柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

ブーム

2007-06-20 08:38:49 | Weblog
NHKの朝早くのニュース見ていたら、今年上半期のオリコンチャート、シングル部門第一位が「千の風になって」だったと報道です。え?NHKよねこれ?という感覚でした、こんな思いは古いんでしょうか。勢い二位、三位も言わねばならず、宇多田ヒカルと嵐、アルバムの一位はミスチルだったそうです、そんなことニュース?いや、意図は分かりますよ、あんな見たこともない、とてもTV映えするルックスでもない、田舎の男性コーラス団にいるような奴がクラシック風の歌い方する曲が、年輩者達にえらく受けていて昨年の紅白以来すっと売れ続けているという特異さです、分かります。へぇ、そんなもんかいと思っていたら、朝日新聞に追い打ち記事でした。ヒットの訳を解説しています、死者が残された人に語りかけ、悲しみを癒してくれる詩が共感を呼んだという括りです。死者が生者を思い遣る思想。死者は風だけでなく光、雪、鳥、星にも姿を変えてあなたの側にいる。八百万の神に親しんできた日本人になじみのある考え方だったという考察も載っています。一方では仏教的な死生観とは異なると違和感を表明する仏教関係者の意見もあります。アニミズムでは死にたいする安心を得られなかったが、自然宗教を脱した仏教やキリスト教などにより死の意味づけが明確にされた、んだそうで、亡くなっても生きていて欲しいというこの歌に表れる気持ちは、未練がどこまでも残ってしまうように感じてしまうと反論しています。仏教の影響力の低下の表れでもあると、そちらの反省も忘れてはいないようですが。でも、この記事にありますが、この詩は作者不詳の英語詩の翻訳物だそうです。なぁんだ、原典には仏教の入り込む隙間もないというわけです。今まで日本人にはなじみの薄い考え方(散骨なんて色々緩んできてはいるのでしょうが、葬式やら納骨やら初七日、四十九日の満中陰なんて「しきたり」は坊さんの言うままに皆粛々とやってますわね)だから、受けたってわけです。死んだ者のことあれこれ言うな、もうその人はここにはいない(浄土に行っている)、後はちゃんと供養すればいいんだという常識と違うことを言っているだけです。墓参りなんてしてもそこにはいないですよ、なんてね。で、今から死んでいく年代がほっとしちゃった、ああ、みんなの側にいられるんだ、なんてね。だから年寄りに受けているんでしょう。死んだ後のこと誰が分かるんです?いいじゃないですかどうでも、死んだ後の事なんて。死ぬまでは生きているんだから、そっちのこと考えましょうよ。死んだ人が側にいるなんて、私はぞっとしませんね。あの世とやらで機嫌良く過ごしておいてもらいたい。そう思います。あれこれ言うのも何だか馬鹿馬鹿しくなっちゃいました。英語詩の翻訳物でしたか・・
コメント (5)
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