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ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第7回 その1

2011-11-29 | チロ基金
 チロ基金は2005年からゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会へ支援活動を続けています。その第7回目の支援活動を2011年11月28日に実施いたしました。

 モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動第1回についてはチロ基金の活動「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/mozyl/index.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第2回については2005年11月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2005/011.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第3回については2006年6月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/006.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第4回については2006年11月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/011.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第5回についてはこのブログ内過去ログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f415615145caf7b7d8c0690c79bf3248


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第6回についてはこのブログ内過去ログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/376de4f9bd9e54a5a9784e40834bbcfe



 残念なことに2009年と2010年はこの支援活動ができませんでした。
 しかし、今年は多くの方からの寄付金が集まり、血糖値測定に使用する簡易検査試験紙を1万枚寄贈することができました。 チロ基金から購入し、ちょうどSOS子ども村に保養滞在していたモズィリ市糖尿病児童協会会長さんに手渡しました。
 会長さんは大変感謝しておりました。保養滞在はあと3週間ほど続きますが、今週中にモズィリから患者児童の保護者がSOS子ども村まで取りに来るそうです。
 少しでも早く受け取りたいようです。(手元の簡易検査試験紙がなくなりかかっているのだと思います。)

 合計1977$分の寄付金を今回の支援のために使いました。ご協力くださった皆様方、関係者の方々に厚く御礼申し上げます。
 今回は京都府のT様、埼玉県のT様、三重県のW様、大阪市のN様より寄付をいただきました。
 そして、日本ユーラシア協会大阪府連バザール売り上げの一部も購入に充てました。
また、今年9月に世界文化社より発行された「自分と子どもを放射能から守るには」を翻訳していただいた著作権料の一部もチロ基金に寄付しましたので、今回の支援物資購入の一部に充てました。
 「自分と子どもを放射能から守るには」について詳しくはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/52b72e750cbddc8b1110e0870b9c53d8


 支払った金額はベラルーシルーブルで1740万ルーブルだったのですが、現在はベラルーシルーブルが暴落して、物価がすごいことになっています。
 (両替をして、支払いをした結果、4800ルーブル(44円)が残ったのですが、これは搬送代(ガソリン代)の一部に充てました。)

 一度に1740万ルーブルというお金を払ったのですが、こんな買い物はしたことが今までないので、目が回りそうでした。
 しかし、今回の簡易検査試験紙を販売してくれたBIONIME社のベラルーシ支社ですが、ずいぶん割引の料金で販売してくださったのです。
 おかげで3回分ぐらいの支援活動がまとめてできた感じがしています。
 
 BIONIMEベラルーシ社のHPはこちらです。
 このHPでは購入したときに撮影した私の画像も公開されています。

http://www.bionime.ch/index.php?lang=by

 この画像に写っている右側の棚の一番上、左端に黄色い箱が写っていますが、これが今回購入した血糖値測定のための簡易検査試験紙です。
 
 画像は支援物資を渡した直後のモズィリ市糖尿病児童協会会長のオクサナさんです。

 

SOS子ども村からある家族の話です

2011-11-11 | チロ基金
 来週SOS子ども村へ再びチロ基金の活動としてビタペクトTを子どもたちに渡す予定でした。しかし今回は行かなくてもいいことになりました。
 SOS子ども村の担当職員の方が子どもたちの体内放射能値の測定結果を電話で知らせてくれたのですが、ほんとんどの子どもが0ベクレル(不検出)だったのです。
 これは珍しい、と話を詳しくききました。

 今回保養に来ているのはモギリョフ州にあるキーロフスク市(チェルノブイリ原発から約160キロ)とその郊外にあるムィシコビッチ村から来た2家族。合計13人の子どもが保養に来ています。
 このうち一つの家族のうち一人が体重1キロ当たり16ベクレル、もう一つの家族のうち一人が10ベクレルだっただけで、あとは母親2人も0ベクレルでした。
 一人のお母さんはチェルノブイリ事故当時11歳。もう一人のお母さんは27歳でした。
 年上のお母さんは14年間たくさんの養子を引き取って育てています。(家庭タイプ孤児院、とベラルーシでは呼んでいます。)
 このお母さんの子どものうち一人が16ベクレルだったのですが、引き取ったのが3ヶ月前だそうです。
 
