リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ガス展

2013年10月31日 14時21分17秒 | 日々のこと
アピタで開催されているガス展に行ってきました。別に大きな企画展示会をやっているわけではなく、まぁ宣伝の催し物ですね。毎年この時期に開催されて空くじなしの抽選があるので、必ず行くことにしてます。(笑)

今年も1等賞を期待してくじを引きましたが、見事3等賞でした。ええ、こんなところで運を使いたくないですから、3等賞の方がいいんです。で、これが3等賞の減塩醤油です。(笑)



桑名市のガスの事業はもう何年か前に東邦ガスに移管されています。ガス代は年々値上がりを続け、平成12年に1立方メートルあたり70円くらいだったのが今は260円くらいです。私がスイスから帰ってきたら値段がぐんと高くなっていたので、この時期(2003年~2005年)に移管されたのかも。でもそれからも値上がりしています。

電気とか下水道なんかはほとんど変わっていないのに、なんでこんなに値上がりするのかな、このデフレだった時代に。さらにもっと不思議なのはこのことが何も話題にならないんですかねぇ。いくらなんでもデフレが続いたこの13年間で3.5倍に値上がりしたものはないでしょう。まぁ、少しでも取りもどさないと行けないので、せめて減塩醤油でももらいにいくわけです。(笑)

初音ミクソングできました。

2013年10月30日 18時48分41秒 | 音楽系
初音ミクが歌う学芸会ソング完成しましたよ。で、ぜひ聴いて頂きたいところですが、作詞の先生から許可を頂いていませんので、残念ながらネットでは公開できません。初音ミクちゃん、なかなか歌うまいですよ。作詞の先生には問い合わせ中ですので、許可を頂いたら公開しようかと思っています。

ダウはCubase 7 を使い、Vocaloid Editor for Cubase Neo というエディタを使いました。初音ミクはデータに過ぎないので、このエディタがないと歌ってくれません。このVocalod Editor for Buse Neo は、Cubase 7 のプラグインとして使うことができますので大変使い勝手がよい、という触れ込みでしたが、実際に使ってましたところ、宣伝通り大変便利でした。

今持っている初音ミクはVersion2なので英語の歌はできませんが、最近出たVersion3だと英語の歌も行けるそうです。Version3でダウランドなんか歌わせるとおもしろそうです。

作曲家ナカガワ?

2013年10月28日 13時21分47秒 | 音楽系
最近作曲や編曲を急に頼まれることが増えています。と行ってもほとんどがボランティアみたいなもので、まぁそのうちパタっとなくなるでしょうけど。

自分自身のコンサート用のアレンジも含めるとここ2週間足らずの間に4曲仕上げました。そういえば、半年以上前にもどなたかに作曲を依頼されて、約束をしておきながらほったらかしになっています。曲や編曲のアイデアって不思議なもので、締め切りがせまってきたり、沢山頼まれれば頼まれるほど、いろいろ出てくるもので、今回もこの勢いでパァーっと作ってしまいましょう。

作曲といっても譜面上で完成させるだけでなく、音そのものまで製作しなければならない場合もあります。家内が小学校に勤めているんですが、6年生の学芸会用の歌を昨夜制作致しました。作曲自体は先週チョイチョイと書いたのですが、それを譜面にアレンジ譜として書き、そしてDAW(デジタルオーディオワークステーション)で音にしていき最終的にWAV形式のファイルを作りそれをCDーRに焼いて完成です。ちょっとわかりにくいですけど、要するにコンピュータを使って音楽を作るわけです。最近はハードウェアのシンセサイザも使っていません。音源も全てコンピュータの中のものです。

Cubaseなどの専用DAWだと非常に詳細に作り上げることができますが、最近よく使うのはSibeliusという楽譜清書ソフトで、これがそこそこいい感じで音にしてくれます。ただ奥さんは初音ミクで歌わせてくれとおっしゃるので、これだとCubaseでないとだめでちょっと面倒ですけどまぁやってみましょうか。(笑)

ライナーノート

2013年10月21日 17時46分00秒 | 音楽系
明後日公民館で行われる老人講座(シニアセミナーというのかな(笑))の打ち合わせで中央公民館に。簡単な打ち合わせと、プロジェクタの確認をしました。

