柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

人海

2008-08-09 08:43:49 | Weblog
北京五輪開幕です。開会式見ました。コンピューター技術の総動員と人海戦術。人と金を湯水のようにふんだんに使い倒すといった印象でしたね、迫力はありました。中国四千年、白髪三千丈、人の数には事欠かぬぞ13億。どんどんどんどん湧き出てくる人、人、人。皆中国人顔(当然ですが)。マスゲームは人の心に訴えるんですね、もっとも根元的に本能的に人の心を揺すぶるのでしょう。思わず見入ってしまう、魅せられる、もっと言えば催眠状態に陥る。人はローマ春秋時代から大勢の人の前で大声で叫び語るリーダーに従ってきたのです。大勢の人の集まりに、そこで行われるパフォーマンスに魅入られて引き寄せられてきたのです。それを知ったものはこの習性を利用します、ヒットラー然り、レーニン然り、毛沢東然り、北の将軍様然り。大勢の群衆の前でアジりにアジることがどれほど大衆操作に効果的か、彼らはきっと本能的に知っていたんでしょう。9万人以上があのスタジアムにいたそうです、ペンライトの波、大歓声、あの光と音の大喧噪、集団催眠状態です。愛国心なんでしょうね、あそこで煽られるのは。識者に言わせると patriotism と nationalism とは違うんだそうですが、結果発動される行為行動は同じです。陶酔した顔で歓声挙げている観客が映し出されるたびに、これが五輪の最大の意義だと思い知らされることでした。そしてもう一つ、入場行進で国名のアナウンスします、フランス語読み、英語読み、最後に中国語読み。どれが一番耳になれているかという単純な違いなのですが、タモリならずとも中国読みのイントネーションの奇異さはおちょくりたくなることでした。同じ漢字読みでもイントネーションが違うとこれだけ奇異かと思うことでした。北京もアルファベット表記(表音)すれば Beijing です、日本語で書けばベイジンですね、ペキンではなくて。漢音とか呉音とかの差なんでしょうが、日本と中国の文化は同根なのか別物なのか。頑として別物論を主張したいのですが。
 餃子問題、全くマスコミは取り上げません。五輪に隠しているんでしょうね。昨日はどうしてこのタイミングの公表なんだ?五輪が終わってからの方が都合いいんじゃないのか?と書きましたが、いやいやこういう意図だったわけですね。これで世間の目を誤魔化せるってわけです。なるほどね。それでなくても忘れっぽい日本人です、五輪が終わったら何も覚えていません。マスコミもこれ幸いと黙っていましょうし。情報操作に違いないことですわ。日本という国は自国民の安全より中国様、北朝鮮様、韓国様の御意見優先なんでしょう。胸が悪くて反吐が出そうです。
 大分県教委事件、月刊誌やら週刊誌に色々詳細が載ります。何でも大分は日教組の組合員率が90%を超えるんだそうです。つまり全体主義、幹部が甘い汁を吸い続ける構造です。今時そんな、なんて思うのは呑気な部外者の考えであって、この業界にはマルクス思想が大現役なのです。ゾッとしますね。思い当たる節が、そういえばあなたにもあれこれあるんじゃありませんか?
コメント
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