電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ノイマンとチェコフィルでマルティヌーの「交響曲第6番」を聴く

2011年04月18日 06時02分46秒 | -オーケストラ
通勤の音楽で、このところ、マルティヌーの「交響曲第6番」を聴いております。「交響的幻想曲」の副題を持つこの曲は、ボストン交響楽団の創立75周年を控えて同楽団から依頼されたものだそうで、1955年にミュンシュ指揮ボストン響により初演された当初は「三つの交響的幻想曲」という名称だったとか。それが、1956年にプラハでアンチェルが「交響曲第6番」として演奏したところから、このように扱われるようになったのだそうな。

第1楽章:レント~アレグロ~レント。不安気なフルートと弦のさざ波を背景に、トランペットでしょうか、死神のせせら笑いのような、ちょいと不気味な断続音。独奏チェロに続きフルートが主題を奏します。弦楽合奏は厳しく力強いもので、五音音階のようなオーボエの旋律はたいそう印象的。この後のリズムの高揚は、緊迫感を増していきますが、独奏ヴァイオリンのカデンツァ風の演奏に続き、冒頭の不安なレント部分が再現され、静かに終止します。
第2楽章:スケルツォ、ポコ・アレグロ。やはり不安気な弦のトレモロの後に、弦楽が主体となる進行。トロンボーンでしょうか、低音のコラールにオーボエの伸びやかな音が続きます。打楽器に続き管楽器群が短く叫ぶと、ファゴットがおどけたパッセージを奏し、弦楽器群が力強さを加えていきます。炸裂するような全奏が繰り返されますが、高揚する音楽は意外にさらりと終わり、次の楽章との対比を準備します。
第3楽章:レント。レントの導入部は厳しい悲壮感を伴うものですが、チェロに続く弦楽部の美しさは格別です。マルティヌー独特の、しだいに高揚する息の長いクレッシェンドの過程で、音色に少しずつ明るさが加わっていきます。アレグロ・ヴィヴァーチェで高らかに奏されるトランペットが力強く印象的で、銅鑼が鳴った後には、静かなコラールが奏でられます。全曲が終結した後には、静かな感動が残ります。

演奏はノイマン指揮チェコフィルで、1977~78年に、プラハの旧芸術家の家で収録されたもので、スプラフォンによるアナログ録音です。
マルティヌーの交響曲については、これまで第1番から第5番までを取り上げて(*1)きました。一時、この曲を記事にしようと考えたことがありましたが、ピアノを使っていない点を除けば内容がまとまらず、延び延びになっておりました。実際、たいへん魅力的な音楽であるにもかかわらず、ネット上にもこの曲の記事はあまり多くないようです。

職場から自宅へ戻る帰路、車の中でラジオのニュースを聞くと、津波被害や福島第一原発関連の報道が中心です。思わず暗澹とした気持ちになります。悲壮感の濃いこの曲は、おそらく第二次世界大戦の戦禍を思い、犠牲者を悼んで作曲されたものであろうと思いますが、マルティヌーの音楽の冒頭部には、津波に流された街の惨状を想像してしまいます。あるいは、放射線という見えない恐怖と戦いながら目前の破局を食い止めるために奮闘する技術者や作業員たちの様子をも想像します。重厚で悲壮感があります。そして、終結のしかたには、再生への意志を感じます。本来はたぶん、個人的な事情がきっかけだったのでしょうが、音楽の抽象性は、いかにもこうした連想を許容する面があります。

■ノイマン指揮チェコフィル盤
I=9'10" II=7'45" III=10'32" total=27'27"

(*1):マルティヌーの交響曲を聴く~第1番第2番第3番第4番第5番

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