リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

桑名駅前整備計画

2007年04月30日 20時05分19秒 | ローカルネタ
前回のブログで、桑名駅前のことを書きましたら、市の広報に桑名駅前の整備計画のことが書いてありました。きっとこのブログを読んであわてて計画立案発表・・・そんなわけないですね。(笑)

計画によると「仮駅舎」を今のロータリーがあるところの階上(跨線橋上)に持ってきて、北勢線西桑名駅を少し延長して、その新駅舎の近くに持ってくるという案です。そして近鉄線の駅は跨線橋の西側に造り、さらに駅西に広場を作って整備するというものです。
みんな上の方にあがってしまうみたいなんですけど、一階というか地上部分はどうするんでしょうね。地上に建物を建てて、それを駅舎とするのが普通なんでしょうけど、それでは経費がかかるし、JRがウンと言わないのかも。跨線橋上にもいわゆる「駅中店」を作るといいと思うんですけど。例えば電車の終電近くまで空いているコンビニとかスタバみたいな店とかあると便利でしょうね。

それと当然地上から跨線橋まではエスカレータとスロープとエレベータは欲しいところです。

駅前のお店に関しては、もうすでにサンファーレの中にコンビニやらいくつかお店があるので、駅中に作る意味が減っているような感じですが、このあたりの連携はすでにばらばらみたいです。駅中と駅のすぐ前とサンファーレの商業施設をもっと総合的に考えないといけない感じがします。上手く整備されるといいんですけどね。

朝のお散歩

2007年04月28日 13時39分55秒 | ローカルネタ
今日は滅多にしないんですけど、朝の散歩をしました。朝といっても9時すぎですけどね。風も少なく晴れててなんとなくふらふらと出かけました。町内を通って、立坂神社とカトリック教会の間の道を通り抜けます。このあたりは世にも珍しい、お寺とカトリック教会と神社と仏教系の新興宗教の教会がお互い隣接している地域です。うちの町内の隣にあたるんですけど、このあたりは日本人の寛容な宗教観を象徴してるって感じの場所ですね。

昔高校へ歩いた道をたどって、北勢線の立体をくぐって近鉄の踏切へ。踏切をわたってすぐ右折をすると昔通った高校への道ですが、そこには向かわず、馬道の方に行くことにしました。馬道一帯は、戦争による空襲の被害を受けなかったところなので(旧市街から見ると郊外なので、米軍もここには軍需工場はないと見たんでしょう)古い町並みが残っています。

ふと北勢線に乗って桑名駅まで行ってみようと急に思い立ちまして、北勢線の馬道駅へ。下りホームは閑散としていまして、ホームの下ではおっさんが桑名弁丸出しでしゃべっている声が妙に響いていました。桑名駅方向のホームには人が何人かいるので、多分もうすぐ来るんだろうと思い、反対側のホームから時刻表を見ようと、下りホーム自動改札機を通ろうとすると、ガチャンとシャットアウト。やっぱりちゃんと機能してるんですね。(笑)周りがあまりにのどかなので、つい通してくれると思ってしまいました。

仕方がないので、桑名駅方面のホームに入り、時刻表を見たら、あと2分で来ます。これはラッキーですね。で2分待つと、定時に列車はやってきました。乗るのはほんとに久しぶりですねぇ。昔は、北勢線の列車のドアは手動式だったし、連結されている隣の車両には移れなかったんですが、今ではちゃんと一般の列車と同じです。40年くらい昔の話ですが。(笑)

列車は今歩いてきた方向と逆方向に向かい、少し勾配をのぼります。途中、近鉄名古屋線の立体交差があるからです。この立体交差ってあまり詳しくは知りませんが、戦前からのものらしく、私の祖父から聞いた話では、戦中は木炭エネルギーがパワー不足なので、乗客が降りて列車を押さないと坂を上れない時があったとか。ほんまかいな?

