北島大したもんでした。百メートルで勝ったときのあの涙が、この男が背負ってきた重しを示してましたね。勝って当然、負ければ叩かれる。世間の期待にかこつけたマスコミの集団暴力を一身に受け、低空飛行の時期を凌ぎ・・ですが、それもこれも勝ったから遡れるプロフィールです。柔道の鈴木、水泳の柴田などなどあっさり負けてしまうと、それぞれに用意されていた物語が一切ボツになるわけです。不幸不遇な生い立ち、不自由不十分な環境、そういうのがあればあるほど浪花節が大きく吟じられるというわけです、辛酸をはね返してとやら逆境を踏み越えてとやらです。こっちは要らぬ事なんですがね、連中が自分で選んだ道なんですから。なんて言うから嫌われるんですね、これもよくわかっているんですが。
昨日東条英機の手記の事書きました。現在の常識で測る、六十有余年の歴史が積み重なった後(現在)から遡る評価は正しくない、左に偏った断罪は肯けないと書きました。その左の代表二紙が今朝のコラムで取り上げています(天声人語、余録)。二紙共に噛みついているのはこのくだりです、「戦いは最期の一瞬において決定するの常則は不変」であるし、まだ「軍殊に陸軍のなお参を頼むところなしとせざる」状況であるのに、「敵の宣伝政略の前に屈し」「結局は国体護持という空名のみを得てその実右は総じて敵側の隷属化に立つに至なきか」と嘆いた後の一文です、長いですがそのまま引用します「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」。天声人語は、「親爆弾(原爆)に脅え、ソ連参戦に腰をぬかし」て敗戦者になりきっている無様を嘆いている別の文章も挙げて、現状との観念的なあまりな乖離具合に呆れながら(これは8/12の日経の感想や保坂正康のコメントに通じます)、「この期に及んで戦争を正当化するメモは、戦後の感覚からは読むに堪えない」ど断じます。両コラム子ともに「無気魂」という字面に反感が沸き上がっているようで、余録では東条英機が感じた責任とは誰に対するどういうものなのか、「国民がダメなのを知らずに開戦した責任をわびねばならぬ国家とは何なのか」と声を荒げています。いや、この文章を素直に読めば東条英機が詫びている相手は天皇陛下でしょう。こんな国民ですみませんと。こんなつもりではありませんでしたという言い訳でもあるのでしょう。責任はちゃんとる「日本的なる方法によりて応ゆべし、陛下が重臣を敵側に売りたるとのそしりを受けざるごとく」と最後に書いてあります、事実その後死にきれなかったのですが拳銃自殺を図っています。敵が自分を戦犯者として捕まえに来る、このことを陛下が重臣を敵に売ると表現するわけです。そんな人間が書いた文章です、誰に対する責任かといえばひとえに天皇陛下に対してでしょう。毎日のコラム子は国家を殊更に強調して軍国主義全体主義を非難したいのでしょう、国民を単なる駒にしか見ない、戦争に負けたことを無気魂を持つ国民の所為にしている戦争指導者の傲慢さに反駁しているのでしょう。気持ちは理解しますが、どれもこれも天声人語に言う「戦後の感覚」です。彼(東条英機)にすれば開戦時の責任者という意識がもちろん強いだろうし、一にも二にも天皇陛下の御為という行動規範でやってきている人です、最後の一兵まで陛下のために戦い死んでいく覚悟!と言いたいのです、というかそう信じていたのでしょう。後の歴史が明らかにしたように、8月15日以降、米軍は九州、九十九里浜等への上陸を計画していて、これが実行されれば、と思うだけで身の毛がよだつ気がしますし、更にソ連軍の無体蹂躙は留まるところを知らなかったでしょう、北海道に住んでいる人が皆殺しになるとか。スターリンは日露戦争の仇をとるって言ってたそうですから。獰猛な狩猟民族の本能剥き出しです、満州、朝鮮の無体虐待が物語ります。そうならないために日本は敗戦を選んだのだ、なんて言うわけです。そんな筈ないでしょう?そんな無茶苦茶なこじつけがありますか?そしてそれはアメリカのアメリカ善玉日本軍悪玉論につながります、原爆投下は仕方なかったんだ、あれがあって日本は救われたのだって。