リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

改善!?

2017年11月29日 10時01分50秒 | 日々のこと
最近ドライブレコーダーの売れ行きが好調だそうですが、やはり一連の事件の影響でしょうかねぇ。

いつものように23号線を経由して名古屋に行くのですが、なんか最近皆さんの運転の仕方が丁寧というか慎重というか、少し変わった感じがします。周りがロクな運転手ではないのではという警戒心が感じられます。

そりゃそうでしょう、交差点で左折優先なので前方右折車より先に曲がったら、逆上した右折車に後ろから追いかけられ車を止められ、挙句の果てに右折車のクルマから運転手が降りてきてドアを蹴飛ばしてくる、といったたぐいの映像を何度も見たら誰でもそんな風にされたくはないと思うでしょう。

先日も私のすぐ左前方を走っていたワゴン車が右折しようと指示器を点滅したら、私のクルマの様子?に気づいたのか、あわてて引っ込めました。まぁ別に割り込んできても危険というタイミングではなかったのですが、これってひょっとしたら私が「ロクな運転手」でないとみられたのかも。デイ・ライトをつけている私のミニがやんちゃな車に見えたのかもしれません。

ともあれ慎重な運転を心がける人が増えたということはいいことではあります。ロクな運転をしない人が一定数いるということは事実ですから。


追悼 酒井康雄氏(1950-2017)

2017年11月26日 23時51分24秒 | 音楽系
名古屋ギター界の重鎮、酒井康雄氏が逝去されました。享年68歳。

氏は病を押して、リサイタルや教授活動を続けてこられましたが、10月に入り病状が急変して11月24日未明帰らぬ人となりました。

酒井氏とは彼がまだ名古屋大学の学生でギタリストとして活動している頃からのお付き合いです。2、3回ギターのジョイントコンサートでご一緒させていただいた後は、私はリュートに転向しましたので、ギターで共演することはなくなりましたが、1974年1月にはこういうコンサートでご一緒させていただきましたことがありました。



このコンサートは2夜連続で、確か19日は前売りが多数になったため急遽2回公演にしたように記憶しております。このコンサートの出演者はすでにチェンバロの方は他界されており、寂しくなりました。

1974年から私がリュートに転じたためギターの方々とは疎遠になっていきましたが、酒井氏だけは例外で、ずっとお付き合いしていただいておりました。氏と会うと様々なジャンルの音楽の話題に話が咲きましたが、もうそういった楽しいひとときを過ごすことができなくなったかと思うと本当に寂しい限りです。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

バロック音楽の旅11第4回

2017年11月21日 20時26分42秒 | 音楽系
バロック音楽の旅11の第4回講座が終了しました。今回は名古屋の古楽界のホープ、チェンバロの木村恵理さんをお迎えしてのコンサートです。前回は台風襲来の中での開催でしたが、今回は天候に恵まれたくさんの方にお越しいただくことができました。



プログラムはオールフレンチで、17世紀から18世紀の作品を俯瞰するという内容でした。華麗なテクニックや美しいメロディに、曲が終わると聴衆からはついため息が出てしまう程でした。曲目は次の通りです。


ジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)(ジャン=アンリ・ダングルベール編曲)
ファエトンのシャコンヌ

ルイ・クープラン(ca.1626-1661)
プレリュード、パッサカイユ ハ長調

フランソワ・クープラン(1668-1733)
優しい恋わずらい、神秘のバリケード

アントワーヌ・フォルクレ(ca.1671-1745)(ジャン=バティスト・フォルクレ編曲)
ラモー、ジュピター

ジャック・デュフリ (1715-1789)
アルマンド、三美神

クロード=ベニーニュ・バルバトル(1724-1799)
リュジャック、シュザンヌ、マルゼルブ

アンコールはバルバトルのラ・マルセイエーズによる行進曲でした。

次回第5回は当講座の常連となりました、リコーダーの太田光子さんをお迎えして、無伴奏リコーダーのコンサートです。開催日は12月10日(日)です。本講座は6回シリーズですが、途中の回からの参加も可能ですので、興味のある方はぜひお越しください。

新しいローデドナイルガット弦

2017年11月11日 14時43分26秒 | 音楽系
ドイツのサイトに注文したったローデドナイルガット弦のうち、欠品していたものがようやく届きました。5月に張った分に関してもまだ一本も切れていませんので、もう切れるということはあまり心配しなくてもいい感じのようです。



今回のパッケージには、BA9/2017とBA10/2017とありますので、今年の9月、10月に製造されたものでしょう。アキーラ社は夏頃ツイッターで、少し製造法を変えて切れるという問題をなくした弦を作ると言っていましたので、やっとそれが出回ってきたということでしょう。ドイツのネット販売小売りには8月5日に発注しましたが、今年の5月製造のものを送ってきました。その中でCD145とCD190が欠品していまして、それがやっと今回到着したわけです。

現時点では改良版が潤沢に供給されるようになってきたということで、喜ばしいことです。今日また何本かの楽器のために発注しますが、今度は早く届くのではないでしょうか。

無罪放免!

