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そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

明けましておめでとうございます。

2022年01月02日 | どんぐり屋のつぶやき
おめでたくない方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、とにもかくにも、新しい年の始まりを迎えて、共に祝おうではありませんか

この色紙、以前にもお見せしましたが、私の中学時代の国語の恩師からいただいたものです。
教師生活をなさっていた頃から、絵がお上手でした。

卒業の時にお願いしたサイン帳にも、「サルの尻笑い」という言葉と、可愛いサルの絵を描いてくださいました。
サルは、自分のお尻も赤いのに、それには気がつかずに他のサルのお尻が赤いことを笑ってる。
そうならないようにするんだよ!という戒めでした。

長く絵を習っていらっしゃったようですが、校長先生になられたりしてご多忙で中断。
退職後に奥様を亡くされ、お子さまもいらっしゃらないので、淋しさをまぎらわせようと再開されました。
そんな中の一枚を、送ってくださったのです。

最近はお神楽など見る機会も少なくなりましたが、新年の冷たい空気の中で聴く神楽囃子は、なかなか良いものでした。

今年も、人様のお尻の赤いことを笑ってないで、身を謹んで頑張って生きていきたいと思っています。
どうかよろしくお願い申しあげます



大変な事も多い一年でしたが

2021年12月29日 | どんぐり屋のつぶやき
それでも新しい年へと時は流れています。

今年の十大ニュースを書き出していると、私にとってはしんどかったけれど、実りの多い一年であったと実感しました。

まずは、長い間抱えてきた母親にたいしての大きな不信感と疑問が解決したこと・・・

母は謝ると言うことの出来無い人でした。
私が子供の頃からの積もる不満や悲しみを訴えても、ただ黙って聞いているだけ。
反論もしませんが、幼い日からの苦しみ悲しみに対しての思いやりの言葉はありません。

あるとき、私は父と言い争いをした翌日に、「昨日はごめんなさい。言いすぎだったと思う。反省したの」と謝っているのを見ていたようで、あとで「あなた、偉いねえ。謝れるのね!」と万感を込めたような口調で言われたときの驚きは大きかったです。

母は謝れない人なんだ・・・でも、それってどうして?
そういえば、父を怒らせても言い訳はしないし、侘びることもありませんでした。
そのことで、父がさらに怒り狂っても・・・

長く悩んで、でも答えが出るはずもなく、苦しく重い時間だけが積み重なっていました。

2年前から、月に一度訪問してくださる「傾聴ボランティア」の方に、ある時からぽつりぽつりと聴いていただくようになりました。
ただただ、想いを吐き出したかったのです。

市の福祉協議会から派遣されて、訪問してくださる「傾聴ボランティア」のかたは、訓練を受けているので「モモ」のように、ただ黙ってこちらの話すことを聴いてくださるのですが、それが有難かったです。
励まされたりするのは邪魔になります。
話し手の私は、ただただ聴いてほしいのですから。

ほぼ一年かけて聴いていただきました。
こんなに長い時間、よくまあ語ることがあったものと、積もり積もったものの大きさに、自分でも驚きました。

その一年の間に、本や新聞から新たな知識も得て、今までに自分の中に積み重ねてきた知識と共に、新たな「気づき」が生れました。
途中、苦しくてカウンセラーの手を借りようかと思った時期もありましたが、カウンセラーとは相性もあってなかなかうまくはいかないことも知っているので、自分を信じて耐えました。

話していけば、きっといつか何かが見える!!

そして一年がかりでたどり着いた答えは、母は統合失調症だったということです。

それが解ってすぐに楽になるほど事は簡単ではありませんが、それでも少し楽になりました。
あとは私自身がそのことを、時間をかけて受け容れていくだけです。

もしかすると母も苦しかったかも。
ごくまれですが、幻覚幻聴もあり、当然ですがそれを誰かに話しても信じてさえもらえなかったそうです。
どんなにか辛かったことでしょう。
私は、うんうんそうやったのねと受け容れてきたので、それはそれで大きな親孝行だったかも?