 お母さんは2人ともモギリョフ州の別の町の出身でしたが、事故の後移住することになり、キーロフスク市へ引越ししたそうです。
 お母さんたちはこのような体験があり
「放射能は危険。」
という強い認識があり、放射能のことをいろいろ知っている、と話しているそうです。
 例えば2家族とも自分の子どもにいっさい牛乳を飲ませていないそうです。代わりにヤギを飼っていて、そのヤギの乳だけ子どもに飲ませています。野菜なども全て自分たちが自分の畑で作ったものです。
 また「このベリーは汚染されやすい。こっちのベリーは汚染されにくい。」などいろいろなことを知っているそうです。
 
 きっとこの家族の畑がある地区は放射能汚染されておらず、その草を食べるヤギの乳も安全なのでしょう。
「店で牛乳を買ったことがない。」とも話していました。
 確かに牛乳は検査をして1リットルあたり100ベクレル以下なら出荷されてしまいます。出荷されている、販売されている、イコール放射能ゼロという保障はありません。
 
 いやあ、すばらしい! この調子で生活を続けてください、とSOS子ども村の担当職員の方に伝えておきました。
 悲惨な事故が起きて、移住させられながらも、移住先でちゃんと体内被曝のない子供を育てている立派なお母さんたちもいるんですね。
 今回はチロ基金の活動ができなくて、うれしかったです。  
 

ベラルーシの子ども2名を再測定しました

2011-11-05 | チロ基金
 8月1日にSOS子ども村で保養滞在していた家族にビタペクトTを渡しました。(詳しくはこちらをご覧ください。)
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第121回」(家族A)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/788e61dd1566517cc20256d2149d35db


 この家族はミンスク州ボリソフ市(チェルノブイリ原発から約340キロ)在住の家族で、さらに姪を3人引率していました。
 このうち15歳の姪はジョージノ市(チェルノブイリ原発から約330キロ)で、13歳と11歳の姪(姉妹)はチスチ市(チェルノブイリ原発から約380キロ)で暮らしています。
 初めてお会いしたときのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりでした。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。
 
母親(事故発生時10歳)0ベクレル
長女(11歳)0ベクレル
次女(7歳)30ベクレル ○
三女(4歳)0ベクレル
姪(15歳)44ベクレル ○
姪(13歳)0ベクレル
姪(11歳)0ベクレル

 この結果にお母さんはショックを受けていました。みんな0ベクレル(不検出)なのに3人姉妹のうちの真ん中一人だけがどうしてこのような高い数値が出てしまったのか理解できない、と話していました。 

 44ベクレルだった姪御さんはすでに小さい子どもではありませんし、放射能が何なのかよく分かっています。全快の測定の後、落ち込んでいました。本人には持病などはありません。
 お母さんは30ベクレルと44ベクレルの2人にビタペクトTを飲ませた後、再測定に行きたい、と話していました。
 
 運のいいことにボリソフ市もジョージノ市もミンスクから近いところにあります。
 そこで9月半ばこのお母さんに連絡をして、再測定代と交通費をチロ基金が負担するので、結果の数値を提供してほしいとお願いしました。
 お母さんはとても喜んで
「ちゃんと最後まで飲ませます。」
と話していました。
 ビタペクトTは1びんに約70個のタブレットが入っていますので、8月2日の朝から1個ずつ飲み続け、10月中旬には2人とも飲み終わりました。
 しかしちょうどその頃私が日本へ行っていたのと、11月第1週目がベラルーシの学校は秋休みなのでそれに合わせて、ミンスクへ測定に来てもらうことになりました。
 その結果11月4日に再測定となり、ミンスク駅で待ち合わせ、予約を入れておいたベルラド研究所へ行きました。