2017年11月09日 14時03分09秒 | 日々のこと
先日医者に行きまして、先生から「もう虫歯も歯周病も治療がおわりました」と告げられました。

「え?もう来なくてもいいんですか?」
「はい、そういうことになります。でも半年に一回くらいはぜひお越しください」

今回3カ月ぶりに行きまして、左上親知らず回りの歯周病の好転度合いを見ていただきましたが、よくなっているということでやっと無罪放免になりました。

今回のシリーズ、通い始めてからもう4年近くになります。虫歯がひどくなったので行ったのですが、それがなおったら別の虫歯が発見され、また次の・・・という具合に結局5本の虫歯を治療していただきました。さらに歯周病もあるということで、それも治療対象に。随分と資金投入を致しました。

3年くらい前に豊橋でコンサートをしたときなどは、虫歯が痛み大変でした。耐えられなくなったら応急処置でもしてもらおうと、会場近くの歯科医院をチェックしてほどです。でもえらいもので、本番になるとシャキッとして痛みもなく演奏できました。でもコンサートが終わって、打ち上げのときはひたすら痛みに耐えていました。

今回の歯科治療のおかげで、今までの人生で、多分今が一番歯の状態がいいと言えるようになりました。20代は親知らずが半年に一回くらいは炎症を起こし熱が出たりしましたし、子供の頃は歯磨きの方法もいい加減で虫歯が一杯ありました。歯医者さんもどっかの国の拷問みたいでしたし。バーゼルにいたころでも、奥歯が一本欠損していましたが、それもインプラントでもとに戻しました。最近の歯科治療は長足の進歩をとげたようで、ぎりぎりでその恩恵に浴することができたという感じです。目指すは8020ならぬ、8030ですね。

ヤコブ・ファン・デ・ゲースト1973のバロック・リュート

2017年11月04日 13時25分38秒 | 音楽系
私が使っているバロック・リュートのひとつはモーリス・オッティジェー作ですが、彼の師匠であるヤコブ・ファン・デ・ゲーストについて以前当ブログで書いた覚えがあります。モーリスは1974年からヤコブの工房で働いていて、師匠が亡くなったあとは独立しています。

そのヤコブの楽器が「突如」伊勢市在住のギター製作家である河村和行さんの工房から出てきました。まぁ、実際には突如というわけではなく、河村さんが丁寧に保管していたのを私が知らなかったということですけど。全く別の用で河村さんの工房にお邪魔したのですが、「実はバロック・リュートが一本あります」とおっしゃるので、拝見させていただくと、何ととてもきれいなヤコブ・ファン・デ・ゲーストの楽器が出てきたのです。



楽器の由来を伺うと、今村泰典氏に偶然大阪で会ったのをきっかけに楽器を譲ってもらったそうです。楽器の製作年は1973年、河村さんの手に割ったのが1976年です。ヤコブがまだひとりで作っていた時代の作品です。

見せていただいた楽器は、ある意味奇跡的というくらいの保存状態の良さです。しかも今村氏がたっぷりと3年間弾きこんでいます。プロの手で弾きこみ、プロが保管していたということです。表面板の焼けはまるで数年程度の状態。実際、私が2009年にモーリスに作ってもらった楽器より色が白いです。

河村さんから楽器を預かって、まずきれいに掃除して、各部をチェック、そして一番気になる表面板とブリッジの写真撮影をしておきました。バス・バーの状態は問題なし、表面板のたわみ、割れもなし、ブリッジの接着状態もオーケーです。ネックのそりもなし、バス・ライダーの接着状態も問題なし、ペグの状態も極めて快調です。パーチメントの端が5ミリくらいはがれていましたが、これは問題と言えるものではないでしょう。

張ってあった古い弦のピッチを392まで上げてみました。いやぁ参りました。想像していたのとは全く異なり、すばらしい音色、バランスです。1973年と言えば私が初めてバロック・リュートを買ったのが1974年です。その楽器とは雲泥の差です。1年前にこのレベルの楽器が存在していたとは今更ながらいささかショックでした。

実はその頃ヤコブのルネサンス・リュートをほんの少しだけ触ったことがありましたが、某製作家の工房に修理で入っていたときのもので状態があまりよくありませんでした。おまけにヤコブは「膠の替わりにボンドでぺたぺた貼り付けている」「弟子を雇って(モーリスのことですね)雑に大量生産している」「だからよく故障する」ということをある人から聞いていたので、大して関心も持たずに今に至っています。これは迂闊でしたねぇ。