それでも母なりに、太平洋戦争の戦中戦後の厳しい時期の中で、大変だっただろう子育てをがんばってくれたからこそ、私は飢えもせずに生延びて来れたのです。
やはり感謝せねば・・・

白い雲が流れる年末の青空に、思いを込めて手を合わせています。


それでは、皆さまにとって良いお年が来ますように

あれから5年・・・

2021年12月16日 | どんぐり屋のつぶやき
ここはある団地の入り口の近く。三叉路になっている。

私が引っ越して来てすぐのこと、ある日突然、この写真と同じように花が飾られた。

いかにも危険がいっぱいの道なので、
ああ、ここで事故があったのだな、と思ってさほど気にも止めずに通り過ぎた。

あれから5年、足かけ6年になる。

以前よりは、お花が取り替えられる時間の間が少しだけ開くようにはなったけれど、今日もまた、こうして新しい花が・・・

花を飾る人は、お父さんか、お母さんか、もしかするとかつての恋人が妻なのか。

私も、何十年も前に亡くなった彼のことを未だに忘れられずにいるので、ここの花が新しくなるたびに胸が痛みつつ、それでも花を手向けられる人の人生を想像して、少し心が暖かくなったりもしている。

もしかして、短い人生だったのであったとしても、
誰かの心にこうして今もなお生き続けているのは、ある意味で幸せな人なんだな、と想ったりして


別れは人の世の常なるに・・・

2021年11月23日 | どんぐり屋のつぶやき
毎年年末になると「喪中欠礼」のお葉書が何枚か届きます。
今年も友人、知人から。

その中に私が長いあいだ、空の出来事、雲、光などの写真撮影も含めて多くの事の「師」と仰いできた高橋健司先生が74歳で亡くなられたとお伝えくださる奥様からのお葉書がありました。
今の時代ではまだまだお若いと言えるでしょう。
ご家族のお悲しみをお察しいたします。

今年は新年早々に、もすぐお誕生日だからとプレゼントを揃えていた年上の親友を見送りました。
差し上げようとしていた夜空の流星の図柄のペーパーウエイトが、今は私の手元にあり見る度に友が忍ばれます。

嬉しい出会いもあった年ですが、大切な人々の思い出を胸に抱いて迎える年末となりました。私も喪中欠礼のハガキを書きたい気分です。

人の寿命は、産まれて来る時のカミサマとの約束なのだとか。
かっての私にはそれを信じることで、かろうじて生きてこられた時間もありました。
そして今また、そのことをかみしめています。

別れは人の世の常であり、避けることの出来ない厳しい定めであることも重々承知しています。
けれどそれでもなお、別れは一生忘れえない大きな大きな悲しみです。

高橋先生を知るきっかけとなったのはこの本でした。

最初は、京都にあった光琳社という綺麗な本を出している出版社からの発売でした。
今は角川書店から出ています。

私の亡き父が愛した俳句の世界と、母が大好きだった空の出来事と、私が興味を持ち始めていた写真の世界のこととがマッチングした本だったので、とても驚きました。

そんな本と出会えた事の不思議と幸せと

水平虹について質問のお手紙を差し上げてお返事をいただいたことや、ネット上で空の出来事を紹介するサイトでの写真のご指導を受けたこと、そこで開かれたコンテストで小さな賞をいただけたこと・・・

高橋先生有難うございました。今も空の上から見守っていただけていると信じて日々精進してまいります。

先生、今頃は大好きなお空での、大好きなお散歩を思う存分愉しんでいらっしゃるのでしょうね?


父が愛した秋明菊

2021年11月15日 | どんぐり屋のつぶやき
明治生まれの父は、鹿児島生まれの九州男児!
昭和の大阪ではちょっと考えられないような、男尊女卑。

私が、父にとっては初孫の男の子を出産したというのに、「男が産院などへ行けるか!」と言って、退院するまで顔を見に来なかった。
きっと内心では、めちゃ見たかっただろうに・・・ヤレヤレ

とにかくすさまじく男っぽい人だった。
私は優しくしてもらった記憶がない。
というわけで、生前は大キライだった!

そんな父が愛した花の中に、秋明菊や秋海棠があった。

若い頃は別になんとも思わなかったのだけれど、最近になって、しみじみした気持ちで花々を見るようになった私は、ふっと不思議な気持ちに。

あの荒っぽいともいえる父が、こんな優しい花を愛したなんて?

もしかしたら、人には見せないようにしていた心の中に、とても優しい部分を秘めていたのではないのかと、亡くなって45年ほどにもなる今、心の奥で父のイメージチェンジが。

私が好きな父の俳句に
    君逝きて 大夕焼けのただ虚し
というのがある。
まだ若い40代の終わり頃に、一番の親友を亡くした時の句だけれど、どれほどの悲しみであったことかと、今にして想う。

お墓など要らないから、仏法僧の声が聞こえるところに、小さな骨を一つ埋めてほしいというのが遺言。
ほんの小さな骨の欠片が奥日光の山深くで、今年も仏法僧の声を聞いていたことだろう・・・
    

