リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

中学校校歌

2012年02月28日 13時01分44秒 | 音楽系
卒業後40ウン年になる中学校の同窓会を開くことになりました。開催は3月ですが、幹事会(一応幹事です)で中学校の校歌を締めに高らかに歌おうではないか、ということになりました。ところが、その歌をそこにいた幹事の誰も覚えていないのです。(笑)

私も冒頭から半分くらいはメロディを覚えていますが、途中からは桑名市歌にどうしてもつながって行ってしまうのです。小学校や高校そして自分が勤務していた学校の校歌は大概覚えているのに、何度も歌ったことがあるはずの中学校の校歌(吹奏楽部員だったので伴奏もしたことがあります)が半分しか覚えていないとはどうしたことでしょうか。

校歌は本当にいろんな人が作曲しています。四日市のYM高等学校の校歌は何と武満徹作曲ですし、もともと校歌として作られた長崎県の某高等学校の愛唱歌はユーミン作曲、私の出身高等学校は信時潔作曲(戦前の有名な作曲家です)、市内のT中学校は米山正夫作曲(ヤン坊マー坊天気予報の歌とか365歩のマーチの作曲家です)です。シロウト作曲家から超一流の大作曲家まで千差万別です。私の出身中学校の校歌はまぁそのへんによくあるようなごく普通の校歌ですが、ひときわ愛着があるのも事実です。

幹事会ではおまえが伴奏のカラオケを作れということになりましたので、早速出身中学校に電話をいたしました。電話に出たのは教頭先生。

「もしもし昭和○○年度卒業の中川と申しますが、実は・・・・で、校歌の楽譜を送って頂きたいのですが・・・」

「ひょっとして校歌が変わっているかもしれませんねぇ」

実は私の出身中学校は、校舎が古くなって少し離れて別の場所に新しい校舎を建てたのです。教頭先生は、そのときに校歌も変えてしまったかもとおっしゃってるわけです。

「えーっとこんな歌ですか?すーずーかのーみねをー・・・・・(と少し歌う)」

「うーむ、たぶんそんなんかも知れませんねぇ。私も今年転勤してきたばかりなので・・・」

えー、今年度転勤といってももう10ヶ月以上も経ってるのに!よっぽど印象が薄い曲なんですねぇ。ちょっと曲が哀れになってきました。

「でも最初の歌詞はそれですよね。だったら多分同じです。お世話をおかけしますが、よろしく送付の程を・・・」

ということでファックスで送ってもらいました。早速確認しましたら、なるほど、思い出しました。(笑)でも2小節だけ自分のよみがえった記憶と異なる部分があります。歌詞のリフレインにあたる部分の動機が違うのです。うーん、私が頭の中で勝手に変えてしまったのかも知れません。。まぁあまり大したことはないですけど、少し気にはなるので事情に詳しい知り合いの先生に尋ねてみたいと思います。

写真は桑名の六華苑でのコンサート。六華苑は、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成したものを桑名市が譲り受けたものです。設計は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルで、洋館と和式の建物が直結している大変めずらしい造りです。洋館のロビーで、このようなコンサートを年2、3回行っています。ことしも5月頃に行う予定です。



次のリサイタル

2012年02月27日 12時40分49秒 | 音楽系
次回のリサイタルの日が決定いたしました。2013年2月16日(土)です。会場は電気文化会館ザ・コンサートホールです。前回も前々回もここで行いました。ここは席数が400席弱でちょっとリュートには広すぎる感じがしないでもないですが、響きはとてもいいしまぁ慣れたところでもあるし・・・ホントは200席程度のホールがあるといいのですが、残念ながら名古屋にはないんですねぇ。岐阜のクララ・ザールがちょうどいい大きさですが、なかなか岐阜でリサイタルというのは難しそうです。もしオーガナイズしていただける方がいらっしゃれば、岐阜でも開催してもいいんですが。

今回のリサイタルのテーマは「バロックと現代」です。バッハ、ヴァイス作品と現代のシェドル、久保摩耶子の作品を演奏する予定です。前々回の現代の作品を演奏しましたが、そのときはいろんな時代のいろんなスタイルの作品を演奏した中での現代作品ですが、今回はバロックと現代を対比させてそこにリュートの姿を浮かび上がらせてみたい(何のことかよくわからない?)と考えています。久保摩耶子はベルリン在住の作曲家で、これは委嘱作品なのでまだ曲はできていません。どんな曲ができてくるのかとても楽しみですが、完成がリサイタルの直前という事態にはならないことを祈っています。(笑)



絵はフェルメールの「窓辺でリュートを弾く女」(部分)です。「リュートを調弦する女」とも言われているようですが、実はこの女性、左手のペグは4~5コースあたりの弦のペグですが右手の指先で触れている弦は明らかに9コースかそれ以下のバスレンジの弦です。つまり右手で触れている弦を調弦しようとするならば、リュートの正面から見て、左列にあるペグを動かさないと調弦できません。そうなると左手の位置は全くことなってきます。あるいは、左手が触れているペグに巻いてある弦を調弦しようとするならば、右手はもう少し下方になければなりません。要するにこの女性は演奏も調弦もしていないということです。調弦をしようとしていたら、窓辺にふと気になること、たとえば外からカレシの声がして、ふと調弦を止めて窓辺を見た瞬間という感じです。実は絵には下方にヴィオラ・ダ・ガンバが床に置いてあります。これも意味ありげです。「フェルメール全点踏破の旅」という本には、「・・・女性は、リュートを弾きながら窓の外を見て、何かに思いを馳せている。・・・」とありますが、少なくともこの絵の時点では、彼女は演奏も調弦もしていません。ほんの数秒前は調弦をしていたんですが、外の気配に意識が楽器から窓の外へと移ったその瞬間を描いたものだと考えられます。


