リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

あっという間に満開

2015年03月31日 19時21分34秒 | ローカルネタ
昨日柿安に買い物に行きましたが、すぐ隣の九華公園の桜はもうちょいとというところでした。名古屋では満開という話だったので、少し遅れている感じでした。



柿安の帰りに、市内の歯科医院に寄ったのですが、その医院のすぐ前の中学校の桜はもう満開でした。九華公園は河口に近いので少し気温が低いのかもしれません。

今日家内とまた柿安に行ったんですが、同じ所の桜はごらんの通りほぼ満開でした。一日で一気に来るもんですねぇ。



あまりにいい天気なので急遽お花見をすることにしまして、柿安でお弁当を買って食べながら桜を愛でておりました。

すぐそばに春日神社前の老舗とらやも屋台をだしていましたので、お団子ととらや饅頭(酒蒸し饅頭です)をいただきました。やはり花よりだんごです。とらやのご主人といろいろお話をしていましたら、話の中で名古屋の納屋橋饅頭は桑名のとらやからのれん分けをしたお店だということがわかりました。その話は聞いたことはありましたが、やっぱり本当だったんですね。明治時代の新聞にその話が出ていたとご主人の先々代が言っていたとのことです。ちなみに今のご主人で11代目、創業は宝永元年(1704年)、まだヴァイスもバッハも青年です。






イーオンのCM

2015年03月30日 22時09分17秒 | 日々のこと
最近石原さとみが出ているイーオンのCMが気になります。ってイーオンに行きたくなったとか、石原さとみのファンだというのではありません。(笑)

気になるのは石原さとみのしゃべっている英語です。

英会話イーオン「エアポート編」You Tube

しゃべっているのはつぎの台詞です。

- Traveling abroad is way more fun since I started at AEON.
 (イーオンで(英語を)始めてから、海外旅行がすっごく楽しいわ)

 I can talk with people on my own. It's great. Don't you think?
 (自分の力で人と話すことができるのよ。すごいと思わない?) 
         
- Excuse me, where can I get a taxi?
 (すみません。タクシーはどこですか?)

Woman: See those doors. Go out. OK?
 (そこのドアが見えるでしょ。そこから出て。いい?)

- OK. Thanks. It's this way.
 (オーケーありがとう。こっちだって)

Taxi driver: Well, what's in it?
      (中に何がはいってるんだい?)

- Um, this and that.
 (えーっと、いろいろよ)

Taxi driver: This and that!
(いろいろねぇ)


みなさん聞き取れます?私個人的には最も苦手なタイプの英語発音です。ネイティブの早口英語よりずっと苦手です。日本語なまりがあって不正確な音のリンキングで早口な英語です。日本人にありがちな発音の問題点は、子音(特に[t][d]なんかの破裂する子音、日本語とはかなり違います)の発音が弱くなりがち(=日本語的)でいくつかの母音が不明瞭なりがちなところです。で、その割には音の抑揚が激しい。ウチの近所の某スーパーの宣伝アナウンス(女性)がなぜか英語混じりなのですが、その英語もその様な感じの英語です。

石原さとみの発音はひとつひとつの発音をきちんとマスターせずに、いきなり音のリンキング(音の連結)をしてスピードをあげた感じです。例えば冒頭のTraveling の語尾がちょっと変な感じだし、on my own の own の[ou]がどうきいても[a:]にしか聞こえないし。とは言うもののリズム感・スピード感はあるし、全く問題なく通じると思います。

でもちょっとくずれた発音の割には文章自体はきちんとしているのが少しアンバランスに感じます。あの発音なら文法もくずれなきゃ。(笑)

日本人の英語コンプレックスを刺激するような内容ですが、CMとしてはもちろん成功していると思います。完璧な英語だったら逆に反発をくらいますから。

でもああいったちょっと軽薄に聞こえる英語より、もっとゆっくりでもいいので正確な発音、丁寧ないいまわしを学習の目標においた方がいいのではないでしょうか。そういう英語をしゃべる日本人はきっとネイティブからもノン・ネイティブからも尊敬されると思います。





バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(4)

