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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

続・大人の工作

2017年06月04日 | 展覧会

 前・前回のブログで(と言っても、2ヵ月も前のことだが・・・)、作っていた段ボールの断面模様の面白さに着目した恐竜たちのその後です。

  
 まだまだ完成とは言えませんが、8割がた出来てきました。

 大人の工作教室の仲間たちは、まだ絵を描くという部分においてはまだまだ発展途上の人たちだから、工作の下絵については私の型紙に頼らざるを得ないが、そこから先はそれぞれの工夫を取り入れるという習性は身についてきたようだ。
  
 
例えば、右の緑のバックのステゴザウルスはごくシンプルに、段ボールのチップをつないだもので、写真を大きくしてもらうと恐竜の輪郭はモザイク状に凸凹している。
 それに比べて、左側の赤いフレームのトリケラトプスは段ボールチップの外側にハサミを入れたフレキシブルなチップで自由な曲線を作って、各パーツの輪郭をはっきりさせる工夫がされている。
*判りにくい私の説明より、写真をアップして見比べてください。

  
 また、この翼竜の羽は当初、書類などをまとめておくファイルを使う予定でいたが、作者は制作中にひらめいたアイデアで珍味・のしタラを使ってはどうだろう・・・と言いだした。

 私もそういう冗談は嫌いではなく即OKを出したが、のしタラは破れやすいという強度の問題と、展示中にニオイで虫などが来ないような処置をしてもらうこととした。
 

 さらに、学術的な恐竜像にあまりこだわらず、角やヒレの数など自由な発想で、まず作っていて自分が楽しくなるような恐竜つくりを心掛けています。
 
 展示にあたっては、マニアックな小学生などからの突っ込みを避けるために、作品のタイトルには恐竜の名前を付けないようにしようかな・・・。


 ちょっと余談になるが、私たちのようなB級アート(2番手アート、あるいはアートもどき)の作品を作っている会のグループ展を見る機会が時々あるが、その中にサイズも色も形もまったく同じ作品(らしきもの)が何点も展示されていて、貼られている名札がなかったら、作った本人でもどれが自分のものなのかわからないであろう・・・というものを見かけることがある。

 プラモデルのような市販の手芸用キットを買わせているのだろうが、指導者としての資質が知れる。


YouTubeに・・・・

2017年02月03日 | 展覧会

 もーさん、前回のブログの更新をしてから、もう1か月になるけど、どうかしちゃったの?
 ・・・と友人のYさんが訪ねて来てくれた。

  いやいや、どうかしたってぇわけでもないが、人間、歳をとりますてぇと時の過ぎるのが気にならなくなるといいましょうか、あれから何日ってえことが・・・などと突然に六代目の圓生の口調になって弁解を始めたりしだしましたが、いえ、何、いろいろお話をしようと思っていましたが、1月はいろいろなことがありまして、何から話そうかと迷っているうちに・・・・その~早い話が・・・

 どこが早い話なんだい、本当にじれったいね、順番なんぞはどこからでもいいから、とりあえずなんか書いておくれよ。 

 
そんなわけで、私もつい先ほど聞いたばかりの新着ネタから・・・
 YouTubeでゴトー孟のおもしろ工作展ってぇのを検索すると昨年の夏の展覧会の様子が見られるということで、私自身も初めて見る話なんですが・・・。 
 
 私の友人のIさんてぇ人のそのまた知人という人がアップをしてくれたようです。
 

 私もYouTubeでグレンミラーをBGMとして聴きながら 仕事をしたり、昔の時代劇などを観たりしているが、自分の物が出てくるなんてぇのはちょっと気恥ずかしいような、怖いような・・・。
  
 次回はあまり間をおかないように更新します。
  

・・・というわけで、まずは私の展覧会風景でもご覧ください。 

 

 


枯草や 野良者どもが 夢の跡

2016年11月30日 | 展覧会

 
 上の写真は、これまで10年ほど借りていた畑の昨年の写真で、下の写真はほぼ同じ場所を撮った今の写真である。
 わずかに、年内収穫予定のホウレンソウ、白菜、キャベツ、大根を残すのみで、あとは荒れ放題となってしまっている。

