リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

グリーンスリーブス

2006年11月30日 09時02分29秒 | 音楽系
グリーンスリーブスという大変有名な曲がありますが、すでに今のメロディとほぼ同じものが、エリザベス時代のリュートソロ曲にあります。(作者不詳のものと、フランシス・カッティングによる変奏付きのもの)シェイクスピアの戯曲にも名前が出てくるらしいです。「シェイクスピアの音楽」(有村祐輔・吉田正俊編著 大修館)によるとそれは、「ウィンザーの陽気な女房たち」で、第2幕と第5間腕この曲のタイトルが台詞に現れるが、歌詞は使われていない、とのことです。また同書によると、グリーンスリーブスというバラードは、1580年に「北部地方で歌われているレディ・グリーン・スリーブズの新しいうた」というタイトルで出版されたとのことです。

このグリーンスリーブスの最後がスかズかどちらなのかは置いといても、なぜグリーンなのかはいろんな説があるみたいです。ま、もっとも普通なのは緑色の袖の服だったというのでしょうね。服全体が緑色だったら、緑の袖なんて言わないでしょうから、袖だけが緑色だったということでしょうね。でもこれって何か変な感じがしません?

こんな疑問に答えてくれたのがある教会のアメリカ人神父様。曰く、「それは、白い服を着ていた女性と、草むらでいいことしたので、袖が緑に染まってしまったのです」(のだめのシュトレーゼマンみたいな感じで言ってました(笑))

なるほど、教会の神父様らしくない粋な解釈ですね。これで私の疑問が氷解しました。こういう解釈って楽しいですね。で、念のためフェルメールの絵で調べてみましたら、これが結構袖の部分だけ色違いの服を着ている女性がいるんですよねぇ。うーん、ということはやはり袖の部分だけが緑色の服というのもありか・・・(笑)

予想外!

2006年11月26日 20時43分03秒 | 音楽系
11月のビアンカ・ローザのコンサートシリーズ、昨日終了しました。12日の桑名六華苑を皮切りに、17日春日井、25日桑名カトリック教会と続きました。(ホントはもう1回あったんですが、ぽしゃっちゃいました←少し愚痴気味)25日は有料のフルプログラムでどのくらいの方が聴きに来てくださるか少し心配でした。何せ、桑名だと1000円の入場料でも高いと言われそうなのに、2500円(前売り2000円)でしたから。

1週間くらい前に、以前からお願いしてあった中日新聞から取材を受けまして、22日付けの新聞で紹介して頂きました。22日、23日、24日は問い合わせが相次ぎ(って50も60もあったわけではないんですけど(笑))出かけると何か悪いみたいな感じで、ずっと電話番しておりました。当日の25日にもまだ問い合わせの電話がありましたね。

で、25日は予想外の方に来て頂き本当にうれしかったです。春日井のコンサートの沢山の方に聴いて頂きましたが、12日と25日の桑名市分で、200人近い方に来て頂いたことは正直驚きでした。私たちのような、ある意味コテコテの古楽でそんなに沢山の方に来て頂けるとは考えていなかったんです。2回あわせて50人くらいはなんとかなるかな、でもちょっとさびしい人数だけど、ま、しかたがないよな、なんてちょっと自虐的でしたから。時代は変わりつつあるんですね。

この一年間で三重県北部地域で本格的な古楽のコンサートは多分ゼロでした。というか、室内楽のコンサートそのものがほとんどなかった思います。でもバロック音楽を聴きたいという方は確実にいらっしゃるんだと、このシリーズを通じて痛感しました。要するに完全に供給不足なんでしょうね。桑名市民の、桑名市民による、桑名市民のための、とまでは言いませんけど(笑)、地域に根ざした活動をこのビアンカ・ローザで続けて行ければいいなと思っています。ビアンカ・ローザとしての活動はしばらくお休みですが、来年6月頃(実は大体決まっています)から秋口にかけてまた一連のコンサートを行う予定ですので乞うご期待。

ボジョレ・ヌーボー解禁!

