したことになってるんですか?!」「あれは事故でしょ?」「自殺なんかじゃなーい! (キリスト教では自殺は大罪なので、偉大な詩人のイメージにそぐわない)」「そう言われれば自殺かも・・・。」
などの反応が返ってきました。(一番多かったのは「そうなの?」)

 それでだんだん私の頭の中のイメージも「クパーラは自殺したのではない」に変わっていきました。
 前述のウイキペディアによれば
 「彼はホテル・モスクワ内にて階段井戸から転落し、原因不明の死を遂げた。この死に関して、公式には偶発的なものであると発表されているが、自殺または暗殺の可能性があるとする憶測を主張する者もいる。」
と、結局よく分からない、という表現になっています。

 ビャズィンカへ連れて行ってくれたベラルーシ人の友人は
「自殺に見せかけた暗殺説」
を主張し、道中その根拠を語ってくれたのですが、それを聞いた限りでは、これが一番自然に聞こえました。
 ウイキペディアでは「階段井戸」となっていますが、実際にはホテル内の螺旋階段です。
 どっちにしろ、泊まっているホテルで自殺しようと思って階段から飛び降りる・・・発想にはなりにくいと思うのですが。窓から外へ転落したのならまだ分かるけど・・・。

 とにかくヤンカ・クパーラを紹介するときに「自殺した」という断定的な表現を使うのは、やめておいたほうがいいと思います。
 (平凡社はロシア語の文献をそのまま訳したのだと思いますが、もともとの文献のほうが断定してしまっているわけです。何か意図でもあるのか・・・。)
 

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