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リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

サム・アウトサイドかサム・インサイドか(3)

2025年07月12日 12時08分19秒 | 音楽系

日本は情報の最果ての地ですから、一旦入った情報の「つづき」が来ないとその古い情報がずっと残ってしまいます。当時入った情報は、実は古楽黎明期の情報にすぎずその後成熟期に至るまで絶えずアップデートされて今に至っています。

リュートだけでなく古楽の分野はそういう意味では他の分野と比べて少し特殊であると言えます。奏法や楽器に関しては研究が進んで大きく変わってしまっている部分もありますので、役に立たないことが出て来ます。

ただすべてがそうであったわけではなく、楽譜に関する一次情報は何も変化がありません。例えば当時集めたオリジナル楽譜のファクシミシリ資料などは50年前に入手したものでもそのまま使えます。私が1976年に約450年前の楽譜としてデン・ハーグのヘメーンテ博物館で見せてもらった「エル・マエストロ」は現在約500年前の楽譜になっただけで中身は何も変わっていません。ただ同じ楽譜でも2次資料以降の楽譜は使えないと考えておいた方がいいでしょう。それはあくまでも一次資料に限った話です。

70年代後半同じく黎明期であったコンピュータの分野でも私はいろいろプログラム言語を独学で学んでいましたが、その時の資料は今では全く役に立ちません。ところがリュートや古楽関連の資料は何も古くならず(もともとが古いものだけに)現在も使っています。これは古楽をやっていて得をしたと感じるところです。


サム・アウトサイドかサム・インサイドか(2)

2025年07月11日 16時30分50秒 | 音楽系

昨日の「とりどりのリュート曲撰」における奏法の記述は、ジャン=バティスト・ブサールの論文をロバート・ダウランドが「とりどり・・・」で英訳したものからの引用です。ブサールはこの論文を自らの著書「テサウルス・アルモニクス」の巻末に掲載しています。言語はラテン語でロバートがそれを英訳したわけです。(それを更に私が和訳したのですが)

ブサールは1567年生まれ、1625年没ですので16世紀後半から1700年代始めの頃のリュートテクニックを示していると考えていいと思います。

すなわち右手は基本サム・アウトサイド、条件によってはサム・インサイドもいいかな、という感じですね。

しかし1970年代にミヒャエル・シェーファー氏が来日してルネサンス・リュートはこう弾くのだとサム・インサイドを指導した結果、年配の愛好家の方はルネサンス・リュートは絶対にサム・インサイドで弾かなければいけないと思い込んでいる方も多いのではないかと思います。


サム・アウトサイドかインサイドか

2025年07月10日 09時43分17秒 | 音楽系

バロック・リュートでは大多数の人がサム・アウトサイドで演奏します。サム・アウトサイドというのは右手の構え方のひとつで、親指を他の4本の指より外側に出して弾く弾き方です。

それに対して親指を他の4本の指の内側に入れて弾く奏法をサム・インサイド(奏法)といいます。ルネサンス初期~中期はこの奏法が多かったようですが、後期ではサム・アウトサイドに移行していったようです。

ロバート・ダウランド著の「VARIETIE OF LUTE-lessons (邦訳:とりどりのリュート曲撰)」でこのことに言及している部分があります。

まず小指をリュートの表面板に乗せて下さい。位置はロゼッタの方ではなく少しブリッジ寄りです。そして親指をできる限りまっすぐ伸ばして、親指が短い人の場合特にしっかりと、他の指が握りこぶしのようになるようにします。そしてはじめは難しいかも知れませんが、親指が他の指の上にくるようにします。

この記述はサム・アウトサイド(奏法)を表しています。まだ続きます。

しかし親指が短い人は親指を他の指の下にして弦を弾いている人のまねをするといいかもしれません。その奏法はあまりエレガントではないかもしれませんが、親指が短い人にのっては都合のいいものです。

この記述はサム・インサイドのことを言っています。要するに今はアウトサイドの方が主流だが親指の長さの都合でアウトサイドがやりにくい人はインサイドでもいいよ、ということです。

現代の人がルネサンス・リュートを弾く場合もどちらでもいいということです。少なくともルネサンス=インサイド、バロック=アウトサイドというものではありません。ルネサンスをインサイドで始めてみたけどアウトサイドにしてみたら意外とスムーズに出来たという人はアウトサイドに転向してみるのもいいかも知れません。

指導する側からするとどちらかに決める必要がありますが、私は指の長さと動きを見ることと、将来アーチ・リュートやバロック・リュートを弾くつもりの有無などを聞いて総合的に判断しています。


弦も交換

2025年07月08日 22時25分57秒 | 音楽系

ルネサンス・リュートのフレットを交換したついでに弦も交換しました。

2コースのナイルガット弦(NG52)が気持ち若干音程不良で、音程の一致点が少なかったからです。折しもガムート社からナイロンの0.58mmの弦が届きましたのでそれを使ってみました。

