そよ風つうしん

日々の暮らしの中で心に残ったことや、目にとまったすてきなものを、折々にご紹介しています。

花散り果てて

2019年04月30日 | どんぐり屋のつぶやき
今年はかなり長い間花を楽しませてくれましたが、さすがに散り果てて公園には人影がみられなくなりました。
でも、樹の根元には蘂(しべ)がたくさん落ちています。
俳句の季語にも「サクラ蘂降る」として載っています。

サクラの蘂とは、花を支えていた部分の呼び名です。

紅くてとてもきれいです。
すぐに色あせてしまうので、楽しめるのは数日ですが。

今はもう人の姿もなく静かになった公園に音もなく落ち来る蘂、再びの春に巡り会えるかどうかはわかりませんが、私もまた穏やかに一日一日を大切に生きて行こうと思っています。
新しい時代が平和で戦争のないことを、深く深く祈りつつ。





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昭和から平成に改元の時の思い出

2019年04月22日 | どんぐり屋のつぶやき
いろんな意見はあっても、もうすぐ令和という時代が始まります。

今から31年前、昭和が平成と改まりました。
あのときは、昭和と言う年号が長かったことと、私には初めての経験であったこともあって、その日の前後は、とても心に残ってます。

>静かなる小雨が街を濡らしつつ あと一時間にて昭和が終る

>暖かき春を想わす雨の中 平成元年の朝は明けゆく

>ビルごとに半旗掲げし街行きて 平成元年の朝を出社す

まだ仕事をしていた頃だったので、こんな気持ちで過しました。
3番目の歌の「半旗」というのはご存じない方もいらっしゃるいかもしれませんね?
国旗を掲揚するのに、国として不幸なことがあったときの固有のやりかたで、国旗を掲揚する時に、普通はポールの先まで国旗をきちんと取り付けるのですが、その時は先の方を少し残して低く掲げるのです。
ポールの先に取り付けるタマも(名前を忘れました・・・)普通は金色の物ですが、このときは黒いのを付けて弔意を表します。

このときは天皇陛下が亡くなられての改元でしたので、こんなふうに半旗を掲げたのでした。

今回はそんなことはありませんが、今は各家庭に国旗を備えているということは無いでしょうから,いっせいに国旗掲揚の姿はもう見られないでしょうね。
私が子どもの頃は、箱に国旗セットを保管していて、祝日には門の前に掲げたものでした。

10連休というのは、年末年始には経験がありますが、それ以外では滅多になかったので色々と困りごとが発生しそうで怖いです。

そして休みで嬉しい人・休みたくないのに休みになって困る人・休みたいけど休めない人・休みでとても迷惑する人・などなど、いろんなパターンがあることでしょう。

あなたのお宅は準備OKですか?


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花の季節、心に浮かぶ一枚の絵

2019年04月14日 | どんぐり屋のつぶやき
寒さのお陰で長く楽しませてもらえた今年の桜ですが、さすがに朝からの雨に打たれて元気が無くなってしましました。

それでもまだ花を残しているサクラ・・・

昔、在原業平は詠みましたね。
>月やあらぬ春は昔の春ならぬ 我が身一つは元の身にして

これは、昔の恋人を想って詠まれた歌だと学校で習い、そのときはモテモテだった業平さんらしい歌だと感じました。
でもいま、自分自身老いの年代に入っての感想は、少しちがってきました。

我が身もまた、決して「元の身」ではないということに気がついたのです。

昔、愛しく想い合った人も年老いて、若い頃とはちがう姿や心になりました。
そして私とて同じこと。
在原業平も私たちのような歳になれば、またちがった歌を詠んだことでしょう。

以前このブログにも書いたことがあるのですが
漢詩人の杜甫が、玄宗皇帝や楊貴妃や詩人の李白等と共に過していた雅やかな世から、突然起きた安禄山の戦いに巻き込まれて流浪の旅をしているときのこと。

ある街で、ふと聞き覚えのある歌声を耳にします。
近くへ寄って見れば、共に同じ時代を過した、李亀年という歌手でした。
街角で歌を歌い、客からお金をもらう暮らしをしているようです。

唄い終えたのを見て、そばへ寄って名乗り、近くの店に入ってひととき語り合いました。
折しも、花吹雪となって散り落ちた花が、行き交う人々に無残に踏まれています。

お互いの変わり果てた姿を嘆く二人。

橋本関雪が描いた「失意」という絵です。

まさに、我が身も元の身ではなく、わびしさに耐えるしかない旧友との語らい。
この絵はあまり展覧会には出ないようで、私もたった一度見たきりです。
このときは、画面からあふれ出ている悲しい雰囲気に胸をうたれました。

この後どれくらい経ってからなのでしょうか、杜甫は旅を続ける船の中で、持病が悪くなって亡くなりました。
李亀年はどうなったのでしょう・・・

いまもなを、漢詩の愛好家に愛されている杜甫ですが、都で高い位に着いて世の中を変えたいという夢は果たせず、ご本人は時代の変化も相まって、寂しい思いのままに旅立たれたのでしょうか・・・

花を見、業平の歌を思い出す度に心に浮かぶ一枚の絵です。




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巡る~めぐる季節の中で

2019年04月07日 | 3~5月の草木
去年の秋の台風の被害が気になっていましたが、どうやら今年の花も満開になりました。
京都では、台風で倒れたままの桜が、見事な花を付けていると報じられていましたが、起こしてあげないと、木が弱るのではないでしょうか?