帰りに、近くのタリーズで、CD第2集の書きかけライナーノートの続きを。タリーズには結構長居させてもらって一応仕上げました。正面に座っていた高校生(多分私の後輩になるのかな)も私が来る前からずっと長居中。(笑)



ライナーノートはこんな感じです。一部ですけど。


あれはちょうどレッスンを終えたあと駅近くのレストランで遅めの昼食を摂っているときであった。突然大きな揺れを感じ、はじめは自分がめまいでも起こしたのかと思ったが、それが地震の揺れであることがわかるにはそう時間はかからなかった。それはとても大きな周期でいつまでも続くかのように揺れていた。1995年の阪神淡路大震災のときも大きな周期の長い揺れを感じたが、その日の昼過ぎの揺れはそれ以上の地震が起こったことを感じさせるのに充分であった。とっさに震源地を推測した。何の根拠もなかったが、それは千島列島あたりだろうか、アリューシャン列島のあたりか。とにかく巨大な地震が発生したのは間違いなかった。モバイル機器をネットに接続すると、それは思っていたより近く、三陸沖であることが分かった。大地震に伴う大津波そして原子力発電所の事故も発生し、その日以降日本は国中が異様な沈んだ雰囲気に包まれてしまった。
2011年3月の終わりに予定していたドイツでの録音のために、私はヴァイスのソナタ変ロ長調、バッハの組曲2番、3番を毎日練習していた。しかし大震災以降日本を覆った沈鬱な雰囲気の中で、私はどうしても何曲かは練習を続けていく気になれなかった。そこで私は思い切ってヴァイスの変ロ長調ソナタの何曲かを録音するのを止め、その代わりにヴァイスのファンタジアとロジー伯に捧げるトンボーで置き換えることにした。そして録音する曲を次のように位置づけた。


 まだまだ続きますが、あとこれを英語、ドイツ語、フランス語に訳す作業と、それらがきちんとページに収まるよう編集しなければなりません。もうちょい時間がかかりますね。



久松十郎左衛門(2)

2013年10月17日 12時11分14秒 | 音楽系
その後私もそこそこリュートを弾くようになり、岡田龍之介さんとも何度もアンサンブルをする機会を持つことができました。岡田さんと一緒のあるコンサートの打ち上げの時にふとしたことから小野萬里さんの話が出てきました。聞くと岡田さんは小野さんと一緒にムジカ・レセルヴァータというアンサンブルを組んでいるとおっしゃる。その後名古屋でも何回かそのアンサンブルのコンサートがありましたが、なかなか都合がつかずコンサートに行くことができませんでした。

しかしながら機が熟し?昨年の10月についにコンサートに行くことができ、終演後お会いしてお話をすることができました。もちろん小野さんにとっては初対面です。でも40年以上たっても私にとっては憧れのお姫様です。いろいろお話を伺ってとても感慨深いものがありました。その話の終わりの方に、ひいおじい様が桑名出身だということを伺いました。苗字を訪ねると久松とおっしゃる。

家に帰って文政八年(1825年)制作の桑名市のお侍住宅地図で調べてみました。あの桑名日記の渡邉平太夫の住宅も記載されている地図です。久松姓の屋敷は二軒、久松丹下と久松十郎左衛門です。二つのお屋敷は二軒おいて隣同士、桑名城の堀のすぐ近く、今の立教小学校体育館の道をはさんだ西側あたりです。とても大きな区画ですので、桑名藩の有力者であったと思われます。ちなみに私の町内にある下級武士渡邊平太夫宅の数倍から10倍くらいはある敷地です。



それで日曜日のムジカ・レセルヴァータ名古屋公演終了後小野さんに久松氏のフルネームを伺いましたら、久松十郎左衛門とおっしゃる。戊辰戦争のとき幕府方について負け組になってしまった桑名藩の有力者の多くは桑名の地を離れてしまいました。もしもあのとき桑名藩が新政府方についていたら、小野さんのご先祖は桑名に留まり、小野さんとは中学生のころにお会いしていたかも。そこは校区ですから。(笑)ちなみになんの因果か、私の中学校の同級生のお家が何を隠そうこの久松十郎左衛門のお屋敷の跡地にありました。うーむなんか因縁めいたものを感じますなぁ。(笑)

