リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

マルアイ花かつお

2009年03月31日 12時32分26秒 | 音楽系
車に乗ってましたら、ラジオからマルアイ花かつおのコマーシャル・ソングがながれていました。

「ぼ~くのとなりのお姉さん アメリカから来た留学生 オーコレニッポンノカオリネ・・・」

この歌は昔から同社のコマーシャル(東海地方ローカル)に使われていましたが、歌詞が変わっていますね。昔は、

「ぼ~くのとなりのお~ばさんは、アメリカ帰りのお~ばさんで、へ~んなことばでいうんだよ。オー マルア~イ ハナキャツオ エイヨー タピューリネ・・・」

みたいな感じだったかな。全部は詳しく覚えてませんが。(笑)なんでも44年ぶりのリニューアルらしいです。http://www.kk-maruai.co.jp/cm/cm.html

新しい歌詞は、時代を表してますね。今の時代、アメリカから帰ってきた人が「へんなことばで言う」となんて言わない方がいいのかも知れません。

放送倫理規定があり、あのことばは使ってはいけない、これもいけないとかいろいろあって、このコマーシャル・ソングはそれを意識しているんでしょうが、リスナー側としては少し窮屈な感じを抱かないでもありません。ま、そんなことを言うのは昔のバージョンを知っている中高年の人だけかも。(笑)

以前NHKラジオの生放送対談を聞いていましたら、ゲストの方が「ジプシーはなんたらかんたら・・・」って言ってまして、私は、「お、これは来るな」と思ってましたら、案の定アナウンサーが話を遮って、「ここで少し音楽をお聴きいただきます」と言って番組が中断しました。

音楽が終わって、対談が再開したとき、「さきほど不適切な表現がありましたので、お詫び申し上げます」というアナウンサーのことばがありました。NHKは敏感です。(笑)

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(8)

2009年03月25日 11時04分22秒 | 音楽系
あとバスのラインをどう演奏するかに関して、これは編曲の問題ではなく演奏上の問題でしょうが、バッハはマメに休符を書いていてそれをリュート上ではどう処理すべきなのかという問題があります。

例えばプレリュードのtres visteの部分のバスは、拍の最初に音があるだけのときは、付点8分とか、4分音符+8分休符ではなく、8分音符+8分休符+8分休符という風に全て書かれています。

このようにバッハがマメに休符を書いた、というのは実は当時のリュートのバス弦の響きが低い音に関してはあまり音の持続がなかったので、それをバッハが音符にしたにすぎない、だから実際の演奏に際しては別にわざわざひとつずつ消音をしていく必要などない、という考えることも可能です。これはもちろん当時のバス弦と同じ弦を使っているという前提がありますが。

このあたりは実は結構微妙で、リュートのガットをもとにしたバス弦の復元技術と関係してきます。私見ではまだ誰でも安心して使えるレベルにぼちぼち達しつつも、もう一歩というところだと思います。ヤコブ・リンドベルイなどはオリジナル楽器でアキーラ社のローデド・ガットのバスを張って演奏していますが、ローデド・ガットのバスであっても結構音は持続し、きちんと消音しないと、ピラミッド社の弦を使ったときと同様、バスのラインは音が濁ってぐちゃぐちゃになってしまいます。

ということで、私自身は、昔式の弦を使うとバスの消音は必要ないという考えは間違っていると思っています。以前(今も出てるかも知れませんが)ドイツの弦メーカーでガット芯の金属巻き弦を出していました。これはオリジナルの弦はこういった感じだということで出していたんでしょうが(実はガット芯の現代風金属巻き弦はヒストリカルではありません)、音は多分あまり持続のない音がオリジナルだろうと想定していたようで、ポコポコの音でした。あまりに持続音が短くて、音程感すら希薄な弦もありました。簡単に言うと使い物にならないということです。

バス弦に関しては、例えばヴァイスはこんな弦を使っていた、という物的文献的証拠がありませんので、当時作られていたいろんなタイプの弦(これは絵とか残っている断片的な弦からわかります)を作り実践検証していくしかありません。今のところ、アキーラ社が出している「ゆる巻き線」(open wound string)が一番いいのではと思っています。あと、「ある程度は」切れにくい細い高音弦も必要です。

ということで弦の話に深入りしますとキリがないのでこのあたりで止めますが、バッハが書いた休符は私としてはきちんと尊重して演奏しています。

バッハのリュート曲995タブ化メモ(7)

2009年03月24日 13時55分11秒 | 音楽系
バッハの自筆譜をタブで書いていくと、(つまりリュートで弾けるようにするということです)技術的な難所がいくつか出てきます。もちろんヴァイスの曲なんかにも技術的に難しいところは存在しますが、それらとは比較にならないくらい難しいところです。

難所になるところは基本的には、ふだんはあまり押さえることのない8コース以下のバス弦を押さえてかつ上の声部の音も押さえるときなんかに現れます。バスの動きが多すぎたり、声部が多くて難しくなるというのも技術的に難しいところですが、この曲にはそういった部分は出てきません。このあたりがやはりバッハがリュートを念頭に置いて書いているということでしょう。

バス弦を押さえてメロディを弾くのは難しいことが多いので、リュート奏者が書いた曲ですと、バス弦を本来の位置からオクターブあげたり下げたりすることがよくあります。これは当時はむしろ当たり前のことで、むしろリュートの個性ととらえられていたようです。

ですから、例えばプレリュードだと、tres viste なってから44小節目に出てくるミの音は、バスの流れから行くと、9コースの1フレットを押さえる低いミであるはずですが、ここだけボコっと1オクターブ上がっています。(その次のバスはまた今までの流れで低い位置です)

このあたりは、リュートを意識したバスのラインをバッハは書いたと考えていいと思います。総じてなかなか上手にリュートに合わせてバスのラインを書いていると思いますが、よくあるリュート曲よりは若干バスの音が多く押さえにくいところも出てきます。いわばリュートの技術の限界に挑んでみた、ってことかも知れません。トータル的にはプレイアブルです。

左手の技術的に最も難しいと感じるのは、サラバンドの終わりから4小節目、バスのミ(9コース1フレット)の音を保持したまま、1コース5フレットのシ♭を押さえるところです。この「対角線」の距離は相当あり、私のそう大きくない手ではぎりぎりです。このあたりはバスをオクターブ上げたいという誘惑にかられますが、ある意味「見せ場」でもありますので、はずさないようにがんばってます。(笑)

少しでも技術的に楽になりたいときは、バス弦のオクターブ弦のみを弾くという手があります。ま、こういうときはその手は使わず、ばさっとオクターブ下げれば別にいいんですが(18世紀に成立した本楽曲のタブラチュアでは、頻繁にそういうことをやっている)、バッハの書いたバスのラインにこだわってみたいので、何カ所かはその方法を使いました。

バロック音楽の旅08第5回講座

2009年03月22日 17時14分42秒 | 音楽系
昨日はくわな市民大学市民学科講座「バロック音楽の旅2008」の最終回、私のリュートコンサートでした。年間5回の講座ですが、あっというまに終わっちゃいましたね。(笑)

今回のプログラムは、昨日3月21日がバッハの誕生日だということで、バッハ特集。でも言っちゃったのいいですが、バッハ中心のプログラムはホントに大変でした。昨年12月にはシャコンヌを弾いたし、最近バッハづいていますね。曲は組曲第1番ハ長調BWV1007、組曲ト短調BWV995とヴァイスのヘ長調ソナタからの抜粋です。ちょっとしたリサイタル並の重厚なプログラムですねぇ。

よく自分のコンサートは雨に恵まれていますが、最近はいい天気続き。今回もとても暖かい日でした。会場の大山田キリスト教会は講座の受講生の皆さんで一杯になりました。毎回思うんですが、桑名を中心に名古屋近辺でこんなに沢山バロック音楽を聴いて頂ける方がいらっしゃるのは本当にすばらしいことです。でも、この事実は地元で活動を展開し始めた2006年頃までは気がつきませんでした。どっちかというと地元には悲観的で・・・(苦笑)日本人にはありがちなとらえ方ですが、最近はもうこの見方はすっかり改めました。(笑)また、来年も企画しています。(HPのコンサート案内に概略を載せました)