2015年03月29日 14時26分58秒 | 音楽系
私は(1)の版でアレンジを進めていました。実はこれしか持っていなくて、少々筆写ミスが多い感じがするけどバッハに近い人だから、いいだろうということで選びました。件の箇所で「このソはラでも行けなくはないので、ひょっとしたら書き間違いかも。他の版はどうなっとるんかいな?」と思ってIMSLPで(2)~(4)を探して見てみましたら、全てソだったのです。

このソの音は解決音であるファ♯を伴わないので、間違いだと判断されたのでしょうが、このような解決を伴わない導音の扱いは、クーラントにも見られます。すなわち、クーラントの前半、後半のそれぞれ最後から2小節目の最後の音がその例です。特殊な使い方でしょうけど(変といえば変です)、第6番の中で特徴的に使われている手法だとも言えます。(でもクーラントのこの部分はリュート編曲で処理に迷うところではあります)

18世紀の筆記者の中で、バッハの新妻であるアンナ・マグダレーナは何のためらいもなく「ソ」にしていますが、(2)のケルナーは間違えて「ラ」と書いてしまったのを音符の下を塗りつぶして「ソ」に見えるようにしていますし、(3)の筆記者もちょっとタメがはいった書き方です。(4)は(1)と同じように正確に書かれています。確かにここは「おっと、間違っちまった」となるところですが、4つの筆写譜が全て最終的には「ソ」となっているということは、写す元の楽譜(あるいはその元も)やはり「ソ」だったということでしょう。

これって要するに、19世紀の初め頃に大した検討もせずに、前の小節の同じ部分が「ラ」なので、単純に「ハイこれは間違い。「ラ」が正しいですね」なんて軽く考えて「ラ」にしていまったのを、それ以降の全ての楽譜、そしてその演奏も何も疑うこと無く踏襲してしまったということなんでしょうか。考えようによっては恐ろしい話です。4つの重要なソースで一致していることをこうも軽々しく捨ててしまうとは。ギター編曲のいくつかなんかクーラントの同様の箇所の導音もあっさりと捨てていますが、まぁこれは論外でしょう。

IMSLPでオリジナルソースを探しているときに興味深い論文を見つけました。Shin-Ichiro Yokoyama 氏の英文の論考です。英語で書かれているのは彼がフランス在住だからのようです。それによると件の部分のことももちろん載っていましたが、それ以外のこともいろいろ書かれていました。他の組曲で私がすでに編曲して録音までしてしまったもので「やられたー」というものありました。(笑)これについては次回。

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(3)

2015年03月29日 00時11分11秒 | 音楽系
さて角倉一朗氏の「バッハ作品総目録」によりますと、バッハの無伴奏チェロ組曲の1次資料は4つあります。残念なことに自筆譜は伝えられていませんので、全てバッハ以外の人が筆写した楽譜です。

(1)アンナ・マグダレーナ・バッハによるもの(1720年代)
(2)バッハの弟子のヨハン・ペーター・ケルナーによるもの(1720年代)
(3)ベルリンにある筆記者不明のもの(18世紀後半)
(4)ウィーンにある筆記者不明のもの(18世紀末)

これらが元になり、19世紀以降の版が作られています。問題なのは、これら4つの筆写譜に筆写ミスがあって、それらの検討が不十分なまま現代に流布している版ができてしまったことです。

でも音楽的にも問題がなく、上記4つの筆写譜においても一致しているにもかかわらず、19世紀の旧バッハ全集や20世紀の新バッハ全集他の多分全て?において恣意的に変更されている部分があります。

例えば、プレリュードの第91小節目の一番最後の音、これは(1)~(4)の筆写譜では全てソになっているのですが、新しい版では皆ラになっています。このソは次の第92小節めのニ長調の主和音を導く音(導音)としてとらえることが出来る音でとても意味があると思います。ところがいろんな録音を聴いてみてもこの音をソで弾いている録音はひとつもありません。カザルスもクイケンもです!