立体交差をしてすぐ列車は左に曲がり、近鉄線と平行に走り、西桑名駅に向かいます。40年くらい昔の計画では、この立体を廃止して、手前で左折して近鉄線と平行に走り、桑名駅の一番西側に入るというのがあったようです。でも用地買収ができなかったり、資金不足などで計画は頓挫したみたいで、結局西桑名駅が少し北側に移動したところで今を迎えています。でも今の西桑名駅の出口あたりに、近鉄線やJR線の出口を作る予定で、本来は3つの線がひとつの駅に集結される予定のようでして、今の桑名駅はもともと「仮駅舎」だっったんですが(実際、以前「仮駅舎」とでっかく書いてありました)、資金難か何か知りませんが、「仮」が「本」になってしまって今に至ります。ロータリーも植え込みも作ったんですが、その奥に駅はなく、少し北側にある旧仮駅舎に向かうわけです。何か計画性がなくばらばらに資金を投じているって感じです。ま、そのうち何とかなっていくのかもしれません。

で、そのままウチの方に戻ろうかと思ったんですが、ふとドミニク・ドゥーセのフランスパンを買おうと思い立ち、(私も全然計画性がないですが(笑))店に向かいましたが、あいにくフランスパンが焼き上がるまであと1時間とのこと。うむ、残念。あとはひたすら国道一号線沿いに我が家に向かいました。

ということで、経費160円(電車賃)、所要時間約50分の散歩は終了です。

歯医者

2007年04月24日 22時18分51秒 | 日々のこと
今日久しぶりに歯医者に行ってきました。ここ10日ほど左上の奥歯付近が妙にしみて軽い鈍痛がしています。しばらく放っておいたらなおるかなと思っていたんですが、だんだんひどくなってきましたので、ここいらで年貢の収めどきです。

歯医者が好きな人はあまりいないと思いますが、小さいときの、まだ低回転の機材で歯を削っていた頃の痛さがほとんど恐怖感としてトラウマってます、私の場合。その後、機材が改良されたようで昔ほどは痛くなくなりましたが、でも痛いときは痛いです。

歯医者さんのカルテによると前回言ったのは、平成13年の5月17日でした。確か前回は紙のカルテでしたが、今回は電子カルテでした。待合室にはテレビが置かれ、診療用の椅子にはテレビを写している小さな液晶モニターがついていました。でも患者は見ることはできないと思うんですけど。ひょっとして治療にあたる先生用?(笑)いろいろ変化していて5年間という長さを感じてしまいますね。

この5年間でひょっとしたら歯がガタガタになってたらどうしよう、なんて少し不安がありましたが、レントゲンを撮ってもらった結果では、一カ所小さな虫歯があってそれが痛みの原因のようです。それ以外は大した問題もなく、ブラッシングのたまものですね、って先生にほめられました。(笑)

今日は歯石を取ってもらい、次回から治療に入るとのこと。歯石を取るのは結構痛いもんですが、今日は不思議にも何も痛くなかったです。次回は奥の方の歯石を取るとのことで、次回は痛そうです。連休明けの日の予約をしてきました。

名古屋音楽大学図書館

2007年04月18日 10時45分51秒 | 音楽系
久しぶりに名古屋音楽大学の図書館に行って来ました。去年の6月以来です。ここには、結構いろんなマイクロフィルムがありますが、今回行きましたら、また新しいものが入っていました。ベルリン市立図書館蔵のバッハコレクションです。カンタータや器楽曲など結構ありましたが、39番と198番のオリジナルをコピーしてきました。このバッハコレクションはマイクロフィッシュの形で収蔵されてます。これらはカラーフィルムに収められているのですが、大学のプリンタはモノクロなので、シミのある部分が大変読みにくくなってしまいます。カラーのプリンタを装備して欲しいところです。

39番と198番はそれぞれ新バッハ全集版もコピーしてきました。39番には、タモリの空耳アワーに出せるアリアがあるんですよね。もちろんそれだけがコピーの目的ではないですけど。(笑)

198番はカンタータの中で唯一リュートが指定されているもの。2本のリュートが使われます。この曲は失われたマルコ受難曲のパロディと言われています。バッハは受難曲の中では、ここぞといういい場面でリュートを登場させます。マタイ受難曲の50何曲目だったかのアリアも第1稿ではリュートがオブリガート楽器です。昨年、今村泰典君のリュートでバッハコレギウムが名古屋で第1稿版で、マタイを演奏しました。普通よく演奏される版では、この部分はヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートです。

