リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

スイス「里帰り」記(18)

2007年06月30日 13時03分52秒 | 音楽系
バーゼル滞在最終日の11日、プレディガー教会に月例バッハカンタータコンサートを聴きに行きました。このコンサートは無料(お布施は求められますが)ということもあってか大変人気が高く、時には椅子が足りず立ち見客であふれかえるというときもありました。立ち見は疲れるので30分前に着くように行くことにしました。

教会に近づくにつれて、もう何人かの人がぞろぞろ連れだって教会に向かっていくのが目に入りました。この教会はライン河のすぐ近くで、先年改装が終了したバーゼルイチのホテル「ドライ・ケーニゲ(ル・トゥロワ・ロワ)」からもほど遠くないところにあります。ここはまたジルバーマンのオルガンがあるということでも知る人ぞ知る存在です。入り口では小さい女の子がプログラムを配っていましたが、いつも時間ぎりぎりに行くことが多かったので、プログラムをもらったのは実は今回が初めてでした。教会の中はもう結構人が入っていていい席はなく、横の方しかあいていませんでした。うーむ、やはり1時間前からこないとあかんかったか。

今回の演目は75番と167番。75番は2部構成の大規模な曲ですが、対照的に167番はいきなりテナーのアリアから始まり、アリアはあと二重唱曲がひとつだけというこぢんまりした曲です。以前バーゼルにいた頃にも楽器の編成については書いたことがありましたが、ここのカンタータ演奏は基本的に各パート一人です。すなわち、ヴァイオリンⅠⅡヴィオラが各1名、通奏低音群(チェロ、ヴィオローネ、オルガン、ファゴット、チェンバロ)が各1名(ここにテオルボが3回に1回くらいは加わります)、ソプラノ・アルト・テナー・バス各1名(この4人がコーラスも兼ねます)、あと管楽器(今回はオーボエ、オーボエ・ダ・モーレ、オーボエ・ダ・カッチャ、トロンバ)が入りまして、今回は総勢15名で演奏します。

スイス「里帰り」記(17)

2007年06月29日 11時25分01秒 | 音楽系
私はちょうど真ん中のやや後ろよりの席でしたが、スヴェンのテオルボの音はよく聞こえてきました。ただ、彼はあまり和音を弾かずにというかめったに和音を弾かずに主にバスのラインだけを弾いていました。ヘンデルやバッハみたいに低音の動きが多い曲だと、テオルボで和音を弾きながら全てのバスを弾くのは実際上困難です。そこでどういう方法をとるかは、リュート奏者によって異なってきます。今夜のスヴェンみたいにほとんどバスのラインを弾くのに主眼を置く人と、バスは場所によっては経過音を省いて演奏して、和音や旋律をできるだけ入れていく方向の人とあります。技術的には前者の方が簡単ですが、それでも同じ左手4本の指でチェロは低音のラインのみを弾いているわけですからそれでも充分大変です。後者はそこにさらに同じ4本の指で和音の分を押さえなければらないのですからさらに大変なのはご理解いただけるでしょ?私の場合は、大変なのを承知で後者の方法をとっています。というのはリュートの音ってもともと小さいので、いくら大型のテオルボでバスのラインを補強したところであんまり補強にならない感じがするんですよね。それよりもより多くの弦をはじいた方が(いい形の和音をいいタイミングで)効果的だと思うんです。実際スヴェンも何カ所かでは和音を弾いていて、それが意外とよく通っていたので、もっと沢山和音を入れたらよかったのにと思いました。

コンサートは夕暮れ時から夜にかけて行われたこともあり、始めはステージに夕日がさしてそれが照明の代わりになっていて、次第にそれが中の照明にとって替わられていきました。すっかり夜になったころにはオラトリオもクライマックスを迎えました。この公演は明日もここで行われますが、私は明日はプレディガー教会のバッハカンタータを聴きに行こうと思っています。それにしても歩いていけるところでこんなコンサートが頻繁に開かれているというのは、バーゼル市民がうらやましいです。この点に関して彼我の差は大きすぎますね。そういやバーゼルから電車で10分くらいのリースタルというとこで行われていたヴィヴァルディのコンサートはヘンデルとかぶってて結局は行けませんでした。ヴィンセントのコンティヌオも聴きたかったんですけどね。ヴィンちゃん、ゴメン!