バロック音楽の旅Ⅴ最終回コンサート

2012年02月23日 13時55分54秒 | 音楽系
土曜日はバロック音楽の旅Ⅴシリーズの第5回、最終回でした。最終回は、私のリュートソロで、「リュートによるヨーロッパお国巡り」と題しまして、1400年代から1700年代の300年間にわたるヨーロッパ各地域のリュート作品を演奏致しました。東はバクファルク(ハンガリー)西はスコットランドという感じですね。



使用した楽器は、ルネサンス・リュート、バロック・リュート、ドイツ・テオルボの3台でしたが、これだけで弦の数が61本にものぼり、調弦だけでも結構大変でした。そして今回1弦だけですが、ドイツ・テオルボにガット(0.38mm)を張ってみました。コンサートの3日前に張ったんですが、すでにケバが2カ所に出ていてちょっと心配でしたが、まぁ無事切れずにヴァイスの曲を弾き終えました。ガット弦が消耗するといけないので、ドイツ・テオルボはリハーサル時というかその日は弾かないで本番用にとっておいたのです。

昔ガット弦を張っていて本番中に切れたことがあったので、それ以来本番には使ったことがありませんが、Gamut社のサイトを見ていたら牛のガットがよさげなことが書かれていたので、ちょっと試しに張ってみたわけですが、感想としては微妙ですねぇ。確かにいいことはいいし、とりわけGamut社の0.38mmは非常に精度が高くていい弦です。でも多分その違いって10メートル先の人には伝わらない感じもしますが・・・ま、それだけナイルガットがよくなったということですけど。でも細いガット弦が10日くらいは普通に使えるのなら、使ってみてもいいかなという気はします。

さて、バロック音楽の旅シリーズに戻りますが、今回は最終回ということで、次回のシリーズの先行予約を受け付けましたところ、何と33人もの方が応募して下さいました。今までの最多です。嬉しいことですね。シリーズ各回の参加者も50人前後と安定してきましたし、こんな一地方都市で古楽器を使ったコンサートシリーズが定着するとは本当にいい意味で想定外でした。


(8割以上(4回以上)出席された方には教委より修了証が手渡されます)

桑名市教育委員会との共催事業である「バロック音楽の旅」シリーズ、現在は「内示」の段階ですが、実は詳細はすでに決定しております。来年度は、リコーダー、チェンバロ、バロック・チェロ、クラシック・ギターのソリストによるコンサート4回と古楽に関するレクチャー1回を開催する予定です。共催事業として正式には5月の始め頃に発表になり(桑名市の広報にも掲載されます)6月1日応募締め切りとなります。近いうちにホーム・ページで詳細を発表する予定ですので、興味のある方はぜひご応募ください。

マーク・ウッド

2012年02月01日 13時58分48秒 | 音楽系
バーゼルにいた頃、何人かの歌手とリュートソングをやっていましたが、その中でも特に多く共演したのが、スコットランド出身のバリトン歌手マーク・ウッドでした。彼は幼少の頃から合唱隊で歌い、低年齢にしか入学できない音楽専門の学校(従って才能のある子しか入れません)で学び、ロンドンのロイヤル・カレッジを経て、バーゼル・スコラ・カントルムにやってきた俊才です。もう根っからの古楽人で、ヴァイスのリュート曲なんかもとてもよく知っています。でも古楽一辺倒かというと、そうではなく高校生の頃はロックをやっていたというし、ロマン派の歌曲もとても上手です。

私がスコラに入って、一番最初に伴奏を頼まれたのが彼でしたが、あまりにうまいので、さすがスコラはこんなのが普通なんだ、って感動した覚えがあります。実は、他の学生はまぁやっぱり普通の学生なんだということは後になってわかってきたことですが。(笑)
当然歌の先生や校長先生などの覚えもめでたく、試験のときなんか(何度か伴奏しました)他の学生だと結構厳しい顔つきでいろいろ質問したりしていた校長先生が、マークのときはニコニコ笑って、歓談していました。まぁフリーパスといったところなんでしょうね。スコラやムジーク・アカデミーの他の学生も皆彼には一目置いていました。

英語はネイティブなので当然上手だし、ロンドンの学校で学んでいただけあって、スコットランドの訛りも全くありません。もうリュートソングの共演相手としては理想的であったわけです。彼の地元エジンバラの教会でダウランドのコンサートを一緒にやったときは、ホントにすばらしい出来でした。

日本に帰ってからは、ぜひ彼を呼んで一緒にコンサートをしようと考えていたんですが、私が帰国する頃(2005年7月)あたりからアゴの具合が悪くなりとうとう歌うことができなくなって休業を余儀なくされました。それ以降はずっと音信もなく、マークは今頃どうしているのかなぁ、といつも思っていました。

それが先だって彼から久しぶりのメールが来まして、アゴがよくなってきたので歌手活動を再開したとありました。そして、来年ダウランドの第4歌曲集「巡礼者の慰み」を録音したいので手伝ってくれないかということでしたので、もちろん二つ返事で引き受けました。録音はバーゼルで行いたいとのことですが、エジンバラでもコンサートをやる予定らしいです。最近は今日本でも話題になっているLCCのイージージェットで、バーゼルからエジンバラまでひとっ飛びですからね。

アゴの関節を痛めるのは歌手にはありがちな病気らしいです。彼は手術をしてもらって養生していたんですが、すぐには良くならなかったようです。その間バーゼルで英会話の講師をして生活をしていたそうです。とてもつらい数年間だったのは容易に想像できますが、まぁとにかく快癒したのはめでたい限りです。いいアルバムを作りたいですね。