柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

行き止まり

2007-06-15 08:40:03 | Weblog
NOVAもコムスンと同じようなケチなごまかし挙げられて。定時定数基準というのは破られるためにある、と言うか初めに数揃えていればあとはウソでも何でも書類揃えて申告すれば自動更新、随意契約ですからね。誰もまともにチェックしません。エレベーターやらジェットコースターの定期検査、病院の医者数看護婦数、コムスンのヘルパー数、NOVAの講師数。人件費浮かすしか利益がでない仕組みではあるのですが、利益出そうと考えたときに誰もがまず考えつズルでもあります。浜の真砂ごとく、この手のずるの種は尽きまじなんですが、事の発端もきまって内部告発でしょう。エレベーターやジェットコースターなど機械の場合は大怪我するとか人が死ぬとか、そういうエピソードがないとなかなか表に出ませんが、それ以外の定数ズルは義憤に駆られてか、給料や労働条件のこじれか、人間関係か、あるいは雇われ手の性格の問題か、どろどろのチクリによる発覚暴露です。言うなよといえば言います。お前と俺しか知らぬ事だから、なんて囁くと一気に拡がります。人はそんなもんでしょう?抑えれば抵抗します。自分がそうですからよーくわかります。でも、ずるをそのまま社内に公表して知らん顔できるほどに肚の据わった奴はそうそういません(肚が据わっているというよりとってもええ加減と言う評価でしょうが)。から、隠しますわね、でも多くの人間をからめての隠し事になります。箝口令というのは抑圧恐怖脅迫があればこそ成立します。喋ったらただではおかんぞ、文句言うなら馘だ!という脅しが要ります、必ず付いています。でも、そういう状況は長続きしませんよというのが人の歴史の教えるところです。ソ連は50年かかりましたが。と話を進めれば、これは人の業であり、何百年何千年経っても人は同じことを繰り返すしかないという行き止まりです。利を上げるために他にどれほどの工夫ができるか、この才能の高低です。そして小狡いことはしないという心向き、矜持。人ごととして話せばこれだけのことですが、これは全て我が身に降りかかる事々でもあります。うむ、足元は大丈夫かしら。考えておきます・・
コメント
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