会場は、コンサート前は気持ち寒いくらいで、弦が縮こまっていましたが、途中からぐんぐん温度が上がり、(外は夕方に近くなってきているので気温は下がっていたのでしょうが、皆さんの熱気のせいですね)調弦に若干苦労いたしました。自宅でさらっているときのようにはいきません。これがライブの面白いところですが。



コンサートが終了しまして、講座を4回以上受けられた方に修了証を授与いたしました。今年は38名の方が4回以上のご参加でした。ありがとうございました。会を終わる際、来年度講座の先行予約の方を募りましたら、30名を超える方にご予約いただきました。また来年度もよろしくお願い致します。

岡田文化財団助成

2009年03月18日 21時50分02秒 | 音楽系
今日は岡田文化財団の助成の贈呈式に行って参りました。場所は四日市都ホテル。車で行きましたが、都ホテルのところまで来ましたら、都ホテルがありません。(笑)別のホテルになっていました。

大きなホテルなのでそのうち見つかるだろうと、車で駅の近くを見て回りましたが、みつかりません。仕方がないので、車を降りて洋品店のおばさんに聞いてやっと到着することができました。

都ホテルは15年程前は私が思っていたところにあったのですが、その後、駅西に移転、四日市で多分一番有名なホテルなので、大きな看板なんかはホテルの建物にはない、というのが車で見て回っても見つからなかった理由みたいです。

お陰で10分程遅刻、会場に入ったら、三重県の野呂知事のあいさつも終わりかけでした。この贈呈式、てっきりひとりひとりに贈呈状かなんかを手渡されると思っていたんですが、代表の方の挨拶とあと事務的な連絡だけで終わりました。

岡田文化財団の本年度の助成は、総額7000万円を超える額とのこと。総件数で100件を超え、音楽だけでも30件くらいありました。これではひとりひとりに手渡すのができないはずです。

私が助成をもらうコンサートは11月14日(電気文化会館ザ・コンサートホール)ですが、チラシに「助成 財団法人岡田文化財団」と入れることになります。会場の担当の方もチラシやポスターに必ず入れるようにと強調されていました。

来年の募集は夏頃に行われるそうで、次回から全てインターネットを通じて申込み、連絡が行われるとのこと。今回は直筆の推薦書が必要とのことなので、あわてて師匠のホプキンソン・スミスにお願いして書いてもらいましたが、来年はこういうのもネット経由で送るんでしょうかねぇ。ま、そのあたりは6月頃に新しい要項が出るらしいので、その頃にはどうしたらよいかわかります。

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(6)

2009年03月14日 19時39分50秒 | 音楽系
無伴奏チェロ組曲(BWV1010)の手稿には装飾音はあまり書かれていませんが、995には沢山装飾音が書かれています。書かれている装飾音のうち、アポジャトゥーラは音符で、トリルは tr と表記されています。あと×印の装飾がプレリュードの3小節目とクーラントの後半部1小節、S印がジグの後半12小節目に見られます。これらはどういう意味を持つのでしょうか。

まず、×印です。ここでは多分モルデントだと思うんですが、バッハか彼に近い人が何かの文献で×印はモルデントであるという譜例付き解説がない以上確証はありません。ただこの2つの×印、実は微妙に角度が+に近く、モルデントの手書き式に崩した書き方にも見えます。バッハの他の作品でのモルデントの手書きはどんなんかなと思って、インヴェンションの自筆楽譜(1723)を見てみましたら、モルデントの書き方というか書き癖が995と同じです。横棒の太さや角度も酷似しています。いかにも同一人物の筆跡という感じがします。(筆跡鑑定の専門知識はありませんので、単なる思いこみだけなのかも知れませんが(笑))これは×印ではなく、モルデントの記号ですね、多分。

なぜ、モルデントが×に見えてしまったかというと、リュートのタブではビブラートとかトリルの意味で使われているからなんです。でも、自筆譜の実物とか非常に鮮明なコピーで見たら、×に見えることはなく、モルデントに見えた可能性もあります。ちなみに、私が使っているのは、「名曲演奏の手引きPART Ⅲ バッハ/リュート作品の全て」(現代ギター社:1981)にあるファクシミリの印刷です。結構クリアに印刷されてはいますが、それでも実物と全く同じ情報を持っているわけではありません。