2006年11月16日 12時50分59秒 | 日々のこと
今日はボジョレ・ヌーボー解禁だそうで。3年くらい前でしたか、四日市のレストランでボジョレ・ヌーボー解禁の日にコンサートをしたことがありましたねぇ。ゴーティエの曲なんかをたっぷり弾いた覚えがあります。でもワインって年代物がいいのですよね、確か。これって新しく穫れたものをありがたがる日本独特の「風習」なんでしょうか。

米なんかも新米はおいしいとか言って尊びますが、ひょっとして昔はそうではなかったのかも。というのは、新米ということばは、別の意味もありますよね。意味合いとしてはあまりどっちかというとネガティブなニュアンスのすることばです。「君は新米なんだね」って言われたら、少なくとも褒められているのではないです。という言葉の使い方からすると、以前は新米はそれなりにおいしいけど、ベストではなく、何年か寝かせた米の方がおいしいというのが一般的な認識だったのかも。(辞書で調べたら未熟の「新米」と同じ意味で「新前」ということばもありましたけど、この言葉が転嫁して「しんまい」になったのかもしれません)

「新」と反対の意味を持つ「老」は今ではどっちかというとネガティブに響く昨今です。「老練」なんて意味はポジティブですよね。「老獪」と言う言葉もありますが、これはちょっとずるがしこい感じもする言葉です(笑)が、蓄積された技のすごさを言っているには違いありません。他に「新」の反対の意味を持つ言葉に「旧」とか「古」がありますが、「旧」はニュートラルな感じです。「古」は時間を経てその重みを感じさせる意味合いがあるようです。

日本語の使い方からすると元々は古いことや歳をとることにネガティブな方向性は少なかったように思えますが、最近は年代物はいざ知らず、歳を取るのはネガティブにとらえられがちです。なんでこんなんになってしまったんでしょうね。アメリカによる戦後政策の影響があるなんて言う人もいますけど、どうなんでしょう。私くらいの歳になると、よく友人が「あー、若い頃はよかったなー」「わしの若い頃は・・・」なんて言うのを聞きますが、歳を取らないと分からないことやできないことって沢山あると思うんですよね。だから昔の人は亀の甲より年の功なんて言っていたんでしょう。

こういう価値観って、マスコミがあおった結果かもしれませんよ。「若いってほんとにすばらしいですね」とか「若さあふれる皆さんにいい演奏をしていただき・・・」なんていつもNHKのアナウンサーが口走っていると、「歳を食うことはいけないんだ」とか「歳食った人はいい演奏ができないんだ」なんて言われているのと同じ感じがしますよね。

同じように、カツラの宣伝で、「もうナヤミ無用」とか「ハゲは病院で治す時代です」なんて言われていると、ハゲってだめなんだと言っているのと同じですよね、結局。カツラの宣伝そのものがハゲのネガティブ・キャンペーンみたいな。

最近は、団塊の世代とかその周辺の人口が多い世代を相手にしないと商売儲からないもんだから、多少美しく老いるなんて意味合いの宣伝や論調が出てきていますが、ま、これも結局はマスコミにあおられているだけなのかも。中高年の皆様には(って私もそうですけど)そんなもんにあおられることなく老獪に事あるごとに加齢ポジティブ・キャンペーンをやりましょう、「今時の若いもんは」とか「何でボジョレ・ヌーボーなんかをありがたがるんだよねぇ、ったく」なんて言って。(笑)でも生半可な知識で言っちゃうと、インターネットで情報武装した最近の若いモンに馬鹿にされるかもで、ご注意を。

