リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

アニバーサリー

2020年07月31日 18時56分17秒 | 音楽系
ことしはベートヴェンの生誕250年にあたる年で、本当ならあちこちでその手の催しやらコンサートが開かれていたはずです。調べてみるといくつかはベートーヴェン祭りみたいなコンサートはありましたが、私的には全然盛り上がらない感じがしています。今年は暮れの第九の洪水も全くなくなるかも知れません。

この生誕何年とか没後何年とかで盛り上げるのは、供給側(ミュージシャンやプロモーター)がしかけるわけで、音楽愛好家にとっては生誕250年だろうが251年だろうが特に意味はないでしょう。演奏する側から言っても同じです。

コロナウィルスがそういったあまり意味のないことで盛り上げようとしている人たちをあざ笑っているのでしょうか。今年はバッハ、ヴァイスの没後270年ですが、これは誰も言っている人はいませんでした。同じ10刻みでも70ではちょっと問題があるのかも知れません。やはり50単位または100単位でないといけないようです。

この生誕キャンペーンに対して没後キャンペーンもあります。こういったキャンペーンは元々英語で言う anniversary から来ていると思われるので、生没どちらでもあるわけです。

英語の anniversay という言葉には良かったことに対する記念日だけではなくて、災害などの不幸なできごとに対しても使うことばなので、日本で言う記念日というのとは若干ニュアンスのずれがあると思います。日本語では記念ということばは「記念祝賀会」「記念品」「記念切手」のように思い出に残るいい内容のものごとに使われることの方が多いようです。

「阪神淡路大震災20周年記念」でぐぐってみますと、「記念」とつくイベントは少ないように感じます。これが「伊勢湾台風60周年記念」だとそれより多い感じがします。時間が経つと生々しさが薄れ、「記念」できるようになるのでしょうか。まぁ「阪神淡路大震災10周年記念事業」というのもありましたが。

さて作曲家の anniversary 来年は盛り上がるのでしょうか。アルビノーニが生誕350年、サン=サーンスが没後ジャスト100年、テレマン生誕340年、これはいけるのかな?実は今年がヴァイス生誕333年、気が付きませんでしたがまだ少し残っています。大して意味のないことで盛り上がっている社会の方が平和でいい世の中ですよね。


見えてきたコロナ

2020年07月30日 11時20分37秒 | 日々のこと
三重県は第一波終息以来70日近く感染者はゼロの日が続きましたが、ここに来て感染者は急拡大しています。昨日は過去最大の一日10人を記録、桑名市でも何人か感染者が出ています。名古屋市では93人と、これまた一日の感染者数としては最大です。

私の家内は小学校に勤めていますが、そこの児童の保護者が感染しました。当の児童は陰性だったそうですが、今後陽性に転じる可能性も否定できずしばらく様子を見ている必要があると思います。当該児童が陰性との結果が出る前に「濃厚接触」した児童、職員については感染のリスクはほとんどないと考えられるので、学校は休校措置は取っていません。でも濃厚接触者の濃厚接触者の濃厚接触者(児童→家内→私)である私は万が一のことを考え、名古屋の教室での対面レッスンをお休みにしました。レッスン室は換気がないところもあり40分継続的に話をしますので、もしものことを考えてのことです。

万が一というのは文字通りには1万にひとつという意味ですが、このくらいの確率だとどこかでそれが起こったということを見たり聞こえてきたりする感じがします。あくまでも体験的なことですが。

といいますのは、かつて学校に勤めていた若い頃、交通事故で亡くなる方が年間1万人を超えていました。当時の学校では親が交通事故で亡くなったというかわいそうな生徒が500人規模の学校では1人、2人は必ずいました。ところが交通事故死者が減少していき、現在では3200人あまりになっていますが、いつ頃からか同規模の学校に関わる人で交通事故で亡くなったという方は聞かなくなりました。

このことから一万分の一の確率の事象だと「目に見えてくる」(ニュースやネットで知るのではなく)という感じがしているのです。まぁあくまでも「感じ」というレベルですが。現在の累計感染者は3万人を超えかつ急激に増加しています。すでに体験的に「目に見えてくる」数の3倍を超えています。今後は自分の見聞きする範囲でも感染者がたくさん出てくるのではと思います。



信頼に足る資料・楽譜の選択(4)

2020年07月29日 20時53分31秒 | 音楽系
ホプキンソン・スミスとのレッスンで、パルティータロ短調BWV1002のバロック・リュート編曲(イ短調)の検討と演奏のレッスンを受けていたことがありました。彼と一緒に何度も検討して、バロック・リュート編曲を作り後半2曲(サラバンド・ドゥブル・デンポディボレア・ドゥブル)は何回かコンサートで弾いたりもしました。それから15年後、今年の4月のコンサート用に今度はアーチ・リュート用に同曲をハ短調で編曲してみました。