そういえばこれと全く逆の解釈で、リュートタブの×印をモルデントで演奏している例を思い出しました。バッハの装飾記号と、同時代のリュートタブの装飾記号は異なる記号体系を持っていますので、一つの記号を同じ意味で使っているという解釈には無理があります。

次にS印です。Sを裏返した記号はターンのように弾く、とインヴェンションの1723年自筆にある一覧表に書かれています。ではS印はどうやって?音楽的にはシュライファーだと思うんですが、S印がシュライファーだとする現代の解説書はありません。ま、ここはシュライファーにしときましょう。(笑)

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(5)

2009年03月13日 22時15分08秒 | 音楽系
もちろんタブに強弱に関する指示がないからといって、全部のっぺらぼうに演奏するというわけではありません。ただ書かれていないだけです。昔、音楽学会の名古屋支部の発表で、バッハの楽譜にはフォルテとピアノしか書かれていないので、それをきちんと守り、指示がないところは平板に演奏するべきだとおっしゃった方がいらっしゃいましたが。(笑)

自筆譜におけるレガートのサインは厳密にというかマメに書かれているわけではなく、ここだけはぜひ、というような場所には書かれている感じです。ですので、もちろん他の箇所でもレガートに弾く必要があるでしょうが、どこをどうやってというのはきちんと決めてもいいでしょうし、演奏ごとにある程度は柔軟性を持たせてもいいと思います。でも同じゼクエンツでも1回目だけに書かれていたりすることも多いので、演奏する側としてはそのあたりの判断をきちんとしないといけません。タブにはその判断を反映させる必要があるので、なかなか悩ましい問題です。

さて、プレリュードの1小節目と同じような音型は10小節目、17小節目にも見られます。10小節目にはレガートのサインが書かれていませんが、ここは当然レガートでしょう。速い拍子にになる tres viste に至る数小節にわたる16分音符によるパッセージには小節に渡ってレガートのサインが書かれています。ここは少しテンポを上げ目にして滑らかに弾く必要がありますので、「カンパネラ」風なアレンジをしてみました。

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(4)

2009年03月12日 15時39分36秒 | 音楽系
この曲に幾度となく出てくるコントラGの音はなんとか出したいものではあります。出す方向で行けば、13コースを1音下げるという方法も可能ですが、曲の中に一音上のコントラA音も出てきますので、あまりいい方法だとは思われません。唯一可能な方法は一コース多い14コースの楽器を使うことですが、あいにくそういう楽器は持っていません。
一音移調してイ短調で弾くという手もあります。ホプキンソン・スミスやポール・オデットがこの方法を用いています。でもちょっと音が軽く甲高くなってしまいがちで、そのデメリットを考えるとこれもいまひとつです。結局私が選んだのは、コントラGはひかない、という方法でした。とても残念ですが・・・一応タブラチュアには14コースを表す7という符号はしっかりと書いておきましたが。

さて第1曲目のプレリュード。

1小節目の16分音符にはレガートがかかっています。もちろん、このレガートは、リュートにおけるテクニカルなものではなく、表現上のレガートです。リュートの場合、メロディをレガートに弾く方法はいくつかあります。

1.右手の弾き方でレガートになるようにする。
2.左手の技術、現代のギターで言うハンマリング・オンとかハンマリング・オフと同じものを使う。(現代のクラシック・ギターで言うスラーです)
3.できるだけ多くの異なった弦を使って演奏する。例えば、ファ、ミ、レ、ドと弾くときに、全て異なる弦で演奏する(1コース開放でファ、3コース7フレットでミ、2コース開放でレ、4コース7フレットでド、というように。現代のクラシック・ギターではカンパネラという)

バッハが書いたレガートをどう弾くかは以上の3つを組み合わせてレガートになるように弾くわけです。何コースをつかってこのレガートな音階を弾くか、どこをハンマリング・オン(オフ)にするかなどを決めてタブに書かなくてはなりません。タブには普通クレッシェンドやピアノ、フォルテなど、現代の楽器用の楽譜に書かれているようなことは書きませんが、現代のクラシック・ギターにおけるスラー奏法はタブにはきちんと書かれていなければなりません。

