電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

暗算が人より少し速いということの人生上の意味

2023年08月25日 06時00分12秒 | Weblog
子供の頃、暗算が速くできるということは称賛されることでした。例えば「19×19は?」と訊かれた時、そろばんを習っていて2級に挑戦している子などは頭の中でパチパチと珠をはじき、すぐさま 361 と答えていましたし、頭の良い子は

19×19
=(20-1)×19
=380-19
=361
あるいは
19×19
=(20-1)×(20-1)
=400-2×20+1
=361

などとして正解を出していました。小学生の頃は、このように人よりも速く計算して答えを出すということが称賛される面があり、いつも一歩出遅れるタイプの生徒には、くやしい場面でした。残念ながら私もまたこの暗算が苦手で、珠算も3級止まりで読み上げ暗算という種目が登場する2級を挑戦して何度か落ち、祖母に「これからは電子計算機の時代でそろばんは役に立たなくなるからやめる!」と宣言してそろばん教室に通うのをやめました(*1)。

で、暗算が速いと何かメリットがあったのか。確かに理系科目の試験などでは、ぱっぱっと数値計算できる速さは制限時間内に多くの問題に答えられるという意味で有利でした。しかし、大学受験や就職試験の時期を通り過ぎて振り返ってみると、上司から何か質問された時にパッと暗算で計算して答えると上司の覚えが良かったかもしれないとは思いますが、実際のところソロバンと手作業の時代からパーソナル・コンピュータによる情報化の時代へ転換する時期に直面していた私のケースでは、そうした即時応答力よりも、むしろパソコンが得意で地道に数値データの入力点検ができ、その分析をまとめられる力のほうが重要だったように思います。

だから私の経験では、暗算が人より速いということの人生上の意味は、前半(若い頃)には多少役立つことがあるけれど、後半(中高年)にはあまり意味がない、さらに退職して仕事を離れてしまうとほぼ全く意味がない(*2)と言えます。

(*1): これは、学生時代にカシオのROOT-8という電卓を購入し、全盲の祖母に触らせて説明した時に、私の子供の頃を回想して話してくれたエピソードです。小学校6年生だったと思います。1964年の東京オリンピックの頃、おそらくIBMとか大型コンピュータ等の語が時折ニュースに出てくるような時代だったせいでしょうか。
(*2): 果樹園で使用する農薬を希釈する時に、2000倍というのは何グラムを何リットルに溶かせばよいのか、といった時には役立ちますが、他人と競争するような速さよりもむしろきちんとノートに記録するほうがはるかに重要です。

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