そんなはずないでしょう?無差別に何十万人も一気に殺戮して仕方なかったって?馬鹿馬鹿しい。日本は戦争していたのです。にっちもさっちもいかないところまで追い込まれて、作戦の不備やら軍の硬直化やらそれこそ後世司馬遼太郎を初めとしてあまた批判がなされていますが、それでも彼の立場とすれば首尾一貫しなければならないのではないのですか。それが責任者としての筋だったんじゃないんでしょうか。この手記で、例えば逆に俺は間違っていた、戦争なんかするんじゃなかった、なんて書かれていたらそれはそれでまた大叩きですよ。負け時を逸したとか交渉期を逸したとか後知恵であれこれ批判するのは簡単ではありますが、事実は違ったのです。日本はあの時政策決定するべき者がちゃんとした手続きをもって開戦の決定をしたのです。そして同様の手続きをもって終戦(敗戦)決定したのです。まるで狂人に無理矢理誤った方向に引っ張られたかのような評価は必ず間違っています。この期に及んで戦争を正当化する(朝日)、国の惨状をよそに継戦を主張する軍人の虚勢(毎日)と左翼にかかるとボロクソですが、東条英機はそういう人だった、そういう思想に貫かれていた(こういう表現が気に入りませんか、左寄りの皆様)ということなんです。天皇陛下こそが国体そのもの、日本そのものなのです。赤子八千万(当時は一億ではないのです)は天皇陛下のために存在するのです。そういう時代だったのです。日本は自存自衛の戦いをしていたのです。そこから否定してかかっていては(戦後の感覚でいたのでは)当時の空気なぞわかるはずもないことだろうと思うのです。東条英機は狂っている、よくもこんな石頭に舵取りさせていたこのだ・・なんて与太を言うようになるのです。どうしてわからなかったんだ?ですか。わかっていたはずですよ。あの選択があの当時の最良の選択だったんです。反省がない、ですか。反省するのは後世の人間です、つまり我々です。ああいう無茶をしたらまずい、とわかればいいんです。でも、あの時代に生きた人達を蔑むは当たりません。ましてや国の命令に粛々と従い異国の地で死んでいった人達、あたら若い命を投げ出した人達を犬死に扱いする心情は理解できません。歴史は必然。私はそう思います。その場面場面に登場すべき人が登場して役割を演ずる。東条英機も選ばれし人だったのです。その人の掲げる旗にその時代がついていった。そういう事実があるばかりです。後世に生きる者はそのままに知ればいいことだと思うのです。
昨日東条英機の手記の事書きました。現在の常識で測る、六十有余年の歴史が積み重なった後(現在)から遡る評価は正しくない、左に偏った断罪は肯けないと書きました。その左の代表二紙が今朝のコラムで取り上げています(天声人語、余録)。二紙共に噛みついているのはこのくだりです、「戦いは最期の一瞬において決定するの常則は不変」であるし、まだ「軍殊に陸軍のなお参を頼むところなしとせざる」状況であるのに、「敵の宣伝政略の前に屈し」「結局は国体護持という空名のみを得てその実右は総じて敵側の隷属化に立つに至なきか」と嘆いた後の一文です、長いですがそのまま引用します「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」。天声人語は、「親爆弾(原爆)に脅え、ソ連参戦に腰をぬかし」て敗戦者になりきっている無様を嘆いている別の文章も挙げて、現状との観念的なあまりな乖離具合に呆れながら(これは8/12の日経の感想や保坂正康のコメントに通じます)、「この期に及んで戦争を正当化するメモは、戦後の感覚からは読むに堪えない」ど断じます。両コラム子ともに「無気魂」という字面に反感が沸き上がっているようで、余録では東条英機が感じた責任とは誰に対するどういうものなのか、「国民がダメなのを知らずに開戦した責任をわびねばならぬ国家とは何なのか」と声を荒げています。いや、この文章を素直に読めば東条英機が詫びている相手は天皇陛下でしょう。こんな国民ですみませんと。こんなつもりではありませんでしたという言い訳でもあるのでしょう。