1970年代、サブカル雑誌で何かと出版界では話題となった「月刊 面白半分」に牛坂浩二のペンネームでいろいろ描かせて(ときには書かせて)もらい、いろいろな人たちとの交流もあった。
しかし、あの頃から40年の歳月が過ぎ去り、現在交流があるのは4人になってしまった。
*これは2009年9月の写真である。
左端が「面白半分」の発行人であった佐藤嘉尚、その隣はカメラマンの石山貴美子、編集者の土屋健、ライターの阿奈井文彦、そして最後は私だが、このうち佐藤嘉尚が昨年亡くなってしまった。
そうした昔の仲間と会って話すことは現在の健康状態と昔の思い出話しかない。
若い人が聞けば年寄りたちがまた同じ話で盛り上がっていると揶揄されそうだが、年をとると喜怒哀楽を共にした仲間との昔話がやけに楽しく、かつ懐かしいものでこれがまた残り少なくなった明日の活力になるのだ。
<残党・・・>そんな単語が頭をよぎる。
「敗れ去った一味の残り」という意味と言うのが本来の意味らしいが、面白半分は敗れ去ったと言うわけではないが、時代の流れの中で消えていった文化と言う意味ではやはり過去の時代の残党なのだろう。
この昔の仲間たちと会うと「面白半分の残党」的な気分になるようになってしまった。
●日没が近い空の光はやがて静かに消えていく その様はまさに残党たちの最後の輝きなのだ。
先日も新宿の居酒屋で「面白半分」の残党が4人顔を合わせて互いの健在を確かめ合ってきた。
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