リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

米国人リュート奏者

2006年07月30日 16時49分20秒 | 音楽系
日経新聞に連載していた、「響け!我が町にハーモニー」が先日終了しました。各地のオーケストラを中心に紹介していた連載ですが、日本のクラシック系の歴史や広がりがよくわかる好連載でした。

まぁ私も一応クラシック音楽に分類される音楽をやっているんですが、同じクラシックでもオケ(モダンオケです)中心のこの連載の内容はちょっと距離がありました。おもしろかったですけどね。(笑)

でも最終回にして初めて古楽系の内容が出てきました。かつてNHKFMの「あさのバロック」を担当されていた日野直子さんが立ち上げたNPO法人「おおいた豊後ルネサンス」を扱っていました。読むと2006年に「豊後ルネサンス音楽祭」を開いたのが皮切りだそうです。ホピーが今年来日したのが、この豊後ルネサンス音楽祭に出るというのが一番のメイン(後の日本公演が付け足しという訳ではありませんよ)だというのは聞いていましたが、今回が立ち上げだったんですね。そういやホピーは日野さんのことマダム・ヒノって呼んでましたねぇ。

大分は昔のキリシタン大名とヨーロッパ人の宣教師の交流があったところで、当時の洋楽(時代的にはルネサンス音楽です)が日本に紹介された場所のひとつです。で、日野さんは「大分も日本の洋楽発祥地として認知されれば、おもしろい音楽祭を企画できるのではないか」と直感されたそうで、それまでお住まいだった静岡を引き払い故郷の大分にお戻りになったそうです。

ホピーのコンサートは、この音楽祭の幕開けだったようです。(幕開けだったとは知りませんでした・・・)日経のコラムには「・・・米国人リュート奏者の演奏会で幕を開け、・・・」とありました。うむ、米国人リュート奏者ねぇ。(笑)でもホピーはスイス国籍を取ったってこの間言ってたから、ひょっとしたら別の人かも。(笑)

コラムには「行政主導のホールや音楽祭の新設一巡後に現れた”逆襲”型の地域文化発信手法だろう」とありました。他地域から呼んだ演奏家だけではなく、地域の人が主体的に参加する本当の意味での地域発信型にまで育ってほしいもんですね。

デジタル・ミュージック

2006年07月26日 12時07分12秒 | 音楽系
やっと、コンピュータ・ミュージック関係のシステムの再構築が完了しました。産業革命以前のレトロな楽器をやっている人間が、コンピュータをコントロールして音楽を作るというのも、一見妙な感じですが、共通キーワードとしては「新しいもの」なんですね。

古楽も音楽自体は古いですが、それをするということは新しいものを開拓していくようなもので、やはり新しいものなんでしょう。基本的に私は新しいものが大好きですから、ええ。新しいものを出てくるとすぐ飛びつく私は、日本の工業発展を支える人のひとりであることを自負しています。

10年くらい前になってしまいましたが、カラオケの制作やらゲーム音楽の下請け(ひょっとして孫請けだったかも(笑))をやっていましたが、主に使っていたのがその時代にすでにレトロだったPC9801でした。ソフトはあのカモン・ミュージック社製のレコンポーザー。今でも使っている人がいるという話を聞いたことがありますが、ま、要は曲やアレンジと音源が大事なんで、コンピュータは98でもいいんですよね。

一番最後にデジタル音楽系の仕事をしたのが4年くらい前で、この時はもっとも新しいシステムで一度もアナログにしないで制作しました。おかげでノイズは皆無。できあがったときはひとりでちょっと感動したりして・・・

大昔のカラオケやらゲーム音楽の仕事は、データとして渡せばよかったので、PC98でよかったんですが、音そのものを要求されるとちょっと製品化はできないレベルのものしかできませんでした。でもコンピュータが安価で高性能になってきたので音楽系にはほんとにありがたいです。

4年前の仕事に使ったのが、ペンティアムⅢ1ギガのCPUを使った自作システム。当時の静音パーツを吟味して作ったんですが(ペンⅢも高かったです)さすがに古くなってきました。確か1999年頃の製作だと思います。ウィンドウズ98SEを使っていますからそんな頃です。新しもの好きの私としては驚異的に長く使ったコンピュータです。

