そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

ヒラメキのもとになるもの

2022年05月19日 | 心に残っている言葉
「ひらめき」に関するNHKの番組での、山中伸弥さんの言葉より。

その時は特に目的がなくても、多くの知識を仕込んでおくと、ずっと先になって何か考えが行き詰ったときに、突然「ひらめき」となって表れて助けてくれるものです。

これってほんとにそうだと思います。
読書や講演やTV番組などから仕入れた知識が、何かの時にぱっと浮かんできて、行き詰っていた思考が開けて救われるということが、ありますね!

私は、忘れっぽいので、そういう仕込んだ知識は、必ずメモに書き残すようにしています。
そして、時折読み返していると記憶にも残りやすいような気がします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、雨上がりのエノコログサに残っていた、雨の名残の一粒です。
雨があがると、すぐに消えてしまうので、急いでみつけて写しました。


コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生に無駄な経験など一つも無い

2022年05月14日 | 心に残っている言葉
先日のブログの文章の続きになるでしょうか・・・

古いものですが2000年2月22日 朝日新聞夕刊の「追憶のカルテ」というコラムの切り抜きが手元にあります。
河野博臣さんという外科医が書かれた言葉が、切り抜きは色あせていますが内容は今も胸を打ちます。

その記事よりもさらに40年も以前の事。
いつものように、妻と二人の娘に見送られて河野さんは出勤なさいました。
ところが、それから一時間もしないうちに、次女が電車にはねられたという知らせが届きます。

それからの過酷な日々を、河野さんは耐えに耐えましたが、耐えきれずに心を病みます。
高名な精神分析家の精神分析を受けること5年におよび、ようやく「娘の死は私の死である」ことを理解なさいます。

>私の死。それは若い外科医として慢心し、がん患者が死んでいくのを見送りながら、それも医学的には当然と思い込み、患者、家族の苦しみを共感しようとしなかった自分を思い改める、ということだった。つまり私は予期しない娘の死に遭遇してみて、初めて患者と家族の想像を超す苦しみが分かるようになったのだ。
そのことに気づき、私は自らの道が開けたような気がした。そして救われた。まるで娘が、お父さんは人間として、医師として、患者さんに奉仕しなさい、といってくれたように思えたのだ。

やがて河野さんはガンにかかります。ずいぶん以前のことですから、それは死の宣告のようであったことでしょう。

娘さんを亡くされた直後に、牧師さんがおっしゃった「神のなさることはいつも時にかなって美しい」という言葉が、河野さんのお心にすとんと落ちるまで、長い年月がかかりましたが、
今回ご自分に病を得られて、その言葉を再度受け入れる決心をなさいます。