責任はちゃんとる「日本的なる方法によりて応ゆべし、陛下が重臣を敵側に売りたるとのそしりを受けざるごとく」と最後に書いてあります、事実その後死にきれなかったのですが拳銃自殺を図っています。敵が自分を戦犯者として捕まえに来る、このことを陛下が重臣を敵に売ると表現するわけです。そんな人間が書いた文章です、誰に対する責任かといえばひとえに天皇陛下に対してでしょう。毎日のコラム子は国家を殊更に強調して軍国主義全体主義を非難したいのでしょう、国民を単なる駒にしか見ない、戦争に負けたことを無気魂を持つ国民の所為にしている戦争指導者の傲慢さに反駁しているのでしょう。気持ちは理解しますが、どれもこれも天声人語に言う「戦後の感覚」です。彼(東条英機)にすれば開戦時の責任者という意識がもちろん強いだろうし、一にも二にも天皇陛下の御為という行動規範でやってきている人です、最後の一兵まで陛下のために戦い死んでいく覚悟!と言いたいのです、というかそう信じていたのでしょう。後の歴史が明らかにしたように、8月15日以降、米軍は九州、九十九里浜等への上陸を計画していて、これが実行されれば、と思うだけで身の毛がよだつ気がしますし、更にソ連軍の無体蹂躙は留まるところを知らなかったでしょう、北海道に住んでいる人が皆殺しになるとか。スターリンは日露戦争の仇をとるって言ってたそうですから。獰猛な狩猟民族の本能剥き出しです、満州、朝鮮の無体虐待が物語ります。そうならないために日本は敗戦を選んだのだ、なんて言うわけです。そんな筈ないでしょう?そんな無茶苦茶なこじつけがありますか?そしてそれはアメリカのアメリカ善玉日本軍悪玉論につながります、原爆投下は仕方なかったんだ、あれがあって日本は救われたのだって。そんなはずないでしょう?無差別に何十万人も一気に殺戮して仕方なかったって?馬鹿馬鹿しい。日本は戦争していたのです。にっちもさっちもいかないところまで追い込まれて、作戦の不備やら軍の硬直化やらそれこそ後世司馬遼太郎を初めとしてあまた批判がなされていますが、それでも彼の立場とすれば首尾一貫しなければならないのではないのですか。それが責任者としての筋だったんじゃないんでしょうか。この手記で、例えば逆に俺は間違っていた、戦争なんかするんじゃなかった、なんて書かれていたらそれはそれでまた大叩きですよ。負け時を逸したとか交渉期を逸したとか後知恵であれこれ批判するのは簡単ではありますが、事実は違ったのです。日本はあの時政策決定するべき者がちゃんとした手続きをもって開戦の決定をしたのです。そして同様の手続きをもって終戦(敗戦)決定したのです。まるで狂人に無理矢理誤った方向に引っ張られたかのような評価は必ず間違っています。この期に及んで戦争を正当化する(朝日)、国の惨状をよそに継戦を主張する軍人の虚勢(毎日)と左翼にかかるとボロクソですが、東条英機はそういう人だった、そういう思想に貫かれていた(こういう表現が気に入りませんか、左寄りの皆様)ということなんです。天皇陛下こそが国体そのもの、日本そのものなのです。赤子八千万(当時は一億ではないのです)は天皇陛下のために存在するのです。そういう時代だったのです。日本は自存自衛の戦いをしていたのです。そこから否定してかかっていては(戦後の感覚でいたのでは)当時の空気なぞわかるはずもないことだろうと思うのです。東条英機は狂っている、よくもこんな石頭に舵取りさせていたこのだ・・なんて与太を言うようになるのです。どうしてわからなかったんだ?ですか。わかっていたはずですよ。あの選択があの当時の最良の選択だったんです。反省がない、ですか。反省するのは後世の人間です、つまり我々です。ああいう無茶をしたらまずい、とわかればいいんです。でも、あの時代に生きた人達を蔑むは当たりません。ましてや国の命令に粛々と従い異国の地で死んでいった人達、あたら若い命を投げ出した人達を犬死に扱いする心情は理解できません。歴史は必然。私はそう思います。その場面場面に登場すべき人が登場して役割を演ずる。東条英機も選ばれし人だったのです。その人の掲げる旗にその時代がついていった。そういう事実があるばかりです。後世に生きる者はそのままに知ればいいことだと思うのです。