が、実はもっと早く新しいのを作ろうと思っていて、3年前バーゼルに行く前に一台分買い集めたんです。私が7年間も同じものを使っているわけがないです。でも留学直前は多忙を極め結局完成を見ずして出発、パーツだけが私の部屋に眠っていたわけです。

それを帰国して組み立てようとしたんですが、なんかパーツがもうすでにレトロ化(コンピュータ雑誌を買ってみたらそのあまりのレトロさに愕然)していたりして。3年前にはばりばりだったのに。で、結局紆余曲折があって、ケースとフロッピードライブと何枚かのPCIカード以外は新しくなったものを作ってしまいました。自作4号機です。

実は自作3号機(1999年)結構高価な音楽系のボードを使ったので、それを4号機に使えないかといろいろやってみたんですが、XP用ドライバがなかったり、製造メーカーがつぶれていたりして結局時間の無駄。コンピュータのパーツって周りの環境(部屋を掃除したとか言うんじゃなくて、コンピュータの環境ですよ(笑))が変わるとさっぱりですねぇ。結局それらのボードは元の環境の3号機に戻しました。

新しいもの(と言ってもXP関連なのでそんなに新しいとは言えないですが)やはり快適です。最新静音パーツのおかげでほとんどコンピュータの音がしないようになったし(3号機の静音パーツとえらい違いです)、ケーブルまわりもさっぱりしました。ミュージック系のインタフェースを内蔵タイプから外付けのラックマウントにしたので、コンピュータとUSBケーブル一本でつなぐだけですっきりです。3号機の場合は、MIDIが2本、デジタル2本、アナログ4本計8本のケーブルがコンピュータの後ろにつながっていましたので、えらい差です。

道具だけはしっかり整いましたが、もともと大したこともしていない作曲の仕事は最近はさっぱりです。ま、趣味というところですね。(笑)ペンティアム4の3.2ギガで余裕もあるので、ソフトシンセをたっぷり使っていろいろやってみようかな。

月刊アスキー

2006年07月25日 18時04分20秒 | 日々のこと
月刊アスキーが廃刊になるらしく、最終号が出ているというので、本屋に買いに行きました。もっとも出版業界では、「廃刊」ということばを使わず「休刊」ということばを使うようですけど。

アスキーも少し休んで、リニューアル(なんかビジネス誌になるらしい)してまた再スタートという形をとっているんですけど、まぁ、実質的に月刊アスキーはなくなるんですよね。なんか寂しい感じがしますねぇ。

うちの書棚を探したら、1980年もののアスキーがありました。26年前ですけど、コンピュータの世界は変化が激しいので150年くらい前の雑誌って感じです。(笑)月刊アスキーは、情報量が多く、書き方もすごくきちんとしていたので大好きでした。でも最近は本がやせ細って往年の姿が消えていただけに、ひょっとして廃刊か、と思っていたところです。

雑誌が廃刊になっていくときは、宣伝が減り、本が薄くなり、記事も荒れて、イラストもなんか汚らしい感じになっていくことが多いみたいです。昔若者によく売れていた平凡パンチなんかもそうですね。何度も何度もリニューアルして、そのたびに誌面が汚くなり、ついに廃刊・・・

3年くらい前のアスキーは、薄くなってはいたものの、記事はバラエティに富んでいてすごく情報量の多い雑誌でした。でも2、3ヶ月前のものはさらにページが減り、その分紙は少し厚めにして値段だけは変わらない、記事はつまらんものになりさがっていたんですよね。ページ数で比べると、300円の週刊アスキーよりも少なかったです。

月刊やバイマンスリーのコンピュータ雑誌はどんどん消えていきます。アサヒパソコン、PC USERなど長く続いていた雑誌も相次いで廃刊、ついにアスキーも。これも世の流れなんでしょうねぇ。もうパソコン雑誌は日経が出しているWin PCと週刊アスキーだけで十分!おっと、DOSV magazineもまだ健在ですねぇ。マック系はもともと種類が少なくて増えもせず、まだ存続しているようです。

で、手に取った最終号の月刊アスキー、結局買いませんでした。老舗の雑誌ですから、最後を飾る記事が充実していると思っていたんですが、なんか安易な記事がめだち買う意欲をそそりませんでした。ま、だから売れなくなったのかもね。本屋には2冊ありましたが、立ち読みもされたあともあまりなく、きれいな状態だったのが哀れさを誘いました。