ちょい寒

2006年11月15日 13時30分22秒 | 日々のこと
最近寒いですね。私のスタジオの寒暖計を見てみましたら、18度だったです。21,2度が楽器を弾くのに最適なので(人によって違うとは思いますが)暖房を入れました。最近のエアコンはランニングコストが安くて、何でも石油ストーブより安いとか。スタジオのエアコンは20数年来使ってきたのを昨年末に替えましたので、一応最新式です。毎月の電気代はやはり安いですね。さすがエコ技術大国日本の製品です。

日本でも、このあたり(桑名あたりです)はどうも中途半端な寒さなので部屋の中は北海道なんかより寒いようです。バーゼルの下宿でもストーブを10月に火を入れて(ガスストーブです)4月頃までは種火を消すことはありませんでした。おかげでいつも部屋の中は理想の21度です。というか、真夏のとびっきり暑い時を除いて、1年中20度ちょっとです。日本は気候の変化が激しくて、老人にはこたえますねぇ。老後はスイスの方がいいのかも。でも下宿の大家さん夫婦は、厳寒期には寒さがこたえるといって、いつもギリシヤに行っていました。そういや家の近所は長生きしている人が多いですねぇ。うちのあたりは気候の変化が激しいといってもそんなにたいしたことはありませんから、このほどほどに激しいというのがかえっていいのかも。

六華苑洋館コンサート

2006年11月13日 12時01分07秒 | 音楽系
昨日は桑名六華苑でのミニコンサートでした。前日は天気が良くありませんでしたが、当日は晴れ渡ってすがすがしい日でまことに結構な古楽日和でした。(演奏しているときはちょっと寒かったですが)

昨日はこの六華苑の旧所有者、諸戸家の初代清六氏の101回目の命日だそうで、記念コンサートとしていただきました。これも何かの縁なんでしょうねぇ。日程を決めるときは別にその日をねらって決めたわけではなく、最初は別の日に決めていてこちらの都合が悪くなったので、急遽12日に変更したという経緯がありました。

地元のコンサートということで、町内の方、同級生、教員時代の仲間など身近な人たちにも来て頂きました。最初はうまく宣伝できているのか少々不安でしたので、ひょっとしたら人が少ないのではと思っていましたが、それは全くの杞憂でした。用意していた30席はすぐにうまり、隣の部屋や奥などで立ち見をしていた人も含めると、各回50名弱、2回のコンサートで100名近くの方に聴いていただくことができました。コンサート自体も30分くらいを予定していたのですが、結果的に各回50分のコンサートになってしまい、「ミニコンサート」じゃなく普通のコンサートになってしまいました。(笑)

六華苑洋館は室内楽には最適なのですが、いろいろな制約があってなかなか実施までの道のりは遠いものがありました。実施にあたっていろいろお世話になりました六華苑の館長様、スタッフの方をはじめお越し頂きました皆様に厚く御礼申し上げます。

この洋館でのコンサートは、メロディ楽器のみ(伴奏なしの)のコンサートは昨年あたりから始まっていたようですが、完全な西洋音楽の形態をとった音楽(つまりバスがあって、ハーモニーがあって、メロディがあって、ってやつですね)によるコンサートは私たちが最初です。そういう意味でははじめて大正ロマンの建物と西洋音楽のコラボができた、なんて勝手に思ってるんですけどね。(笑)

また来年以降も定期的にこの六華苑洋館でコンサートができるといいなと思っています。

発声

2006年11月07日 09時19分48秒 | 日々のこと
最近中央線の女声アナウンスが随分洗練されてきた感じがします。男声アナウンスはいかにも車掌さんという感じの独特の声の出し方でしたが、女声の場合はなんか普通に早口でしゃべっているような感じでしたから。

鉄道の車内アナウンスは普段のしゃべり方とは違う風に言わないと、アナウンスだと気がつかない?というほどではないでしょうけど、でも少し聞きにくいでしょうね。ああいう言い方はなかなか難しそうで、私なんか全然できませんが、語尾をかちっと力まないまでも押さえて、クリアに発音するみたいです。

