リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

耳を覆いたくなる・・・

2008年07月31日 20時51分42秒 | 日々のこと
私は週刊誌の広告を見るのが好きでして、電車の中吊りや新聞をいつも目を凝らして見ています。広告にはなかなかキャッチーなフレーズがあふれていまして、これを読んであとは適当に想像をふくらませたら、実際に週刊誌を買って読むよりずっと面白いくらいです。実際喫茶Kなんかに行って、ここは何種類か週刊誌がおいてあるんですが、あ、この記事ちょっと前に新聞の広告でよんだヤツだな、って思いながら読んでいくと、実は大して面白くなかったりすることがよくあります。

今日の朝刊にも、週刊BとSの広告が並んで出ていました。これって大体同傾向の週刊誌が並ぶようです。週刊GとPも別の日に並んで出てます。

週刊Bの見出しに、「(通り魔事件の)遺族たちの耳を覆いたくなる悲鳴」というフレーズがあって、アレレレなんか違和感があるぞ・・・って、パッと見た瞬間に思いました。耳って覆うのかしら?(笑)耳をふさぐとか耳を疑うというのは聞いたことがありますが。広辞苑で調べてみましたが、耳を覆うというのはありませんでしたねぇ。覆うのは目でしょう。

目を覆う惨状、というのは、ひどい状態なので直視できず目をそらす、ということでしょうけど、その語感から、「遺族たちの耳を覆いたくなるような悲鳴」は遺族が逆に聞きたくないようなひどい非社会的なことを言っているように感じたんですねぇ。これが多分違和感の核でしょう。耳を覆いたくなるようなリュートの演奏、というのはまだ語感的にいけると思いますが。(笑)

ホントは「遺族たちの悲痛な叫び」だと思うんですが、実際の内容はどうなんでしょう。週刊Bをを読んでみないとわかりません。今度喫茶Kに行ったら読んでみようかな。でもあの喫茶店はたばこの煙が臭いしなぁ・・・

たばこ

2008年07月28日 12時04分44秒 | 日々のこと
たばこを1000円にする、という議論がなされているそうですが、大賛成ですね。実は私もかつてたばこを吸っていたことがありましたが、長男(今23歳です)が生まれたのを機に吸うのを止めました。10何年は吸っていて肺は汚れていたと思いますが、もうすっかりきれいになっているはずです。

神奈川県では公共の建物内を全て禁煙にするという条例制定に向けて動いているようですが、実施は結構大変そう。もしこれが実施されたら、たばこはどこですったらいいんでしょうか。やっぱり学校のトイレでこっそり、というのが古典的方法でしょうが、最近では難しそうです。となると、あとは自宅が外か。外も禁煙エリアがあるし、なかなか気をつかいます。

コーヒーショップのいくつかは店内禁煙のところもありますし、完全分煙(別室)にしているところもあります。でも「混煙」のところもけっこうあるように思えます。名古屋エリアを中心に店を出しているコーヒーショップAは、一応テーブルで禁煙、喫煙を分けてますが、しきりがない以上は臭いや煙はかならず禁煙テーブルのところにきます。Aのいくつかの店では、禁煙席の設定すらなく、そこに行くともう大変です。まぁ行かなきゃいいんですが、そこしかないときもあってつい入ることもあります。

禁煙席の設定がない店は、たばこを自由に吸えるということでしょうが、そこにはたばこを吸わない人もいるはずです。近くにたばこを吸っていない人がいたら、たばこの火を消して欲しいんですけどねぇ。なんせ、臭くて煙たくてたまりません。たばこを吸う人がいない場所を選んで座ってたら、近くにたばこを吸う人が来て、すぱすぱ・・・気の強い人なら、「あんた、吸うのやめたらどう?」とか言うのでしょうが、私は気が弱くてとてもそんなこと言えません。

百害あって一利無しのたばこを敢えて吸う人は、せっせと税金を収めてもらったらいいんですが、害を吸わない人に及ぼさないという配慮が欲しいもんです。

バッハのシャコンヌ(4)

2008年07月23日 15時04分49秒 | 音楽系
バッハのシャコンヌはオリジナルのヴァイオリンでの演奏以外に、ピアノ、チェンバロ、ギターなどに編曲されることもあります。もちろんリュート用に編曲されることもあります。残念ながらバッハの時代のリュート編曲はありませんが、現代では、ホプキンソン・スミスやナイジェル・ノースがいいアレンジで録音しています。

