日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「人は、どうしても、生まれた場所の価値観に縛られてしまう」。

2012-09-06 16:20:36 | 日本語の授業
 蒸し暑い。今日も残暑のようです。早朝、(最近は窓を開けた時、涼しげな風が吹き込んできて、それとなく秋が感じられたものですが)、今朝は違いました。モワッとした生温い空気が吹き込むと言うよりも、感じられたのです。もう、それだけで不、快指数は90%を超えました。

 昨日、午後のクラス(七月生)でも、『日本語能力試験』のことを話しました。彼らは来日してから二ヶ月くらいですので、『試験』と聞いてもピンと来ないようでしたが、こういうことは早め早めに話しておいた方がいいのです。話しているうちに、いつかはわかるでしょうから。

 ところが、中に、きちんと計画を立てている学生がいました。(お兄さんがいるからでしょう。その人は日本語学校で学び、日本の大学へ入って、今は日本の会社で働いているそうです)。その学生曰く「今年の12月には『N4』、来年の6月には『N3』そして、来年の12月には『N2』。先生、それで大丈夫ですか」。

 非漢字圏の学生であれば、それで十分です。中には非漢字圏の学生であっても、一年半ほどで、「N1」まで行ったツワモノがいましたが(他の学生と同じように来日時にはひらがなが書ける程度でした)。何にしても、大学入試を受ける時に、(大学の試験とは別に)その時現在の日本語のレベルを証明するものが必要となります。「私は日本語をこんなによく話すことが出来ます。だから大丈夫でしょう」とは参りません。いくらペラペラと日本語をしゃべって見せても、大学で必要となる日本語は、工場で働いている時に話している日本語やレストランのアルバイトで話している日本語とは、ちょっと種類が違うのです。

 アルバイトの面接の時のつもりで、大学の面接に臨み、レストランや工場の日本人スタッフと話しているつもりで、大学の先生方と話してしまうと、「ああ、この人はアルバイトばかりしていて、勉強していなかったのだろうか」と思われてしまいます(いくら、その時だけは、学校で使う日本語で話そうとしても、直ぐにばれてしまいます。一旦、お里が知れてしまうと、そういう目で見られますから、かなり不利です)。どのような種類の日本語であれ、聞き取れるということは必要ですが、自分に必要な日本語を覚え、使えるようにすることが一番大切なのです。

 ですから、学生達には、短期的には一年半後の自分の姿、中期的には大学卒業時の自分の姿、長期的には、ありたいと思う自分の姿を思い描いて、今、どのような日本語が使いこなせるようにならなければならないのかを考えてみるように言っています。それは、今、みんなが描ける必要はありません。けれども、目的意識を持って来日している学生はそういえば直ぐに判るものです。

 二人欠席でしたから、9人ですね。そのうち、だいたいわかったであろうと思える学生が一人、おぼろげではあるが意味は想像出来たようだと思われた学生が二人。私がわからせたいと思った留学生は、わかってくれたようでしたから、それで十分です。

 したくないという人にまで、無理に首根っこをひっつかまえて、させる必要はないのです。人、さまざま。それでも本人がやりたいと思うようになったら、その時にそれを考えればいいのです。人はそれぞれ、生まれる場所を選ぶことも、親を選んで生まれてくることも出来ません。生まれ落ちた場所、環境に支配されてしまうわけで、ほとんどの人はその支配から逃れることはできません。

 地球上の人間の大半は、移動できるにもかかわらず、生まれ落ちたところから抜け出せないでいます。勿論、私もです。人は皆、その環境で生きてきて、そしておそらくは、これからも、その中で生きていくことになるのでしょう。

 以前、頭のいい中国人学生がいました、当時の留学生試験で奨学金が獲得できたほどでした。それに、家が貧しかったからでしょう、根性もありました。けれども彼女は、お金を稼ぐために日本に来ていたらしいのです。とにかく、彼女の任務は、金を稼いで家に送ること。まず金を借りて来日していたようですから、この借金を返す。それからは稼げば全部自分のものになると言うことで必死に稼ぐ。ただ、夜、寝なくても必ず学校に来ていました。当時の学校の進度であったら、彼女は寮で勉強せずとも、十分やって行けたと思います。他の学生はそうでもなかったようですが。辛いだろうにと思って見ることもあっったのですが、彼女は決して音を上げません。いつか聞いてみたところ、「朝の三時に仕事が終わる。それから始発電車に乗るまで駅で二時間ほど待たなければならない。これが無駄だ」と言うのです。「先生、五時まで仕事があったらいいのに。そうしたら、ただで待っていなくてもいい、お金が稼げたのに」

