リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

もの申す!

2015年02月27日 00時53分50秒 | 音楽系
「もの申す」なんて大上段に構えて偉そうに言っていますが、まぁそんなにことさらに言うべきほどのことではありませんので、小声で「モノモ~ス」。(笑)

リュートやギターの左手の使い方で、なんといいますか、左手が弦を押さえる必要がなくなったときに、こう左手をパラリとパーの状態にして、ペッとネックの外側(下方)に払うみたいな動作って見たことありません?あるいは、多分これと親戚の動作だと思うんですが、たとえば4ポジションから1ポジションに移動するとき、一瞬逆の方向つまり6フレットのあたりに持って行きそして1ポジションに移動する。このとき、左手はパーの状態になり、ペッと払うみたいな感じになるのは最初の場合と同じです。

この動作はなんか汚いものが指についたので、それを払うときの動作によく似ています。たとえば肥だめの中に石を放り込んだらおつりが指についてしまったのであわてて指を払う、みたいな。(笑)

この動作を名付けるとすると「おつり払い」「ウン払い」「払い指」「指払い」あるいは左手は弦を押さえるという仕事を放棄したことになるので、「捨て指」「指捨て」あたりかな?まぁ多少でもネガティブな響きがある「捨て指」がいいでしょうか。ひらがなにして「すてゆび」とでも言うことにしましょう。

さてこの「すてゆび」ですが、私から見てもスムーズに「すてゆび」をしている人を見ていると、とてもかっこよく上手に弾いているように見えますから、リュートやギターを演奏しない人から見れば間違いなくあこがれてしまうのでしょう。でも「すてゆび」は百害あって一利なしの動作であると言えます。

そもそも左手は指を緩く曲げた状態を保ち、最小限の動作で軽く素早く弦を押さえることを旨としています。日々取り組むべき様々な基礎練習はそういうことができるようになるために行うものです。それをわざわざ力を入れて指をパーの状態にしてさらに指盤上から外側に持って来て指を払う、ポジションもわからなくなるしもうむちゃくちゃでござりまする。左手にそういう動作をさせてはいけません。

「すてゆび」はギター界に結構蔓延している感じで、それが一部リュート界にも広がっている感じがします。でもどうも「すてゆび」はリュートとギターだけみたいで、同じ有棹弦楽器でもヴァイオリン属やガンバ属の楽器をやっている演奏家では見たことがありません。

ギターの大家、アンドレス・セゴヴィアとかジョン・ウィリアムスの昔の演奏をYou Tubeでいくつか見てみましたが、彼らは「すてゆび」をしていませんでした。だからそんなに昔からというわけではないようです。私が「すてゆび」に気づきだしたのもここ10年くらい前からですから。

先に書きましたように「すてゆび」は上手に弾いているように見えますので、上手なプロの方がするのはパフォーマンスとしてはいいんでしょう。陶酔顔をしたり上半身を大げさに揺らして弾くというのと同じ類いですから。それをまねて身につけた街のギターの先生の「すてゆび」を生徒さんが真似てしまったり、生徒さん自身が直接「すてゆび」演奏家を真似ることは、その生徒さんにとって確実に技術向上の妨げになるでしょう。

我がリュート界にもその影響が見られまして(リュートの演奏家が逆にギターの方に影響を与えたのかもしれませんが)、私の生徒さんでもおひとりだけでしたが教えたはずのない「すてゆび」をされる方がいました。どっかで見て覚えたんでしょうねぇ。もちろん「すてゆび」をしないように指導しましたが、結構癖になっているみたいでした。You Tube には「すてゆび」パフォーマンス満載のリュートアマチュアの方もいますし、ヨーロッパ人のプロリュート奏者の方で「満載」の方もいらっしゃいます。

「すてゆび」をやるのはオラの自由や!っておっしゃるのはごもっとも。別にそれで世の中が混乱するわけでもないし。

かっこよく見えるんだからお前もやってみたら?