ヨハネ受難曲でも第19曲目のアリオーソでリュートが出てきます。ヨハネでは普通使われる版でリュートが使われますが、リュート奏者不足?からあまりリュートで演奏することはなかったですが、最近ではちょっと事情が好転しつつあるかも。(日本での話。ヨーロッパでは100%リュートが使われる感じです)このアリオーソは、リュートのことを考慮して、弦はヴァイオリンではなくヴィオラ・ダ・モーレです。モダンオケで、ヨハネを演奏するので、リュートを弾いてくださいなんて頼まれると、ヴァイオリン相手でこの曲を演奏することになります。これはちょっとつらいです。

ことしの4月1日にバッハコレギウムが名古屋でヨハネを第4稿で上演しましたが、この版は件のアリオーソの部分はリュートではありません。昨年のマタイといい、今回のヨハネといい、バッハコレギウムは結構レアなことをやってます。

名古屋音大のマイクロフィッシュ、カンタータ以外も見てましたら、997番もありました。当然コピーです。それと無伴奏ヴァイオリンソナタイ短調の鍵盤編曲版もありましたので、これもコピーしてきました。

それにしても時代が変わりましたね。バッハのオリジナルだと昔は連絡のつきにくい「東ドイツ」の図書館や博物館に照会しなくてはいけませんでしたが、地元の音大で手に入る時代になっちゃいました。もっとも利用者はほとんどなく、というか私とあとこの間のリサイタルで共演したチェロの高橋君だけらしいです、今のところ。オリジナルの資料に興味のある方はぜひ行ってみたらいかがでしょう。年会費2000円、それ以降の更新料年間1000円払えば誰でも閲覧とコピーができます。ただ、コピーは著作権の関係で制限がありますので、そのあたりはご留意のほどを。

パン切り包丁

2007年04月17日 08時48分32秒 | 日々のこと
パンはあまり食べない方ですが、食べるときは大抵フランスパンです。近所にあるドミニク・ドゥーセのフランスパンがおいしいですね。名古屋駅前にあるPaulというパン屋もなかなかおいしいパンが売ってます。どうも最近スーパーで売っているパンはもっちりふかふか傾向が強くて、どうも食事として食べるのにはアゴの抵抗感がなさすぎます。

パンがもっちりふかふか傾向になっているのは、どうも日本の伝統的な食感から来ているのかも知れません。「和菓子」のカステラは、やはりもっちりふかふかした感じですが、ヨーロッパから伝わった頃はもう少しぱっさりして固かったのではないでしょうかねぇ。ヨーロッパのケーキで、日本のカステラみたいな食感のものってないですから。ま、あまりそっちの方に詳しいわけではないんですけどね。いやいやそんなことはない、って声も聞こえてきそうです。(笑)

先日もドミニク・ドゥーセのフランスパンをパン切り包丁でいつものように切っていました。一切れ切って、もう一切れを左手の上で切ろうとして、指で包丁の先を感じながら切ろうとしたら、いてててて!指まで切ってしまいました。ええ、パン切り包丁って、指は切れないものだと思ってたもんですから、指で包丁を触ったんです。あまり経験は豊富ではないんですが(笑)、今までに知っているパン切り包丁って、指が切れるほど先端が細くなかったんですよね。で、うちにあるパン切り包丁もてっきりそういうものだと思いこみ、今まで使ってたんです。そう思いこんでいたら、いちいち刃先なんて見ませんよね。切れるはずがないと思ってた包丁で左手人差し指をやっちまったもんですから、血がどっと出てきました。刃先を確認すると、なるほどこれは切れる!