 三時まで仕事で、それから二時間を駅で過ごす、しかも真冬に…それを辛いと思わずにどうせ待つなら仕事をしていたい。二時間分の給料が手に入るから。

 最初、彼女は、私たちがどう勧めても、専門学校へ行くと言ってききませんでした。大学が、大学生活というものが、想像出来なかったのでしょう。だから金がかかると思い込んでいて、専門学校で思いっきり働いて、国に錦を飾ることしか考えていなかったのです。

 けれども、最後に、大学へ行きたいと言うようになりました。他の中国人学生が、皆、大学、大学と騒いでいましたし、そうなると、学校でもそちらの話題が増えていきますし、大学のパンフレットなども目にする機会が出てきます。そういうことが原因だったのでしょう、少しずつ大学へと心が傾いていったようです。

 学費のことを考えたら、当然国立の方が安い。成績もいいことですし、私たちは彼女に国立を勧めてみました。ただ国立大学を受験するということになりますと、それ相応の勉強をしなければなりません。これまでのように授業だけ受けていればいいというわけにもいきません。

 土曜か日曜日かに学校へ来られるようであったら、私が教えていくということを言ったのですが、彼女は、自分の都合のいい日、アルバイトがない日を言い張るのです。あなたが譲らないというのであるならもう教えないと言いますと、途端に黙ってしまいました。

 この授業の時以外に教えるというのも、私の好意でやってやるわけで、私や学校には一銭の得にもなりません。忙しいだけです。「この学生は勉強を良くする。このクラスの進度よりももっと速く広く深くしてもついてこられる」と感じられた時に、別に指導してやるのですが、これも、好意でしてやるわけですから、私が忙しい時には面倒はみてやれませんし、いくら彼女が「この時間が自分が暇だからこの時間の方がいい」と言っても、彼女に合わせてやるつもりもありません。

 結局はどちらをとるかなのです。国立大学へ行きたいという気持ちが強ければ、わずか一ヶ月に四回くらいの勉強です。アルバイトを四回我慢すればいいことです(教えて、後は個人作業の問題を渡しておきます。それを見て、まだ頑張れるようでしたら次にもう少し難しいものをやります)。試験の準備だけでなく、面接や論文書きのトレーニングもしなければなりませんし。
 
 結局、(彼女が)他の先生に泣きついて、私が面倒をみることになったのですが、この時には(彼女が)一つハードルを越えられたと私たちは単純に喜んだものです。日本語学校へ勉強しに来たと言っても、実際は「金がすべて。両親の期待通りに金を稼がなければならない」という、揺るぎなき信念(?)に凝り固まっていたわけで、その、彼女がアルバイトを休むという。

 つまり、私たちから見れば進歩、呪縛が解けたくらいに感じていたのです。多分これからはだんだん心が柔らかくなって行くだろう。世の中には、いろいろな物の見方、価値観がある、それを理解していけるようになるだろう。自分が後生大事に抱え込んでいた、ただ一つの価値観ですべてを推し量ったりしないようになるだろう。そして、家族の人生と自分の人生を、少しばかり、切り離して考えていけるようになるだろう。

 彼女は、まだ若いのだし、頭もそれなりにいいのだし、母国では学べなかったことをどんどん学んでいって、卒業後は日本で会社勤めができれば、本人が、今、大金だと思っていた以上のお金を稼ぐことも出来るだろうし(当時は、彼女にお金で説明するしかなかったのです。知識とか技術とか、あるいは友人や目に見えないものの価値をいくら言っても、理解できなかったのです。そういうものに価値を置く私たちに、彼女は彼女で懸命に「そうじゃない」と言っていたくらいですから。「また、先生はつまらないことを言う」と、そういう目で見るのです。けれども、実際に大学に入れば、違う世界に気がつくだろう、そうすれば、自然に、考え方も感じ方も変わってくるだろうと思っていたのです。

 けれども、実際には(彼女は)変わりませんでした。国立大学に入学しても、やはり相変わらず、考え方は変わらなかったのです、その前に帰国して、後はどうなったのか…。後できいたのですが、入学して直ぐに帰国したのだそうです。それから半年経って戻ってきても、さてもうもらうはずだった奨学金は返さなければなりませんし、長期帰国の手続きをして帰ったのかどうかも疑わしい。彼女のことはわからないと、当時の、彼女の友人は言っていました。

 あれくらい頭が良くても、そうなんだ。育った環境というのは本当に怖い。そこで、そこなりの責任感も倫理観も育っているのでしょうし。勿論、私たちが言うのが一番いいと言うのではありません。けれども、高校を卒業して直ぐの人たちにはもう少し広い世界でいろいろな知識を持っている人たちと交流してほしい。それから自分を考えていっても遅くはないと思うのです。

 もっとも、環境が許せばということになるのでしょうが。

日々是好日
コメント
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