日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「江戸川大学へ、先生二人が、学生11人を連れて行ってきました。ありがとうございました」。

2013-10-21 08:49:37 | 日本語の授業
 朝、窓を開けた時、目に入ってきたのは、霧に沈んだ街でした。見えたのは、霧を載せ、色を薄めた屋根だけ。思わず見とれていると、遠くから汽笛の音がボウッと…。そうであった、ここは海に近い街であったと、なぜだか、懐かしくなってしまいました。

 うちを出た時も一直線に続く道の向こうが霧に霞んでいるのです。幻想的と言えば幻想的。心なしか、いつもより、行く人が少なく感じられました。

 さて、学校です。

 実は、先週の金曜日、教員二人が学生、11人を連れて、「江戸川大学」へ見学に行ってきました。ここへは先のオープンキャンバスの時に、スリランカの学生、三人が、お邪魔して、楽しい時を過ごさせていただいていたのですが。

 その(オープンキャンバスの)時の話。

 授業の時に、行った学生に、どうだったと聞くと、
「いろいろあった」、「いろいろ見た」、「面白かった」という返事。
「それで、何か、みんながしなければならなかったことがあったでしょう?」
「ありました。サインしました」。「何かアンケートを書くように言われました。」
「で、書きましたか」
「サインはしました」「(アンケートも)書きました。でも、他のイベントの所へ行っていて、戻ってきた時には、集めている人がいなかったので、出せませんでした」
「書いたのに、出せなかったのですか。では、次に行った時に出しましょうね」

 それから、一人の学生が、
「オープンキャンバスは、先生、面白いですね。また、行きたいです。他の大学がありますか」
「良いですよ。たくさん見た方が面白いかも。東京には、本当に、近いところにいろいろな大学がありますから(見聞を広める意味でも)、行って見た方が良いでしょう」

 けれども、彼は、「ロゴのついたボールペンとかファイルとか、そんなものがほしい」だけのようでしたが。

 どこでもいい、一つ(大学を)自分達で行ってみると、「知らないところ、しかも、大学の構内へ入る」という「怖じ気」が消えるのです。まず、それから始めなければなりません。そうでなければ、大学へ行った方がいいと思われる学生も、「皆が行くから」ということで、専門学校へ行ってしまうのです。

 それから、大学とはなんぞやということがよくわからない人たちに、とにかく目で感じてもらうことが大切なのです。「それほど敷居が高くはない大学もある。育ててもらえる大学もある」と言うことを、身を以て、感じてもらいたい…。

 そういうのが、最初の目的なのです。それには「江戸川大学」のような、漢字に難のある学生に対しても、きちんと応対してくれるような、そして、大学に入れば何が学べるか、何ができるようになるかをはっきりと言ってくれるような大学がいいのです。

 大学によっては、まず、「えっ。中国人じゃないの!それじゃ、漢字が判らないだろう。無理だよ」とばかりに、木で鼻を括ったような応対をする(有名大学であればあるほど、けんもほろろの応対をする)所があるのです。

 問題は漢字だけであり、彼らの人格でも、能力でもないのに、それを見てくれようとはしません(その時は、私たちも、「受ける必要はない。向こうは見る目がないのだ。そういう学生の能力を引き出すだけの能力がないからそうするのだろう」と考えるようにしています)。

 それで、金曜日のことですが、教師が一人、6時過ぎに戻ってきました。
「良かったよぉ。みんな喜んでいたし、先生達は、彼らが何もできないことを前提にして、丁寧に指導してくれた」「学生達は皆、うれしそうに、名刺を作り、中にはお母さんの名刺まで作った学生までいた」。「普段の表情(教室で、授業を聞きながら、ウトウトしている生気のない)とは全く違って、楽しそうに、活き活きと制作していたし…」。

 皆、大喜びだったで、連れて行っただけのことはあったと、教員のほうでもうれしそう。

 何よりも、できないことを前提に、「じゃあ、どう育てていくか」と考えてくれるところが助かる。

 実は、これは、私たちの学校のやり方でもあるのです。

 中国人が多かった時代は、楽でした。ドンドン教材を難しくしていけば、それだけで事足りたわけで、できないのは、「彼らの問題」で終われたのです。(東アジアと一括りにするのは問題があるのかもしれませんが、まず、「文字を書いて覚える、音読する、授業中は黙って教師の話を聞くなどが常識である」など。共通点は山ほどあります。これも漢字を用いて、それぞれが、文化を築いてきたからなのでしょう)。高学歴の者は、直ぐに「N1」レベルの文章を読みこなしますし、読解力がない者は尋ねてみると、皆と言っていいほど「中国でも苦手だった」と言うのです。