ええ、ちょとやってみたんですが、なかなかうまくできないものです。力が入ってしまうし、ポジションもわからなくなるし。

さて、結論です。パフォーマンスさえできたらいいという方には「すてゆび」はもってこい。でも左手の技術を向上させたいのであれば「すてゆび」はもってのほか。

納豆三昧

2015年02月22日 20時33分53秒 | 日々のこと
納豆のシールを沢山集めてメーカーに送りましたら、納豆セットが届きました。



桑名市の小杉食品の都納豆(写真の奥に写っている赤いパッケージの納豆です)の紙パッケージにはシールが印刷されていまして、それを切って200枚集めるともれなく納豆セットがもらえます。せっせと都納豆を食べてめでたく納豆セットをいただきました。

ただちょっと運が悪いことに、届いた前日に別の会社の納豆を沢山購入しました。従っていつもの倍のペースで納豆を食べていかなくてはいけません。もっとも冷凍をしておいて食べるときに解凍してから食べる方法もあるそうですが。

バロック音楽の旅8最終回

2015年02月16日 22時31分56秒 | 音楽系
昨日はバロック音楽の旅8の最終回「ヴェルサイユに至るフランス・ヴィオール音楽の系譜」でした。会場はいつもの「くわなメディアライヴ」です。

ここの会場はいい意味での設計ミス?のため、古楽にとても適した音響、そして充実の空調設備を備えています。今回演奏していただいた、ヴィオラ・ダ・ガンバの坂本さん、上田さんもこの会場のアクースティックにとても満足されていました。私の推測ですが、会議なんかには音が響きすぎるし天井も高すぎるので使いにくいのではないかと思います。

本年度は第3回~6回までのコンサートを全てフランスバロック音楽に統一しました。その最終回を飾るのにふさわしく第6回はフランスのヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)音楽の歴史的な流れをたどりました。今までヴィオラ・ダ・ガンバという楽器自体は本講座では何度も聴いていただきましたが、コンサート全体がヴィオラ・ダ・ガンバのみというのは実は今回が初めてでした。会場の響きと相まって、会場が典雅な雰囲気に包まれました。



プログラムは以下の通りでした。

1)バレー、サラバンド(ニコラ・オットマン)
2)プレリュード(ジャン・ドゥ・ サント・コロンブ)
3)ファンタジー(ルイ・クープラン)
4)プレリュード(ドゥマシ)
5)コンセール第3番「優しい人、サラバンド、ガヴォット」(ジャン・ドゥ・サント・コロンブ)
6)プレリュード(サント・コロンブⅡ世)


第2部
1)サント・コロンブ氏のトンボー(マラン・マレ)
2)鍛冶屋(ローラン・マレ)
3)プレリュード「重々しく」(フランソワ・クープラン)
4)クープラン(ルイ・ドゥ・ケー・デルブロワ )
5)摂政(アントワーヌ・フォルクレー)
6)デュ・ヴォーセル(ジャン・バティスト・アントワーヌ・フォルクレー)

演奏は坂本利文さんと上田牧子さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)そして第2部は私も通奏低音で参加させて頂きました。坂本さんの大変インフォーマティブなお話でコンサートは進行し、熱心にメモをとっておられる受講生の方も見受けられました。

次年度はバロック音楽の旅9としてまたスタート致します。「9」では、人気バロックアンサンブルのムジカ・レセルヴァータ(チェンバロ岡田龍之介さん、リコーダー&フラウト・トラヴェルソ国枝俊太郎さん、ヴァイオリン小野萬里さん、チェロ高橋弘治さん)、バッハ・コレギウム・ジャパンで大活躍、テノールの石川洋人さん、ドイツで大活躍の伊藤美代子さんマルティン・エアハルトご夫妻(ガンバとリコーダー)、そしておなじみ、チェンバロの杉浦道子さんなど多彩な顔ぶれが登場です。詳しくは私のHPをご覧下さい。本講座は桑名市民以外の方も参加できます。すでに定員の半分近くの人数をご予約いただいていますが、まだ日程的にも余裕がありますので興味がおありの方は是非ご連絡下さい。




現代音楽のこと、とりとめもなく

2015年02月12日 17時55分37秒 | 音楽系
昨年初めに世間を騒がせた小保方さん関連のニュースはいまだに出てきますが、そのすぐ後に出てきたニセ現代のベートーベンのネタはもうすっかり世間から消え去ってしまいました。それを少し思い出させたのは、昨年末の新垣さんのテレビ大活躍くらいでした。でもそれももう下火。新垣さんももうバラエティ番組には出ていません。

年末のテレビを見ていて、すばらしい才能がある新垣さんをああいう扱いをしていていいのか、いくらなんでももうちょっとリスペクトが必要なんでは?なんて軽い義憤に駆られてはいましたが、本人の承諾の上ででているわけでしょうからそれはそれでいいんでしょう。