ところが音程が揺れ動く弦ばかりです。2本の複弦の音程一致点なしで、複音のハーモニカみたいになってしまいます。こういう二本をできるだけ近いところで合わせる、つまり一番マシなところで合わせるのはストレスがたまります。結局6本使いましたが全部ペケでした。まだ元のナイルガット弦の方がまだましなのでそちらに戻しました。

バロックに使っているガムート社の0.52mm、0.44mmはそういった弦はほとんどないのですが、0.58mmは以前もありまともなのは今のところはないです。ちなみにAttiorbatoに張った0.46mmと0.60mmは問題なかったのでどうも0.58mmだけの問題のようです。Gamut社に一度尋ねてみようかと思います。

 

 


ルネサンス・リュートのフレット交換

2025年07月06日 11時05分54秒 | 音楽系

19日の本番に向けてルネサンス・リュートのフレットを交換しました。前回換えたのは2023年の秋でしたが、ルネサンス・リュートを使ったコンサートはそのとき以来です。

モーリス・オッティジェー2006年作のルネサンス・リュートは弦長が57cmでとても短いです。フレットを巻くときは本来の位置よりナット側で巻いておいてブリッジ側に下げることによってタイトにします。これはネックにテーパーがついているので出来る技です。

今のクラシックギターなんかはネックのテーパーがほとんどついていないのでこの技は使えませんが、そもそもクラシックギターは金属打ち込みフレットなので巻きフレットは要らないのでした。

弦長が短いと1フレットの距離も短いので、最初から強めに巻かないといけません。前回巻いたときにそれほど強めに巻かなかったこともあり9本のフレットは半分くらいはユルユルになっていまいした。今回はそうならないように始めによりきつめに巻いてからブリッジ側に下げました。弦長64cmのアッティオルバートや70cm超のバロックやテオルボのフレットを巻くのときは始めにそれほどきつく巻く必要がないので楽なんですが。

一番難しいのは1フレットです。これはどのタイプでも共通ですが特に弦長の短い楽器やネックがまっすぐ型の楽器の場合締め上げるのがなかなか大変。今回も上手く締まりませんでしたので爪楊枝を1本はさんでおきました。


ときめきフェスタ2025

2025年06月28日 20時12分17秒 | 音楽系

クラシックギター愛好家の合同演奏家、「ときめきフェスタ2025」を聴きに行ってきました。

会場は岐阜県瑞穂市総合センターあじさいホールです。ウチからこの会場へは長良川堤防道路をひたすらまっすぐに行くだけで行くことができます。距離は41kmあり名古屋に行くよりずっと遠いですが、国道一号線中堤信号を超えると信号はわずか4つしかないので1時間足らずで到着します。

会場へは10分ほど遅れて到着しましたので、最初のひとりは聞き逃しました。

今年は参加者が30人足らずで少し寂しい感じでした。数年前だと三重県側からの参加の方も数人以上いたように記憶していますが、今年は四日市から1組と一人の参加だけでした。

孫達が参加させて頂いているアマチュア音楽発表会にはそれこそ老若男女が一杯参加しますが、この会は高齢化が進んでいて若い人の参加が全くありません。

演奏レベルは結構なレベルの方もいらっしゃって聞き応えがありましたが、中には私から言うのもナンですが人前で弾いてはいけないレベルの方もいらっしゃいました。

レッスンをしたことがある人何人かと少しお話をして、前半で会場を出ました。本当はもうお一人そういう人がいましたが、コンサートをキャンセルされた由。

出演される方次第ですが、来年は来ないかも知れません。

 


弦が届きましたが…

2025年06月26日 20時37分34秒 | 音楽系

ドイツのサイトに注文してあった弦が早くも到着しました。発注したのが18日でしたから8日で届いたわけです。国内の店で売っていたとしても多分そのくらいかかるでしょうに。(でも国内の店では扱っていません)

期待していたのが「サトウキビ弦」、早速張ってみましたが、もう弦以前の話でそもそもツルツルしすぎて右指から高音のノイズが出まくって使えません。クラシック・ギター用の表面研磨が全くない弦でもここまでのノイズはでません。本来はハープ用として売っているものですが、ハープの人はこの弦でノイズが出ることはないのでしょうか。この弦はボツです。

気を取り直して今度は本来使う予定のナイルガット弦(NG56)を2コース(Attiorbato )に張ってみましたが、これがことごとく振動も音程も不良!購入した4本全てペケでした。これってどうなってんでしょう。1コースは手持ちの古い初期のナイルガット(白くて研磨してあります)を張ってみましたが、こちらはまぁまぁです。それに合わせようとナイルガット弦を購入したのですが。

今回購入したナイルガット弦は今まで見たことがないタイプでした。これが最新のモデルになるのでしょうか。最近ナイルガットはずっと使っていないのでよくわかりません。初代が白色で2代目がガット弦色、そして今回購入したナイルガットは色はガット弦色ですが、表面の処理が異なっています。

そういやある若手奏者がナイルガット弦は初代が一番良かったと言っていたのを思い出しました。何か代を経るについて悪くなっていくのか?

結局2コースには、手持ちの2本のガムートナイロン0.58mmのうち1本は使えましたのでそれを張りました。もう一押し精度が欲しかった弦ですがもうストックがないので使うことに。それでも今回購入した弦と比べたらずっとマシです。やはり細い弦はガムートナイロンにしておくのが無難です。ガムートでもペケ弦はありますが、8本連続ペケみたいないつぞやのピラミッドナイロン弦みたいなことはありません。

 


Song Lessons

2025年06月25日 15時33分20秒 | 音楽系

今日は待ちに待った歌のレッスンの日です。来日中の孫達のうち一番下が歌が好きで教会でよく歌わせてもらっています。声が生まれたときからよく出る子で、こちらに来たときに私がよくコンサートにご一緒させて頂いているソプラノの増野友香さんにレッスンをお願いすることになっていました。

1時からのレッスンでしたが増野先生には少し早めにお越し頂いて、少し顔なじみをしました。実は You Tube で私が増野さんと演奏しているクリップを見て歌っていたので、孫の方は増野先生をよく存じ上げています。

Sally Gardens (You Tube)

増野先生とレッスン中の様子です。

初めは少し緊張気味のせいかえらく興奮していましたが、先生の的確なアドヴァイスを得てとても上手になっていきました。母音を膨らませて歌うことや力を抜いて息を吸い込むことなど細かいことを教えていただきました。さすがに英語の発音の問題はありませんでしたが、この分は得をしていますね。(笑)

さてこれで今年のクリスマスコンサートで上手に歌えるようになるでしょうか?


日本のうた~心から心へ~その6

2025年06月23日 15時46分46秒 | 音楽系

名古屋の声楽会の重鎮、佐地多美さんのコンサートに行ってきました。会場は先月の私のリサイタルと同じHITOMIホールです。

今回は車ではなくJRに乗って行ったのですが、最寄り駅の千種駅からは意外と遠いのは新発見です。ここでは何度もコンサートをしているのですが、実は会場に公共交通機関で行ったのは初めてです。皆さんこれだけ歩いて来ていただいているのだなと改めて感謝した次第です。

大通り(広小路通り)にはこの様な案内表示がありました。HITOMIホールはこの通りを一本北(写真左側)に行った道筋にあります。

さてコンサートですが、最近はずっと日本歌曲を中心にリサイタルをされている佐地さん。シリーズ第6回になる今回はテノールの高津佳さんとピアノの橋本恵美さんとの共演で中田喜直、木下牧子、別宮貞雄、湯山昭らの作品を演奏しました。佐地さんも高津さんも私よりずっと上の方ですが、年齢を感じさせない演奏に感服いたしました。プログラムの中でも「さくら横ちょう」(加藤周一作詞、別宮貞雄作曲)が圧巻でした。

佐地さんとは今までも何度かご一緒させていて来ました。直近ではコロナ禍の真っ最中の2021年3月電気文化会館でした。また来年もご一緒させていただく計画があります。近付いてきましたらまた当ブログでまたご紹介したいと思います。


ジョスカンはいつまで流行っていたか

2025年06月22日 10時26分05秒 | 音楽系

ジョスカン・デ・プレは1450年代生まれで没年は1521年、フランドル楽派を代表する大作曲家です。フランスを中心とする地域だけでなくイタリアでも活躍したことが知られています。

中世リュートの大家クラウフォード・ヤング先生(通称ボブ)のもとで勉強していたときはもう少し前のブルゴーニュ楽派の作曲家を中心に勉強していましたが、ジョスカンにも手を伸ばしていました。

当時彼の作品はヨーロッパ中に広まっていて、ピレネー山脈を越えた辺境の地?スペインのヴィウェリスタたちにも広まっていました。ナルバエス(1538年出版)の「皇帝の歌」はジョスカンの「無量の悲しみ」のソロ用バージョンだし、ムダーラ(1546)も有名なファンタジアの前2曲はジョスカンの作品です。

1554年のフェンリャーナの曲集にはジョスカンの作品が何曲か見受けられますが、少しあとに出版されたエステバン・ダサ(1573)の曲集ではもうジョスカンの作品はありません。

ヴィウェリスタ達の作品に出て来たのはもうすでにジョスカンが死んでから何年か経ってからですが、それからまだ数十年はスペインでは流行っていたということになります。でもさすがに16世紀後半のダサの時代になるともう忘れられてしまった存在だったということでしょう。

1599年にヴェネツィアで出版されたモリナーロの曲集にはもうジョスカンのジョの字も出て来ません。この曲集では声楽の編曲は少ないですが、クレキヨンとかラッソなどの作品の編曲が見られます。彼らはモリナーロと同時代人です。

ちょうどこの時代に日本人の使節がヨーロッパに来ていますが、さすがにもうジョスカンの音楽を耳にすることはなかったでしょう。