スイス「里帰り」記(16)

2007年06月28日 10時45分58秒 | 音楽系
モーリスのところに早くでかけたおかげで、バーゼルに早く戻りました。今日の夜7時30分からマルティンス教会でヘンデルのオラトリオがあります。実はそれを聞くために、早めにモーリスのところに出かけたのでした。(笑)

こちらに来た翌日にマルティンス教会に出かけ、コンサートをチェックしておきました。到着したその日にもコンサートがありましたが、これは残念ながら行けませんでした。それに古楽でもなかったし。

このマルティンス教会はよく有料のコンサートを開くところで、もうほとんど貸しホール状態です。今回はヘンデルのオラトリオ「アタリア」が出し物です。オケは地元の古楽オオケ、カプリチオ・バーゼル、コーラスも多分地元でしょう。ソリストは各国から来ていましたが、プログラム・ノートのよりますとソプラノのお姉さんはバーゼル在住とのことでした。あとカウンターテナーのお兄さんはスコラにいましたので知っています。

こっちの古楽オケではごくふつうにテオルボ奏者がいますが、(バーゼルで聴いた古楽オケのコンサートでテオルボがなかったのは記憶にないくらい)今回テオルボを担当するのはスヴェンでした。彼はホピーのクラスではないんですがスコラでリュートを勉強していました。彼は歌がものすごく上手でしたが、今日はさすがにテオルボだけでした。

スイス「里帰り」記(15)

2007年06月27日 10時36分26秒 | 音楽系
本日6月10日はバーゼル駅にとって記念すべき日です。駅では今のバーゼル駅舎ができて100年を記念するのぼりやポスターが見られましたし、跨線橋上では列車の車窓を模した特設ヴィデオ劇場までありました。駅前の特設ステージでジャズの演奏もありましたよ。そして10日からバーゼル・パリ間をあのTGVが走るようになります。朝モーリスのところに行くときに、しっかりとTGVを見ましたよ。ええ、ちゃんと来てました。

駅のポスターには「10日からバーゼル・パリ間3時間半、一日4便、32フランから」って書いてありました。この32フランからってのが気になりますけど、まさか運賃が32フランということはないですよねぇ。特急料金だけの値段とか、一日先着5名様だけの値段とか。(笑)

今まで6時間かかってたのが、その半分強になるわけですから、これで格安航空会社Easy Jetのバーゼル・パリ間は微妙になります。モーリスにその話をしたら、何でもEasy Jetのバーゼル・パリ間は廃止になるとか。

バーゼルにはドイツ特急のICEも乗り入れていますから、世界の2大高速鉄道の二つが来ることになります。日本の新幹線はまだ来ないようですが。(笑)もっともドイツのICEもバーゼル・フランクフルト間は線路が古いので実は全然高速ではなく、時速100キロ台のスピードです。まぁ、近鉄アーバンライナーと大差ありません。TGVも是非乗ってみたいですね。1日四便で3時間半ですからパリへの日帰りが可能になったわけです。いやぁ世の中どんどん変化していきます。そういやバーゼルの駅南(ウチの下宿はそこからゆっくり走って1分、スプリンターなら15秒くらい)にも大きなオフィスビルが2009年までにできるって看板が。今度か次の次くらいにまた来るときには大きく変わってるんだろうな。

スイス「里帰り」記(14)

2007年06月26日 11時40分15秒 | 音楽系
昼食はさっきのベランダで奥さん、それにインドネシア在住で一時帰国中の息子さんと4人でいただきました。モーリスにはもう一人息子さんがいらっしゃって、彼はベルンに住んでいる由。

私たちが食事をしている背後から何やらチェーンソーみたいな音が聞こえてきます。周りがのどかなのでこの音すらBGMみたいに聞こえてきますが、モーリスの話では隣の若い衆が一人で家を造っているらしいです。よくがんばってやってるので結構早いテンポで進んでいるとのことです。そういや来るとき、いくつかのお宅でおじさんがセメントをこねていたり何かを作っていたりしているのを見かけました。こっちの人はマメなんですねぇ。

食事中の話の中で、昨日バーゼルで降った突然の豪雨の話が出てきました。

昨日8時過ぎに、出かけていて駅に戻り、これからリコーダーの学生のディプロマ・コンサートに行こうと駅を出たときです。上空に真っ黒な雲があり、雨もポツリ、ポツリ。このあたりの判断は微妙ですが、一般的にこっちの雨は粒が小さいので降られても大したことはありません。ので、このまま行こうかなと思ったんですが、雲の厚さが尋常じゃなかったのでやはり引き返すことに。途中駅のスーパーで水を買って跨線橋に上がって驚きました。外は土砂降り!スーパーで買い物をしている間に突然降ってきたわけです。スイスでこんな雨はきわめて希です。いやぁ、あのまま出かけてたら途中でえらい目に遭うところでした。実に的確な判断をしたわけです。(笑)でも駅からは出られず結局駅の一角の椅子に1時間くらい座って雨が収まるのを待っていました。駅からウチまで走ったら1分もかからないのですが、あれだけの雨量だと5秒もあればずぶぬれになっていたでしょう。