投票に行って帰ってくると、上の写真のようなお日さまが・・・
まさか花粉で霞んでいるのではないですよね?

反対側の土手にもかなり大きな木があります。
場所柄、枝を切られることがないのでしょう、とても立派です。
細い道を挟んで、こちら側にはユキヤナギが植わっているので、とてもすてきな眺めなのです。


今年はなかなか咲かなかったのに、咲き始めるとあっという間に満開になってしまいました。

今日は入学式の学校もあったことでしょう。
ずっと昔の、息子の中学の入学式の日を思い出しました。
懐かしい校歌を、生徒といっしょに唄っていると、懐かしさとうれしさで涙が流れたことも。

花は思い出を連れてきますね・・・




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新しい元号

2019年04月04日 | どんぐり屋のつぶやき
「令和」古めかしい感じがするのは、まあ、やむをえないですよね。なにせ「元号」なんですから。
それにしても落ち着かないなあ~~と思っていました。

新聞を読んでいたら、どなただったか忘れましたが、ある学者さんが、文字の「字面じづらが悪いのでいまひとつぴんとこない」とお書きになっているのが目にとまりました。
一文字ずつはどうと言うことないのですが、二つの文字を並べるとバランスが良くない・・・とも。
なるほどそうなんだと納得です。
漢字には見た目の印象が有りますからね。
特に横書きにすると、それを感じません?

Twitterでは「命令の令が入るのは、何だか強制されるようでイヤナ感じ」という書き込みも
かなりありました。

どちらにせよ、命令には違いないですね。
「これに決まりましたから、ハイ皆さん使ってね」と言うことなのですから。

年号が変わったくらいで世の中が変わるわけもなし。
平成だって、きっとそういう祈りを込めていたのでしょうが・・・ねえ?

私は年をとったので、自分や子どもたちの年齢を覚えておくのが大変で、西暦ならばすらすらと思い出せますから、たいていの時は西暦を使ってきました。
これからもそうするつもりです。
ごくたまに「元号でかいてください」と言われることがありますが、たいていは大丈夫です。

あなたは、どちら派?
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今日は私の誕生日♪

2019年04月02日 | どんぐり屋のつぶやき
今日、79歳となりました。
幼い頃、ピアノを買ってとねだったら、父は「おまえが死んで後にピアノが残ったら、さぞつらいやろうからダメ」といった父・・・あの時代に未熟児で生れ、たいそう体の弱い子だったのです。

80年前に、満州(中国の北部)で母のお腹に宿り、そのために日本へ帰ってきたので、戦争に巻き込まれることもなく、両親には「あんたのお陰で命拾いをしたかも」と言われました.

そのまま満州にいたら、私も残留孤児となり、死んでいたか、ものすごい苦労をしたか・・・

日本へ帰って、生れた翌年に第2次世界大戦が始まり

たった一つ持っていたお人形を抱きしめて防空壕に入り
母が隣組の夜警当番で、ご近所に「警戒警報発令!」とメガホンで触れて回る時には、真っ暗な防空壕の中でひとりぼっちの恐ろしい夜もあり
あと3日戦争が続いていたら、住んでいた地域も空襲になっていたのだそうです。

やっと戦争が終っても食べるものが少なくて
父が作ってくれたサツマイモや、カボチャやトマトが主食でした

国民学校と呼ばれていたのが「小学校」と名を変えた学校に入りましたが、窓ガラスはほとんどなく、板張りになっていたので暗くていやでした。
先生も戦死されたり未帰還の方がいたりで、教員免状を持っていない人が臨時に雇われていて、なんとなくのどかな授業であったと覚えています。

中学校も「第一中学」と呼ばれていたのが、「○○中学校」となり、生めよ増やせよの政府の呼びかけで子供の数は多く、50人学級が11クラスありました!!
なので卒業証書を頂くのには、名前を呼ばれる順番待ちがたいへんでした。

高校は、女学校が普通に高等学校と名を変え、こちらは5クラス。
1組は男女混合クラスで進学組。
2組と3組は就職希望者、そして4組は女子だけで家庭科組。
就職する人が多かったのです。

そして昨日、私の80歳を前に元号が変わりました。

変化を友に生きて来た私です!!
なにか良いことあるかしら?
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