シャコンヌを編曲するときに、考えなくてはいけないのは、バスの動きです。ヴァイオリンという楽器の制約上バッハは全てのバスは書かずに、暗示的に旋律のラインに埋め込んだり、省略したりしています。でもバスの動きの上に書かれているのは明らかです。というか全てのこの時代はバスが大変重要な働きを持っています。バスをどう扱うか(バスのラインをどう書いていくか)は、無伴奏チェロ組曲を編曲するときにも同じく出てくる重要な問題です。

リュート曲に出てくるシャコンヌの場合、バスの主題は単一であることが多いのですが、(中にはロンド形式みたいなのもありますが)バッハのシャコンヌでは複数の主題が設定され、また扱いがあまり厳格でないところもあります。でも前半部分はかなり厳格な主題の扱いが見られ、4小節の主題が2つずつペアで扱われ進行していきます。すなわち音程の飛躍がある主題が4回繰り返され、次の半音で下降する主題が2回、また飛躍主題2回、半音下降主題2回という具合です。

難しいのはこうしたバスがヴァイオリンの音符からは少し見えにくいことです。もちろんきちんと演奏しているヴァイオリニストであれば、こうしたバスの変化は意識しているはずですが、他のもっと和音が沢山出る楽器に編曲する場合、バスの付け方次第で、バッハが意図していたバスがわからないまま変なバス(というか単なる低音)を着けてしまい、バスを理解していないと言うことがバレてしまったような編曲もあります。ま、こうしたことがバレないようにするには、ヴァイオリンの音のマンマを弾くという手があります。何も足さず何も引かずという感じです。でもこれだとリュートであってもちょっと音が少なくてさみしくなるので、やはりリュート的なバスはつけたい、となると明示されていないバスをどうするかという問題に突き当たるのです。

発表会2つ

2008年07月22日 12時28分23秒 | 音楽系
ここ何日か桑名では全国トップレベルの高温続きでした。今日も暑いので、またランクインかも。(笑)

実は、その間は桑名にはいなくて、(といって避暑に行ったわけではりません)名古屋やその近郊の町にいましたので、最高気温37度何分という気温は体感しておりません。夜は家に戻りましたが、まだ充分暑かったです。

19日は、名古屋のA貿易関係の方が主催するギター愛好家の方の発表会を聴きに行きました。私の生徒のN1さん、Iさん、N2さんを特別枠で出させて頂くことになりました。会場がA貿易すぐ隣の喫茶店でしたので、A貿易社長のA氏と久しぶりにお会いでき、開演前のひととき昔話に花が咲きました。(笑)

発表は初級レベルの方が中心でしたが、中には始めて間もない方も。昔ギターをやってた頃、この手の発表会は何回か聞いたことがありましたが、その頃の雰囲気を思い出しました。私の生徒は、ソロとリコーダーとのアンサンブルでしたが、音が非常によく通り典雅な演奏でした。きっとギターの愛好家の方も感銘を受けたのではないでしょうか。

翌20日は岐阜県の愛好家の発表会を聴きました。これは年に1回催されるもので、県内を中心に県外の方も何人か参加がある、いつも大変盛り上がる会です。この会は多分近隣の愛好家の発表会では一番レベルが高いのでは、と毎回感じさせられます。私の生徒のKさんがバロック・リュートでヴァイスの作品を演奏しました。モーリスの楽器を使った演奏は、よく通る音で静謐な雰囲気を漂わせ、ギターとは全く異なる世界を表出していました。

第3部は都合で退出したので聴いていませんが、私の聴いた範囲では他にもいい演奏がいくつかありました。そのうちの一つ、16歳の高校生の演奏は、まだ音楽的な基本も何もできてないレベルでしたが、将来いい演奏家になれることを感じさせる演奏でした。いい先生について勉強を重ねて行くという条件付きですが・・・この「いい先生」というのが日本のギター界では見つけるのが大変でしょうが。

あと、年配の男性で大変音楽的にバッハを演奏された方や、結構な難曲を技術的にほとんど問題なく演奏された方もいて、なかなかすばらしいと思いました。

大変層が厚くレベルも高いこの発表会、また来年も楽しみにしています。

巨大通奏低音炸裂!!

2008年07月17日 11時43分21秒 | 音楽系
「お祭りサウンド全開!巨大通奏低音炸裂!!桑名の石取り祭り」というコピーはどうでしょう。(笑)

私の町内は今を去ること50年程前までは石取り祭りに参加していまして、もちろん祭車もありました。多分まだ私が幼稚園に行くか行かない頃、「最後の祭り」で鉦をすらせてもらったら、恐ろしいくらいの振動が左手に来たことを今でも覚えています。

祭りに参加をするのをやめたのは、大変小さい町で、人手がなく、経費的にも大変だったからとあとで聞いたことがあります。子供の頃は、近所の町はほとんど祭りに参加しているのに、自分の町だけなぜ?と残念に思ったものでした。

祭りに参加はしなくても、あの独特の形をした祭車はずっと残っていました。ちょっと小振りで第二次大戦の桑名空襲でも運良く無事だった祭車です。長島温泉に貸し出して展示されていたこともありましたが、結局四日市の近くの町に、10年ほど前に売却してしまいました。祭車を収納する車庫が建っていた土地は、町内の所有で今は駐車場として貸し出しています。

桑名市の石取り祭りをまねた祭りが三重県北部の地域でいくつか見られますが、四日市近くのその町もそうした地域のひとつです。私の町の祭車だった車を一度また見てみたいものです。

日本一超大音量祭り

2008年07月16日 23時38分12秒 | ローカルネタ
いよいよ桑名市の天下の奇祭、石取り祭りの練習が始まりました。昨日のSさんのレッスンは申し訳ないことに、その練習の音がガンガン聞こえる中でした。でも次回のレッスンはもう大丈夫です。(笑)

練習は今週から始まり、来週の終わり頃には終了すると思います(多分)。桑名市に生まれ育った(途中10何年間は別の場所で生活してましたが)私は、このボリュームたっぷりの音が聞こえてこないと夏が来た気になりません。桑名市を離れて生活していた10何年間はホントさみしい夏を過ごしました。

祭りの宣伝で、「日本一やかましい祭り」、なんてコピーをつけていましたが、これってひょっとしたら、桑名のネイティブが作ったコピーじゃないですね。桑名ネイティブは誰も「やかましい」とは思ってないです。確かに音が大きいのは事実ですが・・・(笑)

「やかましい祭り」というのはネガティブな意味合いのことばなので、「日本一超大音量祭り」「ニッポンイチ巨大音響祭り」とかいったポジティブな表現にしてほしいところです。

祭りは8月1日24時から始まり、3日の夜にクライマックスを迎えます。お時間のある方はぜひ桑名市までお越し下さい。

暑いっす。

2008年07月14日 15時54分45秒 | 音楽系
何か真夏になったみたいな暑さが続きますねぇ。この間も桑名市は多治見市に0.3度低い気温でした。惜しい!どうせなら、多治見を超えなきゃ。ガソリンも上がるし、気温も上がるし、上がってほしい株は上がらないし、世の中うまくいきません。

私の車のガソリンは、昨日まで117円と125円のガソリンが混じっていましたが(つまり4月からあまり車に乗ってないということです)、ついに高い178円物を10リットルだけ入れました。最近特に車に乗らないで鉄道を利用するようにしているんですが、そのうち鉄道料金も値上げに動くかもしれませんね。これだけ原油が上がれば、鉄道だって当然石油資源に依存している部分があるわけですから、値上げになって当然ですよね。オール原子力発電ということになれば、話は別でしょうけど。

原子力発電は地球温暖化対策に有効ということで、こないだのサミットでは原子力発電推進の方向にということがうたわれましたが、環境問題改善という視点に立てば、問題先送りか問題すり替えって感じです。星新一のショートショートに、そんなことをテーマにしたものがありましたね。

なんでも吸い込んでくれる穴があって、人々はそこへゴミを何でも捨てていったら、空気はきれいになり環境改善になった。で、万々歳とおもいきや、ある日、かつて捨てたゴミがどーっと空からふってきて・・・というようなお話だったと思いますが、原子力発電転換というのは結局そういうことなんですよね。

ソーラー発電に力を入れているドイツはサミットの合意に最後まで反対したようですが、結局折れたわけですね。知り合いのドイツ人に聞いた話では、ドイツではガソリン1リットル2ユーロだそうです。今の邦貨換算で350円近い値段!ここまで値が上がるともう車に乗る人はぐっと減りますよね。そうなると空気はきれいに、二酸化炭素も減ります。もうプリウスなんて不要!?でも環境対策車が増えるとさらに環境はよくなる。でもそうなるとガソリンスタンドはばんばんつぶれるし、物流コストもあがり物価も上がるでしょうけど、このあたりは上手にやってるんでしょうね。

男女差

2008年07月13日 14時38分23秒 | 日々のこと
ニートはどうして男性だけ?という記事がヤフーに出てました。記事によると実際は男女半々くらいだそうですが、女性の場合は家事手伝いというステイタスが社会的に認知されているので、表面に出てこないということのようです。

以前は家事手伝いと男性が称してはいけない、というのが社会通念で、男性がそう言ったところで軽いいいわけに響いてしまうのが日本の社会でした。今もあまり変わらなのかも。