   

 ひどい荒れ地になってしまっている理由は、この辺り一帯は、都市計画で流通関連の倉庫街となる予定で、今年限り
で立ち退かなければならなくなった。

 もともと都市計画は以前からあったものが現実になっただけのことで、藪から棒に降って湧いた話ではない。

 したがって、この辺の家庭菜園は「雑草さえ生やさないようにしてくれれば・・・」ということだけで地代は払わず、「地主は必要な時にはいつでも明け渡す」という念書を入れて借りていたにすぎない。


 家庭菜園とはいえ、都会の家庭菜園と違って、5坪~10坪の菜園ではなく、一人で100坪前後を耕していた人もあって、 私でもここだけで50坪の畑を借りていた。

 上の写真をアップで見たいただくと、はるか彼方に白っぽいフェンスのようなものが見えるが、都市計画の予定地はそのフェンスの向こう側にも及んでいて、全部で何人いたのかわからないが、おそらく50人を超えるの家庭菜園難民が出たことだろう。


 私の場合は別の場所に10坪だけだが、別の畑を借りているので、全くの難民状態ではないが、ここは下北沢(世田谷区)から収穫体験にやって来るボーイスカウトの子どもたち用のボランティア畑として使っていた畑だから、なくなってしまう50坪の埋め合わせには狭すぎるのだが、全くの難民状態の人に比べれば贅沢は言えない。


 この10坪の畑は、全部で150坪ほどの田んぼを埋め立てた農地を12人で借りているのだが、いずれも高齢者ばかりで、昨年も二人リタイアした人が出て、新しい人と入れ替わっている。

 待っていれば、1~2年のうちに、また入れ替わりがあるだろう・・・と周りを見渡してみると、必ず歳の順とはいえないが、何と私が一番になる可能性が高いようだった。


 明け渡す畑の黄昏は、やはりわびしさが漂っている・・・。

 枯草や 野良者どもが 夢の跡(盗作)


団地のG-3出動

2016年09月22日 | 展覧会

 
 このところ台風一過 の日本晴れ・・・とはいかぬ雨天の連続で、畑の雑草も手に負えないが、団地の芝生面も芝生の姿はどこへやら、これまでにみたこともないまでに雑草が伸びている。

 そこで、団地の「G-3」の出番となる。
   ・・・とファンファーレと共にカッコよく登場と言うわけではなく、通常の定期的な芝生の刈込なのだが、前回は7月下旬に行った後で、2ヵ月も経っていないにもかかわらず、今回の雑草の成長は異常だ。

  
 通常広い芝生面は芝刈り機を走らせ、植え込みの周辺、立木の周囲は刈り払い機で刈りこむのだが・・・。

 刈った草が長すぎて芝刈り機に集塵袋に入らないことが分かり、広い面も一旦刈り払い機で荒く刈り倒し、熊手でかき集めて廃材袋に収納した後を芝刈り機を走らせるといういかにもアナログ的な草刈りとなっている。


 畑の草刈りは刈った草はそのままでもいいが、芝生面の草は刈りとった後、これを捨てに行かねばならないが、この量たるや半端ではなく、通常の3~4倍になりそうだ。

ところで、このブログを読んでいてくださる方には毎度おなじみの言い回しだが、初めての方には少し言い忘れていることがあった。
 
それは冒頭に書いたG-3というのは、この芝刈り部隊の名称ではなく、ただ、単純にG-3=ジーサン、つまり爺さん連中というだけのことであり、全員75歳前後の元気な年寄りに過ぎない仲間をチョットだけカッコつけて言ってみただけである。


 この団地は20棟600余世帯からなり、芝生面だけで20面(約1万坪)あり、この芝生のメンテナンスを7人のGー3が、今のところ死者も出さずに引き受けている。


 例年も季節によっては、雑草の量も多少は違うが、これほどの量となったことは初めてで、通常は1週間ほどで終わる作業だが、今回は9月12日から始めて今日までにまだ半分の10面しか終わっていない。

 普通は、雨の日には作業は休むが今回はそんなことも言っていられなくて、うかうかしていると、最初に刈り終えた1号棟の芝生をまた刈らねばならなくなりそうで、小雨決行という非常事態になっている。

 刈り終えた芝生面は、このようにこざっぱりと気持ちがいい。
 だが、雨はまだまだ続きそうで、全面の刈り込みが終了するのはいつになるのだろう。
 


キョウイクとキョウヨウ

2016年09月02日 | 展覧会

 60歳でめでたく定年を迎えた後、私たちはその後20年も生き続けることになるのだが、その20年のリタイア後の生き方はどうしたらいいのか?

