リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

神戸(かんべ)の石取祭

2015年07月27日 02時04分21秒 | ローカルネタ
鈴鹿市神戸(かんべ)の石取祭に行って参りました。以前から行こう行こうと思っていたのですが、気が付いたらもう日程が過ぎていたということが何度もありました。今回は慎重に!?グーグルカレンダーに書き込んでおきました。

お目当ては、A町の祭車です。実はこの町の祭車は、もとはウチの町内にあったものです。神戸のどこに行ったらA町の祭車が見られるか全然わかりませんでしたが、神戸宗社に行けばわかるだろうと思い、そちらに向かうことに。たまたま境内にいたおじさんに尋ねましたら、丁寧に教えてくれました。早速教えて頂いた場所にへ向かうと、いました、いました。

祭車はとてもきれいに漆塗装が施されていました。なんとオリジナルには無かった螺鈿の装飾や真新しい彫刻が施され、縁を飾る金具も新調されていました。近くにいた「古老」にお話を伺いましたら、その後大改修をされたそうです。見違えるようにきれいになっていた祭車に目を奪われました。

「古老」の方は、私がこの祭車がもともとあった町に住んでいると伝えますと、大層感激されていました。お礼にビールでも持って行ってくださいと、おっしゃいましたが、「お車ですか」と尋ねられましたので「はい」と答えましたところ、いただきましたのは十六茶でした。ビールでも帰ってから飲むので別に構わなかったんですけど・・・(笑)

著作権

2015年07月24日 12時02分16秒 | 音楽系
環太平洋経済連携協定(TPP)交渉で、参加12カ国が著作権の保護期間を「作者の死後70年」で統一する方向で最終調整に入るそうです。

現在日本では「作者の死後50年」ですが、以前はもっと短かかったような気がします。CDやレコードの保護のための著作隣接権は確か20年とか30年だったような気がします。もうかなり前ですが、ビートルズのアルバムが(発表から20年とか30年たって)著作権切れでえらい安く売っていた頃がありましました。(実はそのときに全部買い込みました(笑))

その後どっかの国からの圧力?があったようで保護期間が50年になり、そういったアルバムは姿を消しました。

この保護期間が作者の死後70年ということを作品の側から考えてみますと、70年もたったあとだとその作者は完全に忘れ去られてしまうことになり、「死んでから世に知られる」という機会はまずなくなるのではないかと思います。

生前は知られていなかったけど、死後その作品の価値に人々が気づき始め何年か後には高く評価される、というようなことがなくなるのではないか、ということです。

私はせいぜい20年も保護すれば充分だと考えています。この「70年」というのは完全にビジネスの論理だけでできあがっている感じで、いつまでもおこぼれに与ろうというのはちょっと厚かましすぎます。

あのバッハの作品にしても、死後「知る人ぞ知る」で作品が伝えられてきたからこそ、死後100年近く後にメンデルスゾーンによる蘇演が行われたのであり、もし「著作権」で70年間「保護」されていて彼の作品が誰の目にも触れないままだったら、100年後の蘇演はありえなかったでしょう。

70年間保護される作品は、売れていたものだけではなく、売れていなかったものも含まれます。この売れてなかったものの中に「お宝」がある可能性は否定できません。あるいはお宝だとはわかっていても「保護」のおかげで、その作品に触れることがとても困難になり、結局は忘れ去られてしまうことになると思います。




いよいよ石取祭

2015年07月12日 20時31分00秒 | ローカルネタ
今朝、所用で国道421号線を東方向に走っていましたら、掛樋付近でちょっと強面のおにいさんから停止命令。何事かと思ってみましたら、電気工事みたいなくるまがおしりから車線に入ってきました。何を始めるのか見てましたら、電線にプラひもを細く裂いたものを取り付けていました。