楽器も調も異なるので、以前行ったバスの追加や旋律ラインの変更は一切参考にせずにアレンジしてみました。今回はもう本当に最小限、できればほとんどバスを付け加えないというスタンスでまず後半2曲をアレンジしてみて、できあがったものを以前のバロック・リュート版と比べてみました。比較は15年間における私の考え方の変化も反映されているみたいでなかなか興味深かったです。

無伴奏ヴァイオリン作品の場合は、実際にはバスに相当する音がそこそこついていますが、無伴奏チェロ作品の場合、書かれているバスはずっと少ないです。そういう建付けの曲なので、あまり意味のないバスが書かれていたり、時には和音の解釈を間違ったバスを書いた編曲も出てきます。悪いことにそういった編曲が出版されていたりもします。

これらの作品を演奏するときは、そういった出版楽譜を使わずに、バッハの手稿譜を使いまず何も足さず何も引かず弾いてみてはいかがでしょうか。調はオリジナルと比べてあまり高いキーに移調しない方がいいです。例えばチェロ1なら、原曲がト長調なので変ロ長調かハ長調あたりまでです。バロックリュートならイ長調というのもいけるかも知れませんし、テオルボなら原調のままでも行けるかも知れません。もともとバスの音域で書かれているのでバスを加える必要性が低くなる、つまり音の低さには意味があるのです。とはいうものの楽器の音域も異なるし得意な調性も異なるので、何らかの移調作業は必要ではあります。

何も足さず何も引かず、とは言っても擦弦楽器のチェロと撥弦楽器のリュートとでは音の出方が異なり、バッハは擦弦楽器のために特化した作曲を行っています。楽器の性質が異なる以上はバッハが意図したものは出せない可能性が出てきます。でもそこで無理して音を加えることは敢えてせず、信頼できる師匠のレッスンを受けつつ、必要最小限のバスを書き加えてアレンジと演奏を完成していくという方法が多分一番間違いが少ないだろうと思います。

信頼に足る資料・楽譜の選択(3)

2020年07月28日 12時54分25秒 | 音楽系
バッハの曲を弾いてみたいというときに、リュート曲はどれも技術的に(もちろん音楽的にも)とても難易度が高いので、無伴奏チェロやヴァイオリン曲のうちのいくつかを選んでみてはどうでしょう。

バッハのリュート曲は、995、1000、1006a(1000はバロック・リュートのタブそのもので、995はリュート曲と銘打ってはいますが・・・)、以外の他の作品はキーボードを前提としたテクスチャが色濃いです。これに対して、無伴奏チェロ、ヴァイオリン作品は弦楽器の論理で書かれており、リュートとの親和性はより高いです。とはいうもののチェロもヴァイオリンも5度で調弦するので完全にリュートにとって都合がよくなるわけではありません。それでもキーボード風のフレーズよりはまだ親和性はあります。

バッハのリュート曲をリュートに編曲するときは、バッハが書いた音をそのまま、場合によってはバスをオクターブ下げたり上げたりしてリュートで弾けるようにしていくことになります。これに対して無伴奏チェロ、ヴァイオリンのための作品をリュートで弾くときはバスをある程度補っていく必要があります。

どの程度補うか、どういうバス音を補うかは実はとても難しい判断が必要になります。リュート曲の編曲で「トンデモ」版の場合は、運指に無理があり演奏不可能という点が問題になりますが、無伴奏チェロ、ヴァイオリン作品の場合の「トンデモ」編曲版は間違ったバス(=ハーモニー進行がでたらめになる)が書かれていたり、音を入れすぎてバロック音楽とは言えないものになっていたりします。

昔ギターのアンドレス・セゴヴィアが無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュードを演奏したレコードを聴いたことがありましたが、このアレンジは和音的には間違ってはいるわけではありませんが、バッハの音楽(あるいはバロック音楽)で使われている使い方とは異なるものでした。

セミの鳴く夏

2020年07月27日 16時52分07秒 | 日々のこと
本来なら今日には孫たちが1年ぶりに我が家に来ていて大賑わいになっているはずですが、今年はシーンとしています。ここ何年かはカリフォルニア州在住の娘一家5人が狭い我が家に来て、そのうち何日かは近所の長島温泉に宿を取って過ごすというのが慣例になっていました。

孫たちが一番行きたいところは、近所のスーパーア〇タです。ディズニーランドやレゴランドを押さえて堂々の一位です。もうア〇タなんかおやすい御用です。(笑)ディズニーランドはロサンゼルスにありますのであまり興味がないようです。