昔は市内を走るバスにも車掌さんがいました。もう何年くらい前でしょうねぇ、40年以上前でしょうか。その車掌さん達の言い方が独特の言い回しで好きでした。何か少し節がついていた感じで、リズムも普段の言い方とは随分異なる感じでした。発声も高次倍音を多く含んだホーミーみたいな発声でした。中には技巧に走りすぎて、何と言っているのかわからないようなのもありましたけど。

私が子供の頃、近所の赤須賀という漁業地域から、朝「しーじーみーぃどーーぉですかー」って歌いながら自転車でシジミを売りにくることがよくありました。メロディは「らーらーらーーらーそそそそーー」って感じですね。(笑)八百屋のおじさんも八百屋さんらしい感じの言い方(どんなんや?)でしたし、魚屋のおじさんはまた少し威勢もよく別の感じでした。街にときどき現れるひよこや金魚を売るおじさんたちもまた独特の言い方をしていました。

昔はいろんな職業でいろんな言い回しや発声があったんですね。ということを今しみじみと思うのは、現代はそうではないからなんですよね。現代はことばの内容には重きを置いてはいるんですが、発声や声の調子、言い回しはあまり重要ではないと思われているかのようです。今朝テレビを見てましたら、「エロカワ」いいMKという歌手が歌を歌っていましたが、声が前に出てないですよねぇ。ああいうので満足してしまうのかな、今の若い人たちは。他の男性歌手なんかもどうも声が出てない感じで、何か50代の歌手の方が声がよく出てる感じですよ。

バーチャルばっかしの時代になってしまいつつある現代では、身体性というのがどうもあまりすみに追いやられているようですけど、いろんな職業の人がそれぞれの言い回しで語りかけるのってすごく重要だったみたいです。今の日本社会にある様々な病巣もそういったことなくなっていったことが遠因になっているのかも知れません。

官製イベント

2006年11月04日 17時28分02秒 | 日々のこと
テレビでY県で行われた、国民文化祭(だったかな。正式な名前は失念しましたが)の模様をやってました。みんなが参加して取り組みひとつのことを成し遂げるのはなかなか美しいものがありますね。オープニングセレモニーのあと、創作ミュージカルを見ていましたが、あれだけの大きなホールで多人数の出演者がいるステージは本当に大変なことが多そうです。練習スケジュールを作るのも大変だし、それを伝達するだけでも大変そう。

三重県でも県民文化祭だったか忘れましたが、よく似たイベントを以前テレビでやってました。いつも思うんですけど、ああいうのって、地域の文化活動に本当につながっていくのかなって思いますね。効果はゼロではないとは思いますが、そういうのに膨大な費用をかけて、一発花火で終わるより、ちゃんとしたホールを作って、専門の学芸員を置いて、しかるべき費用をかけて運営していくという地道な方法の方が、費用対効果が高いと思うんですけどね。←いやいや、学芸員なんぞおいたらさらに金がかかってしまう、って声も聞こえてきそうですが。(笑)

桑名市にある市の某ホールは、どうもステージの専門家(というか少しでも知っている人)に全く相談しないで作ったみたいで、ステージの下手から入ることができません。楽屋が上手にあって、ステージに入るのも上手からしか入れません。なんでこんな風になっちゃうんですかねぇ。

どっかの町のホール担当の方が、「うちは、テレビに出ていて知られている人(演奏家)しか呼びません」なんておっしゃってましたが、それも一つの選択の方法でしょうけど、「テレビに出まくってる人なんて、実は大したことない人が多い」なんておっしゃる方も中にはいます。金余りのバブルの時代、地方の美術館は競って世界の名画を買いあさっていましたが、音楽の分野でも超一流(かつテレビに出ていて有名?)指向が強いのが行政の方のようです。