あわてて指先をしゃぶり、傷口をくっつけながらバンドエイドを巻きました。こういうときにこそ、高機能バンドエイド(ばい菌、水は通さず、かつ蒸れない)を買っておいてよかったと思いました。結構深く切った感じでしたが、すぐくっつけたので、その出血はすぐ止まり、バンドエイドをしたままなら、別にリュートを弾くのも支障ありませんでした。切ったハナは血がたくさん出てきて指先もジンジンと痛かったんですが、処置が早かったから(1分も経たないうちにバンドエイド完了でしたから)よかったんでしょうね。今日で5日目ですけど、もう完璧になおってます。いやぁよかったです。これからはパン切り包丁には気をつけましょう。

男たちの大和

2007年04月10日 14時55分24秒 | 日々のこと
テレビの日曜洋画劇場で「男たちの大和」を見ました。公開されたときに見に行こうかなと思ってたんですが行けずじまい、DVDがその後で出たので、そのうちに買おうかなと思ってたんですけどね。テレビっていいですね。(笑)

私は何を隠そう第二次大戦機の大ファンで、オタクってほどじゃないんですけど、ロンドンまでわざわざ旧陸軍の五式戦闘機を見に行ったくらいです。(そのときはさらに足をのばし、ヘンドン(だったかな)まで足を伸ばし、百式司令部偵察機まで見てきました。

船の方は飛行機ほど好きじゃないんですけど、映画で大和そのものがどんな風に描かれてるかな、というのが一番の興味でした。でも映画自体はあまり大したもんじゃない感じでしたねぇ。もっと重いテーマを追求したものかと思いましたが、そうでもないし。戦艦大和って2000人とか3000人乗務員がいる、一大コミュニティのはずですよね。船の中にはとてつもない巨大なメカがあったわけだし。でも映画を見てると、大和のごく一部しか映らないし、乗務員も20、30人しかいないような印象でした。ええ、確かにすごい人数が甲板に並んでいる絵はあるにはあったんですけど、何かそれは単なる絵という感じで、乗務員がそれぞれの役割を担い、それでもって動いている戦艦大和って感じが伝わってこなかったのは残念ですねぇ。

それから細かいことですけど、バスに乗るシーンで、そのバスが4つ目のいすずボンネットバスでした。フロントグリルがそのまんま。(笑)一瞬ですけど、そのあたりに違和感を感じてしまうんですよね。そのタイプは私が子供の頃は走っていたし、それに確か比較的新しいタイプ(最終形だったかも)なんですよね。あと、仲代さん演じる晩年の生き残り水兵の敬礼の仕方が、大和に乗務していた頃と違います。いくら年を経てもそんなはず絶対にないですよね。出来のいい映画はこういうディーテイルにも徹底的にこだわるもんですけど、このあたりに手抜きがあるこの映画、そこら辺にころがってるB級娯楽作品と見ました。同じ娯楽作品でも宮崎アニメなんか徹底的にディーテイルにもこだわってます。やっぱり違います。

レオナルド・ダ・ヴィンチ展

2007年04月06日 09時11分33秒 | 日々のこと
東京国立博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展に行ってきました。新聞やテレビで結構宣伝されているので、ちょっと時間的ゆとりがある今のうちに行ってこようと、格安バスに飛び乗りました。今回は夜行で行って夕方帰って来るというパターンです。朝は6時前に着きましたが、東京ドームの裏手にあるラクーアという温泉に直行して「旅の疲れ」を癒しました。往復バスというのはどっちみち疲れますが、夜行→温泉→見物→深夜帰宅のパターンの方が楽みたいです。ちなみに、バス代は往復5800円です。

さてダ・ヴィンチ展ですけど、一口でいうと「受胎告知」一枚だけで展覧会をやったって感じですね。第一会場に、受胎告知がでーん。第二会場にその受胎告知の解題やら彼の残した科学デッサンから起こした模型やら彼の生涯やらについての展示がありました。サブタイトルに「天才の実像」とあるのでダ・ヴィンチその人にスポットをあてるのは当然なんでしょうけど、もう少し時代や同時代人のことを知りたかったですねぇ。

第一会場の受胎告知は、三重の額縁というか飾りで笑ってしまいました。一番外は赤い色で、そこまでしなくてもって感じでしたけど、そんなこと思ったのは私だけかな?さりげなく展示してくれればいいのに、これでもかー、って感じはちょっとねぇ。でも博物館も苦労があるんでしょう。独立行政法人になって、要するにカネを稼がんといかんですから。