 その結果は・・・
 30ベクレル(厳密には29.86ベクレル)だった次女が19.65ベクレルになっていました。
 44ベクレル(厳密には43.64ベクレル)だった姪御さんは18.87ベクレルになっていました。

 測定前
「ちゃんと最後まで飲んだよ。」
と二人は話していたのですが、この結果を見て本人たちは大喜び!
 お母さんもほっとした表情で
「ああ、よかった。ビタペクトTが効いた証拠ですね。」
と喜んでいました。

 私もチロ基金が行っている活動が無駄ではないことが分かり、本当にうれしかったです。
 一応ノルマである体重1キロ当たり20ベクレル以下になっていましたが、お母さんには
「スーパーで売っているセルロースも効果がありますから、気になるようでしたら、しばらくお休みした後、飲んでみたらどうでしょうか?」
とアドバイスしておきました。
 セルロースならミンスクに住んでいなくてもビタペクトTよりずっと簡単に買えますからね。
 それにこのように子どものことを心配しているお母さんなら、健康にいいものを優先して買うと思います。

 画像は2人の測定結果です。クリックすると拡大します。ただしプライバシー保護のため、氏名の一部分を公開していません。
 
 この支援活動(体内放射能測定費用と交通費)のために大阪府にお住まいのH様の寄付金を使わさせていただきました。
 本当にありがとうございます!
 おかげさまでチロ基金としてはいろいろな情報が得られましたし、何よりお母さんと子どもたちの笑顔が見られてよかったです。ご支援ありがとうございました。 
 
 

ベラルーシのテレビ番組に出演しました

2011-06-17 | チロ基金
 6月17日にベラルーシのテレビ局第1放送のテレビ番組「人生は人生」にVTR出演しました。
 トーク番組なんですが、今回のテーマは「望郷の思い」でした。

 スタジオに芸能人が登場し、特にその中には外国生活が長かった人や、二つ国籍を持っていた人などもいました。
 結局、ベラルーシに戻ってきたり、国籍をベラルーシ国籍に選んだり、そしてまたそれはなぜか、といったテーマでスタジオは盛り上がっていました。
 そこへ5月中旬に撮影していた私のVTRが登場。
 前半はベラルーシへやってきたいきさつについて話すインタビュー映像が流れ、次にチロ基金の活動について紹介されました。
 話の流れでいうと、
「やっぱり故郷のベラルーシを離れがたい。」
とスタジオは盛り上がっていたのに、そこへのこのこ私が登場して
「日本を離れてベラルーシへやって来ました。」
と話しているから、変な流れになってしまったのでは? と思ってしまいました。

 スタジオでは司会が、ゲストに
「日本に行ってみたいと思いませんか?」
と尋ねると
「日本は遠すぎるのでいやだ。」
と答えていました。何せ5分ほど前には
「いろいろ外国生活していたが、やっぱりベラルーシが一番だ。」
と言ったばかりなので、当然かと思います。
 さらには
「日本とベラルーシの伝統文化の両方が家の中にあればいいのよ。」
というゲストの意見。司会は
「なるほど、一つの部屋は和室、もう一つの部屋は洋室、というわけですね。」
というようなことを言っていました。(すみませんが笑ってしまった。うちには和室はないです。)

 で、ここからが本題です。
 VTRを作った人は今回の震災の映像をちゃんと挿入してくれていました。
「今までチェルノブイリの子どもたちに助けの手を差し伸べていた日本人に、今度は助けが必要になろうとは・・・。」
 私がチロ基金の活動として支援物資の箱詰め作業をしている様子や、ネットを使って放射能関連の情報を発信している姿なども放映されました。
 その後スタジオでは、べラルーシに日本文化情報センターが設立されたことについて、
「両国をつなげる川ですね!」
とあるゲストが感想を述べ、別のゲストの有名歌手は
「日本に支援をしたい。」
と話していました。(本当?! ぜひお願いします。)

 このほかにもベラルーシへ移り住んだアゼルバイジャン人のお話や、イギリスに語学留学後、カナダで働いていたけど、恋しくなってベラルーシへ戻ってきた人のお話も紹介されていました。