あまり地方では売ってないみたいですが、月刊アスキーが出始めたころ、アスキーよりさらにマニアックなI/O(アイオー)はまだありますよ。秋葉原の本屋さんで見てびっくりしたんですが、ひところ以前の半分サイズのちっこい雑誌になっていて、もうとっくにつぶれたのかと思っていました。サイズも元の大きさに戻って健在でした。中身は相変わらずマニアックな内容。こういうのって編集者の意地を見るようで嬉しいですね。

マナー

2006年07月22日 13時53分37秒 | ローカルネタ
昨日の日経新聞夕刊。俳優のKさんのエッセイ。日本の列車に乗ったとき、「・・・三、四人の男女の大笑いがどっと重なった。僕はそのあまりの凄まじさに思わず耳を両手でふさいだ。・・・」こういう人たちって最近多いです。人のことは考えないんですね。Kさんは、「他人の存在などてんから考えてないとしか思えないのだ。マナーという言葉が眩い」と続けています。

最近は雨続きですが、長い傘(折りたたみじゃない傘です)を後ろにつきだして駅を歩く人が何人かいたのには参りました。自分より後方の見えない位置に関しては、「オラ、知らん」って感じですね。もうちょっと自分のケツ後を歩く人のことを考えなくてはねぇ。ケツ関係(笑)で言えば、厚みが30cmくらいはあるリュックをしょったおっさん(はい、なぜかおっさんが多いです)この人らもなんとかならんですかねぇ。山の中では別にいいんですけど、人が沢山いるところで、ちょっと横を向いてくれるとリュックをよけなければなりません。

あと、海外旅行でよく使われる、コロコロがついていて長い柄でもって引っ張るバッグ、あれもうっとーしーですね。もうちょっと手前にひいてくれたらいいのに、腕を思いっきりうしろにして、杖も最長で引っ張るもんだんだから、困ったもんです。

込み入ったところでは、自分が占有する面積をみんなできるだけ少なくしようとつましく立っていたり歩いたりしているわけですが(これがマナーだと思うんですけど)、さっきあげた例だと自分の後方に2人分くらいの面積をとっているので、私にはうっとーしく感じたんだと思います。自分の視界外のことは知らんというわけです。昨日見た引っ張りバッグのおばさんなんか、列にしたら3人分くらいの面積を取っていましたから。

さて、冒頭のKさんのエッセイ、ウィーンに旅したときのことが後半に書いてあって、そこでは、「・・・空港の待合室でも列車内でも、誰もが席を外すことなく普通の声で携帯電話で話をしているのに何ら不快な思いをしなかったことだ。・・・」ということで彼の国は大人の国であると書いてありました。これを読むと、うーん、やっぱ日本は遅れている、大人になりきってない国だ、なんて多くの人が思うかもしれませんが、このあたりは前回のブログに書いたないようと少し関係してくるようです。

Kさんが旅したウィーンではその通りだったでしょうけど、私が乗ったことのあるローカル線では「男女の大笑い」に何度か遭遇していますし、マナーの悪い人は日本とそんなに変わらないなぁという印象です。日本の新幹線グリーン車では大変静粛ですが、ドイツの特急ICEの車内も同じように静粛です。きちんと検証したわけじゃないですけど、ごくざっぱな印象では、むしろ日本の方がはるかにマナーがいいような感じがしますけどねぇ。日本の列車はローカル列車に至るまできれいでゴミをしていく人は非常に少ないし、窓ガラスを固いモノで傷つける人なんて皆無でしょ?

日本って、Kさんがおっしゃるような、「服装も行動も野放図さが際立つ・・・なにやら悲しく住みにくい」国というほどではないですよ。でも、過去の日本はもうちょっときちんとしていたと思いますが。ま、世界中みんな悪くなっているところって感じではあります。

プラットホームの高さ

2006年07月20日 12時42分13秒 | 日々のこと
「バンテリンは効きます」なんて広告が目に入る某駅ホームです。効くにきまってるじゃん、薬だから。どう効くかが問題なんだよなぁ、なんて例のごとく巧みな興和新薬の宣伝コピーに目がいってしまいます。向こう側のホームに目をやると、古い煉瓦のホームに上乗せしたあとが見えます。

煉瓦の部分はひょっとして明治の頃に作った駅のホームの高さかも知れません。地層のようにだんだん積み重なってきたのがわかります。現代日本の駅のホームの高さは、列車のフロアとツライチになっているのがほぼ常識ですが、昔はそうではなかったんですね。そういや思い出しましたが、40年くらい前まだSLが近所を走っていた頃、SLの客車は確かステップを上がって行きました。

ヨーロッパの列車はまだよっこらしょっとステップをあがる式です。ホームは日本と比べてかなり低いわけです。それでもここ何年かでずいぶんとかさ上げされました。昔は2,30cm程度しか高さがなく、向こうのホームへはそのまま歩いて行くことができました。でもそれではさすがに危険だと言うことで地下道を造ったみたいです。たぶんそのときにもうちょっとかさ上げした感じです。今でもどの駅にもホームを歩いてわたるな、式の表示があります。

リュート製作家のモーリスの家に行くとき降りる駅、シャテル・サン・ドゥニにも同様の看板が立っていますが、ここは田舎なので、昔の低いホームのままです。従って地下道もありません。でも向こう側に行くには、線路を渡るしか方法がないので、みんな看板を横目に(というか無視してますが)線路を渡っていきます。だいたい1時間に1本来るかこないかの列車には(しかも超スロー)ふつうそんなにはねられることもないでしょう。

ヨーロッパの駅のホームはだんだん高くなってきてそのうち、日本と同じように車両のフロアとツライチにまでなるかもしれませんね。そういや昔あまりなかった跨線橋も造られるところも出てきました。で、跨線橋にはいろんなお店があったりして、なんか日本式ですね。列車中の車内アナウンスもスイスではローカル列車にもありました。あるといっても結構ぶっきらぼうな言い方ですが、でもちゃんと聞こえるように「次の停車は~駅です」くらいは言うようになってきたみたいです。

昔、カブレの人は、「ヨーロッパは個が確立されていて全て自己責任。列車も静かにアナウンスなしで出発して、停車駅には静粛に到着。到着駅を知らないのは個の責任だよ」なんて言って不親切なヨーロッパ式を妙な理屈をつけて礼賛していましたが、そりゃヨーロッパ人だって、到着駅をちょっとアナウンスしてくれた方が便利に決まってますよね。

日本は顧客サービスに関してほんとにいろいろ工夫するお国柄ですね。少なくともスイスの鉄道サービスに関しては結果的に日本式に近づいているわけですから、自分たちの国のことを悪く言うのはバチがあたります。全然大したことないことでも、8000km以上離れたところから見ているとよく見えるだけなんですよ。

バロック・リュートを弾こう

2006年07月19日 13時03分11秒 | 音楽系
ルネサンス・リュートを弾いていて、いずれはバロック・リュートを始めたいという方は意外と多いようです。勤勉で勉強熱心な日本人には向いている楽器なのかも。でもやり始めるとこれが結構大変な楽器なんですよね。

アマチュアでバロック・リュートをされている方の演奏を(見て)聞きますと、技術的な問題がクラシック・ギターなんかとは比較にならない程大きく横たわっているのを痛切に感じます。そりゃそうですよね。弦の数は13コースの場合24本もあるし(ギター4本分)、弦長は70cmで長い(ギターより5cm長い)、さらに糸巻きは扱いやすいギアではなく、木製のペグ、楽器は裏が丸くてホールドしにくい。これだけでも充分すぎるくらい大変なのに、右手の親指が低音弦をたくさん担当しなければならないという、バロック・リュートやテオルボ特有の技術を習得する必要があります。

でもこれって、実はギターやルネサンス・リュートと比較するから難しさが際立つみたいなんですよね。ハープはバロック・リュートよりずっと弦の数が多いですが、誰もそういう比較はしません。バロック・リュートはルネサンス・リュートとは全く別の楽器、もちろんギターとは更に別の楽器だと考えると以外とすんなりと行くかも。ま、似ている所もあるのでやっかいなんですが。

以前私の所に習いに来ていた人で、いきなりバロック・リュートを始めた人がいました。よくあるのは、ルネサンスをやっていて、ある程度上達したらバロックというパターンですが、彼はルネサンスもギターも全く練習したことがないのにバロック・リュートを始めてしまいました。でも、意外とスムーズに上達していましたよ。ルネサンス・リュートでいくらフィゲタ(人差し指と親指を交互に動かして旋律とバスを弾くテクニック)ができても、バロックでは関係ないし、クラシック・ギターでアポヤンドやトレモロがどんなにスムーズにできたところで、バロック・リュートでは何も使えませんから。

彼がいきなりバロック・リュートを始めたいと言ったとき、たぶん問題ないだろうと思ったのは、昔、例えば18世紀のはじめ頃のドイツでリュートと言えば、いわゆるバロック・リュートを差し、リュートを始めるということは即ちバロック・リュートを始めると言うことだったんですね。まず、ギターを少し習い、次にルネサンス・リュートをやり、ある程度上達したらバロックへ、なんてヒエラルキーは当然ありません。そういうのって現代人が勝手に作っちゃったもんでしょうね。

重要なことは、バロック・リュートがきちんと弾ける人に教えてもらうことです。自分にギターやルネサンス・リュートの心得があるから、それらの技術から推測して弾いてみるとかしてもできるわけがありません。でも何かそういう感じの人って結構多いみたいでちょっと残念です。エレキギターを弾ける人が、その技術を使えるから大丈夫だって感じで津軽三味線を独習する人なんていないのにね。

バロック・リュートはなまじリュートの格好をしているから誤解されるんでしょうね。でもルネサンス・リュートでよく使われるモデルは1500年代のものだし、バロックのそれは1700年代のもの。楽器として、150年~200年くらいの時代的隔たりがある事実は知っておく必要はありますね。いくら世の中の変化が少ない昔でも150年も200年もすれば相当モノは変わりますから。

あと、いきなりバロック(笑)という場合、小さめで11コースのフレンチ・バロック・リュートで始めるのも手かも。11コースも13コースも弦の数が多いには違いないので大差ないといえばその通りですが、弦長が短くボディも少し小振りなフレンチは大振りな13コースよりは扱いは楽です。

とまぁ、いろいろ大変なことが多い楽器ですが、ヴァイスやバッハあるいはガロ、ゴーティエなど(まだもっと沢山いろんな人がいますが、略です)の世界はそういった苦労をする価値がありますね。残された作品の量、質ともに際立った楽器(そこんじょのポッと出の楽器じゃないっすから)ですので、ぜひ少しでも多くの方にその魅力を聴くだけではなく演奏することによっても味わってほしいです。


祭りの夏

2006年07月16日 21時02分16秒 | ローカルネタ
最近猛烈に暑かったり、雷雨になったり、天候が不安定です。梅雨が明けるこの時期、こいう天候は普通なのかもしれませんが、ここ何日かの暑さはちょっと異様でした。2日前でしたか、午前中の気温が桑名市は全国4位でした。またしても桑名市の名が全国に!

私が子供の頃は、この梅雨があけるかあけないかの時期に、石取祭という、夜中に大きな太鼓をたたき鉦をする祭りがありましたが、いろいろな事情で開催時期を8月の始めにずらして現在に至っています。その頃は、子供も大人も石取祭最優先で、小学生なら学校は当然公休日に(正式にはどういう扱いだったかは知りませんが)、大人は仕事を休んで参加したもんでした。基本的に石取祭は商人の祭りで、旧東海道沿いの商人の町がその中心になっています。今は勤めに出る人が多くなりましたが、昔はほとんど商売をしていたようです。だから、祭りは休み、といったら休みになったわけです。

私が住んでいるY町もかつては祭りに参加していました。昔はほとんど全戸が商売をしていましたが、現在は勤め人の人が増えています。私がまだ小学生になる前に、私が住んでいる町は祭りに参加しなくなりました。理由は、祭りに参加する人手と資金不足だったと聞いています。資金がいるのは当然ですが、暑い中、一晩中たたき続けるのですから相当体力がいるのも事実です。どの町内も祭りの中心になる人たちが年をくってきて、一晩中たたき続けるのはシンドイので、近隣の地域から助っ人(たぶんちゃんとバイト代を払っていると思います)を頼んでいる町も多いようです。

私のすぐ隣の東Y町も、町から春日神社まで行く道のりは子供か全然知らない大人の人がたたいていまして、クライマックスの春日神社に拝謁するところの何分かだけ、長老格の人が出てきてたたくという感じでやっていました。このバイトのお兄さんお姉さんたちはそれはもう上手にたたくし、ちゃんと祭りの唄も歌います。上手すぎてなんか違和感を感じるくらいです。ちゃんとギャラもらってやっているんですから、いわばプロです。シロウトの町内の人よりはずっと上手いのも当然かも。(笑)

もちろん町内によっては、いわゆる外国人部隊の応援を頼まず、全て町内の人間だけでたたくところもあります。好きな方がいっぱいいて、人口も資金も潤沢な町ですね。子供の頃は元々石取祭に参加できるのに、どうして参加できないか残念でなりませんでしたが、今ではすぐ近所で練習しているのを見聞きして早い時期から祭りの雰囲気を楽しんで行く方が好きになりました。今日から石取祭の練習が始まり、隣の東Y町の練習の音が聞こえています。これがないと、桑名人は夏を迎えることができません。ただ、今年は祭りの日は桑名にはいないのが非常に残念なところです。

不名誉

2006年07月13日 09時45分25秒 | ローカルネタ
最近桑名市の名前が全国ニュースでよく出てきます。昨日でしたか、弥富市議が暴漢に襲われたそうですが、場所は桑名市長島町でした。当然「三重県桑名市で・・・」というのがニュースのどっかに出てきますから、聞いている人は「ほー、また桑名ね」となるんですよね。また桑名というのは、その少し前水谷建設の脱税事件があったからです。これも「三重県の桑名市に本社を置く、水谷建設・・・」とニュースで言っていました。ミズケンも有名になったもんです。

昨年の今頃でしたっけ?(もう少し前かな)中学校の修学旅行で丸刈り事件がありました。そのときはまだバーゼルにいましたが、ヤフーでそのニュースを知り、地元の知っている中学校が全国ニュースになっていたのでびっくりしました。

もう少しまともなことで全国ニュースにならんもんですかねぇ。ろくなニュースが出てきません。オソマツな男女平等条例(正式名は忘れましたが)でもずいぶん有名になりましたし。

もう数年以上前になると思いますが、出張で都内のホテルに泊まっていて、朝テレビをつけると私が通っていた小学校の様子が流れていました。ほう、なつかしいな、なんて思ったんですが、よく考えるとここは東京です。全国ニュースで流れていたんですね。ネタはその小学校のすぐ近く、長圓寺の住職(江戸時代)が考案した連鶴のことでした。連鶴というのは、一枚の紙で連続した鶴を折る千羽鶴です。学校の課外授業でその連鶴を折っているところが紹介されていました。

最近マイクロソフトが超小型の「Ultra Mobile PC」構想の開発コード名をOrigamiと名付けましたが、Origamiって英語になっているんですね。ということは桑名の千羽鶴は全国区どころか世界区!桑名人は覚えておいて損はないです。折り方だけでなく、江戸時代の長圓寺の住職が・・・という講釈をたれることができるといいです。それを英語で言えたらさらにいいでしょうね。

ま、しかし連鶴は江戸時代に開発された技。もう少し今ネタで桑名が知られてもらいたいもんです。でもまずはこれ以上不名誉な話が桑名から出てこないことを祈るばかりです。

モーツアルトは癒しの音楽?

2006年07月12日 11時10分39秒 | 音楽系
最近モーツアルトの音楽に癒し効果がある、というのをいろんなところで聞きます。今年はモーツアルト生誕250年ということで、急にそういう話が増えてきた感じです。以前もそういう話を聞いたことがありましたが、ま、モーツアルト贔屓による一種の信仰みたいなものって感じにもとれました。

でもなんか最近はちょっと悪乗り気味で、どっかの大学の先生がまことしやかに、モーツアルトの音楽にみられるゆらぎがどうのこうので、モーツアルトの音楽には強い癒し効果が見られる、なんていうものんだから、知らない人はだまされてしまう。大学の先生ってちゃんとした社会的に地位にある人なんだから、はっきりわからないことを断定して(=いい加減なことを言って(笑))人をだまし金儲けするもんじゃないですよね。

ごく常識的に考えたら、モーツアルトと言えど音楽様式の歴史の中で存在してるわけだから、モーツアルトのみが癒し効果が強い、って訳がないですよね。(件の先生は、「モーツアルトのみだなんて言ってましぇーん」といって逃げるかも)モーツアルトの音楽の中にも癒し効果はなくエキサイトさせるものもあるでしょうし、様式的に近いハイドンの曲に癒し効果がある曲も見いだせるかもしれません。

バッハの音楽やリュートのための音楽なんかもっと癒し効果があるかも。でも、いくらヴァイスの曲に癒し効果があるといっても、「癒しの音楽=リュート音楽」では世間になかなかアピールしません。その点「癒し=モーツアルト」というのは世間的にわかりやすいですよね。