今は弦を11コースまで新しいのに交換、12、13コースは外して、392で調弦してあります。弦の張力は48キロ、かなりローテンションです。もう1週間くらい経ちますが今のところは問題は出ていません。とはいえ、44年経過した老体ではありますので、このまま一カ月くらいは様子を見る予定です。

しばらくは11コースで運用して、何カ月か経過して問題がなければ、ローテンション(私が運用している楽器の90%以下)の弦を415まで上げてみようと考えています。弦を選定して計算してみましたが、53キロくらいです。製作時の弦の総張力が52キロくらいなので行けるのではないでしょうか。

そのときに、九州の松尾さんに頼んで、表面板のクリーニング、パーチメントの張替え、ブリッジの弦穴拡張、エンドピンの装着などをお願いしようかと考えています。


東京モーターショーと西洋美術館

2017年11月04日 00時32分06秒 | 日々のこと
所用で東京に行くことになっていましたが、それが取りやめになりまして、ついでにいくはずだったモーターショーと美術館巡りがメインになってしまいました。

いつもならバスで行って経費を節約するところですが、時間がないからと新幹線の予約もしてしまっていましたので新幹線で行きました。さすが新幹線は速いです。

まず上野の西洋美術館です。北斎とジャポニズムという展覧会が開催されていました。他にも行きたい美術館があるのですが、全部モーターショーに行けなくなるといけないので、ここだけにしました。

この展覧会は人がいっぱいであまりゆっくりと見ることができませんでした。内容的にはまぁそこそこという感じ。そのあと、常設展を見て回りました。この美術館は松方コレクションがベースになっているとのことですが、コレクターが余程の目利きだったのでしょうか、いいものがありますねぇ。蒐集作品の質が違います。こっちだけにすればよかったです。

最近購入したという作品でこんなものがありました。


エヴァリスト・ヴァスケニス「楽器のある静物」17世紀後半(部分)

埃がかかっている部分の指あとがリアルです。楽譜もきちんと描かれていますので、曲の特定ができるかも。

さて上野公園内のレストランで一息ついて次はビッグサイトです。新橋からゆりかもめに乗って、国際展示場正門で降りるのですが、思っていたより時間がかかりました。

東京モーターショーは、巷のうわさでは参加メーカーが他国のモーターショーと比べると少なくショボいと言われていますが、確かに参加メーカーが少なく、いつになく意欲みたいなのが今ひとつ感じられませんでした。私の愛車のミニもありませんでしたし、アメ車とかフィアットもなかったかな。韓国車や中国車もありません。もう日本市場は世界から見向きもされないようになってきつつあるのでしょうか。

そんな中で、一番正攻法で迫っていたのがマツダでした。最近急に書くメーカーがEVに傾斜している中、内燃機関の可能性と優れたデザイン性の追求には一本筋が通っていました。



EVと言っても、お値段が高いし、航続距離はミューズに2往復できるかという程度だし、全然実用的でないものをなんであんなに騒ぎ立てるのでしょう。。効率的な電池と発電方法ができたら、いやでもEVに替わっていくと思いますが、今の技術水準ではまだまだ。中国政府の方針に尾っぽを振っているメーカーとそれをあおって騒いでいるマスコミって感じです。

そんな中でマツダはえらいですねぇ。SKYACTIVE X という時期プラットフォームに搭載されてくるエンジンも展示されていました。なんでもディーゼルエンジンと同じような点火方法のガソリンエンジンで、燃費もパワーも良いという画期的なエンジンです。

こういうマツダの姿勢を見ていると、ミニの次はマツダ車かとふと思いましたが、それがそうはいかないのです。実は私は根深いマツダアレルギーにかかっております。それは子供の頃父親が乗っていたR360クーペのエンジンがかからないのでみんなで後ろから押してエンジンをかけたとか、リヤのプラスチック製のシールドから雨漏りしたとか、四気筒のキャロルに乗り換えてもやはり同じようなものだったとか、その後のいわゆる「マツダ地獄」とか、結構長期に渡っていたそれらの印象が鮮明に残っているので、今一歩マツダには踏み込めないのです。今の40代以下の人は違うだろうけど。

さてビッグサイトをくまなく見ていましたら、閉館30分前になりましたので、会場をあとにしました。名古屋のモーターショーは大体行っていますが、東京のは30数年振りでした。まだまだバブルに向かう頃でしたので、今回とは異なりもっと熱気にあふれていた感じが懐かしいです。