 私としては日本の今回の震災のこと、今までチェルノブイリの子どもたちを支援してきた日本人の方々のことが紹介されてよかったです。(あ、HPベラルーシ管理人のさばさん、写真で登場しましたよ。(^^))
 さらに日本への支援活動についても、ちゃんと取り上げてもらえてほっとしました。支援物資のために寄付を寄せてくれたベラルーシ人の方々にはテレビのことを宣伝していたので・・・。
 チロ基金は本当に小さい川なのですが、これからも多くの人に支えられながら、流れ続けようと思っています。 
 
 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その13

2011-06-07 | チロ基金
 今回首の部分に行われた手術の痕です。(マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 私は医学に関しては素人なのではっきり分からないのですが、こういうふうにすると、あごの形が自然になるんだな、と思いました。
 顔をこういうふうに上に向けるのが前は難しかったそうです。
 
 マリーシャさんは一連の手術のために昨年は受験を断念し浪人中ですが、もうすぐベラルーシは受験シーズンとなります。
 ミンスクにある通信技術関係の専門学校に入学を希望しています。そのために参考書を持ち込んで、入院中受験勉強をしていたそうです。えらいねえ。

 これで、チロ基金の「マリーシャさん支援プロジェクト」の第1段階は終了です。
 また寄付金が集まったら、第2段階を実施したいです。本当にこの9月からミンスクの学生になったら、休みなどを利用して支援活動が続けられると思います。

 この活動のため、寄付をしてくださった群馬県のお住まいのWさん、ありがとうございました。また2回開催されている日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーでベラルーシ民芸品の売上金をこの活動に使わさせていただきました。
 関係者の皆様、本当にありがとうございました。
 この活動ができてよかったとしみじみ思いました。

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 その後のマリーシャさんについてはこちらの記事をご覧ください。 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c53539bbb0a34d5509b981b3ac377846

 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その12

2011-06-07 | チロ基金
 今回も顔の右側のピーリング、そしてあごの部分の整形手術を行いました。
 (画像はマリーシャさんご本人の承諾を得て公開しています。)

 火傷をしたとき、皮膚がただれてしまって、あごと首をつなげる皮膚の形が変形していました。
(活動報告その2の画像と比べてみてください。)
 今回は顎の下(首の上の部分)の皮膚を整形手術しました。
 今まで顔を上に向けることができなかったのですが、これでできるようになりました。
 
 確かにあごの線が自然な感じになりましたよね。
 ひっぱられてた感じだった唇もほぼ対象になりました。
 顔の部分も肌が白くなって、きれいになってきています。

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その11

2011-06-07 | チロ基金
2010年に始まったチロ基金の活動「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」の続報です。
 活動報告その1からその8については過去ログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c00bdef6f2ec94d665610f2111e5369e


 活動報告その9とその10についてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/97c01eb8391d3a83bf1b20404a111bc7


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/be27d7dbc54b6e25226d3a28e10b137e


 前回の手術が今年の3月で、予定では4月の下旬か5月の上旬に今回の手術をする予定でした。 
 しかし、4月11日にミンスクの地下鉄構内で爆発事件が起こり、200人以上が死傷しました。多くのやけどを負った人が救急病院に搬送され、マリーシャさんのように、急がなくてもいい患者は後回しになりました。
 しかし、ようやく5月下旬に再手術のため入院、6月7日に退院しました。(^^)

 髪の毛がすっかり伸びて「ああ、良かったな。笑顔が素敵だな。」とこの画像を撮影をしながら思いました。
(画像はマリーシャさんご本人の承諾を得て公開しています。) 

チロ基金の活動「支援物資」

2011-04-06 | チロ基金
 ようやく5日に第1便を日本に向けて発送しました。あとは無事に届くのを祈るばかりです。
 また続けて発送作業を行います。ベラルーシからの思いが日本に通じれば、と思っています。
 この活動についてはまた改めてご報告しますね。