 ある企業で長年社員教育に携わって70歳近くまで働いていた野良友のSさんは、定年間近の社員教育として定年後のあり方の話をしてくれた。

「結論を先に言うと、それはキョウヨウ、とキョウイクが有るか、無いかと言うことなんです」         そういう話をすると、イヤな言い方だと思う人もいるようだが・・・とSさんの話は続く。

 「教養と教育」ではなくて、リタイア後の長い日々「今日用があるか」「今日行くところがあるか」という話なのだ。
 そして、それは定年後に考えるのではなく、在職中に考えておかねばならないことだと言う。 

 そういえば、現在私の住む町でも、家の前に置いた椅子に腰をかけて、朝から何時間も道行く人を眺めているオジサンがいる。

 毎日台所の窓から顔を出して所在なさげにプカーとタバコの煙ををくゆらせながら、これまた道行く人や車を観察しているまだまだ元気そうなオジサンを見かける。

 これを20数年も続けなければならないとしたら、さぞかしツライ生き方だろうとナと思ってしまう。

  若いころには夢も希望も、やりたいこともいっぱいあったが、企業というところは、そんな個人の願望など全く関係なくチーム作業で効率を上げる社会で、ある意味ではパーシャル共産主義とも言える構造になっているような社会で何10年も生活をしているうちに、豊かだった人間性はいつの間にかスポイルされてしまい、定年待っていました・・・と、若いころからの願望を枯らすことなく持ちこたえて、再びイキイキとした人生を取り戻せる人は少ないようだ。

  そんな中で、私が東京暮らしのころの友人で、人もうらやむ公務員で将来の不安もまったくない男なのだが、どういうわけか子どものころからの料理好きという病気?を持っていて、晩年には年末になると近所のお節料理も引き受けるといういうほどの重症になっていた。

  その友はあろうことか、定年までの2年残して退職し、世田谷にある自宅を立て直して魚料理のお店を開店してしまった。

 お店は繁盛して、リタイア後の彼は在職中より充実した日々を送っていた。
 しかし、そのお店の開店後わずか2年で不幸なことに彼は病に倒れ帰らぬ人となってしまった。

 やっと希望がかなって、宮仕えから足を洗い、マイペースの日常を手に入れられたのに・・・と思う反面、もし彼が定年まで勤務をしていたら、夢を果たせないままにこの世を去らねばならないことになっていたのだと思うと、短い人生ではあったが、最後はキョウイクもキョウヨウのあるいい人生を送ったのだと思う。

 そんなことを考えながら、私自身の「キョウイクとキョウヨウ」を振り返ってみると、仕事+アルバイト+ボランティアが重複していて、この夏は収拾がつかない状態になっていた。
  
八王子子ども科学館・海老名市の小学校でのサマースクール・綾瀬市での工作教室

 ようやく展覧会という峠を越えたあとも、海老名の隣の綾瀬市文化会館での工作教室、そして一昨日と昨日の二日間は地元の小学校でのカカシ作りの仕上げのボランティアがあって、やっと長かった今年の夏が終わった。

  
災害現場ではなく、15体のカカシ作り指導の現場です。
 2~3日休養をした後は、雑草に占拠されてしまっている家庭菜園の手入れを済ませ、秋野菜のタネを蒔いたり、苗を植える準備をせねばならない。
  
*わが町の「中新田かかしまつり」は、9月3日の午後から飾りつけが始まります。
 
24歳で東京に出て来て以来、ずっとフリーランスで仕事をしてきた私の定年の区切り目は定かではないが、76歳の今も当分は死にそうもない元気さで、充実したというより、むしろ過剰なキョウイク、キョウヨウのある余生が送れていることに愚痴など言ってはいられない。