ニセ現代のベートーベン問題が起こった背景はいくつか考えられると思いますが、ひとつには日本のクラシック音楽、特に現代音楽の分野を支える仕組みが弱っているからという感じがします。今の日本では、単なる才能のある作曲家というだけではだめで、障害者、被爆者でもある天才作曲家という設定にでもしないと世の中が振り向いてくれない、スポンサーになってくれる企業がいないというのが現状です。こういった現状では当然一般のクラシック音楽もやせ細り、現代音楽の時代的には対極にある古楽もやっていくのが大変ということを意味します。

でも昔の日本は違っていました。50年くらい前は、八幡製鉄コンサート(後の新日鉄コンサート)というラジオ番組がありました。曜日は忘れましたが、夜10時くらいからでした。

このラジオ番組はクラシック専門で、もちろん昨今のクラシック音楽番組によくみられるような、砂糖たっぷりの甘口にしてさらに蜂蜜をかけたような内容ではなく結構硬派でした。当時中堅作曲家であった黛敏郎の「無伴奏チェロのためのBUGAKU」なんかもこの番組ではじめて聴いた覚えがあります。

もともとクラシック音楽、特に現代音楽なんて儲かるものではないとは思いますが、昔はいくつか番組があったり、大阪万博のときには鉄鋼館など現代音楽をテーマにしたものがありました。武満徹の「サクリファイス」という室内楽曲が音楽芸術の付録でついていましたが、桑名市内の本屋さんでその雑誌を買いました。こんな地方都市でもこういった楽譜が手に入った時代です。

これらのものを支えるにはそれなりのお金が必要なんでしょうけど、昔はいまより金回りがよかったのでしょうか。現代の方がずっと世の中の富は多いような感じがしますが、富が偏在しているのでしょうか、現代音楽にはさっぱり。ですから現代音楽の作曲家なんて絶滅危惧種だなんて言っている人もいるほどです。

先日の日経新聞に日本の30,40代の日本人作曲家の話が出ていました。日本で活動している人もいますが、何人かは日本では活動の場が見いだせないのかヨーロッパを本拠にして活動しています。まぁ日本、ヨーロッパなんて対極的に言っている時代ではないのかもしれませんが、ちょっと寂しい感じがします。

興味があった作曲家がいたので、アマゾンでCDを探してみましたが、ありません。コンサートはもっとありませんから、せめてCDくらいと思いましたが、YouTubeにはありました。これはもうCDの時代ではないという別の問題かも知れません。

なんかどんどん話が拡散していってしまって、落としどころが見えなくなってしまいましたが(笑)とりあえず今回はこのくらいで。

恐ろしい話→メカニズム解明!

2015年02月04日 17時36分54秒 | 音楽系
最近の世の中は恐ろしい話が一杯ですが、こちらも考えようによってはとても恐ろしい話。

私の楽器のケースの多くは、超軽量のラソオマケースですが、全てストラップがついています。このストラップでもって楽器を肩にかけて歩くと両手が空くのでとても便利です。

ところが、頻繁というほどでもないのですが、何かの拍子にポロっとストラップの金具が楽器についている環から外れることがあるのです。今まで2,3回はあったと記憶しています。このケースを使い始めて10年ちょっとですので、10年に2,3回というのは決して高くはない頻度ではありますが。

でも最悪の場合楽器が下にドンと直撃してしまう可能性があります。幸いにしていずれの場合も楽器のケースを押さえていたので事なきを得ましたが、ケース毎直撃したらほぼ確実に中の楽器は故障するのではないかと思います。10年に1回でもこんなことが起こったのではたまりません。

でもどうしてはずれそうもなさそうな金具が外れてしまうのか?これがなかなかわからなかったのですが、最近金具をいじっていたらその「メカニズム!?」がわかりました。


楽器を床とか地面に置くと、ストラップはこんな感じになります。この状態で外れることはありません。



ところがこんな感じになっていると危ないです。



上の写真の状態から手の方向(左下方向)に引っ張ると知恵の輪が抜けるようにポロっと外れます。


対策としてはストラップの金具と楽器側の環をしばっておくことです。この状態でも理論的には外れる可能性がありますが、しばってあるので、楽器がストラップからはずれるということはありません。

壁ドンならまだしも、楽器ドンでは洒落になりません。こういった類いのケース用ストラップをお使いの方はくれぐれもご用心。