柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

恣意

2007-06-26 08:41:32 | Weblog
何度も同じ口調で同じようなこと言っていたんではこっちの性格を疑われましょうが、どうしてこんな考え方しかできぬのかと呆れること、ヤンキー先生が参院選に立つことによって空いた教育再生会議委員の席を、次はオール1先生で埋めるんですって。ニックネームというかキャッチーな呼称を付けては嬉しがっているマスコミですが、だからどうだって言うんですかね。特異な経歴の持ち主が何の役に立つんでしょうか。いえ、私の頭にも順番があって、一番役に立たぬが肩書きひらひらの専門家、次にこの手の特殊環境をくぐってきた連中、三番にお飾り常連(PTA会長とか自治会長、なんちゃらのOB会会長などに多い、順番で役についてただ坐っているだけの連中)。ですから腹立たしさに関しては次点のケースなんですが、まるでオール1が立派なことのような馬鹿馬鹿しさ。グレずに「はい上がった」事は称賛に値するのでしょうが、大学院まで行くことのできるような者は普通はそこまで落ちませんよね、この人が何か欠けていたんでしょうにね。やればできる奴が何らかの原因でやらない、で、グレていく。そこを克服して真人間になる、これはすばらしい。そうですかね?やればできる者ならば場面相当に力を出しながら生きて行きなさいよ、そうでしょう?そういう適応力がない奴なんでしょう?波風立てず立たず、外から見れば一本調子で目立たず極々普通にやって行く(来た)人が多いから今の社会が成り立っているのに、多数を否定無視するような言い方が多すぎます。そして、その舵取りを(恣意に)間違えたのは文部省に巣くった毒虫達でしょう。全体からこぼれた連中は教育が悪くて堕ちたんじゃないです、人の所為じゃありません、自分の事です。これが個人差です、環境の個体差です。どうしてこういう特殊な経歴を珍重しますかねぇ、珍しがるのは勝手ですが、重要視するほどのことでしょうかね。
 今、国の教育に必要なのは全体をごそっと持ち上げることです。底辺を掬うことではありません。全体のレベルアップのためには、下を持ち上げるでは決して届きません、何故なら上のやる気を削ぐからです。上を更に引っ張り上げる、すると次に続く層がそれに連れてレベルアップします、要諦はそれじゃないでしょうか。このやり方ではおそらく下は動かないでしょうが、中には連動する者もいましょう(ヤンキー先生やらオール1先生のように)。全体を押し上げようとするときには、あっち向いている連中を振り向かせるよりもまず、こっち向いてる連中をどんどん引っ張り上げてレベルアップすることだと思います。具体的には?私なら、中学高校で学業第一主義を再認識させる、国の栄えには人材です、かたやで社会規範を強制する、自由とは何ぞやと教え直す。学業第一主義の弊害なんか実はなかったんです。あったのは社会規範の軽視だったのです。そこを都合よくすり替えられて、勉強すること自体が悪いことのような印象を植え付けられてきたわけです。何故?もちろん誰かの恣意です。だから、ひっくり返さねばならぬのです。そう思いますが、いかがですか。
コメント
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