・・・・・・・・

 追記です。
 この活動は2011年6月19日発送分をもちまして、終了させていただきました。
 詳しいご報告は対象となりましたチロ基金協力者の方にメールにてお知らせいたします。
 計16家族の方々が支援対象となり、14のベラルーシの団体・個人の方から寄せられた寄付金が使われました。
 合計額は375万8500ルーブルになりました。私も感謝の気持ちでいっぱいです。

チロ基金の活動 ベラルーシ人から日本人へ義援金

2011-03-26 | チロ基金
 このたび発生した震災、そして福島原発事故による被災者の方々で、今までチロ基金に協力してくださった方だけでも、何とかベラルーシから支援できないか、と考え、ベラルーシ人から義援金を募ることになりました。
 集め始めて1週間なのですが、ベラルーシ人から哀悼の言葉とともに少しずつ義援金が集まっています。
 いろいろと難しい問題もあるのですが、いつか必ず、できるだけ近いうちに日本に支援を届けたいと思っています。
 詳細は改めてブログ上でご報告いたします。

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その10

2011-03-07 | チロ基金
マリーシャさんの横顔の画像です。(ご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 それにしても髪の毛がすっかり伸びましたね。別人のようです。しかも前は髪の毛が全く生えていなかったところに自然な感じで生えています。髪の毛が伸びたおかげで、変形していた耳も目立たなくなって、本当によかったです。
 ピーリングした頬の部分は、皮膚が薄くなってしまったのか、血が浮いて見えるところもあり、痛くないのかな?と心配でしたが、マリーシャさんは、手術は痛くなかったし、今も痛くない、と話していました。

 次の手術では、顔の部分のピーリングをもう一度行います。また顎の部分の状態を見て、唇の引きつれを治す手術も行われる予定です。
 一度に顔の各部分を手術すると、引きつれが起こる可能性があるので、少しずつしないといけないと、コシェリコフ先生は話していました。
 今回は入院期間も10日と短くてよかったです。マリーシャさんも笑顔を見せていました。
 また次回の手術の様子も改めてご報告いたします。楽しみですね。(^^)
 
 チロ基金からマリーシャさんへの支援活動が継続できて、よかったです。
 今回の手術費用は群馬県のお住まいのWさんからの寄付金、そして、年に2回開催されている日本ユーラシア協会大阪府連主催の「ユーラシアバザール」での売上金から出させていただいております。
 Wさん、日本ユーラシア協会大阪府連の皆様、本当にありがとうございました!
 また活動報告の続きをこのブログ上でしますので、お楽しみにお待ちください。

 (この活動報告の続きはこちらです。) 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/37c281b9db5d458a388adedb19ce68bb

 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その9

2011-03-03 | チロ基金
 2010年に始まった「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」の続報です。
 前回の活動報告については過去ログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c00bdef6f2ec94d665610f2111e5369e


 昨年の手術から5か月ほど経過し、再手術が2月28日に行われました。(12月に再入院、再手術をする予定でしたが、病院側の都合により、2月にずれ込みました。)
 今回は顔の右側を平らにするためのピーリング、そしてあごの形を左右対称にする手術が行われました。
 画像は退院の日のマリーシャさんのようすです。(ご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 あごの部分はまだガーゼがついていて、2日後に家で自分ではがすようにコシェリコフ先生に言われていました。
 ピーリングは4月か5月に再度行います。そのときには、あごの形が対称になったマリーシャさんを見られることでしょう。

トーダルの伝記本 その1

2011-01-11 | チロ基金
 2010年年末にベラルーシの音楽家トーダルの伝記本が出版されました。
 伝記と言ってもご本人はちゃんと生きております。(^^;)
 半生記を綴った本、と言ったほうがいいですね。
 本人は内容について直接執筆しておらず、3人のジャーナリスト、音楽評論家が共同執筆者になっています。
 内容は主にトーダルの生い立ちや、インタビュー記事、今までいっしょに音楽活動をしてきた関係者の人たちの紹介、ヒット曲の歌詞などから構成されています。
 そして当然のことながら、CD「月と日」誕生のいきさつ、2008年の日本公演のことなど、かなり詳しく多くの紙面を使って紹介されています! 写真もたくさん掲載されています。 
 本の最後には代表曲の歌詞が紹介されているのですが、その中に「月と日」収録曲である「村祭り」「われは海の子」「故郷」の歌詞も載っています。
 さらにトーダル君の音楽活動には関係のないチロ基金の活動についてまで、親筆者の1人でジャーナリストのエラ・ジビンスカヤさんのご厚意により、この本で紹介されているのです。どうもありがとうございました!
 
