当地山形県の内陸部には、「むかさり絵馬」という習俗があります。これは、子どもを失った親が、死んだ子どもが生きていればと年齢を数え、成人していればこうであったかという場面を描いて、寺などに奉納するものです。題材としては、写真のように結婚を扱ったものが多いために、「むかさり(婚礼)」絵馬と呼ばれているようです。
それにしても明治44年9月の日付の入った写真の絵馬は、奉納者名はぼかしましたが、父親が娘と婿を伴って墓参りをする場面でしょうか。ということは、両親は健在で娘を亡くしたというケースなのか、あるいは描かれるのは死者であるという考えに立てば、この母親は夫ばかりか娘をも亡くしているのでしょうか。いずれにしろ、その心情たるやいかばかりかと、思わず絶句します。
こちらは三三九度の場面でしょうか。大正期のもののようですが、古式にのっとって花嫁は花婿に対して90度の角度で座っており、現代のように花嫁花婿が並んで座ってはおりません。あえてぼかしましたが、頭の後ろに戒名が記されているところから見て、故人となったのは花嫁側、つまり娘のほうでしょう。このことは、位置関係や視線の方向からも推測されます。
こういう絵馬の存在は、昔も今も変わらず、故人が心の中に生きていることを伝えてくれます。思わずほろりとさせられたことでした。
それにしても明治44年9月の日付の入った写真の絵馬は、奉納者名はぼかしましたが、父親が娘と婿を伴って墓参りをする場面でしょうか。ということは、両親は健在で娘を亡くしたというケースなのか、あるいは描かれるのは死者であるという考えに立てば、この母親は夫ばかりか娘をも亡くしているのでしょうか。いずれにしろ、その心情たるやいかばかりかと、思わず絶句します。
こちらは三三九度の場面でしょうか。大正期のもののようですが、古式にのっとって花嫁は花婿に対して90度の角度で座っており、現代のように花嫁花婿が並んで座ってはおりません。あえてぼかしましたが、頭の後ろに戒名が記されているところから見て、故人となったのは花嫁側、つまり娘のほうでしょう。このことは、位置関係や視線の方向からも推測されます。
こういう絵馬の存在は、昔も今も変わらず、故人が心の中に生きていることを伝えてくれます。思わずほろりとさせられたことでした。
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/mogamimukasari.html
この写真は、それほどには有名でない某寺のものですが、ひっそりと掲げられた絵馬に、悲しい運命が隠されているようです。
「むかさり」の語源は、初めて知りました。何気なく使っている方言だけに、なるほどです。
生まれて初めて拝見致しました。どこに行けば見られるのでしょうか。
山形以外の方には、「婚礼」=「むかさり」とはいったいどういう方言なのか?と思われる方も居るでしょう。
九州出身の私が知る限りでは、結婚は娘が嫁ぐもの→向こうへ去る→むかさりとなったわけで、一般的には嫁側の立場からの言葉だと理解しています。
違ったらご指摘ください。