久松十郎左衛門(1)

2013年10月16日 15時55分43秒 | 音楽系
この間の日曜にムジカ・レセルヴァータのコンサートがありましたので出かけました。このアンサンブルはチェンバロの岡田龍之介さんが主宰しているもので、アンサンブル「バロック時代」で一緒にやっている高橋君も入っています。

ムジカ・レセルヴァータにはあとリコーダーの国枝俊太郎さんとヴァイオリンの小野萬里も参加されていますが、小野萬里とはずいぶん前にお目にかかったことがありました。といってもそのときお話をしたわけではなかったですが・・・

1972年4月に日本で初めて古楽セミナーが静岡県の御殿場市で開催されました。その年の5月に私は初めて自分のリュートを手にすることになるのですが、そのセミナーのときはまだ楽器を持っていませんでした。

それにそもそもリュートコースというものもなかったのです。そのセミナーのテーマがバッハの失われたマルコ受難曲の(部分)復元演奏というものでした。そのマルコ受難曲はカンタータの198番の曲が使われていることが知られています。その198番ではリュートが使われているので、きっとそのセミナーに行けばリュートという楽器とそれを演奏する人に会えるだろうということでのこのこと出かけたわけです。

予想通り生まれて初めて本物のリュートを触ることができ、その持ち主であるSさんにも会うことができました。Sさんはその後オランダに渡られ、現在は日本人学校のスタッフとして働いています。私が初めて渡欧した1976年にはいろいろお世話になった方で、その後2002年にアムステルダム近郊の彼のご自宅で再会をすることができました。

そのセミナーで初めてお会いしたというかこちらからは単に見ていただけというのが正しいですが、小野萬里さん(当時はご結婚前で中島姓でした)を初めてお見かけしました。まだリュートを弾いたこともないような私にとって、もうすでにバロック・ヴァイオリンを弾いてらした中島さんは雲の上にいるような方で、おいそれとお声をかけるなんてできなかったのです。それに中島さんはとてもお美しい方で私のあこがれのお姫さまみたいな方でした。

さて今回のエントリーのタイトルは久松十郎左衛門ですが、なかなかこのお侍のような名前の方のお話は見えませんですよね。でもそのうちつながっていきますから。つづきは次回。

2つのコンサート

2013年10月07日 19時48分03秒 | 音楽系
土曜日、日曜日と続いたふたつのコンサートが終了しました。土曜日は、岐阜市内で行われたプライベートコンサートです。会場は個人のお宅ですが、とても音がきれいに響くところでバロック音楽のコンサートにはぴったりのところでした。

コンサートが終わってからはパーティーがありまして、その夜は岐阜に宿泊。まぁ帰ってきてもよかったんですけどね。(笑)朝はちょっと寝過ごしてしまい(ベッドサイドのアラームが鳴らなかった、と思います)慌てて桑名に向かいました。メンバーの皆様には少し迷惑をかけてしまいましたが、何とかぎりぎりに桑名に到着しました。



日曜日の桑名でのコンサートは、少し前にお伝えしましたバロック音楽の旅7シリーズのコンサートです。今年度第3回目。このシリーズで5人で演奏するのはあまりなく、受講生の皆さんの期待度も高かったみたいです。前半のにしっとりとしたフランスの曲、しっとりとにぎやかが入り交じったイタリアの曲を演奏した後は、いつもよりずっと大勢の方から写真撮影や質問を求められたりしまして、こちらとしても手応えを感じましたです。後半のドイツの作品を通奏低音を担当している3人がそれぞれ演奏し、最後はヘンデルのカンタータで締めくくりました。

このグループ、アンサンブル「バロック時代」は来年の3月22日(土)と11月にそれぞれ豊橋と名古屋でコンサート開きます。(名古屋は日時未定です)もう一度聴きたい方あるいは聴けなかった方は是非お越しください。詳細が決まり次第HPでご案内致します。