>患者になって苦悩を実際に味わってみよとの使命を与えられたのだとも感じている。
その使命を果たすことが、娘の死にこたえることにもなるとも思うのだ。

このようにコラムは結ばれています。

人生には無駄な経験はなに一つ無い」ということをしみじみと感じさせてくださるコラムでした。
こんな大きな深い悲しみも、苦しみつつ人生に活かす知恵が人にはあるのだと、深く感動したことを思い出します。その想いは、それからの時間の中で耐えがたいと思える苦しみに出会ったときに、私の心を支えてくれました。


~~~~~~~~~~~
写真は、以前見晴らしの良いところに住んでいたときに見た、タンジェントアークです。
薄いですが太陽柱も見えています。
そこに住んでいた頃は、おりおりにこんな自然現象が心を癒してくれたものでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新が遅れがちです

2022年05月08日 | どんぐり屋のつぶやき
来月の始めに白内障の手術を受けます。
今は、見えにくくて、長い記事を一度には書けません。
なので更新が遅れています。

口惜しいのですが、どうにもなりません。
ごめんなさいですm(_ _)m


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は・・・何でしたっけ? ど忘れしました。誰か教えてください

小坊主さんがコメントで教えてくださいました。「ガガブタ」でした!
ありがとうござ8いましたm(_ _)m

コメント (17)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

末盛千枝子さんの著書より

2022年04月30日 | 心に残っている言葉
『ことばのともしび』(新教出版社・2013)
年をとることのすばらしさの一つは、いろいろな経験が、特に苦しく悲しい経験が、結局は自分を育ててきたという実感を持てることではないかと思います。

著者は、配偶者との死別、幼い2人の子どもを抱えながらの絵本編集者としての生活、ご子息の難病と障害など、たくさんのご苦労を生き抜いてこられました。
その暮らしの中で感じた多くのことを通じて、今あるご自分をみつめて、書かれているご本です。

どの著書を拝見しても感じる温かさは、たくさんの苦しみや悲しみが育て上げたものであると、しみじみと感じます。

多くの有名人が「人生に無駄な経験は一つもない」とおっしゃっています。
年を取ると、本当にそうだと、自信をもって言えるようになりますね


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、葉をすっかり落とした裸木の梢に輝く環天頂アークの姿です。
少し画面を暗く調整してありますが、大阪府枚方市に暮らしていたころのある夕方、見上げた空に見えていました。
思わずご近所の方々を呼び出して、みんなで見上げました。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡伸一さんの言葉より

2022年04月24日 | 心に残っている言葉
コラム「福岡伸一の動的平衡」より筆者の言葉を。
<北斗八星かそけき光>(朝日新聞 2017/5/18 )

>ああ、自然界にあるすべてのものが、くっきりとした輪郭をもって見えていた少年の頃がなつかしい。
そのかわり、年齢とともに、せめて、見えざるものに思いをはせる思索の深度が、いくばくか深まったと思いたい。


この言葉は、少しご高齢な方々なら実感を持ってお読みになったのでは、ないでしょうか?

私も、そうでした。
何歳頃からでしょうか・・・月や星等を見上げたときに、若い頃のように、すっきりした輪郭で見えなくなってきたと感じて、ひどくガッカリしたことでした。

けれども、福岡先生には遠く及びませんが、「見えざるもの」を考えるときには、若い頃よりは多少なりとも深く考えられると、かくありたいという希望と共にささやかですが感じています。


<北斗八星?>
北斗七星のひしゃくの柄の下から2番目にある「ミザール」という星は、そのすぐ近くに
「アルコル」という4等星があります。アルコルはアラビア語で「かすかなもの」と言う意味です。

今のように夜空が明るいと、都会の夜空で肉眼では見えないかもですが、私が若い頃には見えていました。
福岡先生もきっとご覧になっていたのでしょう。

それも、今では思い出の中の一つになってしまいました。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切なものを思い出させてくれる絵本

2022年04月16日 | 本の紹介・その他いろいろ
先日、誕生日祝いにプレゼントされた絵本です。

いせひでこさんは、ノンフィクション作家柳田邦男さんの奥さまで、柔らかいタッチであたたかい絵をお描きになる絵本作家です。
片方の目がご不自由と知った時は驚き、そして深く尊敬しました。

この本は、私たちが日々の生活の中で見失っている大切なもの大切なこと
ひとつ、ひとつ取り上げて
思い出させてくれます。
そこに添えられている絵が、またすばらしい。

たとえば、こんなことも

空 雲のかたち 風の匂い

窓のむこう、道のむこうに見えるものはなに

夜明けや夕暮れとの出会いはありましたか

などなど、もっとたくさんの、
忘れそうになっていることをいっぱい思い出させてくれて、

その中にあった
大きな樹の近くで、かばんを引きずりながら泣いている少年の姿が
私の幼い友人のようにも見えて、泣きそうになりました。

そのページには
「樹木を友達だと考えたことがありますか。」
という言葉があります。
その少年も、樹の太い枝にたどりついてしがみついたら、きっと樹が心を温めてくれたでしょう・・・
私の友人の少年も、樹を友達だと思えるようになってほしいです。そしたら、悲しいときもけしてひとりぼっちじゃないと信じられるから。

そしてお終いのページの
「時代は言葉をないがしろにしている---」
「あなたは言葉を信じていますか」

というひと言には、はっとさせられました。 日本語はとても綺麗で豊かですばらしいのに、
ともすれば忘れられそうな言葉がたくさんありますもの。

長く手元に置いて、心を支えてもらえる本であると思っています。プレゼントしてくれた娘に感謝です


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長島選手のステキな言葉

2022年04月06日 | 心に残っている言葉
昔、まだ長島選手が現役だった頃。
シンガーソングライターのさだまさしの『坂の途中で』という本を読んだ時のメモに、長島選手と、さだまさしのこんな言葉がありました。
さださんは、長島選手のことを「僕の神様」と言っていたくらい尊敬していました。

引用します。

>「さださん、私はたった一つ自慢出来ることがあります。私はグラウンドで一度も手抜きをしなかった」
「五万大観衆の中には一生にたった一度だけ、長島に会いに来てくれる人がいる。その人の前で手抜きなんて出来ない」
「結果は良い時もあれば、悪い時もある。だが、自分は一生懸命やるということで自分を許していた」

以下は、さださんの言葉です。