石取祭なんですねぇ、もうじき。これは石取祭の祭車が道路を通る際、これを目印に祭車の提灯のてっぺんが電線にひっかからないようにするのです。むかしは大鋸屑をくっつけていましたので、時期がくると腐っていくので取り外す必要はなかったのですが、最近はプラスチック製なので取り外しているようです。

ウチの町内は私が5歳の時を最後に石取祭の参加を取りやめました。人口の少ない町なので、運営が大変だし経済的にも苦しかったのでしょう。それでも、私は復活を信じて小学校の4年生くらいまでは、祭りの時期には(それ以外のときもやってたかな?)鉦と太鼓の練習をしていました。

鉦のたたき方は(すりかた)は町によってみな異なりますが、大きく分けて5つ拍子と7つ拍子に分かれています。詳しく調べた訳ではありませんが、圧倒的に5つ拍子が多いようです。これらの聞き分け方は、リズムパターンの最初に、チキ(縦にする)が5つ続けば5つ拍子、7つ続けば7つ拍子です。チキの「チ」はダウンストローク、「キ」はアップストローク、チキで一つの拍子です。西洋音楽と違い、小節という概念は全くありませんので、7/4とか5/4というのではありません。あくまで独立した拍、動機がくみあわさって全体を構成します。

太鼓はアドリブです。アドリブといっても適当ではなく、太鼓をたたくには鉦のリズムを知っていなければなりません。鉦のチキを邪魔しないで、ゴーン(横にたたく)のいくつかを強調するようにたたきます。鉦のリズムが休符になっているときはたたかず一緒に休むか鋲うちをします。あるいは「コラサー」と鉦の皆さんとかけ声を合わせます。相当センスを要求されるんですが、実際はワンパターンでドンドンドンとやっているだけなのがちょっと残念なところです。

ウチの町内はその少数派の7つ拍子で、近所の西鍋屋町に酷似しています。7つ拍子はチキが多くて少し重い感じがするので、採用が少ないのかもしれません。隣の東矢田町なんかは軽快な5つ拍子です。今でもちゃんと覚えていますので、西鍋屋町の練習しているときにでもさせてもらおうかな。(笑)




プリウスの車検

2015年07月09日 11時29分42秒 | 日々のこと
昨日の家内のミニの点検に引き続き、今日は朝からプリウスの車検に行ってきました。ユーザー車検はもう30年以上前からやってますが、今だにちょっとビビりながら家をでました。
コンサートの本番よりも緊張するくらいです。(笑)

今回は車をプリウスに替えてから初めての継続車検。24ヶ月点検簿も余計なことを書かないように慎重に...ひとつだけどうしてもわからないことがありました。どの車も車台番号が車に刻印されていますが、その場所がどうしてもわからないのです。仕方ないのでディーラーにききましたら運転手の座席の下とのこと。なるほど、いくらボンネットの中をさがしてもみつからないはずです。

さて検査場まで行きましたら、その向かいにある北勢自動車協会で重量税と手数料を支払います。窓口の担当の人が「あなた中川祥治さんですよね」なっておっしゃる。変なこと聞く人だなと顔を見るとなんと同級生のG君。なんでも退職して、その後出向でこの検査場に来ているとのこと。奇遇ですねぇ。

書類の審査が終わりましたら、いよいよ検査ラインにはいります。今日は誰も先客がいませんでしたので、即ライン入りです。ひとつだけ検査官がおっしゃることで全くついていけないことはありました。それは排ガス検査ののとき、プリウスはエンジンがかかっていないときがあり、そのときは「検査モード」にしなくてはならいそうです。で、その検査モードに入る方法を教えてくれるんですが、手数が多すぎてとても覚えられません。検査官が「じゃ、私がガイドしますのでついてきてください」とおっしゃってくれたので助かりました。

もっとも実際にはスピードメーターやブレーキの検査でエンジンを回していましたので、排ガス検査の時はエンジンがまわっていました。検査官はそのあともいろいろガイドしていただき、あっという間に終わりました。ラインを通る時間は10分もかかりませんでした。