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(2)

2015年03月25日 11時45分38秒 | 音楽系
実はプレリュードのパターンを(5)にしてあとは一気に・・・みたいな書き方を前回しましたが、確かにそういえばそうですが、もう少し詳しく書きますと、いろんなパターンでプレリュード半分くらい時には全体を何度も弾いてみてサウンド的にも技術的にも一番しっくり来るもの選びました。その結果選んだのが(5)のパターンです。

今回はオリジナルから移調する必要がなかったので、アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜をそのまま使い、それにバスをタブ式に付け加えるという折衷式の楽譜で編曲しています。オリジナルの楽譜がアルト中心なので、リュートのバスは低すぎて書き込めませんから。もちろん必要に応じて五線譜にも音符を書着込むこともあります。タブと五線譜混在の楽譜ですね。(笑)


消せるボールペンの青色と赤でわかりやすく。運指や使用する弦も書いて行きます。でも最終的にはタブ版を作ります。

書き込んだ楽譜を何度も何度も弾いてみて弾きやすい運指になっているかとか、バスの判断は良かったのかを見ますので、運指や追加するバス等がだいたい決まった頃は大体演奏会に出せるレベルに近いところまでは弾けるようになっているものです。このくらいの段階でタブ譜を作ります。

これのようにしてバッハの曲をリュート用に編曲していくわけですが、でも実はバッハの編曲は永遠に完了することがないようです。コンサートで弾いたり録音したりしてみてもその次に弾くときはまた少し変える必要を感じたりすることがよくあります。これはバッハの音楽の奥深さから来ることなのでしょうか。私の師匠はバッハのリュート曲、無伴奏ヴァイオリン、チェロ曲全て録音しましたが、彼もまた同じようなことを言っていました。

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番の編曲(1)

2015年03月22日 15時26分11秒 | 音楽系
無伴奏チェロ組曲は1番~4番まで編曲し録音もしています。5番はBWV995を編曲してリサイタルでも演奏していますので、あと6番だけが残っています。


アンナ・マグダレーナ・バッハによる筆写譜(1723-31年頃)

昨年来6番を編曲しようとずっと楽譜を眺めていましたが、なかなかとっかかることができませんでした。というのも、第1曲目のプレリュードの冒頭をどう処理するべきかずっと悩んでいたのです。冒頭の音型はまったく同じ音型がニ長調、イ長調、ト長調と出てきますし、よく似た音型も随所に見られます。つまり冒頭の音型が全体を支配しているわけで、ここをいじれば全体に影響します。

リュートやギターでバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏しようとするとき、バッハは完璧なラインを書いているので、何も足さずもちろん引かずそのまま弾くのがベストであるという一見もっともなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。確かにバッハのチェロ組曲の書き方はとても巧みで完璧です。でもこれはチェロ等で弾くために書かれています。

一般的な認識とイメージが異なる言い方ですが、チェロは音が延びない楽器、リュートは音が延びる楽器です。チェロは音が残らない楽器、リュートは音が残る楽器といった方がわかりやすいかも知れません。バッハはこの特性を生かしてチェロのためのライン(バスやハーモニーが響くように巧みに作られたライン、あるいはバスを暗示させるような作りのライン)を書いています。その書き方が楽器の特性、性能において完璧に書かれているのです。

BWV995の「リュートのための組曲」は無伴奏チェロ組曲第5番をバッハ自身が編曲したものです。それぞれを比較すると、バッハがリュートに編曲するにあたり、いろんなバスやハーモニーを加えたり音型を変えていることがわかります。無伴奏チェロ組曲をリュート用に編曲するには楽器の特性の違いから必ずこういった作業が必要になってくるということをバッハ自身認識していたということです。

ではとにかくバスをつければいいのかというとそこが難しい。いい加減なバスではいけません。バスが最小限あるいは暗示されているだけのオリジナルを見て、通奏低音のバスがどう流れているかを知った上でバスを書かなくてはなりません。

さて件の6番プレリュードの冒頭、これは実はバスの問題はなく音型の処理の問題だけです。オリジナルはこのようなものですが、これをどうするかでホント1年くらい悩んでいました。



(1)はオリジナルの音型に近いパターン。(2)はあまり使わないでしょうけど(3)とか(4)は行けそうです。でも冒頭の音型が調を変えて出てくることやリュートでのプレイアビリティも考慮して結局(5)で行くことにしました。