その雨の話をモーリスにしたら、ル・パコでは全然降ってなかったそうです。でもバーゼル付近の大雨の話はニュースでやっていたそうで、何人か死者が出たらしいです。うーん、やはり異常気象なのかなぁ。そういや私がこちらに来る前の週はものすごく寒かったそうで、ウチの大家さんなんかストーブに火をいれたとか。日本もこっちに来る前、すごく暑かったですが、どこもかしこもお天気が変です。

スイス「里帰り」記(13)

2007年06月25日 13時49分09秒 | 音楽系
シャテル・サン・ドゥニに着きましたがこちらのもくろみははずれ、モーリスはまだ来ていませんでした。もうちょっと早めに電話すればよかったかなと思って、帰りの列車の時刻表を眺めていたら、モーリスが現れました。相変わらず元気そうでした。彼の家に到着してまず外のベランダでコーヒーをいただきました。空は晴れ渡り、非常にさわやか。いつきてもここは空気がおいしいです。明らかに空気の成分が相当異なり、味を感じます。日本からバーゼルに到着したときでも空気がきれいだと思いましたが、バーゼルと比べるとまた一段とおいしい空気です。こんなきれいな空気を吸って誕生した楽器が日本の空気の中で生活するのはちょっとかわいそう!?

ちょっと一服のあと、早速新作の楽器を見に、階下の工房に。中に入ると、左方のテーブルの上にそれは置かれていました。手にとって、こちらに来て暗譜したヴァイスの曲を弾いてみました。(時間があったので、楽器なしでヘ長調のブレとクーラントの暗譜に精を出してました)私の楽器と比べると、音がより明るくバランスも申し分ありません。トーンの違いはボディの形状の違いから来るんでしょう。Kさん用のこのバロック・リュートはクリスチアン・ホフマンの楽器を元にしていて、私のものと比べるとより細長で幅狭で、断面はより真円に近いボディです。ペグの調子は大変よく、何回もの調整を経てやっとスムーズに動くようになった私の楽器と比べると大いに改善されていました。ペグはモーリスが自分では作っていないので、これはペグ職人の問題なんですが、実はあとから聞いた話では、いつものベグ職人さんが突然亡くなったんだそうです。それで急遽お弟子さんが製作してモーリスに納めたということでした。ということは師匠よりも弟子の方がいい仕事をするということかな?

スイス「里帰り」記(12)

2007年06月24日 13時43分45秒 | 音楽系
さていよいよ本日はモーリスのところに楽器を取りに行く日です。3日に到着して今日でちょうど一週間、もうすっかりスイス生活に体が戻ってしまっていますが、今回はちょっとはやめに出かけることに。モーリスのところに行くときは大体10時か11時の列車に乗って行くんですが、今日は8時の列車に乗りました。毎時00分にジュネーブの方に行く急行がありますが、これだと列車の接続が大変スムーズです。モーリスはル・パコという、レマン湖の北方20キロくらい(多分)に位置する田舎に住んでいます。そこに行くまでには、ベルンで乗り換えてパレジューというところで下車、そこでローカル列車に乗り換え、シャテル・サン・ドゥニというとこで降ります。そこからは彼に電話をして迎えに来てもらいます。00分の急行に乗るとこれらの接続が全て5分以内です。これを誤るとそれぞれの接続が1時間待ちになったりして結構悲惨です。(笑)

1時間くらいでベルンに到着、ベルンの駅は多くのヨーロッパの駅と違い、なんか地下の駅みたいであまり好きじゃないんですが、橋の方に新しく作られた木製の跨線橋が出来てました。これはいい感じでした。さっそくこちらをわたりお隣のホームに。数分もしないうちに急行が到着。停車駅は、フリブール(ここからフランス語地域)、ルモンで次のパレジュー下車です。パレジューのちょっと手前でモーリスに電話(こちらで買ったプリペイ携帯をまだ使ってます)して、シャテル・サン・ドゥニに着いたらちょうどモーリスが来ている、というふうになるようにしました。

スイス「里帰り」記(11)

2007年06月23日 22時33分35秒 | 音楽系
8日はスイス在住のギタリストNちゃんに会いました。彼女はバーゼルのオスカー・ギリアのところで勉強していて、一昨年に卒業、その後ベルンで教えている正統派ギタリストです。(ちなみにオスカーはもうバーゼルの音楽院は退官しました)