>僕はそんな神様のセリフに涙をこらえられなかった.やっぱり、この人を尊敬してよかったと思った。結果ではなく、自分はベストを尽くしたか? これが男の勝負のすべてだと、その時に改めて確信したのだった。

これは、男だけでなく全ての人間に当てはまるのではないでしょうか?


私はグレープ時代から、さださんのファンでした。
とことん辛いとき、どれだけさださんの唄に励まされてきたことでしょう。
さださんの唄をきいていると、こらえていた涙がどっとあふれて、その涙と共に悲しみや苦しみが流れ去るのです。

長島さんも、さださんも、いい人だな~~と、改めてしみじみと想いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、ガガイモの種が風に乗って飛んで行くところです。
気持ち良さそうでしょう?
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いじめをとめるのは やさしい心

2022年04月02日 | 心に残っている言葉
新年度が始まりました。 新しい生活が始まって張り切っている人も、たくさんいることでしょう。

学校はまだ春休み。
春休みが終らないと良いのに・・・と心の底から思っている子供たちが居るはず。
来週には始まる新学期。
辛いだろうなあ~~

ずっと前に読んだ新聞の書評欄(96年1月14日 朝日新聞)より、引用します。
『いじめ』(たくま・たけとし著 サイエンス社刊)についての米沢富美子さんによる紹介記事より。

>本書の第2部では、いじめの問題をどのように考えるべきかが解説されている。
いじめを止めるのはやさしい心、そしてその「やさしい心が発達するためには身近にやさしい心」をもった人がいることが必要というくだりは、当たり前だけど実は大人だってそうなのだと、感銘深く思った。親も子供も先生も、一読に値する本である。>

いじめをする人は、たいてい自分より弱いものに当たることで、日頃の鬱憤を吐き出しているのですよね・・・
いじめる人(子)こそ、愛を求めているのかも?
先生も親も、そのことをもう一度切実な問題として考えていただけないでしょうか?

本当に「やさしい心」とは?
私自身もいま考え込んでいるところです。

えせ優しさは、そこいらへんにいっぱい転がっているし、自分も持ちやすいけれど、本物のそれとなると、かなりの心の大きさ深さがないと、なかなか難しいですよね。
私はどうなんだろう? 肝に銘じて生きて行かなければ!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、近く土手で見付けた寄り添うツクシです!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の願い

2022年03月27日 | どんぐり屋のつぶやき
さすがにそろそろ疲れてきました。

コロナは先が見えないし、戦争もどうなるやら私には予想も出来ないし、北朝鮮からその気がなくても誤ってでもミサイルが飛んできたら?

考えすぎでしょうか?

心配性だよ! 考えすぎだよ! 
と言われても、これが私なんです。

でも、だからといって「疲れたから、恐いから、もう死にたい」とは言いません。
たしかに
高齢者になり体にも故障や痛みが多くて、生きている日々は確かに辛く、死んだら楽になるのかな?とふと考える事はあります。
でもこの命、自分の力で生きているわけではありません。
神さまなり天なりに生かされているのです。
「もう休んでも良いよ」と言われるまで、なんとしても生き抜かなくては!!

一人でもいい、誰かの役に立てるように努力しながら!
それは家族でなくても良い、
友達でなくてもいい、
見知らぬ、
行きずりの、
誰かでも良いのです。

一瞬でいいから、
誰かの心にささやかな灯火を差し出しつつ、
今日も生きたいのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真はウシハコベの花です。
普通のハコベより大きくて逞しい感じがします。
なかなか見つかりませんが・・・
花の中心にある花柱が、普通のミドリハコベなどでは3本ですが、ウシハコベのみ5本あります。
探してみませんか?
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きているのが奇跡のような日々のなかで

2022年03月24日 | 心に残っている言葉
コロナに疲れていたら戦争が始まり、どちらも終りそうにありません。
そして北朝鮮もなんだか不穏で。

そんな中で、当ブログは17歳になりました。紆余曲折の内容ですが、見に来てくださる皆さまに励まされて、えっちらおっちら、、、
心からのお礼を申しあげます。

さて今日のお話しです。少し長いですが、お読みいただけたらうれしいです。

自然であれ神であれ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過すことができるのではないでしょうか。『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤竹俊・アスコム刊

昔、母がある宗教の勉強をしていた頃、師と仰いでいた人のことです。
太平洋戦争まっただ中、お住まいだった大阪府堺市に大きな空襲がありました。
燃えさかる火の中を避難するしかなく、表に出ると多くの人が近くの川めざして走っていきます。
人波に飲み込まれて否応なくご自分も川へ!

泣き叫ぶ人々にもみくちゃになりながらも、一心にお経を唱えておられたそうです。
日蓮宗の方ですから、長いお経文のなかの一部を思い起こされました。

妙法蓮華経如来寿量品第十六にある >「大火所焼時 我此土安穏 天人常充満・・・」
(だいかしょうしょうじ がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん)
の一節だったそうです。
大火事の中でも我の住むところは安穏で、そこには天人がたくさんいてとても安楽で安心であるよ、というような意味です。

なんじゃそれ、と言ってしまえばそれまでですが、固く信仰されている人の心の中では、この一節が大きな救いと安堵につながっていた事でしょう。

また、こんなことも。
第一室戸台風に襲われて、校舎が倒壊したウイルミナ女学院では、下敷きになった生徒たちの唄う賛美歌「主よみもとに近づかん」が流れていて、助けてあげることも出来ないままに次第に声が小さくなっていくのがとても辛かった、とその場に居合わせた方のお話しを聴いたことがあります。
この生徒たちも、体はとても苦しかったでしょうが、心は静かであったのではないかと想像します。

冒頭に書きました言葉から思い出したことなど、書いてみました。

特に宗教でなくとも、なにか自分の運命をゆだねられるものの存在を信じることは、心の平安のためによいかも、と騒がしい世相の中で考えています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、近くの土手で見かけた、仲良しツクシです。ここは平和でした♪
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする