リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ギターde交流会

2011年10月31日 10時54分00秒 | 音楽系
岐阜県上石津町の日本昭和音楽村で行われました、「ギターde交流かい」に行ってきました。昨年も出かけたんですが、四日市のギター合奏愛好サークル「サルビア」さんが私の作品「モーニング・メヌエット」を演奏するというので、出かけました。

日本昭和音楽村は、ウチのすぐ近くを走る国道421号線をただひたすら阿下喜方面に向かい、途中で305号線、365号線を通って、三重県から岐阜県に入ったすぐの所にあります。当日はあいにく小雨模様でしたが、会場について車を降りると、何とも言えない上質な空気が肺に満たされ、幸せな気分になりました。

「サルビア」さんはもうすでに何度もこの曲を演奏しているんですが、さすが手慣れ来ただけあって、今回が一番いい出来だったと思います。あと「サルビア」さんには2曲(帰り道のブレとサルビア城)オリジナル作品をお渡ししてありますので、それらが演奏されるのが楽しみです。

「ギターde交流会」に参加されている方々は、60歳以上の方が大半です。みなさんお元気で演奏されていて何よりです。なんて、離れたところからものを言ってるみたいですが、自分も彼らと同世代に入ってしまうんですねぇ。(笑)

クラシックギターの合奏(ソロもそうですが)をされる方は若い世代はごく少なく、若い世代の人たちであっても多くは特定の一派だったりすることが多く、広がりをみせないでこのまま衰退していってしまうのはないかと少々気がかりです。でもまぁ、そんなことは気にせず、元気に演奏をやって行きましょう。

相次ぐ不祥事

2011年10月27日 12時20分25秒 | ローカルネタ
今日の朝刊に出ていましたが、また桑名市の汚職問題で逮捕者が増えました。市の公共工事入札における情報漏洩で入札を妨害したとのことです。逮捕者は市の職員と土建屋ですが、ここ数年ずっと汚職が続いてますねぇ。なんなんでしょ。小沢一郎関連でもM建の名前がまだ出てきますし、ロクな話題がない桑名市であります。住民として恥ずかしいです。

まぁ、大なり小なりこういった問題はあるというのはずっと以前からうすうす感じてはいましたが、ここまで問題が続出してもまだ一向に問題が改まらないのはよっぽど中身が腐れきっているんでしょう。

逮捕された業者は市長の支持者だったというし、逮捕者の一人は市長の私設運転手だったらしいけど、市長さんは責任を取るとかという動きはありません。このあたりは普通のジョーシキではちょっと考えられませんですねぇ。ま、若くして市長になった彼は、親の地盤を引き継いでなったにすぎませんから、親の支持者の傀儡にすぎません。親の年代だとそのうち辞めて新しい市長に変わるんでしょうけど、彼は若いだけに(でも現在はあまりご健康には見えませんが)いつまでも市長の座に座っています。古くさいままの桑名がいつまでも続いているわけです。そしてここに至ってついにあちこちから膿が吹き出てきて、ウジムシがニョロニョロというのが今の状態でしょう。

現市長はまさか任期一杯勤めるというのではないでしょうねぇ?彼では到底市の刷新はあり得ませんし、それどころかひょっとしたら官憲の手が及んだりして。ま、とにかく早くおやめになって、次の若々しい市長が大なたをふるって、市を改革してほしいものです。

教育評論家モード!?

2011年10月18日 22時58分06秒 | 日々のこと
今日の日経新聞のコラム。
円周率の話題でした。なんでも五兆桁まで計算した方がいるらしいです。すごい桁数ですねぇ。そして後半部にこんなことが。

(前略)
小学校では円周率を3と教えている、という批判がかつてあった。じつは学習指導要領には、場合によっては3でもいいと書いてあっただけだ。円周率は3.14。誰もがそうすり込まれてきたから当惑が広がったに違いない。教科書信仰ゆえの騒ぎだったのだろう。
(後略)

これには少し食いついてしまいました。確か、次の学習指導要領(つまり現行の)では円周率を3と教えなくてはいけなくなった、と騒ぎ立てたのはマスコミであったはず。「小学校では円周率を3と教えている、という批判がかつてあった」なんて書き方は、なんか人ごとみたいです。

実は、この評判の悪いゆとり教育をもたらした学習指導要領作成に関わっていたことがありまして(中学校の英語です)、毎週のように東京の文部省に通っていました。もうヘロヘロになって一連の会議が終了、その後告示、そして次の日の朝、ラジオで告示があった旨を伝えるニュースを聞きながら、学校に向かいました。

・・・英語科では必修単語が大幅に減らされわずか100語になりました。・・・とラジオ。

チャウチャウ、そんなことどこにも書いてへん。コアになる機能語(代名詞や前置詞など)を100語指定しただけなやけどなぁ。なんてつっこみを入れたりしていました。もう、ねじまげんといてほしいもんやわ・・・

そのあとです。小学校の算数で、なんと円周率を3と教えなくてはいけなくなった!!ってマスコミが騒ぎ立てたんですね。これも実は最初からどこにもそんな風には書かれていませんでした。よっぽど新聞に投稿しようかと思ったんですが、ま、ちょっと専門外だし・・・と思っているうちに沈静化というか人の噂もナントカみたいに忘れ去られていきました。

そしてそのあとに、今度は学力低下論が台頭。これも何の科学的根拠がないのにマスコミが騒ぎ立てたので、みなさんそんなもんか、やっぱりゆとり教育はいかんなぁ、ゆとり教育の学習指導要領はもっとあかんなぁ、なんてなって行ったのはご存じの通り。

今の学習指導要領も本年度限り、これだけボロカスにいわれた学習指導要領もめずらしいですが、一応ほんのカケラ程度ですが作成に関わってきた者としては残念です。現行の学習指導要領が学力低下をもたらしたとするなら、それは次の2点、総合学習と絶対評価が関わっていたと私見では思います。

大半の学校では総合学習の理念を生かすことは、スタッフの数、質の面から困難でしょうし、絶対評価もかなりいい加減に扱われていました。本来特別活動で扱われるべき内容を(例えば、修学旅行の準備とか学校行事の準備など)を総合学習として扱う学校が一杯出てきたし、キチンとした評定尺度に基づいていない、相対評価的な甘い評価をしているところが一杯出てきていました。で、それらの帰結として、学力は低下するのは目に見えていたのです。

もっとも現行の学習指導要領を1年経験しただけで私は学校を辞めてしまいまして、その後どうなったかはよく知りません。でも施行2年くらい前から警鐘を鳴らしまくってました。今はどうなってるんでしょうねぇ。各教科内容を精選したのゆとり教育がだめなのではなくて、理念は美しいが現場では対応できない総合学習を持ち込んだことと、絶対評価をきちんとやってこなかったことが問題だったと思うんですが、マスコミはこの肝心なところにはちっとも触れません。その総括をきちんとしないまま、来年度から次の学習指導要領が施行されます。今日はいつになく教育評論家モードです。(笑)

クロッシングの続き

2011年10月04日 14時25分46秒 | 音楽系
いつぞやのクロッシングの続きです。武満徹のクロッシングというオーケストラ作品は1970年の大阪万博鉄鋼館のために作られた曲です。なぜ鉄鋼館が現代曲かという理由は前回に書きましたが、新日本製鐵がクラシック音楽のラジオ番組のスポンサーで、その番組では、昨今のお砂糖を一杯まぶしたクラシック音楽番組とは異なり、現代音楽も時々紹介されていました。

大阪万博は、私はちょうど大学に入った年で、万博なんてアホらしくて行く気はなかったんですが、鉄鋼館で、武満徹、高橋悠治、クセナキスの3人の音楽がマルチスピーカーで鳴っているというので、それだけを聴きにのこのこと大阪まで出かけました。さすがにここは空いていて(笑)、ゆったりと鑑賞することができました。もちろん他は何も見ずに、さっさと帰りました。

武満徹の作品は件のクロッシング、高橋悠治はエゲン、クセナキスは、ヒビキ・ハナ・マという曲でした。高橋悠治の作品は電子音楽でパカパカパカという感じの音が鳴っていたような気がします。クセナキスの作品は・・・どんなのか忘れました。(笑)その後レコードも買ったのでまた聴きなおしてみたいと思います。

武満のクロッシングは、オーケストラの中に英語やドイツ語の喋りが入る大変印象的な作品です。今回彼の死後録音されたこの作品(2000年の録音です)を聴いて、クロッシングという作品のすばらしさに感銘を受けました。というか、1970年当時の演奏ではここまで表現しきれてなかった感じがします。

同じ事が、武満作品のサクリファイスの録音にも感じました。この曲はリュート、アルト・フルート、ヴァイヴ、クロタルというとてもユニークな編成の室内楽作品ですが、多分60年代終わりか70年代初めに録音されたLPレコードがありまして、それを買って聴いたことがありました。この曲の楽譜が、音楽芸術の付録にあって、それを持っていたんですが、楽譜を見てもどんな音になるのかさっぱり見当がつかず、LPを聴いて、フーンこんなもんか、なんて思ったものです。

ところが、1993年にフィンランドの演奏家たちの録音を聴きまして、とても驚きました。20数年前のLPとは全然サウンドが違うのです。もっともこのCDでは、リュートノかわりにロマンティック・ギターを用いていたのですが、それでも違いすぎです。というか、まぁ、はっきり言うと、最初の録音はどうもプレイヤーが曲をよく理解していなかったのかも。シロウト同然と言っていい人も録音に参加しているし。当時は人材不足だったんでしょう。

武満の初期の頃の作品を新しい世代の演奏家がどんどん取り上げてコンサートや録音をしていってほしいですね。ま、もうからないでしょうから、なかなか難しいことでしょうけど、武満の初期の作品はとても魅力的ですから。