若い頃、リュート弾きになろうというものなら、そんな訳のわからないことをいわんときちんとした正業につきなさい、という答えが跳ね返ってきました。確かにリュート弾きは、今でも大概訳のわからないと言われがちな業種ですが、古楽が社会的に認知されていなかった70年代始めは実際に訳のわからないものではありました。

それでも次男以下はまだ自由があったかもしれません。でも男性は概して窮屈ではありました。女性の場合は、はたから見てるともう少し社会的に自由度が高く、実際モラトリアム期間が長かったと思います。ホント、男に生まれて損したとその頃は思いました。

当時私はその圧力を振り切って音楽専業の世界に飛び込むことはできず、結局28年間潜伏して、やっとリュート専業になったわけですが、当時社会的圧力を振り切ってその道に果敢に進み海外で学んだ人たちもいました。でも成功した人もいましたが、何人かは数年も経たないうちに勉学を断念してしまいました。ある人は帰国を余儀なくされ、ある人は帰国すらできず・・・といった惨状でした。

いろんな方の歩みをその人の才能や置かれた境遇を背景に見てみますと:

才能もあり家も裕福な人は○、才能はそこそこ家は裕福、これも○、才能無し、けど家は裕福、これは結局×、ものすごく才能があるが、家は貧乏、これは○(多少の運も)、才能そこそこ家貧乏、これは△、才能なし家貧乏、× 

という感じで、男性だからとか女性だからという部分は見えてきません。

男に(しかも長男に)生まれて損したと思ったこともありましたが、女性の場合家督的なしばりや社会通念からは多少は自由だったとはいえ、音楽系の場合は長期的総合的に見ると男女の差はそんなに大きなファクターではなかったように思えます。

アイフォーン

2008年07月12日 11時47分37秒 | 日々のこと
iPhoneの発売日は近年にない熱さを帯びてましたね。Windows Vista発売のときなんかもう結構普通の日に近いという感じでしたし、コンピュータ関係というか電子デヴァイス関係でこれだけ熱気があったのも久しぶりです。世の中沈滞停滞気味なので、多少なりとももうそういったものを吹き飛ばされた感じがあります。

私が携帯端末をWillcom 03 に替えた話は以前いたしましたが、デヴァイスとしての魅力とか完成度という点では、残念ながらiPhoneの足下にも及びません。まだ実機はみたことがありませんが、iPod touchと比べてみた限りでは、Willcom 03が5年くらい前の機種に見えてしまいます。

iPhoneに限らず、アップル社の製品は見た目だけでなく、さわった感じ、操作した感じがとても洗練されていて、手になじみます。この手の感触というのが他社の製品にはあまり反映されているのが見たことがないのはどうしてなんでしょうね。

Willcomスマートフォンの初代、W-ZERO 3 は、キーボードを出そうとして右手人差し指を本体に当てると、ちょうどそこがカメラのスイッチ。カメラのソフトウェアが起動してしまいます。おまけにその起動がものすごく遅く、切ろうと思っても完全に立ち上がるところまで待たなくてはなりません。ここのスイッチをつけたらまずいとは思わなかったんでしょうか。

この間まで使っていたadvance [es]の数字キーボードは普通の携帯ライクでとてもいいのですが、かまぼこ状になっているキーの形状がよくありません。見た目ではかまぼこ状になっているので、とても識別しやすいと思います。電話をかけるときと切るときに使うボタンはさらに分かり易くするためにかまぼこがふた山になっています。実はこれがいけません。このふた山の谷とキーボード間の谷が同じような触感で判別しづらいのです。

なぜシャープ(ウィルコムのスマートフォンを開発してます)はアップルのような製品作りができないのでしょうか。シャープでは、ヤボったい、感性にとぼしい技術者ばっかりがスマートフォン作りをしているのでしょうか。アップルの製品には感性があり合理性もあり美意識も感じさせます。昔のソニーのウォークマンにもそういったものを感じた記憶があります。シャープのみならずアップル以外の一般消費者向け情報機器製造会社でそういったものを持ち合わせているところはほとんどなさそうなので、当分アップルの圧勝が続くでしょう。

国内のブログは・・・

2008年07月11日 18時28分34秒 | 日々のこと
国内ブログ8割以上が更新されず。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080704-00000044-zdn_n-sci)

私のブログはこの18%に入ってるわけですね。(笑)できるだけ毎日更新を心がけていますが、最近はちょっと滞り勝ちかな?毎日書いてるとネタはいくらでも出てくるんですが、ちょっと書かない日が続くと不思議にネタが出にくくなってくるもんです。

今後もいろいろな話題で書きつづっていきますので、皆様ご愛読の程をよろしくお願いいたします。