みなさんにわかりやすくして、たくさん宣伝して、たくさんの人に入っていただき、たくさんもうけさせていただく、という構図が見える展覧会でしたが、こういう方向に突き進んで行きすぎると、長い時間がたって、結局は芸術の衰退を招いてしまうような気がします。価値の高いものって、辛口で、敷居が高く、人をこばむようなものも多いと思うんですけど、ま、それをわかりやすくするというのは博物館の使命のひとつでしょう。でもそっちばっかしに振れてしまうというのはどうかなと思うんですよね。今の時代、いろんな側面があって、なかなか難しい問題ではあるでしょうけど。

エイプリルフールネタ

2007年04月02日 13時55分57秒 | 音楽系
ことしもいつものように(笑)エイプリルフールネタを考えましたが、いかがでしたでしょうか。ちょっと専門的なことに振りすぎた感があって、あまり面白くなかったかも知れませんが・・・

一応ネタばらしを。まずウィーンリュート協会というのはありません。リュート関連のメイリングリストはありますが、その投稿自体はは虚構です。あとボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソビッチ研究員という人は架空の人物です。ちなみにこの名前は大相撲の露鵬関の本名です。でもあとの記述、たとえばバロンの著書からの引用の内容とかボラーゾフ以外の人物などは全てホンモノです。

今年は、このネタでコンサートをしました。(名古屋市北区大曽根のミューズサロン)タイトルは、「リュート音楽のひととき4、「不実な女の真実!」)虚実入り交じったプレゼンをしながら、演奏を進めていきましたが、途中自分で言いながら思わず吹き出しそうになりましたが、かろうじてもちこたえました。(笑)演奏曲目は、バロンの組曲ヘ長調、ジャック・ドゥ・サン・ルクのオイゲン公の帰還、シャコンヌ、ヴァイスの「L'infidele」でした。

だんだん大がかりになってきましたが、来年はまた原点に戻って・・・(笑)

L'infideleの新事実!

2007年04月01日 01時40分30秒 | ウソ系
リュートのメイリングリストの投稿を読んでましたら、新しい文献的な発見についての記事がありました。現在、投稿者と記事に出てくる研究者にメイルを出して詳細について紹介中です。事実だとするとすごい発見ということになりそうです。

以下はその記事の日本語訳です。

18世紀前半の音楽シーンを伝える貴重な文献、E.G.バロン著「リュートの歴史的研究・・・」の記述を裏付ける資料が新たに発見された。「リュートの・・・」は音楽理論、歴史、ジャーナリズムを統合する大変貴重な文献であるが、その第六章後半部にある次のくだりに大変興味深い記述がある。

「・・・この点ではウィーン占領をリュート用に作曲したある人(彼のことはもちろん快く思っているのだが)の方がまだましだと言える。パッセージの上には細かく書き込みがある。「ちょうどここで大砲が轟く。ここで傷付いたトルコ人が吼える。ここで彼らは打たれ、敗走する。等々。」」

この記述の「ある人」が誰であるか、またその曲はどんなものなのかは長く不明のままであった。

オーストリアのウィーンリュート協会に所属する、ボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソビッチ研究員が、2007年に発表の最新論文でこのことに言及している。ボラーゾフによれば、この「ある人は」S.L.ヴァイスで、その曲というのは、「ランフィデル」であるという。ボラーゾフはドレスデンにあるMUS2841写本の「ランフィデル」をX線解析し、そこに「大砲が轟く、ここで傷付いたトルコ人が吼える」などの記述があるのを発見した。この発見で、研究員は、「ランフィデル」というのは一般的に言われている「不実な女」という意味ではなく、「不実なる者」と訳すべきで、宗教的に「不実」である異教徒トルコ人のこと指すという。ヴァイスが1721年にロジー伯の葬儀でプラハを訪れたときに、同地にあるフィリップ・ドゥ・サン・ルクの作品を収めた写本を見る機会を得た。そこにサン・ルクが作曲した、オスマン・トルコとのウィーン攻防戦を描いた曲に触発されて、作曲した可能性が高いという。

注)ボラーゾフは旧KGBに所属していた異色の音楽学者。最新テクノロジーを使った資料解析が得意。http://www.kusobicchi.com