もうちょっといろいろ勉強していただいたら、超一流の方でも一般になじみが薄いかたや、地元でしっかりと活動を続けてらっしゃる演奏家の方も多いということはすぐわかると思うのですけどね。一流志向だけでは金もかかるし、なかなか地域に音楽が根付いてこないような気がします。私の近所では、愛知県丹羽郡扶桑町と春日井市に音楽系(舞台芸術系)の学芸員がいます。共に地道に地域の演奏家によるコンサートを企画しています。扶桑町の企画コンサートにこの6月出演しましたが、ほとんど地域の方ばかり100名を超える入場者があってびっくりしました。(リュートソロの演奏会に100名集めるのは結構大変なんです、きょうびは)数年前にも一度出させていただいたことがありましたが、その時以上にたくさんの方が聴きに来ていただきました。他の演奏会も同様盛況とのこと、扶桑町の人口は3万人程度だと思いますので、そのことを考えると、地域への浸透度は相当のものだと言えます。

近隣の行政担当の方も、一発花火とか一流志向とか無関心とかじゃなくて、こういういい例があるんだから、ぜひ見習ってがんばってほしいもんです。




PAのことなど

2006年11月03日 09時58分38秒 | 音楽系
最近条件のよくないところでソロをするときは、PAをよく使います。天井が低く、入り組んだ部屋で、しかも厨房からのハム音付きのレストランで演奏するときなんかはPAはホントにありがたいもんです。

でも最近のギタリストMさんのようにコンサートホールでのコンサートでPAを使うことは私はしません。彼女の場合は売れっ子で2000席超でしかも響きのあまりよくないホールでコンサートをすることもあるでしょうから、それは致し方ないかもしれません。そういうホールだと、お姿も当然小さくなるでしょうから、スクリーンで弾いている姿を写すというのも必要かも知れませんね。そもそも1000とか2000席のホールでギターのコンサートをすることが間違っているとは思いますけど(ギターって、リュートもそうだけど、もっとパーソナルなもんだと思うんですけどね)、現代の音楽ビジネスに組み込まれてしまった以上仕方のないことかもしれませんが、本質的にはあまり幸福なことではなさそうです。

アンサンブルをするときにこそPAは役に立つんじゃないか、って意見もありますが、これもなんか変。クラシックのアンサンブルの楽器で、PA使わなきゃいけない楽器ってないんですよね。リュート系の楽器は大きめのバロックオケでは、テオルボを複数本(3本とか4本)使いますし、私が実際に聴いた例では、バロックオペラのオケでテオルボ2本で十分すぎるくらいの音量で鳴っていました。

電気のなかった昔に書かれた曲は当然PAを当てにしては書かれていません。ソロの場合も会場が音楽専用のホールで完全な静寂が得られるところであれば、音がどんなに小さくても必ず人間の耳の方であわせてくれるので、必要以上に大きな音で弾く必要はない、とはよく師匠が言っていたことです。そのかそけき音をかき消すノイズが出ている場所だと、それはもう物理的に音は聞こえなくなるので、その時にこそPAの出番です。でも考えてみるとPAの出番って、楽器にとって本来の場所じゃない、というかあまり幸せとはいえない場所で演奏するときなんですよね。そう考えると、21世紀って17世紀や18世紀のころよりクオリティが落ちている時代なんかも。

ギター協奏曲のアランフェス協奏曲が書かれたのは20世紀ですので、電気はありましたが、作曲者のホアキン・ロドリゴは多分PAをあてにしては書いてないでしょうね。昔ライブを聴いたことがあるんですけど、バランスは全然だめ、ギターがあまり聞こえませんでした。これって多分オケの人数が多すぎたんじゃないでしょうか。アランフェスのオーケストレーションがすごい薄っぺらな感じがするのは、ロドリゴがギターを意識してあえてそうしたのだと思います。ですからオケの人数もぐっと減らし、かつ小さめにという工夫が必要なんでしょう。バランスをとるためにギターにPAを使うという方法もありますが、なんか本質的じゃないと思います。アクースティック的にバランスをとる方法を考えたら、(要するに弦を思いっきり減らすということですが)管楽器とのバランスが変わり、(もちろんすべての楽器はギターを意識して演奏する必要がありますが)、今まで見えなかった部分が見えてくるんじゃないかと思います。