今回は自動車税が7500円で済んだので、検査費、自賠責、重量税、書類代合わせて四万もかかりませんでした。この重量税の減免は何時まで続くんでしょうねぇ。ずっと続くといいんですけど。

ヴィウェラ講習会参加顛末記(2)

2015年07月02日 20時09分21秒 | 音楽系
東京の八重洲口でバスを待つこと10分、岐阜駅行きのドリーム名古屋3号はやって参りました。今回はプレミアムシートを予約したので、超豪華シート。まるでビジネスクラスの飛行機です。



でもそう思っていたのは走り出すまで。出発すると、乗り心地がめちゃくちゃ悪いのと、エンジン音がうるさかったのは予想外でした。

とはいうものの、ほとんど真っ平らになるくらいシートの背もたれを下げることが出来、それなりに快適に過ごすことができました。そうそうペットボトルの水もサービスでいただきましたし。でもその背もたれ真っ平らが次の悲劇を呼ぶことになろうとは誰が思ったでしょう。(笑)

朝の6時前に名古屋駅の新幹線口に到着しました。天気予報通り、結構雨が降っていました。



JR関西線はまだ列車がないこともあり、近鉄で行くことにしました。(近鉄の最寄り駅の方が、ウチまでの距離が短いのです。ずっと下り道でもあるし)近鉄のホームについてふと右ポケットに手をやると、入っている筈の車のキーと家の鍵がありません!

朝まだ充分に働いていない頭でどこで落としたかをいろいろ思い出してみました。そもそも持ってきてないかもしれないので、家内に電話をして聞いてみましたら、ウチにはないとのこと。これは困りました。一番可能性が高いのは、帰りのバス。真っ平ら背もたれで寝ていたので、ポロリとポケットから鍵が落ちてしまったに違いありません。

この推測は大当たりで、鍵は無事戻って来ました。ただすぐに戻って来た訳ではありません。東京から乗ったバスは、目的地がJR岐阜駅なので、まずバスがそこまで行ってからしか鍵を持ってきてもらうことができません。それに、JRバスの窓口で教えてもらった電話がつながるのに30分以上かかりましたし、鍵の受け渡しは、あおなみ線に乗って二駅目で下車、徒歩10分のところにあるJR東海バス名古屋支店まで行かなくてはなりません。結局鍵が私のジーパンの右ポケットに収まったのは、12時を過ぎていました。



この際ですから名古屋でお昼を食べて(朝食はたっぷりすぎるくらい時間がありましたのであきあきするくらいゆったりと摂ることができました)東急ハンズや三省堂にも少し寄ることにしました。

最後におまけ。近鉄を利用する場合は、桑名駅まで急行で行き、ここで準急または普通に乗り換えて次の益生駅で降りることになります。急行を降りると、次に大体特急が来て、もう少し待つと準急か普通が来るんですが、この日は特急の次に来たのはまた急行。でもいつもの習慣で、準急か普通のつもりで乗りましたら、妙に列車の加速が鋭いのです。あれ?変だなとおもっていたら、益生駅に入る分岐線に入ろうとせずそのまま加速して行くではありませんか。このあたりで自分が急行に乗っているのに気が付き、結局次の富田駅まで行って、また戻って来ることに相成りました。益生駅を出るともう雨もあがっていました。ホント何かとイベントの多かった二日間でした。

ヴィウエラ講習会参加顛末記(1)

2015年07月01日 23時23分53秒 | 音楽系
エクアドルのキトにあるヴィウエラに関する講習会を聴きに東京まで行って来ました。講師は古楽器製作家のカルロス・ゴンザレス氏です。私はヴィウエラは持っていませんし、近々購入する予定もありませんが、ヴィウエラの音楽にはとても興味を持っています。まぁルネサンスリュートで一応音は出せるし、楽器まで買わなくてもいいか、みたいな感じですね。(笑)