 ところが、非漢字圏の学生達はそうはいきません。

 それに、今、多く在籍している、ベトナムの学生と、スリランカの学生とでも、全く違うのです。教え方を変えてやらねばならないのです。一番、気の毒だと思われるのは、ベトナムの学生。発音の問題があり、聞き取りが怖ろしくできないと言う人が少なくないのです。もちろん、性格も関係しているのでしょうが(内向的であるとか、あまり話すのが好きではないとか)、それをさっぴいても、やはり、民族の問題であるように思われるのです。

 それに比べれば、スリランカの学生は、一般に、ヒアリングが良いので、こちらの話すことが直ぐにわかるようになります。後は単語を入れ、文法を教えていけば(それも文法や単語は、日本での生活の中でかなり入ってきますから)、それほど大変ではありません。彼らの問題は、「漢字を覚える際の根気」だけなのです。漢字で脱落する人が、脱落するならですが、まず(他の理由によるのではなく)100%近いのです。

 漢字さえ、頑張って覚えられれば、こちらの言う通り、書いて、書いて、覚えていけば、後は漢字の意味と生活で覚えた単語の意味が繋がれば、ストンと日本の文字が入っていきます。

 ただ、それができるかというと、どうも、彼らの国の文化には、こういう学び方がないようで、…できないのです。直ぐに飽きてしまうか、諦めてしまうのです。それも早いですね、中には20字ほども行かないうちに(つまり、「耳」とか、「足」の段階で)、匙を投げてしまう学生もいるのです。

 でも、ヒアリングが良いし、全く意味が判らなくとも、長いものでは、50字ほどの文を、オウムのように復唱できる学生までいるのです。繰り返して言いますが、全く意味は判っていません。ですから、単語を入れ替える(たとえば、「病院」を「図書館」と入れ替えたり、「田中さん」を、「イーさん」と入れ替えたり)ことはできません。けれども、オウムのように繰り返せるのです。言った後、直ぐは。

 日本人にとって、これは希有の才能と思われましたから、最初は驚き半分、後は期待しました。ドンドン難しいことを入れていくことができると。ところが、それで終わり。意味なんて何も考えておらず、ただ繰り返していただけだったのです。その時は、期待は泡と消えてしまいましたけれども。

 最初、スリランカからの学生も、ベトナムからの学生も、「テストというのが成立しない」という点では同じでした。見るのです、そして見せるのです。ベトナムの学生は、しかもテスト中、声を出して聞くのです、普通の声で聞くのです。最初は、こちらも、腹が立つと言うよりも、呆気にとられてしまいました。

 それから、「(彼らの国では)そうなんだ、彼らの国ではこういうことをやっていても、罪悪感がない(これは変ですね。この学校でやっているのは到達度を見るだけで、授業の復習に役立てる、あるいはクラスを落としてもう一度勉強させた方がいい人を見るくらいの意味しかないのに)、普通のことなんだと思うようにしました。人が多いので、ベトナムの常識が教室の常識になってしまうのです。

 そのうちに、ベトナム人も増えてくると、カンニングするのもさせるのも嫌だという学生も出てきました。それで、「そうなんだ。国全体が、こう(それが常識)というわけではなくて、そういうレベルのベトナム人しか、今まで入ってきていなかったのだ」ということがわかり、今は、新しく提携するベトナムの日本語学校には、「その眼がある」学校を選ぶようにしています。

 もちろん、二つの国の人とも、アルバイトをしなければ、進学も生活も覚束ないという階層の人が大半です。とはいえ、彼らの国では中流、または一目置かれている、あるいは知識のある階層出身なのです。もっとも、日本人だって、留学先で馬鹿なことをしてしまう人もいますし、金を溢れるほど持っていても、飲んで喰って、馬鹿騒ぎをして、果ては放逐されるなんて人もいますから、アルバイトに、そして学校にも頑張って来ている彼らを責めることなんて出来ないのです、私たちには。

 そして、その中でも、頑張って来た学生には、「もう一頑張りして、大学に行ってほしい。知識を獲得するだけではなく、視野も広げてほしい、これまでは知らなかった人達との繋がりを作ってほしい」と思うのです。

 今の彼らの日本語のレベルで行ける大学、そしてきちんと教育という理念から彼らを育ててくれそうな大学、私たちが安心して任せられる大学を、私たちも見ていたのです。これは卒業生が勧めてくれなければ、私たちには、判断のつかない部分もあるのですが。

日々是好日
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