シンクロと野球がとどめを刺してくれました。広く敷衍すれば司馬遼太郎の言うリアリズムの欠如、過去の成功、過去の栄光にすがりすぎて現状を把握できない、いやこっちが遅れていることには十分気づいているのですが変えられない、このやり方でいいのだと押し切ろうとする、これが日本だなんて二言目には必ず伝統とやら精神力とやらを振り回す。卑近に喩えれば、昔は繁盛していたんだけれどと寒風吹きすさぶシャッター街のうらぶれ。郊外型の大型店にばっさりやられ、インターネット購買に根こそぎやられる、それでも強がってる、自分を変えようとしない。野球はそういうところ見た目には分かりにくいのでしょうが、シンクロはいつもの謂で恐縮ですが素人目にも明らかな差。監督の敗戦の弁が大事ですが、星野さんは審判に負けたって言ってます、シンクロのおばちゃんはオーソドックスなやり方では勝てないと開き直ってます。この二人が元凶でしたね、ようくわかります。審判の所為にしたのではどこ行っても勝てませんよね、そう思うのなら前もってちゃんと審判達を買収しておきなさいよ、そのくらいのことやってもいいんじゃないんでしょうか。自分の責任だ、選手の所為じゃないって、それはいいからあなたの反省具合をもっと見せてくれという話です。張本が声を荒げて非難してます、選手の起用が間違っている、何度もエラーした西武の佐藤をどうして守備につかせねばならなかったのか、エラーする選手を使う方が悪いのだという論理です。これは岩瀬にも同様です。2、3年前の岩瀬とは明らかに違うんだからとバッサリです。この理屈は茶の間の評論家達も肯いてるんじゃないでしょうか。申し訳なかったと口では言っているけれど・・という印象です。シンクロのおばちゃんもそうです、そう分かっているならどうしてもっと独創性のある演技を考えないんだ?あなたにその才能がないなら他に捜しなさいよ、きっと才能溢れる若い連中がわんさかいますよ。中国行っちゃった井村さんにめそめそといつまでも恋恋として、きっちり負けてみせる、それは井村さんのやり方を踏襲することによって逆にその間違いを証明しているつもり、訣別の儀式手続きのつもりだったんでしょうか、つまり拗ねちゃってる。井村さんが急に向こうに行くんだもん、急にあんたやれって言われてもねぇ。あのおばちゃんの弁解はこう聞こえました。敗軍の将がどう語るか。往々にして語るに落ちるのです。この人がどう思っていたのか。弁解がましくなればなるほど化けの皮が剥がれていきます。言葉を選んで小難しい言い回しをすればするだけ見えてきます。言葉は怖ろしいです。ここでもその真実を知ることです。
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