実はこの講習会の日、ヴィウエラとは何も関係ないイベントがいろいろと起こりました。ほとんどは私がボケてたのが原因ですが、そうでないのもありました。

まず出発するときに、折りたたみ傘が見つかりません。その時は雨は降っていませんでしたが、名古屋に帰ってきた朝(東京には宿泊せず夜行バスで帰ることにしていました)、雨が降るという予報でしたので、折りたたみ傘を持っていこうと思いました。ところが家中どこを探しても見当たりません。神隠しにでもあったのでしょうか。仕方が無いので傘を持たずに出かけました。(傘は、講習会会場の最寄り駅であるお茶の水駅で急に雲行きが怪しくなり、ポツポツと来ましたので近くのコンビニで買いました。でも結果的にその傘は使う必要がほとんどありませんでしたが)

この日の正午前にネットのニュースは例の新幹線の事件を伝えていました。でもあれは下り線のことだから多分上りは大丈夫だろうとタカをくくっていました。でも3時頃名古屋駅の新幹線ホームに立つと、下り線だけではなく上り線も列車が全然来ていません。駅員さんに事情を聞くと、私の予約してあるのぞみはすでに運休されたとのこと。駅員さんは、来たヤツに適当に乗って空いているところに座って下さい、とおっしゃる。講習会は7時始まりですが、5時に東京に着く列車を予約したので、時間的な余裕はあります。

結局40分以上待って、遅れてやってきたのぞみ号に乗りました。でも先に列車が一杯詰まっているらしく浜松で待ち、静岡で待ちといった具合でなかなか進みません。


5時過ぎになってやっと富士山が見えてきました。ホントはもう着いているころなのに・・・

結局品川に到着したのが、6時30分頃でした。品川から先もまだ列車が詰まっているとのことでしたので、品川で下車し座席指定分を払い戻ししてもらいました。

5時頃東京について、しばらく湯島あたりを散歩して、ついでにバー、ホワイト・レインボー!にも寄ってみようかなと思っていましたが、それどころではなくなってしまいました。

講習会の会場は、お茶の水駅からほど近いところにあるアンダンテ・ギター・ワークショップというところです。雨が降りそうでしたので、早足で会場に向かいました。着いたのは、6時55分。ギリギリセーフでした。

講習会は、日本リュート協会、日本ヴィウエラ協会会員のN君が主催しました。N君はかつて中京地区に住んでいたことがあって、もう随分前からの知り合いです。レクチャーはかなりスペイン語なまりの強い英語で行われましたので、わかりにくい方も多かったとは思いますが、時折N君が上手に日本語の説明を入れたのでよかったと思います。

キトのヴィウエラについて詳しいことは知らなかったのでとても興味深かったです。会場から「ギターとヴィウエラはどう違うのか」という質問がありましたが、講師のカルロスの答えはとてもおもしろかったです。

ポルトガルではそもそも有棹弦楽器はみんなヴィオラという。(ので分けてみようという発想そのものに意味がない)ヴィウエラという言葉はヴィオラというポルトガル語のスペイン語版なので、スペイン人も同様のとらえ方をしていたということです。なーるほど。(笑)

この講習会には幅広い年齢層の方が40名以上も参加されていました。もちろんこれはN君の努力の賜ですが、さすが東京は層が厚いとも感じました。以前私が教えていた方も何人か来ていましたし、その他にも久々にお会いする方もいらっしゃいました。私のかつての生徒さんも数名が首都圏に引っ越しされてるので、意外に東京にはリュート関係の知り合いは多いです。数えてみると、明らかに私の地元名古屋より多いです。この狭いリュート界に於いても東京一極集中化が起こっているのかも。

講習会終了後厚かましくも打ち上げに参加させて頂きました。会場は両国駅にほど近いお寿司屋さん。とてもいいネタを使っていておいしかったですが、11時20分の名古屋行きのバスに乗らなくてはいけないので途中で失礼させていただきました。