ヴィヴァルディのリュートとヴィオラ・ダ・モーレのための協奏曲では、弦がミュートをつけることを要求されています。ヴィオラ・ダ・モーレはリュートとならんで音の小さな楽器なので、バランスを考えてのことでしょう。昔から撥弦楽器系はそんなにでかい音は出てませんでしたから。モダンオケのハープだってギンギンに響くわけじゃないでしょ。

リュートが入ったトリオ、ハイドン作曲カッサシオンを今度のリサイタルで演奏しますが、もちろんPAは使いません。相方がバロックチェロとバロックヴァイオリンなので自然なバランスが取れるのではないかと思います。それでも相方には、そうとう加減をしていただかないと無理だとは思いますが、上手にやればすごくバランスの取れた感じで聴くことができるのではと思っています。

新(再?)発見の曲!

2006年11月02日 13時25分30秒 | 音楽系
最近新発見の楽譜が続々と出てきました。でも残念ながらバッハやヴァイスじゃないですよ。自分が若い頃に書いた曲の話ですけどね。(笑)昔はギターを少々弾いていたんですが、曲を作るのは結構前からやってました。というか、ギターを始めて間もなく曲も作るようになったって感じです。15歳くらいのころかな。もちろんまともに作曲の勉強なんかしてませんから、それまでに弾いたり聞いたりしたことのある曲の影響のもとで作っていました。かっこよくいうと、影響のもとで、ということですけど、要はまねをして作っていただけです。

曲はギターの曲がほとんどでしたが、17,8の頃に作った曲をまとめて清書したものがあって、これはちゃんと残っています。それなりにおもしろいといえばおもしろい曲ですけど、ま、中身的には全然大したことはありません。

ギターのための曲を作っていたのは、リュートに転向する頃(23,4歳だったかな)までで、それ以降は全く作っていません。先日とあることから昔の曲をひっぱり出す必要があって、こころあたりがあるファイルを調べてみましたら(これでも結構ものもちはいい方です)出てきましたねぇ。懐かしいギター二重奏曲。4曲もありますねぇ。でも重奏の相方は弾いてくれませんでしたので、結局音になったものは、後日自分で多重録音をして作った1曲だけでした。今でも誰かに弾いてほしい気はするのですが、プロの人に頼むのはちょっと曲がオソマツだし、かといってアマチュアの人では弾けないだろうし・・・中途半端なんですよねぇ。

1曲だけ明らかに散逸した(って別にそれでいいんですけど)曲があるのを覚えていまして、それは私の友人Yの結婚のために作った「フーガ」で、彼の披露宴で演奏しました。短い曲でしたけど、結構まともに書けてたと思っているんですが、そういうのに限ってなくなってしまうんだよな、って思いながらファイルやら楽譜が入っている袋を見ていましたら、何とありました。でもそれは自筆譜ではなくて、自筆のコピーです。なんでコピーだけが、と思い、Yに聞いて見ましたら、自筆オリジナルは彼に渡したそうです。彼によると多分それはまだ持っているそうです。

何か妙にお宝っぽく見えてきた自作「フーガ」、さっそく弾いてみました。これがなかなか難しい。(笑)当時の私の習慣として、運指は最小限しか書かなかったので、どのポジションで弾いていいのかが分からなかったので、読み解くのが大変でした。こうなると人の曲みたいです。何回も弾いていてやっと運指とポジションが分かってきましてなめらかに弾けるようになってきました。でも私は指頭奏法なので、若干迫力に欠けますねぇ。そもそもすでにまともにギターを弾けなくなって久しいですし。この曲を上手に弾いてくれる人いませんかねぇ。あ、楽譜がないからどんな曲かもわかりませんよね。HPで公開しましょうか。