どうでもいいことなんですけど・・・

2021年11月10日 | どんぐり屋のつぶやき
今年は手に入らないかもと思っていたマテバシイのドングリが、そこそこ拾えて嬉しかったです♪

部屋に帰って遊んでいるうちに、小さなタッパーウェアにうまく詰まりました!
どんなふうに詰まっているかというと、こんな感じで


ここまで傾けても抜け落ちませんでした。


すみません、まったくもってどうでもいことデシタ、、、、
でも、ちょっと嬉しかったものですから。ごめんなさい

この後色々工夫して、もっと入れても落ちずにいるように詰め込みたかったのですが、さすがに大きさが揃わなくて無理でした・・・

私がいちばん好きな花

2021年10月23日 | どんぐり屋のつぶやき
燃えるような この花の色 私の心にいつも元気をくれます

黄花コスモスの仲間の「サンセット」

沈む直前の太陽の 今日一番の輝きの色

普通の黄花コスモスは あちこちで見られるのですが

サンセットは何故か なかなか出会えません

どうしてだか あまり人気がないようで

このひと株も 園芸店の片隅に忘れられて もはや枯れそうになっていました

つぼみが次々に開いて 毎日愉しませてくれています


20年ほど前に しばらく長い入院生活をしていたとき

病院の花壇に咲いて とても嬉しくて元気が出ました

他の患者さんが とても気に入っていらっしゃって

名前をご存じなかったので教えて差し上げて喜ばれました

絵をお描きになる方だったので スケッチをくださったのも思い出です

高齢の方でしたから いまはもうお空の上で

それでも秋には この花を見付けて愉しんでいらっしゃるだろうと 

お姿を懐かしく思い出しています。

鄕隼人さんの近況

2021年09月12日 | どんぐり屋のつぶやき
今朝の朝日新聞の「歌壇」の中に、郷さんの近況がありました!

最近ご投稿がないのは(投稿なされば、まさか全部ボツと言うことはあり得ないと思いますので)もしかして体調がお悪いのかと心配しておりました。

今朝の記事によると、カリフォルニアの文芸誌を通じてのお仲間である歌人の中條富美子さんが、作歌を促してお書きになったお便りへのお返事に、心も体もとても健康だけれど、
>収容先が変わり、古いバラック状の平屋建てに二段ベッドで90人近い囚人が同居「騒音は想像を絶するものがあり、作歌したい意志と情熱は未だ持っているが、このような環境では短歌も作れない」そして騒音に悩まされ、本も読めない状態・・・・とあったそうです。

郷さんのお歌を楽しみにされている方は少なくないと思います。
あの才能が、騒音にかき消されているとは悲しいことですが、いずれまた環境の変化もあるでしょうから、健康まで害されませんようにとお祈りするしかありませんね。

ご心配の方もきっといらっしゃると思い、ご報告させて戴きました。

今年の花は そろそろおしまい

2021年08月03日 | どんぐり屋のつぶやき
たくさんの花を愉しませてくれたオオボウシバナも、そろそろ終わりのようです。
何年も前に、ブログで見て感動、お願いしてタネをいただいてベランダで育ててきました

枝先に咲く花は、たいていはこの写真のように二輪ずつ仲良く縦に並んで咲きます。
咲き終わると花びらはたたみ込まれて、包(ほう)の中に収まるのですが、たまにベランダの床などに落ちると、長い間その部分が染まっています。
昔は、この花びらの色を染め物に使っていたようで、さもありなんと色素の強さを感じます。
その染め物は、きっと夢のような色だったでしょうね?

野生のツユクサも、花は小さいですが大好きです。

もう少し季節が進んで、早朝の気温が下がるようになると、ツユクサの花の色が濃くなって、とてもきれいなのです。
初秋の朝が、待ち遠しいです・・・


まだ7時だというのに

2021年07月30日 | どんぐり屋のつぶやき
早朝散歩から帰ってきたら、北の空にこんな立派な雲がもくもくと。
でも、夕立はありませんでした。
梅雨が明けてかたずっと、曇りはしても雨は降らず。
もうカラカラです。

ハマハナセンブリが咲き


昨日の夜の名残の花が


もうすぐ散ってしまう時間ですが、ヤブガラシが咲いてます

この真ん中のオレンジ色の部分には蜜がいっぱい!
多田多恵子さんの真似をして、舐めてみたらとても甘かったです、ウフフ。
色々な昆虫がやってきますが、今日はまだ誰も来ていませんでした。

そして何を思ったのかアジサイがつぼみをつけて

咲くのでしょうか?  雨が降らなくてみんな息絶え絶えなのに・・・