これが決まってから編曲はスムーズに進んであとサラバンドとジグを残すのみとなっています。この曲は実は5弦の楽器のための作品で、普通の4弦のチェロでそのまま弾くのはとても困難です。おまけに自筆譜が失われているので、18世紀中に書かれた筆記ミスも含まれている4つの筆写譜が1次資料になります。ですから19世紀や20世紀に出版された楽譜を底本にして編曲をすると場合によってはえらい目にあいます。現在出版、録音されている版で間違いや見落としあるいは軽はずみな解釈がいつのまにかそのまままかり通ってしまい、もはやだれも疑うことのない事柄になっている箇所もあります。もちろん長い年月、多くの研究者、演奏家の手をを経てきていますのでそういったことが頻発しているわけではありません。でもあります。世の中一度は常識を疑ってみるべきです。というような話題はまた次回に。

融和の聖地

2015年03月19日 18時43分44秒 | ローカルネタ
世界にも珍しい、4つの宗教施設が隣接している地域です。桑名市千代田町界隈には立坂神社、カトリック桑名教会桑名の聖母、真教寺、そして立正佼成会桑名教会が隣接しています。一番古いのは立坂神社でしょう。真教寺は江戸時代の末期の地図では西龍寺となっています。そのあたりのいきさつはよくわかりません。カトリック教会がある場所は50数年前はたんぼでした。立正佼成会がこの4施設の中で最も新しいと思います。

立坂神社の寄進の札には、以前カトリック教会の名前があったのを見たことがあります。神社は寛容なんですねぇ。カトリック教会の懐が深いのかも知れませんが。宗教に根ざす争いごとが絶えない昨今ですが、紛争地の人たちがここに来れば考え方が変わるかも。


鳥居の向こうにはカトリック教会の尖塔が。


お寺の鐘撞き堂の向こうにはカトリック教会の尖塔が。


教会の向こうには神社の杜が見えます。


左側が立正佼成会、真ん中奥が立坂神社、右奥はカトリック教会。

残念ながらこれら4つの施設が全て見ることができるポイントはありません。

<交通>桑名駅東口から国道1号線に到り右折(南下)、徒歩10分くらいの地点で喫茶英国館を過ぎてすぐの通りを右折。大きな鳥居が目印(一番目の写真)

龍角散

2015年03月17日 23時35分31秒 | 日々のこと
龍角散のCMで「リュウカクサン」発音が最近変わっているのが気になります。リュウカクサンの「リュ」は低いのですが、「ウ」からあがったままフラットで終わりまでいきます。確か昔は「クサン」のところはさがっていたと思いますが。桑名の方言的には、「リュウカ」まで高く、「クサン」で一音ずつさがる感じですね。レ~レシラです。

同じリュウで始まる語と言えば、なんと言ってもリュートですが、年配の方は始めが高く順に下がっていく発音をされます。でもいつ頃からか、今で言うと40代以下の方たちでしょうか、「リュ」が低く、「ウト」で高くなる二音式発音です。ガンバ、チェンバロ、ピアノ、ギター・・・皆同じ要領です。

ある程度の年代以上(50歳以上?)の方だと、ガンバ、ギターは同じ頭高の音高カーブですが、チェンバロ、ピアノはフラットとなって楽器によって結構異なっていました。ガンバ、フルート、チェンバロは皆それぞれ音高カーブが異なります。(関西系ネイティブの私の場合)これらが全部同じパターンだと楽ですねぇ。

バンド名では80年代後半結成のビーズなんかもその発音です。でも80年代中頃結成のチューブは頭高、70年代のサザンも同じ、60年代のビートルズなんかビを低く「イトルズ」を高くフラットにしたらものすごく違和感がありますよね。でも今の若い世代はそういう発音をしているのかな?