スコラのカフェで1時に待ち合わせることになってたんですが、私としては珍しく12時過ぎにウチをでました。で、途中バーゼルのフランス駅(バーゼル駅ではフランスへ向かうための駅が別区画で作られています。ここで通関手続きをするので、扉から向こうはフランスです。でもすぐ隣のビルはスイス、上をまたいでいる跨線橋上もスイスです(笑))の近くでノミの市をやってました。時間があるので見ていましたら、結構いいCDがあったので、値段を聞くと3タイトル4枚で5フラン、即ゲットです。

そのノミの市を通過して、いつもよく通っていた道に出たら、ふと忘れ物に気づきました。Nちゃんにあげるおみやげを忘れました。(笑)充分時間があるでウチに取りに帰ることに。おみやげを手にしてまたバーゼル駅の跨線橋商店街を歩いていたら、「中川さん」という日本語の呼びかけの声が聞こえました。なんとNちゃんとばったりです。ここで会ったが100年目、じゃなかったですが、スコラに行く必要がなくなったので、その辺でいっしょに食事をしながらいろいろ近況を聞かせてもらいました。彼女は秋に日本に来てコンサートをする予定ですが、名古屋でもできるといいなと思っています。

バーゼルは小さな街ですので、街を歩いていて結構知ってる人に会うことが多いです。そういやさっき忘れ物を取りに帰るときに、跨線橋商店街でヴィンセントにばったり会いました。明日ヴィヴァルディの本番がリースタル(バーゼルのすぐ隣の小さな街)であるので、今からリハーサルに向かう由。明日はモーリスのところに行く予定ですが、早めに帰れたら行けるかも。でも実はバーゼルで別のコンサートがあるんですよね。

スイス「里帰り」記(10)

2007年06月22日 22時03分36秒 | 音楽系
こちらに来て改訂作業を仕上げる予定だった、リュートの教則本、ついにできました。やはり生活上のしがらみが全くない状態だとはかどりますねぇ。(笑)

この教則本は、自分の教室で使用しているもので、全くの初心者(ゼロから始める方)を対象にしています。初版は2005年に書いたんですが、これを使って教えていて、いくつか改善の余地ありと感じていました。改訂の内容はビジュアル的に楽譜を見やすくすることや、左右の運指を全て書き込むことなどどちらかというと実務作業的なことを始め、課題自体の見直しや追加など結構教則本の骨格に関わるところまでやっちゃいました。

初版本では二声の扱いが軽かったのでそれを充実させ、やはり三声も扱うべきだと感じていたので三声の課題も追加しました。結局、初版本より12ページ増加の30ページになってしまいました。でも今までの指導内容をフィードバックさせ、かつ課題の精選、拡充を行ったので、結構それなりにまとまってきたと自負してます。

初版本は実はウェブで無料配布していたんですが、これを機にウェブでの無料配布を止めようかと考えています。初版本は18ページでまだ「小冊子」という出で立ちでして、いわばモニター募集って感じの本だったわけです。改訂版はウェブでの配布を止め、きちんとした表紙をつけ製本した実体のみの販売にする予定です。価格はまだ決めてませんが。

スイス「里帰り」記(9)

2007年06月21日 12時36分40秒 | 音楽系
コハウトのコンチェルトのバックのストリングス(ヴァイオリン2本とチェロ)もよかったです。前日のクリシュナのバックはどう贔屓目に見てもうまいとは言えなかったし、彼のギターソロもあらっぽくて、バランスの問題も大ありでした。それと比べると、アンサンブルが緻密で、周到に計算されたバランスにより、小さいはずのリュートの音をくっきりと際だたせていました。もっともこれはリュートパートをよく知っているリュート奏者の耳で聴いた話で、一般的にはもう少しリュートが目立っていた方がいいのかも知れません。このあたりがリュート・トリオとかコンチェルトの難しいところです。ジブはこのコンチェルトでは弦長74センチのドイツ・テオルボを使っていました。(ジョエル・ヴァン・レネップ作でホピーの楽器を借りたそうです)この楽器をもう少し強いタッチで、もう少し前に座って弾くとよかったのかも知れません。

ヴァイスとバッハに使った楽器のバス・ライダーの形状がモーリスの楽器と同じだったので、コンサート後彼に尋ねたところ、モーリスの師匠であるファン・デ・ゲースト作の楽器だということでした。道理で同じはずです。モーリスは若い頃ファン・デ・ゲーストの工房で一緒に作っていて、ゲースト作となっている楽器のうち何本かはモーリスが全部作ったというのもあるとのことでしたので、ジブが弾いた楽器もモーリス作の可能性があるかも知れません。