日本語指向

2013年10月03日 10時27分26秒 | 日々のこと
某自動車関連番組を見ていますと「かたまり感」ということばをちょくちょく耳にします。自動車雑誌なんかでもよく目にすることばです。「かたまり感」というのは以前なら「マッシブな感じ」という表現で用いられていたような気がするのですが、意味合いとしては「質感がある」「重量感がある」「堂々としている」というような感じで、クルマのデザインなどに対する評価に使われることばです。

新製品の発表会なんかでは「訴求」ということばもよく聞きます。「この新型車は、超高燃費性能を訴求していきたいと思います」とか「今回の新製品の訴求ポイントは○○で・・・」というように使われています。確か少し前は「アピール」ということばが使われていました。

「かたまり感」は多分新語でしょう。「訴求」はどちらかというと古くさくてちょっと堅い感じがすることばです。古くさくてちょっと堅めのことばと言えば、音楽業界、特にポップス系の業界で、曲のことを「楽曲」と言うようになってきています。誰それが誰それという歌手にガッキョクを提供して・・・なんて言い方はよく耳にしませんか?一昔前は単に「曲」と言っていたんですが、それが英語の「ピース」とか「コンポジション」ということばに向かわず、「楽曲」ですからね。

こういう例が他にもまだあるのかどうかわかりませんが、これら3つのテレビや雑誌などでよく見聞きすることばは、英語から日本語、あるいはわかりやすい語からやや形式ばった語へという傾向が見て取れます。

【例文】
今回できあがったフレンチ・バロック・リュートは小さいながらもかたまり感があり、弾きやすさ音の通りやすさを訴求しています。この楽器は特にフランスやヴァイスの初期の楽曲を演奏するのに適していると言えます。

HITOMIホール予約

2013年10月02日 00時46分58秒 | 音楽系
HITOMIホールは席数110席、コンタクトレンズのメニコンが作ったホールで、交通至便、駐車場完備、料金格安で大人気です。名古屋市の千種駅の近くです。来年のコンサートのための予約は1年くらい前から始まりますが、2014年10月の分は2013年10月1日9時30分より予約受付開始です。とある事情で私がホールを申し込むことになりました。

競争激烈だということはわかっていたので、時間前から電話をかけ始めました。20分くらい前はまだ留守電状態でしたが、9時30分少し前にはすでに通話中!以降延々とかけ続けること40分やっとつながりましたが、そのときは10月の土日祝は全てうまっていました。

うーむ、恐るべしHITOMIホール。11月もまたやってみますが、どうなることやら。

休刊

2013年10月01日 11時15分48秒 | 日々のこと
パソコン自作パーツの専門誌である日経WinPCが今月号で休刊になりました。八月に自作7号機を作ったときにはいろいろ参考にした雑誌です。雑誌が休刊になるときは、しばらく前から本がやせてきて、紙が厚めになり、それでもさらにやせてくるという道をたどりますが、ご多分にもれずWinPCも最近本痩せが気になっていました。ライバル誌のDos/V Powere Reportはまだ元気ですが、マニア向けの自作専門誌はついにこの一誌だけになってしまいました。



パソコン関連雑誌花盛りの頃は本屋に行くとパソコン誌に立ち読みの跡がいっぱい残っていたものです。表紙に手の脂がついていたり、表紙をめくった跡が残ってしまっていたり・・・(もっと丁寧に見たれよなぁ、なんて本につっこみを入れていました)でも最近は、この両誌でも発売日直前でも売れ残っていて、しかもそれらが立ち読みされた形跡がない、というなんとも悲哀感漂う状態が続いていました。

次の自作機は3,4年先でしょうけど、パソコン自作市場はさらに小さくなっているかも知れません。そう言えば、7号機のパーツは主に○ク○電機で買ったんですが、以前なら超詳しい店員さんがいてあらゆる質問に明快に答えてくれたものですが、今回はなんかいやいややっているような店員さんが何人かいて、ツ○○の店員さんもちょっと質が落ちたかなぁと思ったもんでした。○○モ電機は一旦倒産して(しかかった?)ヤマダ電機の傘下に入りましたが、そのときにいい店員さんは辞めたのかも。でも雑誌もないは、お店からも情報が得られないはでは、私のような中途半端な知識しかない人間では自作をするのはとても大変です。皆さんがんばって欲しいですね。