よく英語のスピーキングができないことの言い訳で、
「いやー、読み書きは何とかいけるんだけど、どうもしゃべるのはねぇー」
という人がいます。
でもこういう人は大抵読み書きもきちんと出来ない場合が多いようですよ。私の知る限りでは。前回のエントリーでも東京都のスピーキングのことについて書きましたが、よくある英語教育に対する意見に「学校で英語を10年以上もやっているのにちっとも喋れるようにならない」「喋れるようにならない英語教育なんていらない」「丸暗記主義の受験英語なんて全くの無駄」などというのがあります。
こういった意見に押されて、なんか英語の読み書きが軽視されているような風潮が感じられます。でも口先だけペラペラ喋れるだけの英語なんてあまり価値がないと思うんですけどねぇ。しかも妙な音韻のリンキングをしてスラング混ぜ混ぜの英語なんか実際は最悪ものです。そんな英語ではネイティブからはちゃんとした人だとは思われません。
ビジネスで実際に必要なのは聞く話すことはもちろん書いたり読んだりすることもとても重要です。ペラペラしゃべっていてもきちんと書けなければ話になりません。あとディベートの力も必要でしょう。でもこれは英語教育の中心ではありません。英語教育(国語教育)で身につけた力を基盤とした別の分野の教育です。
受験英語の詰め込み批判がありますが、語学は詰め込まなくてはいけない所も多々ありますので、頭が柔軟で記憶力が高いときに一気に詰め込んでしまうのはとても効率的なことだと思います。
「いやー、読み書きは何とかいけるんだけど、どうもしゃべるのはねぇー」
という人がいます。
でもこういう人は大抵読み書きもきちんと出来ない場合が多いようですよ。私の知る限りでは。前回のエントリーでも東京都のスピーキングのことについて書きましたが、よくある英語教育に対する意見に「学校で英語を10年以上もやっているのにちっとも喋れるようにならない」「喋れるようにならない英語教育なんていらない」「丸暗記主義の受験英語なんて全くの無駄」などというのがあります。
こういった意見に押されて、なんか英語の読み書きが軽視されているような風潮が感じられます。でも口先だけペラペラ喋れるだけの英語なんてあまり価値がないと思うんですけどねぇ。しかも妙な音韻のリンキングをしてスラング混ぜ混ぜの英語なんか実際は最悪ものです。そんな英語ではネイティブからはちゃんとした人だとは思われません。
ビジネスで実際に必要なのは聞く話すことはもちろん書いたり読んだりすることもとても重要です。ペラペラしゃべっていてもきちんと書けなければ話になりません。あとディベートの力も必要でしょう。でもこれは英語教育の中心ではありません。英語教育(国語教育)で身につけた力を基盤とした別の分野の教育です。
受験英語の詰め込み批判がありますが、語学は詰め込まなくてはいけない所も多々ありますので、頭が柔軟で記憶力が高いときに一気に詰め込んでしまうのはとても効率的なことだと思います。