音楽に反応するには、その人の音楽的受容力が大きく関係しているようで、その受容力は、音楽そのものの好き嫌い、基盤となる文化などが関係していると思います。だから演歌にもっとも癒しを感じる人もいれば、バッハでもっとも癒される人、武満でもっとも癒される人もいるわけです。モーツアルトの音楽の波形を見せてこの揺らぎがあるから癒し効果があるんだ、なんていうのは、昔の縁日のがまの油(傷によく効くという)の売り口上と何ら変わりません。ま、そのつもりで聞いて楽しくだまされ軽く腹を立てるというのもいいもんでしょうけどね。(笑)

キリ年(生誕200年とか、250年など)商売は、そういつもできるもんではないので業界も必死です。モーツアルトツアーも結構はやっているそうだし、地元ウィーンもなんとか儲けようと必死みたいです。モーツアルト250年が終わると次は何になるのかな。バッハ生誕350年2035年、うーんまだ生きているか結構微妙な年ですねぇ。ヴァイスは最近では1687年生まれ説が定着しているようなので、生誕350年は2037年、さらに微妙です。(笑)ま、せいぜい長生きして、キリ年商売で悪乗りましょう。

やっぱりカンタータ

2006年07月10日 23時53分01秒 | 音楽系
また最近バッハのカンタータをよく聴いています。平均律はさすがにちょっと飽きてきたんですね。1年くらいずっと車の中では必ず平均律というパターンだったので、さすがに聴く頻度は減ってきました。ホントは平均律第三巻が聴きたいところです。

レオンハルトとアーノンクールのCDで、90番台始めから110番くらいまでのをアマゾンでゲットして聴いています。(第5集はあと1セットとありました)以前もバッハと言えばカンタータ、というような内容を書いたと思いますが、200を超えるバッハのカンタータは量的にも質的にもバッハの作品の核心でしょうね。でもちょっと残念なことにバッハと言えば、トッカータとフーガとかメヌエットとかシチリアーナとか思い浮かべるのが一般的認識かな?ナントカという関西の芸人さんが「タララ~、鼻からぎゅーにゅー」とか60年代のシュープリムスの「ラバースコンチェルト」が一般に浸透してます。もっとも鼻から牛乳はもう廃れたかも。(笑)

でもこの3曲、皮肉なことにいずれも偽作の疑いが出ているか、偽作またはバッハ以外の人の作なんですね。有名なラバースコンチェルトの元曲、メヌエットはペツォールトの作曲だということがはっきりしているし、シチリアーナはバッハの息子の作らしいです。トッカータとフーガニ短調はまだ決定的ではないですが、偽作の疑いが出ています。これらはポピュラリティは確かにあるんですが、バッハならこの曲って感じではないと思いますね。やっぱりカンタータとか受難曲ですね。バッハがもっとも油が乗っていた時期にすごい勢いで書いたライプチヒ時代の曲なんぞは、これだけのクオリティの曲を1年も2年もの間毎週書き続けていたということなんですが、ほんとに信じられない才能です。

リュート弾きがカンタータに参加するのは、リュートが指定されている198番だけなんですが、(受難曲はいい場面でリュートが指定されていますが)別に一般的なコンティヌオ楽器として入っても結構行けるのがあるような感じがします。ただ音量的な問題があるので、オブリガートの楽器がない曲の方がいいかもしれません。

ヨハネ受難曲のアリオーソでは、バッハはあえてリュートの音が小さいということ自体を生かした曲作りを心がけたようです。相方の弦楽器はヴァイオリンではなく、ヴィオラ・ダ・モーレが使われ、非常に劇的な音楽のあとの静寂なリュートのアルペジオが、バスが歌う「思い見よ、私の魂よ、不安をこめた満足、・・・」のアリオーソを支える訳です。この静寂さ、音の小ささ自体に意味がある作りなんですね。もっともヨハネの第4稿では、リュートのアルペジオの部分はオルガンに取って替わられているんですけどね。ヨハネが第4稿で演奏されたバッハの晩年にはライプチヒではいいリュート弾きがいなかったので、やむなくオルガンで演奏したとリュート弾きとしては思いたいですね。可能性としては、思ったほど効果的ではなく、やっぱりくっきりと聞こえていた方がいいじゃん、というのかもしれませんが。(笑)