日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「いや重(し)け 吉事(よごと)」。「『一月』の授業予定」。

2010-01-04 08:19:39 | 日本語の授業
 さて、今日から、学校は「門戸開放」です。

 一口に「学校」と言いますが、ここは、外国から来た人たちが多く学びにやってくる「日本語学校」です。日本で育ち、日本語が自由に扱える人が来る所ではありません。
 
 特に「就学生」と言われている人達にとっては、「日本」という国での、精神上、生活上の拠点なのです。また、それと同時に、学舎であり、遊舎でもあるのですが。というわけで、私たちから見ると、驚いたことに(いや、外国に長期滞在した経験のある人には解るでしょうが)、「休みが嫌い」という人たちが多いのです。

 「学校」に来れば、少なくとも話し相手はいます。その人達と冗談をいって笑ったり、新しい情報を手に入れることも出来ます。「授業」の時は、まあ、時々は叱られたりして、グシュンとなることもあるでしょうが、大半は(まじめにやっている限り)、楽しく過ごせます。

 それが、「休み」ともなりますと、「気散じの場所」が無くなってしまうのです。

 「休み」でないときには、「午後の学生」が、急に朝来て、「自習室」で勉強をしたり、「午前の学生」が、放課後も残って、(早めに来た)「午後の学生」達と一緒に昼ご飯を食べていたりするので、一日中、学生の声が絶えることはありません。一緒にご飯を食べるのも、同じ国から来た人たちだけではないのです。クラスメートであったり、課外活動で仲良くなったりした、いわゆる他の国から来た人たち同士なのです。

 この学校が出来た頃は、表面上は同じようであっても、多少雰囲気が違っていました。中国人の中には、「中華思想」の傾向の強い人たちが多かったのです。肌の色が多少違う、南西アジアから来た人たちを、見下すような言動をする人も少なくありませんでした。彼らの間を取り持つことに、少なからぬ時間を割かざるを得なかったのです。

 勿論、その傾向が、今、全くないというわけではありません。こういう小さな学校では、一つの国から来た学生でも、そういう態度をとってしまいますと、他の国から来た人にもそれは「伝染」してしまいます。皆、それぞれの「中華思想」というものはありますから。

 ただ「中国人」は人口が多いですから、声も大きいという事になります。今は、若い人(高卒者)が多いので、ひと頃のように、彼らが「幅をきかす」ということはありません。若い人は、喜んで、他国の人の良さやおもしろさを見出し、積極的に彼らと交流しようとしてくれます。そして、私たちも、彼らの背を押すことに力を入れています。

 とは言いましても、中国は広いですし、なかなか「頑迷な」思想・習慣から抜けきれない人もいます。一旦、国を出てしまえば、「強国」・「大国」を嵩にきて、何でもやれるものでもないのです。また、ここでは(国にいれば、「愛国」の名の下に、皆同じことしか叫んでいないでしょうが)、皆、違う「考え方」をしますから、勝手に他者を貶めてもいいということにもなりません。残念なことに、それが、なかなか判らない人もいることはいるのです。

 けれども、若ければ、つまり、まだ頭が柔らかいうちに、国を出ていれば、それが愚かしいということも早くに判ります。

 特に、閉鎖的な国や地域から来ようという場合には、出来れば、高校卒業後、直ぐに来て欲しいのです(これも問題があるのです。そこに住んでいる人は、だれも、自分が「閉鎖的で頑迷である」とは思っていませんから)。点数が足りたからと言って、適当な大学何ぞに入ってしまうと、それだけで「増上漫の病」にかかってしまい、何事も虚心な心で見ることが出来なくなってしまうのです。「現状のままでいい、自分は何ほどかの者である」という愚かしい意識が強くなってしまうのです。

 それを打ち破らせ、自分は、知識を得たいと思い、新しい感性を吸収すべくやって来た、ただの「人」であるという思いに至らせることは難しいのです。

 日本人は、今、かつての欧米人達がやっていたように、様々な国に行き、それぞれの「美」や自分達にないものを見出そうと必死になっています。いわば、自分捜しの一環なのでしょうが。勿論、我が国に、他国に誇れるような「文化」や「美」があることは自明のことです。彼らは、その「美」以外の、何か、彼らを惹き付けて止まないものを求めているのです。

 そうして、自分なりの何かを見出し、その「見出したものが存在する地」に、自分の根を下ろそうという人も少なくないのです。また、そのような行為を日本人は否定的には見ていません。却って、羨ましく思う人の方が多いのかもしれません。「誤って、この地に生まれてきた」という思いを、誰もが抱いたことがあるでしょうから。

 人は、どこで、暮らしてもいいのです、暮らせるものなら。自分が好きだと思える所で暮らせばいいのです。とはいえ、そういう「自由」が、無くなって久しいのも事実ですが。けれども、いつか、単なる言葉だけではなく「地球市民」が現実のものになれば、人は自由に山野を歩き、都市に出、己の棲み家を見つけることが出来るようになるでしょう。ただ、それが「終の棲家」になるかどうかは、また別の話です。

 実際に「EU」では、それが成し遂げられようとしています。地球上から見れば、恵まれた狭い先進国間の話と言えるかもしれません。歴史的に見ても、言語、文化的に見ても、共有できる部分が多い国同士であるから、出来たのだとも言えるでしょう。が、やはり、これは、人類の歴史から見れば、輝かしい一歩であることには変わりがありません。

 今も、国を出て、日本へ来た学生達が、日本で、それぞれの道を見出し、自由に世界を闊歩出来る日が来るように、また、そのためにも、互い(異国間の人々との)を理解し合える術を身につけられるようにと、そして、そのための一助が少しでも出来たらと、この学校の教員一同は、常に願っているのですが。
 
 ただ、そのためには、そういう感性を育てられる学生に、ここに来てもらいたいのです。

 「自国」中心で、既に「がんじがらめ」になっている人は、やはり、その国にいた方がいいのです。一旦、「(外国に)行くのだ」と決めたなら、行き先の国を理解しようと努めてもらいたいし、行くつもりの国の人を受け入れようとしてもらいたい。何よりも、行こうと決め、そういう行為を起こした人には、先に、そうする義務があると思うのです。

 勿論、受け入れてしまったら、それが出来るように努めるのが、日本語学校の日本語学校たるゆえんであると思うのですが。

 さて、もう8時を過ぎてしまいました。学生達が来るのは、1月7日からですから、まだ、あと3日ほど、時間があります。

 「ABクラス」では、7日から「文学・歴史」の勉強や、「ドラマ」・「社会経済」・「日本語と言語周辺」・「論文」・「面接」などを、文章やDVDを用いて勉強していくことになります。
 また「CDクラス」では、「正規の進度でやるクラス」と、「『漢字』と『読み』を中心に据えたクラス」とに分けてやっていくことにしています。
 「Eクラス」は、「初級Ⅱ」に入ったようですから、少しずつ難しくなっていくことでしょう。

 そろそろ、ドアを開け、自習に来る学生達のために「暖房」をつけておかねばなりますまい。さて、何人くらい来ますことやら。

 新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け 吉事(よごと)              (大伴家持)

日々是好日
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