ウチのすぐ近くには、あられ屋さんや和菓子屋さんが複数あり、もう少し行くと喫茶店が何軒かあり、さらに行くとア〇タがあります。この時期には祭りもあり花火もあります。娘一家が住んでいるだだ広く殺風景なカリフォルニアの田舎と比べたらはるかに街の密度が濃く、彼らにとってみればもうそれこそ街中がテーマパークになっているようなものです。こっちとしてはア〇タや、和菓子屋のお団子で大感激してもらえるので安上がりではあります。

このようにシーンとしている夏ですが、セミだけはきちんと鳴いていますので、夏はちゃんと来ているのですよね。セミは長い人生(セミ生)の大半を環境が安定している地中で過ごすので環境の変化に強いようです。これが彼らの戦略なのでしょうか。もし人類が滅びてもその次の夏にはきちんと鳴いているに違いありません。

今年は7月中にはどうも台風の発生がないようですし、異例に梅雨が長引き、7月末だというのにまだ暑い日はありません。8月は冷夏になるという予想もあるようです。今年は何もかも異変続きで、夏を演出してくれるのはセミだけという異例の夏になりそうです。


信頼に足る資料・楽譜の選択(2)

2020年07月26日 19時08分11秒 | 音楽系
現在はネットやコピーで(違法コピーはNGです)楽して手に入る分、だだくさに資料を扱ったり、その資料自体が実は信頼にたるものでなかったりすることがありがちです。リュートを演奏するための楽譜はとても重要なものです。一次資料を手に入れて演奏するのが望ましいですが、その一次資料が部分的なものである場合があるので注意が必要です。

曲集として編纂されたり、編曲されたりしたものは、その編者が信頼のおける人なのかどうかの見極めが必要です。わからない場合は専門の人に尋ねるといいと思います。特にバッハを演奏しようとした場合、その楽譜はすべて編曲になりますのでしっかりと楽譜を選ぶことが殊の外重要です。決してネットで「拾ってきた」みたいな楽譜を使わないのが吉です。

またもしアマチュアの人で自分でバッハを編曲したと胸を張って言っている人がいたとするなら、それは根拠のないうぬぼれにすぎないのかも知れません。バッハの編曲は、たくさん経験を積み十分なスキルを持つプロでも悪戦苦闘の連続で長い時間をかけてするものです。そのような先達に学ばない手はありません。

モダン楽器だと楽譜資料は、学習者用にかみ砕いてあり、かつ一定水準のものが整備されていますが、参加者がそれらの楽器と比べれば圧倒的に少ないリュートの場合はなかなかそうは行きません。いわば石の多い玉石混交状態とも言えます。

また自力で海外の図書館にアクセスして調べたり、信頼のおける人に尋ねたりすることも大切です。私のブログでは、どういう人が信頼に足る!とか、これがいい編曲だ!というのは書くことができませんが、これらの事柄はいつも頭の片隅に入れておいて演奏をされるのがいいのではないでしょうか。

信頼に足る資料・楽譜の選択(1)

2020年07月25日 22時35分35秒 | 音楽系
何かわからないことがある場合は、ネットで検索したり、Wikipedeaで調べたりすることがあろうかと思いますが、これらで得られた情報は正しいものあるいは価値のあるものなのかはなかなかわからないものです。

ネット上にはリュートの楽譜なんかでも探せば結構出てきます。ただそれがどのような価値があるのかはなかなかわからないものです。

70年代初め頃、まだ古楽復興の黎明期だった頃、情報はごく限られたところからしか得ることができませんでした。でもしっかりとそのルートさえつかめば確実に価値のある情報が手に入りました。これは別に特別なコネが必要だとかいうものではありませんでした。

例えば私がたどったルートのひとつはこんなものでした。

1.現代ギター誌広告で、東京の渋谷に古典楽器センターという店があり、そこで古典楽器(古楽器)や関連楽譜を扱っているということを知る。現代ギター誌は当時ウチの近くの本屋とかレコード屋に買うことができた。

2.その古典楽器センターで、Oxford University Press社から出しているイギリスのリュート曲集を買う。その本は単に曲の楽譜が書いてあるだけのものではなくて、それぞれの曲がどのような写本、印刷本から引用されたかがきちんと記されていたので買う。

3.そこに書かれている図書館、博物館に当該の写本のマイクロフィルムコピーを依頼すべく手紙を書く。当時郵便制度はとっくに確立されており、時間こそかかるが海外にごく普通に手紙が届いた。ただし旧東側の共産圏はさにあらず。

4.博物館の所在地はわからなくても、例えばBritish Museum, Englandだけで届いた。

5.返事が来れば、正しい住所はわかる。大英博物館(のちに楽譜は大英図書館扱いとなる)なんかは独自のカタログを作っていて、それも依頼して取り寄せる。

6.あとは芋づる式にいろんな情報・資料にアクセスできる。

こうして手にした資料や情報は基本的に一次資料そのものまたは一次資料的なものであり、専門の図書館員や学者によって選定・管理されているので、信頼性はとても高いものです。

GO TO ツクモ!?

