柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

色々

2007-06-21 08:42:43 | Weblog
ゴーンさん、大変ですね。新聞記事見る限りでは7期ぶりに減収になった途端に叩かれています、そんなに言わなくてもと思いますが違うんですかね。瀕死の状態から日産を救った人なんでしょう?一期凹んだくらいで無能呼ばわりするのはいかがなものでしょう、と何も知らない外野は思います。マスコミこぞってあれだけ持ち上げ褒めそやした人ですよ、カリスマ経営者なんてね。役員のボーナスカットですって。きっと信賞必罰でギリギリ締めてきたんでしょう、失敗を許さない厳しさ、切るべきを容赦なく切る手法、それが自分に向いているという図でしょうか。余程にえげつない手法で立て直してきたんでしょう、返す刀の容赦なさが物語るようです。企業ってそんなもんよ、ってすましていられるうちはまだまだ甘いんでしょうね。サンヨーの女社長野中某も、下着メーカーの雇われ女社長元バレー選手三屋某も、だらだら引っ張って引っ張っての挙げ句でしたから。自分で掘った穴に落ちたってわけですか。厳しいこと。と外野はいつでもお気楽です。
 訂正します。先にバスケット選手のこと書きました、そこでジャイアント馬場よりもっと大きな選手がいて、云々しました、その人のことが今日の毎日新聞に出ています。岡山恭崇、身長228cm、松下ではなくて(松下の長身選手は沼田でしたね)住友金属、81年にNBAからドラフト指名受けていたそうです。先に書いていたことが(記憶が)いかにいい加減であったか如実でした、訂正してお詫びします。しかしやはり、でかい顔!
 卒業式や入学式での君が代斉唱「強制」訴訟、東京地裁で原告敗訴だそうです。都立高校教員がが原告です、内心の自由を侵されたという憲法違反の訴えなんでしょう。同じ内容の別の訴訟で同じ東京地裁は全く逆の判決を出しているのにです。今回の判決の後ろ盾は先の最高裁の判例です。内心の自由と、こういう儀式でのセレモニーとは別物だということでしょう。当たり前です。もういい加減にこういう言いがかりは止めることですな、いつもいつもステレオタイプに同じことばかり言っている。内心の自由とはつまり人が何をどう考えようが自由だと言うことです、これも当たり前のこと。考えること、頭に浮かぶことまで規制統制拘束強制などできるはずもないことです。あなたが君が代嫌いでも、それはそれ、あなたの自由。余程にいやなら、式を欠席するもあなたの自由。家で休んでいるあなたに向かって、さらに君が代聞けとか唄えとか押しかけたなんてことならこれは強制に過ぎますが、のこのこ式には出席して、皆が起立しているのに立たない、儀式の進行を妨げる。立つだけ立って黙っていたら誰も何も言わないのに、立ちもしない。それを内心の自由と言い募る。馬鹿馬鹿しい。しかし東京地裁も何が出てくるか分からない玉手箱のような裁判所だこと。人は色々なんでしょうけど、こんなんでいいんですかね。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする