柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

短慮

2007-06-05 08:41:47 | Weblog
ピアノ奏者というか作曲家、編曲家と冠するべきなのか、最近よくTVに出ていた羽田健太郎氏の死亡記事です。唐突でびっくりです。立派な体格でそんな病気とはとても窺えないことでしたから余計にです。新聞の死亡記事には挙げられていませんが、この人の名前を初めて見たのは、松田聖子の青い珊瑚礁の作曲者としてでした。あの曲は売れましたからねぇ、あの頃から松田聖子が出てきた頃からアイドル達歌が上手くなったんでした。それ以前は浅田美代子やら菊池桃子で代表象徴される唄下手アイドルの時代でしたから。丁度私が大学生の頃、海水浴場で、飲み屋でこの曲ばっかりかかっていた覚えがあります。60前で死ぬには辛いことでしたでしょう。合掌。
 島根県出雲市で25歳の女巡査長が拳銃自殺だそうです。どういう理由があったにせよ、個人的なことには全く興味はないのですが、一体この職をどう考えているんでしょうね(もう死んでしまった者に考えるもくそもありはしませんが)。警官だって人の子だ、ですか。違いましょう。そんな奴が警官になるなよ、ではないですか?同情が湧きますか?眉を顰めるばかりでしょう。仕事が合わぬのなら辞めなさい、その自由は百パーセント保障されています。人間関係?25年も生きてきて何を言っている?ぶつかるなり逃げるなり、その自由も完全に保障されています。病気でしたか。なれば余計にその職を選んだが間違い。社会に与える影響は大きいですね、どんどん崩れていく、あっちもこっちも、そしてここでも。これは本当に危ないのかも知れませんよ、日本。誰かがきちっと喋って、きちっと生きていくことを示していかないと。手本がないんですきっと。
 生殖医療は歯止めが利きません。倫理なんて壁は一つ二つの既成事実で吹っ飛びます。以前にも何例かあったことなんでしょうが、自分の卵子が使えない女が、姉妹あるいは友人の卵子を譲り受けて、夫の精子と体外受精して、その受精卵を自分の子宮に着床させて産むという手順のついての是非です。本人達は十分に理解し承諾し呑み込んだ上での決定にしても、人のことは放っておけばいいことなんですが、できること(科学的に可能)ならやってもいい訳ではないでしょうに。できるできないの基準と同じほどの重さで、やって良いことと悪いことの判断がありましょうにね。前者は科学的、後者は感情論(好き嫌い)なんて分け方もできましょうし、科学至上主義の方には物理的な可能不可能を理性的に論ずること以前に感情論を忌み嫌われる心情も理解します。が、人は機械じゃありません、感情で生きています。気持ちの浮き沈み、気持ちの向き不向き、怒り許し、忌み愛し、不安と安寧とを繰り返す。識者が言うように、この子は私の子じゃないという事実(詩的に言うなら心の傷)は消えません、消せません。親子関係なんてのは十あれば十通りです、ですから類型化することに意味はないのですが、生殖技術は一瞬のこと、親子関係は一生続くのです。あまりに短慮、人の業を軽視しすぎてはいませんかね。私はこういう方向はおかしいと思います。いかがですか。
コメント
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