2020年07月24日 23時13分55秒 | 日々のこと
迷いに迷った挙句、結局もう一台新しいパソコンを自作することにしました。一番の要因は今のマシンはパーツこそ新しいのも混じっていますが、CPUやマザボは7年前のものなので、ここらが買い替えの潮時かなと思ったことです。

買うと決めたのは Intel のNUC10i5FNH で、117×112×51mmという超小型です。容積的には今のデスクトップマシンの1/100程度で、ディスプレイの前に置いたり、背面ににアタッチメントを使って装着したりすることも可能です。

このNUC10i5FNH、実は半完成品のキットみたいなもので、組み立て自体はメモリとSSDを装着するだけです。多分5分もかかりません。あとはWindows 10 のインストール、いくつかのドライバのインストールで終わりです。こんな程度ではパソコンを「自作」するとは言えないかもしれませんが・・・

こんな小さなマシンですが、スペック的には今の100倍の大きさのマシンよりずっと速い(はず)です。現行の100倍マシンは確かHaswellと言われていた世代のCore i5-4670というCPUというまるで明治初期に作られたといっていい程の昔のものです。マザボのチップセットもZ97という懐かしの戦前のものという感じです。まぁそれでもそれなりに特に不自由なく使ってはいましたが。

ということで、いざ名古屋大須のツクモ電機に買いに行こうと思い立ちましたが、昨日の名古屋市の新型コロナウィルス感染者がこれまでの最多を記録していましたので、何もわざわざこの時期に出かけることはないと思い、ネットで調達することにしました。ホントはツクモのお兄さんにいろいろパーツのマッチングを尋ねながら買うとよかったんですが。もっともSSDはすでに持っているので、本体以外で買うパーツはメモリだけですので、特に問題はないとは思います。

昔から超小型のパソコンは発売されてはいましたが、大体はスペックがかなり落ちるものばかりで、仕事にはちょっとという感じでした。NUC10i5FNHは容積1/100、超静音(今のマシンも実は超静音ですが・・・)でいてはるかにデスクトップ並みの高性能というのですから、恐れ入ります。パソコンの世界での7年間の進歩は大きいです。

困ったことに

2020年07月23日 14時43分32秒 | 日々のこと
東京では今日は新型コロナ感染者が300人を超えたというニュースが入ってきました。折も折、GO TO キャンペーンが始まったばかりです。このキャンペーンを策定していた頃は感染者がぐっと少なくなっていたころで、もうそろそろ終息に向かうだろうという見込みで作ったのでしょう。人が出歩くようになるわけなので、当然感染者は増えるでしょうが、これだけ少なくなっているのだから少々増えてもなんとかなるだろうといったところだったのではないでしょうか。

そしてキャンペーンをさらに盛り上げようと開始時期を前倒しにした途端、困ったことに感染者が急増です。桑名市でも「名古屋由来」とみられる方とその家族が感染しています。その感染者は名古屋市の友人に会いにたびたび行き来していたそうで、名古屋市内のレストランで食事をすることもよくあったそうです。その友人が感染したのがわかって検査したら陽性だったということで、すでにその方の家族も感染していました。

名古屋の友人から感染した可能性以外に、桑名の方とその友人が同じ場所で同時に感染したという線も考えられます。三重県の北部は名古屋経済圏で、県を超えて行き来している人はたくさんいます。東京都と埼玉県のような関係ですね。これからはさらに用心する必要があります。ジムもスタジオで行われるイベントは避け、閉店間際の人がいなくなる頃を狙って行こうかと思っています。

3本のフルートとギターのためのディヴェルティメント (1975)

2020年07月22日 16時47分15秒 | 音楽系
先日アップしました、ギター三重奏のためのディヴェルティメントの原曲です。本当はリコーダー3本のとギターですが、サンプリング音源にいいリコーダーの音がなかったので、フルートにしてみました。

3本のフルートとギターのためのディヴェルティメント (1975)

ギターパートとフルートパートがオクターブ離れていて干渉しないので、こちらの方がすっきりします。もともとそういう風には作ったわけですが。

サンプリングの音では音の大きさを細かい段階で変化させることができなくてちょっと不自然になってしまいました。生の楽器の場合は音量を押さえれば音色も変化するものですが、サンプリング音源の場合は同じ音色で単にスピーカーのボリュームをしぼっただけという感じになってしまうのも残念なところ。いっそ音量変化と共に音質変化ができるように設定したアナログシンセ音源の方が細やかな表現が可能かも知れません。

この曲はもともとプロの演奏家を前提としては作っていませんので、ライブでも簡単に演奏できると思います。