日本語の方言は有アクセント系と無アクセント系の分けられるそうです。有アクセント地域の東京に無アクセント系の東北の人が増えてきた結果、単純な方にひっぱられていった結果上記のような現象が日本語に起こっているという説もあるようです。文法規則はより単純化の方向に向かうという大きな流れがあるというのも昔何かの本で読んだことがあります。あの伝統薬の龍角散(の発音)もそういった洗礼を受けているのでしょうか。同じ伝統薬の太田胃散はどうなるのでしょうか。

世界で唯一の踏切(多分)

2015年03月15日 14時07分05秒 | ローカルネタ
久々に新カテゴリーを作りました。「その手はくわなの名所写会」。「そのてはくわなのめいしょしゃえ」と読みます。名前は19世紀はじめに市内長円寺の学僧魯縞庵義道が完成させた久波奈名所図会にちなんでいます。この「名所」は私の判断基準で選んだものなのでとても偏りがありますが、簡単な解説と写真でおおくりいたします。もちろん、魯縞庵義道の大著とならべるべくもないお粗末なものですけど、桑名にお立ち寄りになったときとか、拙宅にレッスンに来られた際にお寄りいただければ時間つぶしくらいにはなると思います。

さて、第1弾は「西桑名第2号踏切」(三岐鉄道北勢線)、「桑名駅構内踏切」(JR東海関西線)、「踏切道益生(ますお)第4号」(近鉄名古屋線)を一気に通る踏切でございます。



私はテッチャンでもなんでもないんですが、レール系のテッチャンなら狂喜するような場所だろうと思います。というのも、この踏切は、特殊狂喜、じゃなかった特殊狭軌、狭軌、標準軌という日本に存在する線路幅3種類を全て渡ることができる踏切だからです。特殊狭軌は三岐鉄道北勢線、狭軌はJR東海関西線、標準軌は近鉄名古屋線です。


一番手前が北勢線、その向こうがJR線、電車が通っているところが近鉄線です。

このうち特殊狭軌は三岐鉄道北勢線、近鉄内部八王子線、黒部峡谷鉄道本線の3つしか国内にはありません。三重県内に2つもあるんですねぇ。近鉄内部八王子線とJR線はかなり離れているので一緒に渡れる踏切はないでしょうし、まさか黒部の鉄道の近くに標準軌の鉄道なんて走ってませんよね。

よって、ここは日本で唯一の場所、ということは多分世界でもここだけでしょう。

所在地は、JR、近鉄桑名駅下車線路沿いに南方へ徒歩5分。車は通ることができません。


テレマンとリュート

2015年03月14日 19時22分35秒 | 音楽系
書棚にあるテレマンのバロックリュート二重奏の楽譜を探していましたら、こんなのも出てきました。



昔1976年にアムステルダムで購入した楽譜のひとつです。もうすっかりその存在を忘れていました。鍵盤楽器用の楽譜ですが、なぜこれを購入したのかも忘れていましたが、中身を見るとすぐに思い出しました。テレマンの「忠実な音楽の師匠」にあるリュート作品があったからでした。

ご存じのように「忠実な音楽の師匠」の中には、ふたつのリュート作品が収められています。一つはヴァイスの変ロ長調のソナタ(第49番)の最終楽章プレスト、もうひとつはバロンの組曲ヘ長調です。これらの楽曲はタブラチュアのまま掲載されています。


「忠実な音楽の師匠」よりヴァイスのプレストのページです。左のページはリュート曲ではないので五線譜です。

このテレマンの曲集は連載形式で予約を募って販売されていたようです。テレマンは当時高名なリュート奏者であったヴァイスやバロンの曲を入れることが商品として価値があると踏んだわけですね。ということは少なくともハンブルクのあたりでは結構バロック・リュートを弾いていた人がいたということです。

テレマンとリュートあるいはハンブルクを中心とした地域とリュートの関係はあまり取り上げられることはないようですが、なかなかのボリュームがあるのではないかと見ています。まだ研究がそれほどすすんでおらず、関連の録音も少ないですけど、たとえばテレマンのカンタータのうち500曲近い楽曲に、Calchedon (カルケドン、ドイツ語式ならカルヒェドンかも。Calchedonoという綴りも)というリュート系の楽器が使われているそうです。(リンダ・セイス、イギリスリュート協会会誌67号2003年)あと、ケルナーが1747年にハンブルクで11コースバロック・リュートのための曲集を出版したのはよく知られています。

ちなみに私がアムステルダムで買った曲集にはヴァイスの生年が1684年となっていました。その後1686年と言われていた時代があり、わりと最近になって1687年という説が定説となりました。ちなみに1686を自分が買った車のナンバーにして、途中で定説が変わったので悔しがっていた人がいました。(私のことです(笑))