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(3)

2009年03月11日 23時06分42秒 | 音楽系
バッハはヴァイオリンの達人で、無伴奏ヴァイオリンのための作品はヴァイオリンの技巧を熟達した人しか書けないと言われています。彼の弟子にリュート奏者(クレープス)もいたし、彼自身リュートを所有していましたが、995番の筆致から判断するにあまり達者だとは言えないという可能性が高いです。さすがのバッハもリュートまでは、って感じです。

でも別の見方をすると、実はものすごく巧みにリュートを弾くことができた、と言えなくもありません。というのも、同時代の他のリュート作品と比べて非常に特異なテクスチャをもつこの作品は、少し工夫すればほとんど全ての音をバロック・リュートで出すことができるという事実があるからです。ただ一つの例外は当時の標準的な13コースバロック・リュートがもっていないコントラGの音だけです。

もっとも998番のプレリュード・フーガ・アレグロや997番だって、ほぼそのままリュートで音を出すことができますが、非常にキーボード・ライクのテクスチュアにリュート奏者は悪戦苦闘することになります。それらに比べると、確かに特異なテクスチャではありますが、995は確かにリュート曲の範疇に入ると言うことができます。従って、そういう作品を残したバッハは実はリュートの達人でもあったのでは、というわけです。

バッハは自筆譜の最初のページに、「シュスター氏のためのリュート作品」と書いています。このシュスター氏とはライプチヒの楽譜商ではないかと言われていますが、この作品を依頼したか書くきっかけを作った人物です。シュスター氏に渡されたこの楽譜は出版を予定していたのかも知れませんし、特に出版を予定してはいなかったけど、とにかく彼のもとに行ったのかも知れません。

私がこの作品をタブ化するときは、このシュスター氏のもとにあった楽譜を見たリュート奏者と同じスタンスに立ちたいと考えました。シュスター氏から連絡をもらって、バッハ氏のリュート作品を見に行ったリュート奏者X氏は、それを見て驚いたことでしょう。確かにリュートで弾けそうな譜ヅラはしているが、既存のリュート曲と比べたらえらい弾きにくい音型がならんでいる、でも何回か工夫しながら弾いてみたら一応プレイアブルだ、それに何より何とすばらしい音楽であることか!

バッハの自筆譜を見てタブ化する作業は、まさに当時のリュート奏者が感じた驚き、感動の追体験でした。次回からは、具体的にそれぞれの曲におけるタブ化の過程を書いていきたいと思います。

バッハのリュート組曲995タブ化メモ(2)

2009年03月10日 15時33分52秒 | 音楽系
リュートのための組曲ト短調BWV995は、バッハの自筆譜が残されています。その楽譜が自筆であるかどうかを判断する目は残念ながら私は持ち得ていませんが、シロウト目には間違いなくバッハの自筆に見えますし、そのことは定説になっていますので、これに疑念をはさむ余地はないでしょう。

この曲はバッハによるリュート曲とされる曲(BWV995~1000,1006a)の中で自筆で「リュートのための」と書かれている唯一の作品です。他の作品は、ラウテン・クラヴィーア用(注)用(996,多分997,998も)、当時のリュートタブラチュアが残されているのでリュート曲ということになっている(997,1000)、自筆ではないが筆写譜に「リュートのための」と書かれている(999)、音域や音型などからリュート曲と推定される(1006a)といったところが実際です。

(注)ラウテン・クラヴィーア : リュート・クラヴィーアとかラウテンヴェルクなどとも呼ばれる。チェンバロの金属弦の替わりにガット弦を張ってリュートの響きを得ることができる鍵盤楽器だとされるが、楽器が現存していないので、具体的にどういう構造の楽器であったのかは詳しくはわからない。

要するに間違いなくリュート作品だと言えるのは、995番だけだということになります。バッハが自分の手で「リュートのための組曲」って書いたのだから、確かに間違いなくリュートのための作品でしょう。では、ヴァイスの作品みたいにリュートに都合良く書かれているかというと実はそれが一筋縄ではいかないのです。