 (画像は本の表紙です。タイトルを日本語に訳すと「ベラルーシの言葉は歌うことから」。それにしても最近のトーダル君、ひげもやもやになりましたね。あ、私は個人的にはひげの生えている人が好きです。(^^;)
 エラさんはひげがなかった頃、と言っても、けっこう最近の写真を指差して「若い頃の写真ですね。」と言っていた。今はもう若くないのか? トーダルより年上の私の立場は一体・・・;)


 CD「月と日」について詳しくはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 トーダルの日本公演について詳しくはこちらです。 

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa

 



チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その8

2010-10-02 | チロ基金
 マリーシャさんの担当医のコシェリコフ先生です。ベラルーシでは熱傷治療、熱傷痕への美容整形手術の権威です。後ろに並ぶ額縁の数々がそれを物語っています。またこのブログ上ではちゃんと伝えることができないのが残念なのですが、この先生とお話していて、ご自分の医療にかける情熱は計り知れないほど大きかったです。今まで数え切れないほど多くの熱傷患者さんたちを助けてきた医者なのです。
 マリーシャさんがゴメリ市の病院に通っていた頃の担当医の先生もコシェリコフ先生の教え子だった医師だそうです。
 コシェリコフ先生と出会えてマリーシャさんもよかったし、チロ基金もよかった、と思います。 
 また12月の手術の時にはお世話になると思います。
 チロ基金支援者の皆様、この「マリーシャさん支援プロジェクト」ご報告の続きをお楽しみにお待ちください。

 (「マリーシャさん支援プロジェクト」活動報告の続きはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/97c01eb8391d3a83bf1b20404a111bc7

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その7

2010-09-28 | チロ基金
 1回目の手術後、退院の日、病院内でお父さんと撮影した画像です。
(マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 お父さんもマリーシャさんもとてもうれしそうです。
 次に会うのは12月の手術のときですね。それまで家でゆっくり休息してほしいと思いました。
 チロ基金が今回負担した手術は、顔の部分の美容整形手術代です。
 今は予算的にそれ以上は支援できなかったのですが、将来マリーシャさんが希望し、またチロ基金も可能であれば、顔以外でも目に付きやすい首や手の部分の整形手術の支援を行いたいと考えています。
 もしご協力を申し出てくださる方がおられましたら、ご連絡ください。

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その6

2010-09-28 | チロ基金
 9月17日、退院の日がやってきました。これはそのとき撮影したマリーシャさんの様子です。ちょっとピンぼけしてしまって申し訳ありません。興奮して手が震えた。(^^;)
 (マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 入院前はなかった頭の右側の部分に毛が生えています!
 すごい! とても自然な感じです。後は髪の毛が伸びてくるのを待つだけです。そして髪の毛に関してはこれで完了。もう手術も治療もしなくていいのです。

 そして顔の美容整形手術のほうも第1段階が成功しました。顔の前面の色の薄くなっている部分に、いわゆるピーリング方法で手術がされました。
 つまり顔の火傷の痕が、でこぼこの状態なのを、表面をけずって、出ている部分を少なくし、皮膚の表面が平らになるようにする方法です。
 ただ、一度にたくさん削ることはできないので、2回から4回に分けて、少しずつ削ります。次回の美容整形手術は12月の予定です。
 それに皮膚が自然に下から再生しようとする力があるので
「削った後は数ヶ月、肌を休ませるほうがよい。」
とコシェリコフ先生が話していました。