電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

女川原発と福島第一との違いは古文書にある慶長津波の評価にある?

2011年04月11日 06時02分04秒 | Weblog
M9.0の大地震で停電となり、真っ暗な中で一番心配したのは、東北電力の女川原発のことでした。夜が明けて、新聞やラジオで東京電力の福島第一原発の惨状を知るにつけても、女川に関する情報はほとんどなく、どうなっているのかの情報も得られない状態になっているのでは、と心配しました。ところが、女川原発はなんとかかんとか冷温停止の状態に持っていくことができたとのこと。ふーむ。この違いは、いったいどこにあるのだろうと、理系魂が騒ぎます。

新聞によれば、立地場所の標高が、福島第一が約10mに対し女川の場合は約14.5mで、この差が津波被害の明暗を分けたとのことです。では、この差を生じた理由はどこにあるのか。

実は、ネット上に東北電力のプレゼン資料が公開されており、この中に、どうやら答えらしいもの(*1)を見つけることができました。これは、東北電力の松本氏によるプレゼンのようで、全14コマで構成されています。この中で、第7頁「考古学的調査と堆積学的検証」の内容が興味深いものです。すなわち、平安時代の貞観津波の考古学的調査によれば、仙台平野における津波の高さは2.5m~3mであるのに対し、古文書に残る1611年の慶長津波は、6m~8mと記録されているそうです。このことから女川原発では、「慶長津波>貞観津波」と判断して、支配的な津波として慶長津波を想定し、最高水位を9.1mとして、敷地標高を14.8mとした、ということなのでしょう。

そういえば以前、大学時代の恩師がこのことを話題にしていたのを思い出しました。ふつう理工系の調査の場合、考古学的な調査など、モノとして証拠があらわれたものを採用するけれど、女川原発の場合は、モノとしての証拠ではなく、古文書に記載された記録を採用して安全設計を行った点が画期的だ、と感心していたのでした。あれは、たぶんこのことだったのではないか。恩師の着眼もさすがですが、東北電力の決断も、もしかしたら福島と仙台と同時多発的な原発事故になっていたかもしれないことを思うと、たいへん重要なものでした。女川が福島と同様の事態になっていれば、隣県である山形も大きな影響を受けたことでしょう。結果論ではありますが、実にありがたい、的確でナイスな判断だったと言えそうです。

(*1):女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策~(PDF)
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